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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第一部 救済の神託
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第一章 砂漠の交易路 その2

「うーん、ここは……?」


 女が起きたのは俺が目覚めてから満月がさらに南の空に高く上った頃だった。


「おお、起きたか。腹が減ったろ、ほら、これでも食べな」


 俺は焚火に晒していた羊肉の串焼きを一本引っこ抜き、女に突き出した。


「うわあ! な、何者?」


 女はかけられていた毛布を払いのけ、素早く立ち上がり臨戦態勢に入った。差し出した串焼きは強奪されたが。


 そりゃあ気付いたら身長193センチの大男が目の前に座っていたのだから、驚くのも無理はない。俺は道行く全員がこちらに目を向けるほどに図体がでかい。


「安心しなって、俺はただの旅人さ。あんた大丈夫か? ここで倒れていたんだぜ」


「え、倒れていた? お前、私を介抱してくれたのか?」


 女は串焼きを頬張りつつも、俺に鋭い眼差しを向けている。


 焚火の明かりのおかげで、この女の姿をよりはっきり知ることができた。歳は十代後半くらいだろう。


 伸びる首筋に細い体躯と一見華奢な印象だが、よく見ると程よい筋肉が四肢をしっかりと覆っていて、実に健康的だ。服もスレンダーなラインを際立たせる細身のもので、女としてはやや高めの身長をさらに強調していた。


 それにしてもおかしい。この女、眠る前に俺の隣にいたことを知らないみたいだ。


「おいおい、元は俺がここで眠っていたのに、どういうわけか起きたら横であんたが寝てたんだよ。俺だって何が何だかさっぱりだが、あんたを置いていくわけにもいかねえし、とりあえずここで火を焚いてあんたが目覚めるの待ってたんだよ」


「そ、そうだったのか。すまない」


 女は肉を噛みながら、しゅんと沈み込んだ。


「いいってことよ。俺の名はオーカス、旅の商人だ。ずっと東方で商売をしてきて、これから西に帰るところなんだ。あんたは名前は何ていうんだい? その風貌じゃここらの人間とは違うようだが


 実際、女の髪の毛が晒されているを見るのは久しぶりだった。ここらの地域では宗教的な理由で、女は髪の毛を頭巾やスカーフで隠している。


 だが、この娘は肩にかかるほどの長さの金髪をさらけ出して倒れていた。あまり手入れされていないのか生まれつきのものか、簡単に跳ね上がるクセの強い髪の毛の持ち主だ。


 地面を見渡してみても、頭を隠すための布は見当たらない。もっと西の国の人間だと感じるのも当然のことだ。あっちにはそういった風習は無い。


「私か、私の名前は……」


 もしゃもしゃと肉を噛んでいた口が止まる。女は頭に手を当てて考え込み始めた。


「私は……何だ? 何故こんな砂漠にいるのだ?」


 かじりかけの肉の刺さった串が女の手からポロリと抜け落ち、砂の上に落ちた。そして女は両手で頭を抱え、「うーん」と低いうなり声を上げながらぶんぶんと体を激しく揺らし始めたのだ。


「何だ、まったく思い出せないぞ? どうして私はここに? 私の名前は……」


「ストップストップ、もう考えるな!」


 俺は女の肩をがっしと掴み、顔を隠している腕をほどいた。いっそう蒼白になった女の顔と、そこにはめ込まれた虚ろな茶色い瞳の正面に顔を近づける。


「きっとこの暑さで記憶がぶっとんだんだろう。じきに思い出すだろうから、今は何も考えるな。飯食ってよく寝たらいい」


 骨まで冷え込む砂漠の夜だったが、女の額には結露のような粒状の汗が浮かんでいた。やがて女はその場に座り込んだが、それでもなお「私は……何だ……?」とブツブツ呟いていた。


「記憶喪失だな、砂漠ではよくあることだ。俺も三年前にコブラに噛まれて死ぬほど苦しんで、一週間くらい記憶が飛んだことがあったぞ」


「本当か?」


「そうだとも。その内全部思い出して、それからは何事も無かったように生活できているんだ。きっとすぐ元通りになる」


 女は目を輝かせて俺の顔を覗き込むが、すまん、全くのでたらめだ。記憶が飛んだことは無かったし、ここ最近倒れたことと言ったら、寄生虫に当たってひどい下痢になった時くらいだし、俺を噛んだのはコブラじゃなくて無毒のナミヘビだ。


