第四章 信仰の都カルナボラス その3
今俺の目の前にいる男こそ、大聖堂の絵画に描かれた真正ゾア神教の開祖でありセチアたちに奇跡の力を授けたというプラートその人だ。
やや肌の荒れが絵画では塗りつぶされているような気もするが、本物そっくりに描かれていたため迷うことは無かった。
プラートは大げさに「おお」と驚くと、にこやかに話し始めた。
「私の名前をご存知とは嬉しい限り。初めまして、私はプラート。真正ゾア神教の開祖であり、この大聖堂の最高司教も務めております。見たところ商人の方のようですね」
柔和な物言いだが、こいつらのせいで俺の知るカルナボラスの都がこんなことになっちまった。ふつふつと湧き上がる激情をぐっと堪え、俺は口を開いた。
「俺はオーカス。五年ほど東国を回っていた商人なんだが、少し聞きたいことがある。俺のいない間にこの国は随分と変わっちまったようだな」
やり場のない怒りを丁寧ながらも直球でぶつけた。
「はい、旧教に関わるものは全て処分し、新たに我々真正ゾア神教の教義に沿ったものに直しましたから。国政も貧困に喘ぐ民を救うよう改革を行っております」
「あんたたちのおかげで民の生活は随分と良くなったようだ。そこは良しとして、何も聖人像まで壊す必要は無いんじゃないか? それに噴水のアサラ像まで壊したそうじゃないか。あんな古い神、もうおとぎ話のような扱いだってのに」
「唯一にして全能のゾア神以外に、神と名乗る不届き者を残してはなりません。特に偶像などもっての外。神は形而上の存在であり、我々にその姿を捉えることはできません。故にその姿を写し取ろうとするものは何であれ偽物なのです」
一切悪びれる様子もなくべらべらと説く。スレインの話した内容とほとんど一緒だ。
こいつらは何を言われても自らの考えを改めることは無いだろう。商人の直感とでも言うべき、ここ十年で鍛え上げられえた審美眼がそう告げている。
その時、礼拝堂の重い扉がギギギと開き、薄暗い礼拝堂に外の光が差し込んだ。
「オーカス、先に行くなよ」
息も絶え絶えなセチアの声が礼拝堂にこだまする。遅れてスレインも入ってきた。
「もう、アコーン連れてくるの大変だったんですから……て、プラート様!」
スレインはプラートを見るなり慌てて跪いた。走ってきた後だったのでよろけて躓きそうになっていた。
「おお、セチアにスレインではないですか」
プラートはかつかつと床を蹴りながら二人のもとへと向かう。しゃがむ友人を見てセチアはとりあえず自分も跪くことにした。
「セチア、随分と遅かったですね。呼んだのは随分と前のことだったのですが。海が荒れていたのですか?」
「それが私たちにも何がどうやらさっぱりなことが起こりまして……」
スレインがプラートの顔を見つつ反らしつしどろもどろに答えているというのに、セチアは何も臆すること無くプラートの顔をしげしげと眺めていた。
「へえ、この方がプラート様か。さっきの肖像画、格好よく描きすぎじゃないのか?」
スレインが「そんなこと言わないの!」と慌ててセチアの口を押さえる。慣れているのか、プラートは苦笑いしながらも暖かく返した。
「セチア、今日はいつにも増して冗談がきついですね」
「いえいえいえ、セチアは冗談で言ったのではなく……てこれもだめだ。ええと、セチアは一切の記憶を失っていて、それにオーランダー様がセチアに襲いかかってきて……」
「記憶を失った? オーランダーが? 一体どういったことですか。ここでは話しにくいでしょう、奥の部屋へ行きましょう」
「待て、俺も連れて行け。俺にも知りたいことがあるんでな」
歩き出した三人に向かって、俺は手を挙げて立ち上がった。プラートは驚いたような顔をこちらに寄越した。
「オーカスさんは私たちをここまで連れてきてくれたのです。それに、セチアはしばらくの間オーカスさんの旅に付き添っていたようで、色々と世話を焼いてくださったのですよ」
横からスレインが嫌々ながらもフォローを入れてくれた。察しの良い娘だ。
「なんと、それではあなたも無関係ではなさそうですね。ついてきてください」
聖堂の奥の食堂に案内された俺たちは、細長い食卓の上座にプラート、その反対側に三人で固まって座っていた。少し距離があるが、スレイン曰く最高司教のプラート相手にはこの位置関係が最も適当だそうだ。
