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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第一部 救済の神託
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第二章 豪商の都サルマ その9

「神の……奇跡?」


 リーフは思考停止した様子で、ぽかんと口を開けていた。


 だが、俺には会長が何を言わんとしているかはある程度の予想がついていた。そしてリーフとの関連も、もしかしたら。


「まさか、あの司教たちは不思議な力を持っていると?」


「そう、まさにその通りです。お嬢さんの雷の力と同様の」


 会長は大きく頷いた。


 会長は直接目にしなかったものの、あの小太りの男からでも聞いたのだろう。


 そう言えば昨日、俺は宿でリーフに話していたのを思い出した。お前のその力は神からいただいた奇跡の力なのではないか、と。


 あの時はリーフを慰めるために半ば出任せで言ってしまったものだったが、まさかドンピシャだったとは。


「常人離れした奇跡の力です。例えばあの大柄な僧は大岩をも片手で軽々担ぎ上げる剛力を備えています。若い僧の方は蝋燭の小さな炎を巨大な火柱に変えてしまう秘術を見せました。彼らの他の仲間も多くが、同様に我々の想像をもつかない奇跡を起こせるのです。巧みな話術に加えてそのような奇跡を見せられたなら、ゾア神教に傾倒してしまうのも仕方のないことでしょう」


 よく思い返してみればあの盗賊の生き残りも同じようなことを話していた。ゾア神教の僧侶にアジトを潰された際、馬鹿力の大男に火を出して焼き払う男。あの盗賊の言ったことと会長の話は見事に合致している。


 あの盗賊と会長が話を合わせたとは考えにくい以上、これは事実だ。


「マホニア司教もおそらくは何かしらの奇跡を起こせるはず。ただ私はその力を直接見たことはありません。ですが、今日気付いたのです。あの砂嵐、偶然発生したにしても、あまりにもゾア神教に有利な時期すぎると思いませんか?」


 まさか?


 反論したかったが、できなかった。俺自身あまりにもタイミングが良すぎると勘づいていたし、あの司教が前で立って祈った瞬間に砂嵐は止んでしまった。


 もしもあの砂嵐自体が司教そのものが意図的に起こし、収めたものだったとしたら。何もかもうまく説明できるのだ。


「そうです、私があんな連中を招き入れたばかりに、この町を無茶苦茶にしてしまった。商館も社員も、無関係な人々も多くを巻き込んでしまった。すべて私が悪いのです」


 ここで会長は突っ伏してしまった。今まで耐えていた想いがどっと決壊したようで、おいおいと泣き声を上げている。


 まさかあいつらにそこまでの力があるとは。人知を超えた力とは盗賊の評だが、司教に至ってはもはや神に等しい。


 そして同時にリーフも彼らの関係者であることは自然とつながろう。雷の力など、並みの人間が持って生まれるはずも無い。


「私が……まさか?」


 リーフは今なおぽかんと口を開けたままで、口に出す言葉すらろくに考えられていない様子だった。


 奇跡の力。突然そう言われて信じてしまう人間など随分おめでたい頭の奴だと思われそうだが、俺にはまるで疑うことができなかった。


 それもこれもリーフが実際に雷の力で盗賊を撃退するところを目撃しているのが最大の理由だった。同じような奴はどこかにいると思っていたが、まさかこんなに早く見つかるとは。


 だが、それに関しては新たな疑問も沸き起こる。


「リーフ、お前は確かに不思議な力を持っている。あいつらと何かしら関係があるかもしれない。だが、何故お前は記憶を失った状態で砂漠倒れていたのだろうな? それにあいつらはお前のことを知らない様子だった」


「うう、何も思い出せない。私は本当に何者なのだ?」


 リーフも頭を抱え、唸り声を上げて突っ伏してしまった。


「お、お嬢さんのことは私にもわかりません。ただ連中はかなり大きな勢力なので、互いに顔を知らない者がいてもおかしくはないでしょう」


 ようやく会長が顔を上げ、鼻をすすりながら言葉を続けた。


「そんなにいるのか?」


 俺が尋ね返すと、リーフも唸るのをやめてじっと会長を見据えた。


「はい、聞くところによると、パスタリアの王室にも入り込んでいるようです。西方には他にも既に骨抜きにされている国もあるかもしれません」


「アイトープ王国は……俺の故郷はどうだ?」


 思わず尋ねていた。はるか北西の我が故郷アイトープ王国には痩せた大地の延々と広がり、林業程度しかまともな産業も無い。あのような弱小国の人心もろくにつかめていない王室でも、心配にはなるものだ。


