表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第一部 救済の神託
21/106

第三章 海運の都シシカ その5

「司教トドーマ、これはどういうことだ?」


 オーランダーと呼ばれた仮面の男は散らばった瓦礫を踏みながらゆっくりと歩いた。


 不思議なことに、一歩一歩、凍った床を踏みつける度にじゅうっと音が鳴り、足元から湯気が立ち昇っている。


 トドーマ司教のパリパリに固めた髪の毛から大粒の汗が溢れ、顔が一瞬で濡れる。


「な、何のことかな。それにいきなり壁に穴を開けるなんて、無礼じゃないかね?」


 司教はあれこれと手を動かしながら取り繕うが、オーランダーは仮面の奥から眼光を向けて司教に詰め寄ったのだった。


「この都を治めるに当たって当初の計画よりもかなり多くの税をお前が徴収していると聞いた。それは事実か? それに従わない者には無情な処刑を繰り返しているとも聞いている。シシカでどのような施政を行っているのか、話してもらおう」


「税だなんて、私はただ民衆に貧しき者に救いの手を差し伸べよと説いているだけですよ。彼らから寄付を集め、それを配分しているだけで……」


「抜かすなぁ!」


 仮面の男は司教の太い顎を手でつかみ、そのまま壁際に押し付け、怒鳴りつけた。


「金の大半がお前の懐に入っているのはバレバレだ、旧来の教団と何も変わっていないだろうが! プラート様の教えに背き、神の名の下で不正を働くなど許されると思うか!」


 オーランダーの赤毛が炎のように逆立ち、まるで火柱のように揺れた。激情に合わせて髪が動いているようだ。


 壁にめり込まんばかりに押し付けられた司教の瞳は涙に濡れ、身体は小刻みに震えていた。


 しばらくの間、オーランダーは司教を無言でにらみつけ、司教は涙目で許しを請おうとしていたが、やがてオーランダーが手を緩ませると、司教は咳き込みながら床に倒れた。


「かつて旧教の僧侶だったお前には今まで色々と動いてもらったが、今回は度が過ぎた。最早お前に司教を務める資格は無い。ゾア神に背き教義を犯した罪で裁く。スレイン!」


「はっ!」


 オーランダーが後方に呼びかけると若い女の声が響いたので、急いで目を移すと壁の穴の前に線の細い女が立っている。


 おそらくはリネンだろうか、白い上着と短いスカートをまとい、腰よりも長い絹糸のような光沢のブロンドの髪の毛をなびかせ、切れ長の目と小さな鼻と口がバランスよく配置された若い女だった。


 歳はリーフとあまり変わらないくらいだろう。百人男がいれば百人とも美人と評する恵まれた容姿だ。


 そして奇妙な図柄だが、女の小脇には人間の頭ほどの大きさの、白磁の水瓶ががっしと抱えられているのが目に付いた。


 白磁は俺でも回らなかったほど遥か東方の一部の地域でしか作られない秘伝の技術で、希少性と見た目の美しさから非常に高値で取引されている。西の国では上流貴族や大商人しか持つことはできない。


 あの水瓶を売ればいくらくらいになるだろう。こんな状況でもそんな思考が頭に浮かぶあたり、自分も守銭奴になったものだと実感する。当然、どうしてあの娘はあんな高価な物を持ち歩いているのだろうとも疑問には思ったが。


 スレインと呼ばれた美少女は気品に溢れ流れるような仕草で、抱えた水瓶をすっと前に突き出した。心なしかうっすらと笑っている。


 直後、水瓶の内側からうにょうにょと蛇のようにうごめく奇妙なものが飛び出し、床に転がるトドーマに向かってまっすぐ伸びていったのだった。


「うわあ、何だこれは!」


 水瓶から飛び出した物体がトドーマを取り囲み、縄状になってたちまち縛り上げる。その物体は透明で、周囲の壁の文様を反射して映し出していた。


 水だ、水が動いている!