給仕係の尼僧にプラートが二三言告げると、尼僧は満面の笑みでパンと水を用意してくれた。ちょうど焼いたばかりなのだろう、まだ温もりが残っている。これはラッキーと俺は出されるなりパンにかぶりついた。
セチアも嬉々としてパンを頬張っていたが、スレインはパンを一口かじるとそれ以上口を付けず、プラートに事の成り行きを必死に話していた。具体的には、セチアがオーランダーに襲われたことと、俺の協力でここまで来られたことを説明した。いつも以上に丁寧な口調だったが、一語一語から真剣さがびりびりと伝わっていた。
プラートはテーブルに顎杖をついて考え込んだ。
「オーランダーほどの信心深い者がセチアを殺そうとするなどとても信じられません。信徒同士の殺人は問答無用で地獄へと落とされます。真正ゾア神教の信者は現世でも死後でも救済を求めますから、一切の救済の届かない地獄をひどく恐れます」
「しかしオーランダー様がセチアに手をかけたのは事実です。追っ手もいましたし、セチアの殺害を意図していたとしか思えません」
「あー、話変わるが、いいか?」
これ以上オーランダーの話題については推測でしか進まない。そう感じた俺は、ずっと気になっていることを尋ねた。
「俺は記憶を失ったセチアを砂漠で拾ったんだが、何でセチアはそこにいたんだ?」
俺にとっての一番の気がかりはこれだった。砂漠でセチアを拾ったことで俺は真正ゾア神教に巻き込まれたようなものだが、そもそもどうしてセチアは記憶を失ったままあの場所で倒れていたのだろうか?
「元々セチアはシシカに派遣されていました。タルメゼ帝国がアラミア教を国教から外す際に反乱がおきた場合に備えてです。その指揮はマグノリア様に任されていたのですが……」
スレインが割り込んで説明を始めたが、ハッと大事なことを思い出したように息を飲み、プラートに向き直った。
「そうだ、プラート様。私たちがトドーマの悪事を裁くよう命じられてシシカに着いたときには、マグノリア様は既にいませんでした。マグノリア様はどこに行かれたのです?」
「ええ、北方遠征に兵士を割きすぎて、本部の警備が手薄になりましたので、マグノリアの部隊を呼び寄せたのです。最近このカルナボラスに反抗勢力が現れたという噂が流れましてね。まあ、杞憂で済んで良かったのですが」
悠々と話すプラートに、スレインは「そうだったのですか」と頷きながら返した。
「ほう、そのマグノリアって人は随分と頼りがいのある兵士に思われているんだな」
俺が感心しながら頷くと、スレインが目を輝かせて得意げに話し始めた。
「そうです、マグノリア様はかつて隣国ムサカの猛将と呼ばれた人物で、山のように大きな体躯で敵兵をなぎ倒し、何度も故国を守ってきた英雄です。真正ゾア神教でも無双の戦士として、多くの作戦に参加し成功させてきました。マグノリア様の部下も皆優れた兵士で構成され、セチアも一員でした。元々そこらの男では歯が立たないほど武術の才に優れていましたが、雷の力を授かってからは――」
途中からマグノリアでなくセチアヨイショに変わっているぞ。
セチアもセチアで「いやあ照れるなあ」などとボサボサの頭をぽりぽりと掻いているが、どこか他人事のようだ。本人がそこらの男でも歯が立たなかった頃の記憶を失っているのだから当然だな。
セチアはプラートに向き直ると、テーブルに身を乗り出した。
「ところでプラート様、私は記憶を取り戻した方が良いそうだが、どうしたら戻せるんだ?」
「可能かどうかはわかりませんが、祝福をもう一度受けてみればもしかしたら戻るかもしれません。神は常識を超えた奇跡を叶えますゆえ」
「祝福の儀式をもう一度開かれるのですか?」
スレインの質問にプラートは「ええ」とだけ答えた。
祝福。船の中でスレインから詳しく説明を受けていた言葉だが、真正ゾア神教では働きや信心が認められた信徒は、祝福と称して神の奇跡を起こす力の一部をその身に授かるそうだ。
その力はゾア神から与えられるが、普通の人間に直接神が力を授ける事は不可能で、神と対話することのできる預言者プラートを介してその力を伝授するらしい。その際、祭壇の前で神の言葉を何度も繰り返したり、聖水を撒き散らしたりと結構大掛かりな儀式を行うのが通例だそうだ。
