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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第一部 救済の神託
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第三章 海運の都シシカ その7

 久々に一人で夜を過ごした翌朝、俺はアコーンを連れて港に向かった。


 さすがはシシカの都、物流の拠点と言われるだけあって巨大な貨物船が何十艘も停泊し、小型の漁船に至っては数百が海上を漂っている。石造りの港湾には大小様々な貨物が積まれ、それを運ぶ大勢の人足が船と陸を何度も行き来していた。


 ここも真正ゾア神教が仕切っているようで、何人もの教団の兵士が荷物を見守っていた。彼らは鎧に太陽の紋章が刻まれているので帝国の兵士とはすぐに見分けがつく。


 俺は昨日もらった乗船許可証を携え、荷物の積み込みを行っていた若い船員に話しかけた。


「なあ、カルナボラス行きの船に乗りたいんだが、どれだい?」


「カルナボラス? それなら今積み込んでいるこれだよ。荷物ここに置いといてくれたらあとは俺が積み込んでおくよ」


 船員はよく日に焼けた肌から真っ白な歯をのぞかせていた。


 乗船料を払い大きな荷物を降ろすと、身軽になった俺はアコーンを船着き場の厩舎に連れて行った。ここはこれから船に運び込む家畜をとりあえずつないでおくための場所だ。


「ここから一週間でパスタリアか。しばらくは歩き回れないな、アコーン」


 指定された場所につなぎながらアコーンの頭を撫でてやると、アコーンは不満なのか「うー」と低い声で唸っている。


「そうだな、陸路の方がお前にはいいだろうな。でもこっちの方が速いし、何よりこの許可証じゃあこの都は船でしか出られない。許せ」


 あとは船員がアコーンを船底の家畜用の部屋に連れて行くのを待つだけだが、出港は昼過ぎ。まだしばらく時間がある。


「暇つぶしにどこかうろうろしてくるよ。ちゃんと船員の言うこと聞いておとなしくしてるんだぞ。噛み付いたりしたら、また昔みたいに格安で売り飛ばすからな」


 まあ、そんな問題を起こしたところで俺はアコーン以上のラクダを知らないから、こいつを手放すつもりなど毛頭無いが。


 厩舎を出て街に繰り出すと、港近くの酒場は今も昔も人で賑わっている。飲酒を快く思わないアラミア教徒は多いが、この中だけは別世界だ。東西の酒を種類問わず楽しめる場所は世界中どこを探してもこの都しかない。


 せっかくだし、ここで一杯いただこうか。そう思って俺は店を覗き込んだが、そこでぴたりと足を止めてしまった。


 店の客の大半が真正ゾア神教の兵士か僧侶だった。


 皆が皆酒を片手に持って騒いでいる。白いローブをまとった僧侶が大口を開けて笑い、太陽の紋章の描かれたダブレットを着た兵士が椅子に寝そべっていた。


 神に仕える人間の姿ではない。


 旧教の僧侶たちは裏では狡猾な手を仕組んでいたが、民衆からは尊敬を集めるよう少なくとも表向きは清貧を装っていた。昼間から酒場で飲んだくれている僧侶なぞ見たことが無い。そんなのがいたらすぐさま破門されている。


 一瞬で、酒もどうでもよくなった。見てはいけないものを見てしまったと思いながら、俺はさっさと店を離れた。




 あの酒場で見た光景を忘れようと無心に歩き続け、気が付けばすっかり変わり果てたシシカモスク跡地に着いていた。心のどこかにしまっていたシシカモスクへの憧憬が俺をここまで導いたのかもしれない。


 俺はかつてモスクの存在した大穴の前に座り込んだ。かつてここには多くのアラミア教徒が毎日礼拝に訪れていたはずなのだが、こうも跡形も無く消えてしまうと惨めなものだ。


「モスクが無くなるなんてな。ここまで徹底的に異教を潰すなんて、どうかしてるぜ」


昨日から薄々感付いていたが、いくら時間が経っても祈りの時刻を告げる僧侶の声が聞こえてこないあたり、アラミア教ならではの風習も規制されたのだろう。


 アラミア教は俺にとっても異教ではあるが、決して悪い宗教ではなく、一神教であったり偶像崇拝を禁じる点はゾア神教に似ていてむしろ親近感を覚えるほどだ。


 かつてゾア神教以外は誤った異教であると教え込まれていた俺が、実際にアラミア教圏に入ると人々の日々の祈りに始まり、食べ物や施しにも細心の注意を払う信心深さ、はるか東方の異民族も歓迎する寛容さに心打たれた。そして荘厳なスケールと華やかな色彩のモスクに圧倒され、それまで異教と罵ってきたことを後悔したあの日のことを思い出すと、目頭が熱くなる。


 あの時の感激がなければ俺は今でも異教を見下していたかもしれない。


「オーカスさん、ちょっと」


 唐突に、後ろから女の声で話しかけられる。


 とっさに振り返ると、汚れたボロを着込み、端々が傷み雑巾のようになった布で顔をほとんど隠している女が二人、並んでいた。


「お前は、確か真正ゾア神教の……」


「スレインです」


 昨日オーランダーについてきたあの美人顔の娘だった。よく見ると小脇にしっかりと白磁の水瓶を抱えている。だがその顔は疲労ですっかりやつれ、目の下にはクマもできていた。


「オーカス、また会ったな」


「リーフ、お前も一緒か!」


 昨日自分から言ったばかりだが、縁が戻ってくるのが早過ぎだろ。


 今にも倒れそうなスレインに、慌てふためくリーフ……いや、セチア。尋常でない事態が起こっているのが目に見えてわかる。


「お願いです、助けてください!」


 スレインが俺の手を掴み涙ながらに懇願する。若干どきっとしたが、平静を保って硬い表情を繕った。


「二人ともボロボロじゃないか。どうしたんだ?」


「実は昨日、オーランダー様がセチアを手にかけようとしたのです」


 これは驚いた。あのセチアの仲間だと思っていたオーランダーがセチアを殺そうとしただと? あいつとセチアは仲間ではなかったのか?


