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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第一部 救済の神託
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第四章 信仰の都カルナボラス その2

 道行く男女、教団の兵士、パン職人に馬車を引く御者の間をすり抜け、俺は都の中心部に鎮座する大聖堂を目指した。途中、いくつかの聖堂の前を通り過ぎたが、いずれも壁画や聖人像がごっそり剥ぎ取られ、無難で無味乾燥な石造りだけを残していた。


 何本かの筋を通り、ようやく聖堂のシンボルである鐘楼が家々の屋根から姿を現した。俺はさらに足を速め、大聖堂前広場まで出る。


 広場は以前と変わらぬ活気に満ちていた。市が開かれ、商品を求め貴賎関わらず多くの人々が行き交っている。


 いや、貴も賎ももはや過去の話、この都の人々の全員が白い服に身を包んでいた。


 かつては貧民だったのか、肌の荒れ瘦せこけた老人の後ろには元は爵位を持っていたのであろう肥満体型で凛と背筋を伸ばした男が同じ店のパンを求めて並んでいる。


 白い服の民以外には兵士しかいない。こちらは鎧を着込んだりマントを羽織っていたりと見た目は様々だが、いずれも太陽の紋章を体のどこかに貼り付けている。


 一切が同質化された都、それが現在のカルナボラスだった。


 俺は雑踏に紛れ立ち尽くしていた。西の国は何もかもが変わってしまったのだ。時代の流れから自分だけが取り残されたようだった。


 胸の痛みに耐えながら広場の中央に佇む噴水を横切ると、そこで妙な違和感を覚えて引き返した。


 五年前に見た時と何かが違う。噴水の前で足を止め、顎に手を当てて記憶を辿った。


「ここには太陽神アサラの石像があった。四年前までな」


 俺の考えていることを見透かしたのか、噴水の縁石に座り込んだ男がこちらに背中を向けたまま話し始めた。他の連中の例に漏れず、この男も白い服を着込んでいる。


「おっさん、この街は一体どうなっちまったんだ?」


 俺は男の顔を覗き込んだ。髪の毛とヒゲが繋がったワイルドな風貌だったが、野蛮な印象は無く、澄んだ瞳からは一種の神聖さすらも感じられた。


「四年前、大聖堂に礼拝に来ていた王様と教皇様を真正ゾア神教の奴らが人質に取っちまった。それ以降あいつらは旧来の教団と国政を意のままに操っている」


「そんな、パスタリア王国は完全に真正ゾア神教のものになっちまっているんじゃないか。しかもアサラなんて古代の神、今じゃ崇拝されているようなものでもないのに……」


 太陽神アサラはゾア神教成立以前から語り継がれている古代の神だ。その起源は2500年以上前とも言われているが、正確なところは分かっていない。


 だがゾア神教の広まりとともにアサラの信仰は廃れ、今ではおとぎ話のひとつ程度の認識にとどまっている。本気で信仰しているような人間はすでにこの地上には存在しない。


 噴水のアサラ像は単にこの都の悠久の歴史を語るだけの役割しか担っていなかった。いつの時代に作られたのかは不明だが、かつてここにゾア神教以外の信仰が根付いていたことを静かに証明していた。そのアサラ像も、今は姿を消した。


 ヒゲの男はふっと笑みを浮かべながら続けた。


「奴らは自分たちの教え以外は一切認めようとしない。旧教の聖人像や宗教画はあらかた潰された。つまり俺は仕事にあぶれたというわけだ」


 男は両手でノミを打つ仕草を演じる。右も左もマメだらけでバリバリに硬質化した手が男の過去を物語っていた。


「おっさん、石工だったんだな」


「ああ、聖人像を作る仕事はもうずっと入ってきてない。まあしかし、あいつらのおかげで救われた民も多い。お前も港を見たと思うが、あそこで宝石を広げても誰も盗みに来たりはしないだろう。貧しい者も金や食糧を分けてもらえる。俺も仕事はほとんどしていないが、何不自由なく暮らしていけている。真正ゾア神教は過激な連中だが、俺はあいつらが間違っているとは思えないよ」


「そりゃあ良かったな。だが、俺はこれからたぶん相当なショックを覚悟で、この大聖堂に乗り込んでやるぜ」


 俺は人ごみの向こう側でその神聖なる姿を見せつけている大聖堂を指さした。周囲の家屋の何十軒もの横幅と、二階建てなのに明らかに他を飛び抜けた高さの礼拝堂。男の力をもってしても一人で開けるには骨が折れるであろう巨大な黒鉄の扉の上には、金色に光る太陽の紋章と、大理石の柵に囲まれた小さなテラスが設けられている。


 そしてここを訪れた者ならば誰しもが圧倒される巨大な鐘楼。これは入口から見て右手側だけに屹立しており、白い石材を何千何万も積み上げて天を貫いている。その鋭く尖った赤い屋根の最上階には銑鉄の巨大な鐘が吊るされ、その美しくも荘厳な音色を都中に響かせているのだ。