どこの宗教でも儀式は行われているが、俺にはこの儀式によってどうして人間に奇跡を起こす力が宿るのか、不思議でたまらなかった。これはゾア神教云々の問題でなく、純粋な好奇心の問題だ。
「そうだ、あんたのその力を見せてもらいたいぜ。現に俺はセチアやスレインの妙技を目にしているわけだし、信心云々以前に好奇心で満々だぜ」
俺は椅子から立ち上がった。
元来商人は何でもかんでも知りたがる気質の連中が多い。情報がそのまま商売に繋がり得る業界では、誰よりも早く儲け話の匂いを嗅ぎつけて、素早く行動するのが他と差を付ける条件だからだ。
俺も貧しい寒村出身のわりに各地の歴史や経済に関して他人から「詳しいな」とよく驚かれるのは、昔から好奇心が他者より抜けていたからだろう。よく地元の聖堂で僧侶から文字や教典を習ったり、村の長老から各地の民話・伝説を教えてもらったりしていた。
だが、開祖は目を反らし、首をゆっくりと横に振ったのだった。
「申し訳ありませんが、この儀式は神の力を扱う秘匿の儀です。恩人と言えど、僧でない方にはお見せできません」
「なんだ、残念だな」
俺は椅子に座りなおし、水を飲み干した。例の儀式が見られないのなら、もうここにいる理由も無い。
二人をプラートの下まで送り届けたのだから、俺の責務は果たされたはずだ。
その日俺が泊まる宿は大聖堂から少し離れた場所にあった。
以前にも利用したことがある小さな宿だが、ここの料理はチーズをふんだんに使った贅沢なもので、そのボリュームに劣らぬ濃厚な味付けが食欲をそそる。
そして以前利用した時には新婚ホヤホヤだった宿主夫婦に会うのも楽しみだった。特にまだ初々しくさも残る奥さんは天使と思うほどの愛らしさで、宿の主人をひどく妬んだものだ。
だが、時の流れは恐ろしい。あの可愛らしい娘はどこへやら、今目の前にいるのは丸々と肥え、袖をまくっているせいでハムのような腕があらわになっている強欲そうな女だった。
「あらオーカスさんじゃないの、久しぶりね! ちょっとあんた、オーカスさんよ、東方から帰って来たのよ!」
宿の奥から出てきた主人はすっかり痩せ細っていた。以前は筋肉質で逞しい肉体が自慢だったのに。
この嫁さんが旦那さんの栄養分を吸い尽くしてしまったのじゃないかと不安になる。俺もこんな風になってしまうのなら、嫁なんかいらない。
案内された二階の部屋はベッドがひとつと小さな机があるだけの個室だった。窓の外は細い路地で見晴らしが良いとは言えないが、ちょうど大聖堂の鐘楼が天に向かって伸びているのが見える。
よっこいしょと荷物を床に置き、久々のベッドに腰かける。
その時だった。
「このスカタン、なんてことしてんだい!」
俺の背中に衝撃と痛みが走り、俺は「おふう!」と変な叫び声を上げて前に倒れ込んだ。木製の床に顔面をぶつけ、しばらく身体の自由が利かずぴくぴくと痙攣していた。
「セチアをここに連れて帰ってくるなんて、このドジ馬鹿間抜け! せっかく逃げていたのに、すべてがパーじゃないのさ!」
何、セチアだと?
俺はなんとか両腕を動かし、床に手をついて上半身だけを起こした。
顔面を押さえながら振り返ってみると、ベッドの上に小柄な女の子が立っていたのだった。
歳は15程度でセチアたちより少し下だろうか、まだあどけないまん丸な目の持ち主で、三つ編みにした栗色の髪の毛が胸まで垂れている。
しかし奇妙なのはその服装で、赤い生地に金や白で植物をあしらった刺繍がなされた東方風の衣装をはおり、ダボダボの白いズボンを履いており、頭の上にはつばのない赤い帽子も被っている。
白い服ばかりの教団員とは全く異なる衣装だ。肌の色もセチアたちほど白くはなく小麦のような色で、鼻筋も通っており、きりっとした印象を受ける。パスタリア王国の民でないことはすぐにわかった。
少女は顔を真っ赤にしていた。突然俺に打撃を入れた上に罵るなんて、こっちが怒りたい気分だったが、俺は怒鳴り返すことができなかった。
この娘、泣いていたのだ。
「あんたのせいでセチアとスレインが殺されるじゃないか!」