「オーランダーが? 一体どうして」


「それが……」


 ここからはスレインの話した内容を要約する。


 昨晩、スレインはセチアの記憶を蘇らせようと過去の出来事を色々と話していたが、ことごとく失敗していた。


 そんな時、オーランダーからセチアに地下室まで来るよう伝言が届いた。地下室は食糧庫しかなく、それ以外の用でなければ入ることの無い場所だったので、スレインは気になってセチアの後をこっそり追うことにした。


 地下の一室でオーランダーは一人きりで待っていた。オーランダーは20代半ばで年も年だし、セチアも妙齢の娘。


 もしかしたらそんなことがと想像を膨らませながら、対面するセチアとオーランダーを物陰からこっそり見ていると、突如オーランダーが口走った。


「許せ。ゾア神の祝福を受けたそなたなら、死後も安寧の地へと誘われるだろう」


 オーランダーが高く手を上げた。


 何が何やら分からなかったが、セチアが危ないことだけは理解できた。スレインはとっさに水瓶の蓋を開けて水を細長く伸ばし、縄状にしてセチアに絡め、自分の方へと引っ張った。


 寸でのところでオーランダーの攻撃を逃れた者の、オーランダーはスレインがいることにも気付き、今度は二人を追いかけてきたそうだ。


 二人は手を取り合い、必死に走って逃げた。途中から追っ手の兵士が加われば燭台を倒したり水の球を投げつけて足止めを仕掛けた。


 必死の思いで城外まで逃れたが、街に出ると教団の兵が自分たちを探し回っている。彼らに捕まればおそらく殺される。そう確信した二人は兵士の目を盗みながら、夜の街をずっと逃げ回っていたそうだ。


「なんとか今まで逃げ続けてきましたが、この都は周囲を城壁と海に囲まれているため、外に出ることができません。捕まるのも時間の問題です。そうなればセチアは今度こそ殺され、私もどうなることか。お願いです、この都からの脱出に協力してください!」


 スレインは何度も何度も頭を下げた。目に溜まった涙がぼろぼろと零れている。悪いことをしたわけではないのだが、こう泣かれるとこっちにも罪悪感が募るじゃないか。


「お願いだ、じゃないと殺されてしまう」


 セチアも頭を下げた。焦りと疲労ですっかり声が枯れている。


「協力してくださいって言われてもなあ、乗船許可証には俺一人分の名前しかないし、それに真正ゾア神教にバレたら俺もどうなるかわからないだろ」


 俺は帽子の上から頭をぼりぼりと掻いた。面倒事に巻き込まれるのは御免だが、かと言ってこのまま見捨てるのも気が引ける。


 女の子二人の頼みを無碍に断るほど俺も落ちぶれちゃいないが、この二人を助けたのがもしもバレたら、俺もただじゃ済まない。身内でさえも殺そうとする連中だ、下手すりゃ俺まで火あぶりの刑に処されるかもしれない。


 せめて何か見返りがあればビジネスとして協力できるのだが。今のみずぼらしい姿の二人にそんなもの期待できそうにない。


 ふとスレインを見ると、小脇に抱えている白磁の水瓶が目に入った。


 せめてこれくらいなら。そんな邪な考えもふと横切る。


「オーカス、頼む。協力してくれるならこれを渡そう」


 そんな俺の思考を察したのか、セチアが胸元からきらきらと光る何かを取り出した。


 夏の海のような青をその身に留めたターコイズ。その青色の石をはめ込んだ指輪だった。細かい細工や球形の研磨から、一見しただけで高価な宝飾であるとわかる。


「ターコイズの指輪か。随分と上質な品だな」


「城から逃げる時、何か役に立つかもと思って失敬しておいたんだ」


「セチア、そんな盗みなんて……」


 ふふんと威張るセチアに慌てふためくスレイン。


 闘争の最中でもこんなものを盗んでくるなんて、なかなかに手癖の悪い娘だ。聖職者よりも盗賊の頭にでもなった方が才能を有効に利用できそうだ。


 ん、待てよ。今セチアは「城」と言ったな。


 あの城は一部を真正ゾア神教が利用しているとはいえ、本来はタルメゼ帝国皇帝の所有だ。


 となると、この指輪は……大当たり、リングの金属部にタルメゼ王室の紋章が施されている。


 この紋章があるだけで価格は同じレベルの品物の何倍にも跳ね上がる。どんな金持ち相手でも、一般にはまず出回るはずの無いものが今、俺の目の前にある。これを逃すことが商人としてできようか、いや、できない。


「よしわかった。このオーカスがお前たちの逃亡に協力してやろう!」


 俺はセチアから指輪を受け取り、拳を固めて答えた。


「ありがとう、オーカス!」


 セチアは飛び跳ねて喜んでいるが、スレインは呆然と口を開けていた。

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