 そんな嘘でも女にとっては安心の材料になったのだろう、額に浮かんだ汗を拭いて深く息を吐いていた。


「そうか、それならあんまり考えないようにしよう。ところで、ええと……」


「オーカス」


「オーカス! オーカスは一人で旅をしているのか?」


「ああ、俺の相棒といえば今はこのラクダのアコーンだけだよ」


 俺は岩陰で頭を垂れて気持ちよさそうに眠り込んでいるアコーンを指さした。


「さっきも言ったが、俺は旅の商人だ。五年前にこの砂漠を越えて、東方諸国で色んな物をやり取りしてきた。これから仕入れた香辛料を西の国まで持って行こうとして、またこの砂漠に帰ってきたんだよ」


「五年……長い旅だったな」


「あっという間だぜ。食い物は何が出るか分かったもんじゃねえし、見る生き物も初めてのものだらけだ。ゾウっていう家よりもでかい動物がいるんだが、そいつは長い鼻を腕のように使って器用に物を持ち上げるんだ。毎日が驚きの連続だよ」


「そんな動物がいるか! 鼻で物をつかむなんて、痛くてできるわけないだろ」


「信じられねえだろ。俺だってそうだったさ。でもな、本当にそんないるのがこの世界の面白いところだ。宗教でも西の国とは全く違う神を崇拝しているから、生活のリズムまで全く違う。ある村では長老が精霊を身体に降ろすとか言って珍妙なダンスを踊り狂う。で、よぼよぼの爺さんがゼェゼェ言いながら『今年は豊作』とか呟くんだ。それだけで村は大盛り上がり、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎよ。とにかく常識が全く通じねえ、毎日飽きなかったぜ」


 あの長老の腰を前後左右に振る動きを思い出し、ついつい吹き出してしまう。しかし女の顔にちらりと眼を遣ると、下唇を突き出して怪訝な表情をしていたのだった。


「異教徒の考えることはよくわからないなあ。全能のゾア神は精霊なんぞ使役しないというのに」


 俺は口をつぐんだ。記憶を失っても自分の信教については覚えているようだ。


 ここから西の国のほとんどの民はゾア神教を信仰している。


 全知全能の唯一神ゾアのみによって世界が創造されたという教えだ。俺も小さい頃から世界の創造について、両親や僧侶から丸ごと暗唱できるくらいに聞かされていた。


 そしてゾア神は東方の他の神や精霊と違い、一切の姿を持たない。いや、こう述べると語弊があるか。


 正しくは見ることも触ることも、とにかくその姿を俺たちは認識することはできない。


 ゆえにゾア神教では神の形を象るような偶像の崇拝は禁じられている。姿形を知ることもできない神を現世で表わせている時点で、それは神とは異なる存在だからだ。


「本当、俺も最初は理解に苦しんだよ。聞いてみたら色んな精霊の像が次々と飛び出してくる。木の精霊だの、石の精霊だの、雨を呼ぶ精霊だの。精霊のひとつひとつに名前と役割があって、それぞれを違う方法で祀っているんだぜ。東方随一の都市でも、川の守護者とか言って立派な神殿を作って、そこに巨大な人を象った石像を置いてるんだ。民は毎日、そこに参って祈りをささげるんで神殿はひっきりなしに人が出入りしてるんだぜ」


「それならばそれらの精霊を最初に創った者がいるはず。万物の創造主がきっといるはずだが、そこはどうなのだ? それこそ全能の神でないのか?」


「さあ、知らねえなあ。全能の神ってのは聞かなかったな。でも、もっと東の国では輪廻転生って言って、死者は別の生き物として生まれ変わる、なんて考えまであるくらいだから、もしかしたらどこまで遡っても神の始まりは無くて、東の連中には創造主っていう発想自体が無いのかもしれねえな」


「分からないなあ、東の国は。オーカスはどう思う? その輪廻転生とやらを信じているのか?」


 この女、やけに神の話に突っかかるな。まあ、俺も初めて東の国々での偶像崇拝を見た時には衝撃を受けてとんでもねえ所にまで来てしまったと後悔したものだ。


「んなわけねえ。俺の生まれはお前と同じ、西の国だよ。ひいひいひいひいひい爺さんよりももっと前からゾア神教にお世話になっているんだ。まあ、東の国の異教徒の話だ、あまり本気になるな」


「うん、すまない。しかし……どうも気になって仕方ないのだ。自分の名前も育ちもわからないのに、なぜかゾア神のこととなると頭から離れない。創世神話については教典と一字一句違わず唱えられるような気もする」


