第四章 信仰の都カルナボラス その4
「お前は誰だ。それにセチアたちが殺されるって、どういうことだ?」
背中の痛みも忘れていた。立ち上がった俺はベッドの上の少女に尋ねた。
「命からがらカルナボラスまで来たってのに、これじゃあ元の木阿弥じゃないか! 本当に、あんたは大馬鹿だよ!」
女の子は泣きじゃくったまま俺を罵っていた。
散々な言われように、俺もいよいよ頭に血が昇る。
「おい俺の質問に答えろ。それに訳がわかんねえよ、俺はあいつらに頼まれてわざわざ送り届けてやっただけだぞ。何故そこまでボロカスに言われなきゃならんのだ」
「うるさい、あたいだってもうわかんないよ! セチアの存在はプラートにとって邪魔なんだ。だから消す、ただそれだけなんだよ!」
女の子がここで一際大きく叫んだ。
その声に驚いたのだろう、階下から誰かの駆け上がる音が聞こえ、俺の部屋のドアが勢いよく開かれた。
「オーカスさん、どうかされましたかい?」
料理でも作っていたのか、おたまを片手に持った宿の主人が俺の部屋に上がり込んできたのだ。
「ああ、この部屋にクソガ……て、あれ?」
俺はベッドを指差した。しかしそこにはただ布団が敷かれているだけで、さっきまで確かにいた女の子は忽然と姿を消していた。
「いねえぞ!」
あの小娘どこ行きやがった?
ベッドの下ものぞいてみるが、ただ埃が積もっているだけだった。てかちゃんと掃除しろよ。
「オーカスさん、暴れるなら外でやってくれよ。あんたみたいなんが跳び跳ねると床が抜けちまう」
そう言い残して主人は部屋から去っていった。
部屋の扉がバタンと閉まると、ベッドの上に少女が現れた。
ふっと光が差し込むように何もなかった空間に一瞬で浮かび上がった。
「お前、自分の姿を消せるのか?」
女の子は涙を拭うと、ようやく落ち着いてため息を吐いた。
「済まなかったね商人の旦那。そう、あたいはセチアと同じ真正ゾア神教によって奇跡の力を与えられてりいるのさ。この力結構便利でね、潜入にはもってこいなんだよ」
「セチアのことを知っているようだな。どういうことなんだ、殺されるって」
ズボンに付いた汚れを払いながら俺は尋ねた。以前なら取り乱していただろうが、何人も奇跡の力を持った連中と出会う内に多少のことでは動じないよう順応していたようだ。
「そうさ、プラートはずっと血眼になってセチアを探していたんだ。セチアは重大な秘密を知ってしまったからね。その秘密を知る可能性のある者も同じように、つまりセチアをかばったスレインも殺されるだろうね」
「秘密だと? 記憶を失ったあいつが?」
「無くす前の話だよ。当然覚えているはずが無い。でもプラートは許さない、自分たちの存在そのものを脅かすからね」
女の子が真ん丸な瞳を窓の外の鐘楼に向けた。
今あの中でセチアは、スレインはどうなっているのだろう。
「その秘密って、どんな内容だ?」
「知らない方がいい。旦那まで狙われかねないからね。ただ、真正ゾア神教にとってものすごく都合の悪い物だってことだよ。だからあたいもあいつらに見つからないようにしているんだけどね」
「お前も早く遠くに逃げれば良いだろう。なぜカルナボラスに来たんだ?」
ここで女の子の眼が怪しく輝いた。どうも俺にこの質問をさせたかったみたいだ。
「ふん、あたいがただ逃げるだけのタマだなんて思ってほしくないね。ちょいと大聖堂に用があって潜入の機会を窺っていたんだけど、なんとびっくり逃げ出したはずのセチアを旦那が連れてきてるじゃないかね! 2人を助け出すためにもあたいは今すぐにでも大聖堂に潜入するつもりだけど、一人じゃあ難しいね。非力なあたいと違って、どこかに頼りになる力自慢でもいないかなと思ってさ」
どこが非力だ。さっきの一撃は明らかに達人のそれだったぞ。
「……要するに俺に手伝えと?」
「え、手伝ってくれるのかい? もしそうならすごくうれしいよ」
この娘、随分と世間慣れしてやがる。
確かにここにセチアとスレインを連れてきたのは俺だ。だが、あいつらは自らプラートのいるここへ連れて行ってくれと頼み込んできたのだ。俺は密航まで仕組んだ上に一週間樽を背に寝かされていた。その代償があのターコイズの指輪だ。
そう、あいつらとの付き合いはビジネスであって、それ以上は俺には関係無い。
「悪いが他を……」
俺が顔を背けた時、女の子はベッドに座り込み、一枚の紙を広げて「ふむふむなるほど」と頷いていたのだった。
商人ギルドの許可証だった。俺の大事な大事な身分証明書だ。
「あ、お前いつの間に!」
「旦那、オーカスって名前なんだね。発行年が随分古いね、ずっと旅でもしていたのかい? まあ、相棒がラクダなんだ、きっと砂漠を越えて来たんだね」
不敵に微笑んだ女の子からギルドの許可証を取り上げ、鞄の一番奥にしまう。
「まったく、セチア以上に手癖の悪い奴だ。真正ゾア神教はドロボーでも養成してんのか?」
「お、香辛料に絨毯。全部東方の高級品だね、西なら高く売れるだろうね。でも残念、真正ゾア神教のおかげで物価が変動しちゃって、儲けるには一工夫必要になっちゃったんだよなぁ」
俺は手を止めた。儲けるための一工夫だと?
「お前、随分商売に詳しいな。この香辛料が高く売れる場所を知っているのか?」
「勿論だよ、どんな品目でも町ごとにいくらの相場で売られているか、常々チェックしているからね。おかげである程度なら物価の変動も予測できちゃうよ。旦那の香辛料でもカルナボラスの2倍近くの価格で売れる穴場なら知らないでもないよ」
こいつ、使える!
長く東方にいたせいで真正ゾア神教の躍進を知らなかった俺は当然香辛料の価格が下がっていたことも最近まで知らなかった。現状何がいくらで売られているのか、今の俺には知るすべがまるで無い。
それにひきかえこの娘は真正ゾア神教に所属していた上に商売にも通じている。この娘の持つ情報は俺にとって金を払ってでも聞き出したいものだ。
「嘘じゃないだろうな、本当に知っているんだろうな?」
「やだなあ本当に知っているってば。例えばその絨毯、サルマの伝統の織り方だね。質が良いから貴族たちはこぞって買いたがるよ。特に西のエリア地方はまだ真正ゾア神教が広まっていないから物価の変動もほとんど無い。売りつけるならエリアの貴族だよ」
実に的確な回答。こいつの情報は信用しても良さそうだ。
「それなら教えてくれ、香辛料はどこなら高く売れる?」
「うん教えてあげてもいいよ。でもねぇ旦那、商人なら対価ってものが必要になると思わないかい?」
こいつ、抜け目無いな。
「わかった、協力しよう。リー……セチアとスレインを助け出せばいいんだな?」
「それとプラスアルファであたいの本来の仕事も手伝ってもらうよ。まあ旦那みたいな人ならカンタンだよ。契約成立だね!」
俺と女の子は互いに手を握り合った。俺の手からすれば細く脆い女の子の手だが、握り返された際に込められた力は想像以上に強かった。
「ところであんた、まだ名前を聞いていなかったな」
「ああそうだったね。あたいはチュリル。タルメゼ帝国の出身だよ」