「いえ、そこまでは存じておりません。ただ、もう危ないかもしれません」


 俺の握った拳に力が入った。不安だ、何も起こらなければよいが。


 涙をぬぐった会長はふうと一呼吸つくと、改めて俺たちの顔を見つめ返した。その目にはまたも先ほどの決意がこもっていた。


「そもそもあの者たちの目的は単にゾア神教の布教だけではありません。旧来の教団を壊し、新たに全人類を神の名の下に導くことをが至上命題なのです。それ故に彼らは自らを旧来のゾア神教以上に神の意向を真の意味で完遂する集団、『真正ゾア神教』と名乗っているのです」


「真正ゾア神教? 今までの教団の行いは間違いであるとでも?」


「はい、彼らは旧来の教団が現世ではゾア神の名の下に人々をさらに苦しめていると主張します。本来ゾア神は人々に救いを与えられるのだから、教団は現世においても人々が救われるよう神に代わって務めるべきであると。そのためにカルナボラスの教皇を人質に取って旧教を力づくで支配した後、各地の王侯貴族に取り入って政治でも主導権を握っていったのです」


 まさか教皇までも。ゾア神教の信徒にとって最も敬うべき人間は両親、そして教皇だ。そのお姿は俺のような庶民が見ることなど滅多にできないが、教皇がおられる故に俺たちの祈りは神に届いていると教え込まれる。つまり神と人間の橋渡しをしている唯一無二の僧の頂点だ。自然と敬愛するよう刷り込まれている。


「詰まるところ、彼らの目的は全人類に自らの思想を広めることです。つまり世界をひとつの思想で統一し、全人類が一様に神の教えに従うことが最終目標なのです」


 まるで現代の時流に反する教えじゃないか。


 長らく争いと和解を繰り返してきたゾア神教もアラミア教も、ようやく大きな争いも起こさず均衡を保って存立できているのに、またも戦乱を呼び起こそうとでも言うのか。


 会長はまたも水を飲んだ。相当熱がこもっていたのか、額には汗の粒が浮かんでいる。そしてみたび呼吸を整えた。


 おそらく、これから話すことが最後に伝えたいことだろう。


「オーカス様、あなたは鍛え抜かれた肉体と聡明な頭脳、そして強い意志をお持ちです。あなたならばこの愚か者の話を聞いてくださるだけの度量があると思いました。そしてあなたはまだ旅を続けられるとお聞きしています。そこで、もしもこの先、うちの娘を……私が真正ゾア神教に差し出した一人娘を見かけたなら、お伝えしてもらいたいのです」


「娘を……差し出したのですか?」


 リーフが立ち上がった。同じ女として同情したのか、珍しいことだが明らかに怒っている。


 会長はリーフの突然の行動に一瞬たじろいだ。そしてうつむいたままぶつ切りに話し始めたのだった。


「はい、情けない話です。真正ゾア神教の連中に誠意を見せるようにと、三年前にまだ13歳だった愛娘を奴らに差し出して以降、一度も連絡は取れていません。聞けば現在も何かの活動を行っているようですが、詳しくはわかりません。お嬢さんならば同じ年頃の娘ですし何かしら知っているかもしれないと思っていたのですが……」


「そんな、あなたは国のために愛する娘を捨てたのですか!?」


「よせ、リーフ!」


 俺はリーフの頭を押さえ、強引に座らせた。こいつがここまで感情をあらわにするのは初めてかもしれない。


「……私は娘に謝罪する権利すらありません。いくら申し訳なく思っても、娘の人生を狂わせてしまったのは私なのですから。だから!」


 会長が顔を上げた。その目からはまたしても涙が滝のように流れ落ち、机にぼたぼたと水たまりを作っていた。


「オーカス様、もしも娘を見かけた場合こう伝えてくれませんか? 父は自分の愚行を後悔している。すぐに逃げ出して自由に生きなさい。許してくれなくてもかまわない、でも……お前にまだ少しでも私を唯一の父親だと思ってくれているなら、少しでもいいから家に帰って来てくれと」


 哀れな人だ。だが、娘への愛情は本物だった。


「わかりました、出会ったときには必ずや、お伝えいたします」


 会長は何度も「ありがとうございます、ありがとうございます」と繰り返し泣き崩れた。あまりにもわんわんと赤子のように泣き叫ぶので、リーフも怒鳴る気が失せたようだ。むしろ「会長、もうお顔を上げてください」と宥めてすらいた。


 ようやく会長が泣き止んだところで、俺は大切なことを聞き忘れていたのを思い出した。


「ところで、その娘の名前は?」


「はい、チュリルと申します」




「父親ってのは目的のためには我が子を利用するものなのか?」


 昨日のことがよほど残っているのだろう、俺の背中につかまったリーフは物憂げな顔で尋ねた。


 会長との密会の後、そのまま屋敷で一晩泊めてもらった俺たちは、翌朝日の出とともに旅立った。


 昨晩、会長は俺が娘のチュリルを見つけ出すと期待して頼んだことではないことは勘づいていた。ただ、誰かに自分の犯した罪を打ち明けたかったのだろう。そして少しでも気を楽にしたかったのだろう。