 鐘楼の麓には古代帝国時代に整備した地下水道を通った水が湧き出している泉も備え付けられ、現在では信徒が聖堂に入る前に手を洗って身を清めるのに使っている。


 国教として制定されてから1000年、ゾア神教の中心地として栄えた歴史と風格の積み重ねられた大聖堂だ。ゆえにここの司教の言葉は一国の主の言葉よりも重い。


「ああ、初めて見た時には俺もそうだった。是非あんたも見ておくといい」


 俺は男に別れを告げ、大聖堂までまっすぐに向かった。


 聳える鉄の扉の前でゆっくり呼吸を吐き、覚悟を決めて鉄の扉を押す。重苦しい音を立てながら少しずつ少しずつ、重厚な扉は開いていった。


 広場の明るさとは打って変わっての静けさと暗闇に包まれた礼拝堂に踏み込む。


「やっぱり……」


 天井近くの虹色のステンドグラスを通した太陽の光と所々に置かれた燭台の光が壁画を照らし、ようやく俺は現在の大聖堂の有様を把握することができた。


 かつて壁を覆っていた聖人の壁画はすべて上から漆喰で塗りつぶされるか、無残にも剥ぎ落とされていた。


 善なる信徒のみが死後誘われる安寧の地、世界中の果実が実る木々に囲まれ、小鳥や獣が踊り狂っているとされる場所の絵だけは無事残されていたが、その所々にはぽっかりと空白が生まれていた。ここには死後の楽園を満喫する旧教の聖人が描かれていたのだ。


 そしてかつて開祖セラタの巨大な肖像画が掛けられていた祭壇はこれまた新たなものに新調され、例の金髪の男、真正ゾア神教開祖プラートの肖像へと姿を変えていた。


 途端、足元がよろよろとふらついた。五年分の疲れがいっぺんに肩からのしかかってきたようだ。俺はふらふらと歩き、長椅子にどさっと腰掛けた。


 ふうとため息をついて礼拝堂を見渡す。礼拝の時間を過ぎているからか、祈りに来ている民はいない。広く静かな空間を俺一人だけが専有している。


 こんなにしんみりした気分は久しぶりだ。俺はカバンの中からおもむろに一枚の紙切れを取り出し、握りしめて目を瞑った。


 それはずっと肌身離さず持ってきた免罪符だった。初めて商売に手を染めた10年前、地元の聖堂で発行してもらったものだ。


 地獄に落ちると言われる商人でも、これを買えば死後も救われると教えられ、なけなしの金をはたいて手に入れた。それ以来俺は四六時中この紙切れを持っていた。


 後から悪徳僧侶たちの陰謀だと商人仲間から聞かされた時でもこれを破り捨てることはできなかった。僧侶たちの浅ましさに腹を立てながらも、いや、もしかしたらこの紙切れが本当に俺の身を救ってくれるかも……と思っていたからだ。それほどまでに俺はこの免罪符を大切に持ち歩いていた。


 たとえアラミア教のように商人でも関係なしに救われるような宗教を知り得ても、この免罪符のおかげで俺はゾア神教徒としての自分を保っていられたような気がする。


 だが免罪符も万能ではない。商人は常にこの免罪符を新しいものへと更新し続けねばならない。一回金儲けをするだけで罪を背負う身分の俺たちだ、何年も商売を続けていればその身は徐々に汚れきっていく。


 一枚の免罪符の効果は思った以上に短く、俺の買ったこの高価な紙切れも今はメモに使う程度にしか利用価値はない。だが俺はこの免罪符をずっと持っていた。既に救済の保証は消え去っていても、俺の心の平静をずっと保ち続けてくれた一種のお守りのようなものに感じていた。


 免罪符とともに辿った旅路を思い出す。東の国での失敗や成功がわっと溢れるように思い返され、俺は目を押さえた。そのせいで、俺は自分のすぐ傍まで近付く人物がいることに全く気が付かなかった。


「おやおや、それは旧教の発行した免罪符ではありませんか」


 温厚そうな若い男の声。顔を上げると、目の前に長い金髪をなびかせた男が立っていた。


「免罪符など単なるまやかしです。神はそんなものを使わなくとも我々に救いの手を差し伸べてくださいますよ」


 男は両掌を合わせて神に祈る格好を取る。身にまとった雪のように白いローブが揺れ、頭に載せた月桂冠が少しずれ落ちる。


「見ない顔ですね。このカルナボラス大聖堂には初めてですか?」


 開いているのか閉じているのか細めた両目に、驚く程白い肌。体格と一緒に見なければ男か女か迷う中性的な顔立ち。


 初めて見る顔だが、こいつが何者かはすぐにわかった。


「あんた、まさかプラートか?」


 俺は免罪符を畳んでカバンにしまいながら、じっと男の目を見据えて喧嘩腰に尋ねた。

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