 またしても信じられない出来事を目にしてしまった。液体の水が粘土のように形を変えながら、男ひとりを拘束している。


 水があのように動くことも、まして縄のように人を拘束することも何もかもが理解できなかった。だが、これはすべて目の前で起こっている事実であり、この世の現実なのだ。俺は目をこすり、一部始終を焼き付けるつもりで三人を注視した。


「これからお前をカルナボラスに連れて帰る。そこでプラート様の意見を伺い、最後の判断としよう」


 動きを封じられて床を這いつくばるトドーマを見下ろしながら、オーランダーは冷酷に言い放った。


 だが、トドーマは上目遣いにオーランダーを睨みつけて、そこでフフフと下品な笑みを浮かべたのだった。


「引っかかったな、俺の能力を忘れたか、死ね!」


 トドーマはオーランダーと顔を向き合わせていた。つまり、ここで例の吹雪の息を起こせば、オーランダーは真正面から冷気を受けることになる。


 危ない、仮面の男がやられる! そう思った時には既にトドーマは息を吐き出していた。


 深呼吸をしなかったのでこれまでほどの威力は無いが、真冬の池の中からこみ上がる以上の冷気が部屋を吹き抜けている。雪のように氷の粒が舞い、融けかけの床も再び白く凍り始めた。


 しかし、オーランダーの様子は何も変わらなかった。極寒の風を受けてもただ赤毛が乱れるだけで肌には霜のひとかけらも付かないのだ。


 冷気を吐き続けながら目を点にしらトドーマ。その口元に再びオーランダーの手が伸びた。


「このような輩でプラート様の眼を汚すことはできぬ。安心しろ、死体は綺麗に残してやる」


 オーランダーの手が一瞬、炎に包まれた。ほんの一瞬だが、トドーマの顔を埋め尽くさんばかりに巨大化した炎はすぐに収まり、元の無骨な手に姿を戻した。


「は、はが?」


 すぐさまトドーマに異変が現れた。喉の奥からぷすぷすと煙が上がり、赤い肉のたるんだ顔がすぐさま蒼白に変わる。


 喉を押さえようにも水の拘束が解けない。脚をばたつかせて床に倒れる小太りの聖職者を、オーランダーは一片の慈愛もかけずに見下ろしていた。


「お前の気管を焼いた。もう長くは持つまい」


「あがはがはがはが、がはが……」


「リーフ、耳を塞げ!」


 床を転がりまわるトドーマの姿と、猛獣さえも怯えるような絶望に苦しむうめき声。切りつけられれば即死、という戦場での戦いよりも目の前の光景の方が何倍も残虐に思えた。


 俺はリーフを抱き寄せ、顔面を胸に押し付けた。そして両腕で耳を挟み込み、完全に外の音からシャットアウトする。


「あのオーランダーとかいう男、どうなっているんだ?」


 トドーマに攻撃をかけた張本人であるオーランダーは確かに手から巨大な炎を一瞬にして出してみせた。だが、それを起こすような仕掛けは無く、自身は火傷も負っていない。


 神の奇跡を起こす者であることは明らかだが、何が起こったのか未だによくわからない。


 なおも喉が焼けて呼吸のできない苦しみにのたうち回るトドーマ。その様を無言のまま冷めた目で見つめながら歩み寄るスレインと、ずっと司教を見下ろす仮面の男オーランダーの姿は、トドーマの命など意にも介していない様子だった。


 やがてトドーマはピクリとも動かなくなった。粘性の高い唾液が口から溢れ、白目を剥いている。当然ながら唸り声の一片すら発することはない。


「もういいだろう、スレイン!」


 女は「はい」と短く答えると、トドーマを縛り上げていた水のロープをひとつの透明な球体に変形させた。


 宙に浮かび上がらせた水の球の下側に手をかざすと、直接水には触れることなくもうひとつの小さな球が分離する。


 そして今作った小さな球を倒れたトドーマの口元に運ぶと、強引にトドーマの大口に水を突っ込んだのだ。


 すぐに喉の奥から吹き出している煙がじゅっと音を立てて消え去った。


 残されたのは司教トドーマの、一見すれば眠っているようにしか思えない綺麗な骸だった。


「オーランダー様、トドーマの亡骸は如何なさいましょう?」


「腐っても司教だ、丁重に葬れ。それと着服した金はすべて民に還元しろ」


 スレインは「はい」と頭を下げると、ふとこちらを振り返った。今までこの部屋の中に俺たちがいることは気付いていたが、トドーマに集中していたせいでよく見ていなかったようだ。


「住民の方ですね、トドーマに襲われて大変だったでしょう。もうあのような者は決して……へ!」


 スレインが俺に歩み寄りながら話しかけていると、突如立ち止まり叫んだ。


 よほど驚いたのだろう、宙に浮かしていた水の球が割れ、床に落ちて巨大な水しぶきを上げたのだ。


「セチア、セチアじゃないの、なんであなたがここにいるの!?」


 小脇に白磁を抱えたままスレインが指差したのは、今まで俺が抱きかかえていたせいですっかり髪が乱れて息を荒くしているリーフだった。

祝10万文字突破!

そして名前のある女性キャラが登場するのはこれでようやく2人目だったりする。

むさい野郎だらけだなこの話。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