 だから俺はチュリルの件に関しては積極的に探し出してやろうとは考えていない。あの会長は俺を随分買ってくれていたが、実際の俺はそう尊敬される人間ではない。宿と新たな食料を恵んでもらえてラッキー程度にしか思っていなかった。


 アコーンに跨って、岩石むき出しの荒野を西へ西へと進む。奇岩の谷のような見事な風景など何一つ無くただ延々と広がる砂漠には、太陽の強い光が降り注いでいた。


「さあな、俺は子どもも嫁もいねえしわからん。だが、会長の気持ちはなんとなく分かる。人生には何もかもを犠牲にしてでも、成し遂げなければならないことがあるんじゃないかって」


「オーカスにはそういったことはあるのか?」


「んー、まあ無いことは無い」


「どんなことだ?」


「お前が知るにはまだ早い。お前が立派な淑女になったら教えてやるよ」


「ケチだなあ」


 リーフは頬を膨らませた。


 しばらく俺たちは黙ったまま、アコーンに揺られ続けた。


「なあ、オーカス」


 不意にリーフが尋ねた。発言するのををためらっていたような、そんな声だった。


「確か昨日言ってたよな、商人は地獄に落ちると。あれはどういうことなんだ? 教典にもそう書かれているのか?」


「さあな、死んだことがねえから分からんし、教典には地獄に落ちるのは罪人だとしか書かれていてないが、神学者たちはそう言っているな」


「どうしてだ?」


「農民は作物を作るし、町人は道具や家を作る。でも商人は何も作らない、物を町から町へ運んでいるだけで金を稼ぐ汚い仕事だから、死後は地獄に落とされて苦しむんだとよ」


 リーフは口をパクパクさせていた。俺を見る目は哀れみに溢れていた。


 ゾア神教では商人は罪深い存在として扱われている。かつて、死後罪人が落とされる地獄についてどのような場所と考えるかは人によってまちまちだった。


 しかし200年ほど前、ある高名な神学者が地獄の詳細な構造を解説する本を書き上げた。著書によると、商人は金に溺れた欲深き者として、地獄の業火で永遠の苦しみを受けるという。


 当時は戦乱や伝染病に西の国の多くが苛まれていた時期で、身分問わず多くの人間が死後の世界に興味を持っていたそうだ。


 ゆえに文字の読める者は皆こぞってその本に読み耽り、その影響か、現在ではゾア神教徒の間で商人が地獄に落ちるのは常識として定着している。


 つまり俺たちゾア神教を信じる商人は、自分自身を地獄行きの運命を背負った罪人として自覚している。


「それならどうしてお前は商人を続けるのだ? 死んだ後に苦しみたくはないだろ?」

「簡単だよ、生きていくにはそうするしかないからさ。俺の故郷は寒村で頻繁に飢饉が起こる。食い扶持減らすために村を出て、金を稼いだら持って帰るのはうちの村ではよくあることさ」


「地獄に落ちるとわかっていても、か?」


「ははは、地獄なんてあるかどうかわからねえ」


 リーフが不安げに尋ねるので、俺はわざと笑って返してやった。


「だいたいよ、ゾア神教では死んだ奴は天国か地獄に振り分けられるとか聞くけど、俺の地元には昔はそんな考え方は無かったんだ。死んだら魂は冥界っていう死者の国に行って、そこで冥界の王に仕えて、運がよけりゃ生き返るとかそんなんだ。結局のところ天国も地獄も、冥界もあるかどうかなんかわからねえ。ゾア神教が言っていることが真実なのかもしれんし、地元の伝承が正解かもしれねえ。それなら自分の感覚に一番ピンとくる神を信じるのが一番じゃねえかって、そう思うんだ」


 リーフは何も返してこなかった。少し振り返ってみてみると、悲しそうな目でこちらを見つめてくるだけだった。


 ああ、なんだか無性にいらいらしてくる。


「おいおい、何しけた面してんだよ。これから行くのはこの国一番の都シシカだぞ。あそこはサルマ以上にゾア神教が広まっているという噂だし、もしかしたらお前の知り合いに会えるかもしんねえぞ」


 俺はわざと明るく振る舞ってリーフに話しかける。だが、リーフの表情は曇ったままで、小さく「ああ」とだけ返すのみだった。


 シシカの都まではあと四日ほど、歩き続けねばならない。

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