「きっと敬虔な信者の家に育ったんだよ。そんなにゾア神が気になるなら、パスタリア国首都カルナボラスに行ってみたらどうだ? ゾア神教の本場だし、記憶が刺激されて元に戻るかもしれないぞ」


 カルナボラスはパスタリア国の首都であると同時に、ゾア神教の中心となる大聖堂もある。


 大聖堂には教皇もおられ、ゾア神教徒は一生に一度は礼拝に行けと言われる場所だ。悲しいかな実際に行けるのは金に余裕のある連中だけなのが実情だが。


「カルナボラス……教皇の都……ん?」


 女は首を傾げ、また「んー」とうなり始めた。今度は普通の女も日常的に出せる程度の声だったが。


「石畳の広場に噴水、突き出た鐘楼、その脇の泉……なんだ、この風景は?」


「突き出た鐘楼? それはカルナボラス大聖堂のシンボルだぜ。俺のン百倍の背丈はありそうなでっかい石の塔だ。それに噴水のある石畳の広場ってのは、大聖堂前広場のことじゃないか? 昼間は商人と旅芸人とでごった返している。それに脇の泉って、聖堂と一体化した聖人像の乗っかっているあれだろ? 五年前に俺もそこを通ったから間違い無い。あんた、絶対にカルナボラスにいたことがあるんだよ」


「なんだかそんな気がしてきた。思い出したぞ! 広場で罪人が斬頭台にかけられているのを見たことがある」


「きっとそうだよ。あんた、もしかしたらカルナボラスが故郷なんじゃないか?」


 女の目に輝きが戻り、俺も内心ほっとした。


「そうだな。ところでオーカスはこれからどこへ行くつもりだ?」


「西へ帰る。あと三日も歩けばシシカの都に着くはずだから、とりあえずそこで今持っている香辛料を売るつもりだ。とまあ、ここまでは考えているが、そこから先は特に決めていない。何か商品を仕入れて別の町に売りに行くよ」


「故郷には帰らないのか?」


「俺の故郷はもっともっと北の寒村だ。針葉樹の森林に囲まれて商人も滅多にやってこないから、未だに貨幣よりも物々交換が物を言う農村だぜ。あんな所じゃ売れる品もろくに売れない」


「それじゃあすまないが、私をカルナボラスまで連れて行ってくれないか?」


 女は身をぐいっと乗り出し、まっすぐ俺を見つめて頼み込んだ。


 女の子に頼られるのは嬉しいのだが、これは困った。


 こいつに一度かまってしまった以上、最後まで面倒見てやるのが筋ってものだろう。それに見た目はボサボサの髪とは言え意外とかわいらしいし、クソむさ苦しい旅の供にはこっちから頭を下げてもよいくらいだ。金も数年は生活に困らないくらいに持っている。


 でももしかしたら、こいつは記憶喪失のふりをした悪人かもしれない。さっきも散々考えていた答え無き疑問が、またも蘇る。


 周りに仲間が隠れていて、俺が眠った時に襲おうという魂胆かも。いや、それならば目覚めていよがいまいが、さっさと始末しても良いはず。本当に、こいつは何者だ?


 しばしの間、帽子を深くかぶり直し、地面をじっと見つめて考えていた。こちらの心情を察したのか、娘が「やっぱり、ダメか?」と不安げな声で尋ねるのが聞こえたので、俺は顔を上げてその娘に顔を向けた。


 まっすぐこちらを見つめる瞳には、ゆらゆらと炎が映り込んで、瞬く星のように輝いていた。


 こんな目をしている奴が、嘘をついているわけない。今まで何千何万の人々と出会ってきた俺の商人としての直感がそう告げる。ようやく、俺はにかっと笑顔を作った。


「いいだろう。ただし、シシカの都までな。そこで別の旅団にお前を引き渡す。俺一人では負担もでかいから、大人数のキャラバン隊にでもついていけばいい」


「すまない、ありがとう」


 女は俺の手を両手で包んで握り締め、にっこり笑って返した。その笑顔には損得勘定とか悪巧みとか、そういった感情はまったく見えなかった。


「ところであんた、まだ名前……は覚えていないんだっけな」


「確かに、無いと都合が悪いな。どうせ思い出せないし、自由に呼んでくれてかまわないぞ」


「それじゃあ……その服の黄緑が若葉みたいだから、リーフってのはどうだ?」


「リーフ、か。いい名前だ。うん、私はこれからリーフだ」

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