最終章 帰還
「あ、あ、あんたたち、何で生きて帰って来てんのさ!?」
「なぜって……必ず帰って来るって言った通りだろ?」
慌てて腰を抜かすチュリルに、アコーンの手綱を引く俺とリーフはむっと頬を膨らませた。
ここはタメイヤ国首都マハ。その港で俺たちは偶然にも商船に荷積みをしていたチュリルと再会したのだった。
「あんたたちとはもう一生会えないと思っていたのに……あたいの涙は何だったのさ!」
どうやらこの娘は俺に直接見せなかったものの、陰ながらにずっと泣いていたらしい。聞けば大河を戻る途中も、ずっと船室で枕に顔を埋めていたそうだ。
「と、とにかく、とにかく……戻って来て良かったよおおおおおん!」
一瞬でぶわっと涙が溢れ、チュリルは俺とリーフにとびついた。道行く人々が好奇の目で見て、俺とリーフは苦笑いするしかなかった。
砂漠での死闘の後、夕日を見ながら疲れ果てた俺たちはそのまま砂の上に倒れ込んだ。
肉体の限界を超えたすべての力を出し終え、この世を守った。その達成感に浸り、あとは灼熱に照らされてこの身が朽ち果てるだけだと、本気でそう思っていた。
目を閉じて最後の夢を見る。その時、俺にはっきりと届いたのだ。男とも女ともつかない、不思議な声が。
「あなたたちはまだ死ぬべきではありません。この世を統べる神として、あなたたちに最後の奇跡をもたらします。私はもうこの世にこれ以上手を出すことはしません。それがあなたたち人間にとって最善の、真の意味で平和を得る方法なのですから」
どんな声色だったか、それすら覚えていない。だが、内容は一字一句違わず覚えている。まるで頭の中に直接文字を書き込まれたかのようだった。
気が付くと俺たちは死の砂漠の入り口の川沿いの村、その長の家で寝かされていたのだった。朝、村の入り口で俺とリーフ、そしてアコーンが倒れていたらしい。
村人は言い伝え通りの奇跡だと歓喜し、俺たちの帰還を祝った。そしてリーフがしっかりと抱えていた原初教典を長に渡すと、長はどっと涙を流したのだった。
「何千年もの間、私たちがこの地を守り続けてきたのがようやく報われたよ。これで失われた歴史が解き明かされる」
長のその言葉が俺には妙に深く入り込んだ。
その後、通りかかった船に乗って大河を下った俺たちは三日かけてマハの都に到着し、港に降り立ったと同時にチュリルとばったり再会したのだった。
仕事を一時中断したチュリルは俺たちの帰還を祝い、急遽近くの店の一室を借りて祝宴を開いた。同行したセリム商会の面々や船乗りも一緒に巻き込んでの盛大な宴だった。
「さあさあ、あんたたち飲みなよ。ぐいっと、ほれ! なあに、金は気にすんな、親父から賠償金としてたんまり受け取っているからねえ」
既に酒を飲んで真っ赤になったチュリルが見境なく酒を勧める。部下たちは苦笑いしながら酒を飲み干したが、杯が空くとそこにすかさずチュリルが次を注ぐので余計に顔を歪めていた。
「美味い、やっぱり出来立ての料理は美味いなあ!」
リーフががつがつと皿に盛られた料理を腹に流し込んでいた。ここ数日は砂漠を歩き回っていたのでロクな物を食べられなかった反動だろう。久しぶりの豪勢な食事をリーフは彼女なりに楽しんでいた。なおこの宴で特にリーフが気に入ったのは、ティラピアという魚を焼いた単純な料理だった。
滅多に飲めないブドウ酒を味わいながら、俺はやはり生きているに超したことはないな、と考えていた。こんな美味い料理と酒、生きている間しか楽しめないのだから。
「そういえばオーカス、お前はこれからどうするんだ?」
俺の隣で肉を頬張っていた船乗りの男が不意に尋ねた。よほど愛飲しているのだろう、この店でもラクを注文したこいつとはどれほどの腐れ縁だろう。
「うーん、そういや何も考えていなかったな。もう故郷のことも領主に任せちまったし」
そうだ、死にに行くつもりで死の砂漠に臨んだものだから、その後のことなんてまるで考えていなかったのだ。
今更故郷に戻ってももう女たちは新たな亭主を見つけて次の生活を始めているだろうし、あの村と森林もも領主の直轄地となっているので一介の平民である俺があの土地で働ける保証は無い。それに関してはリーフも同じで、頼れる身内もいない俺たちはただの根無し草だ。
これからの生活、一体どうしたものか。
「何シケた面してんのさ、旦那ぁ?」
べろべろに酔って臭い息を吐きかけながら、チュリルが俺の首に腕を回した。こいつ、完全に出来上がってやがる。
「ほふぃ、ふぉーはふはらへふぉははへ(おい、オーカスから手を離せ)!」
口いっぱいに食い物を詰め込んだリーフがチュリルを背中から掴んで引き剥がした。こいつなりに妬いてくれているのかもしれないが、残念ながら今の状況ではときめきもクソも無い。
「旦那さえ良ければぁ、あたいの伝手でセリム商会に迎えたげるよ。家だって新築であげちゃう」
俺の耳がぴくりと動いた。今、何と言った? 仕事をくれるのか? しかも家まで。
「お、疑った目をしているね。あたいを誰だと思っているのさ、セリム商会会長の一人娘だよ。上目遣いに親父の顔を見れば、何だって思い通りだよ」
こいつの腹黒さには一生敵わないだろうな。一方、口の中の物を全部呑み込んでいるにも関わらず、ぷうと頬を膨らましてこちらを見るリーフ。
チュリルはそんな彼女を振り返り、ふふんと鼻で笑った。
「安心しなよ、新築には二人分の部屋を用意するさ。リーフもそこに来るといい」
その一言でリーフの表情がぱあっと明るくなる。
「本当か?」
「本当に決まってるだろ。商人は嘘つかないよ」
この文句は俺が一番信用ならないが……まあチュリルのことだし大丈夫だろう。
「俺はいいぜ。仕事がもらえるなら万々歳だ。リーフはどうだ?」
ここで俺ははっと気付く。何故、俺は何の疑念も無しにこいつと一緒にいる前提で話を進めているのだろう、と。
こいつとはタルメゼの砂漠で偶然出会って、それから奇妙な縁でここまで来た。しばらく一緒に暮らしていたこともあったが、あれは身寄りの無いあいつを住まわせるためであって……。
まあ、いっか。いくら考えても行き着く答えはただひとつ。俺はリーフと一緒にいたい、ただそれだけだ。
「私もだ、オーカスと一緒ならどこだって!」
頬を赤らめながらも力強く言い切るリーフ。
「ヒューヒュー熱いね、お二人さん!」
横から囃し立てる船乗りの頭に、俺はゲンコツをお見舞いした。
翌朝、暁の薄明りに包まれた港を俺たちを乗せた商船は出発した。大灯台の灯りが大きく揺れ、少しずつ日中の活気へと移り行く街を見守っている。
「商会ではどんな仕事を任されるんだ?」
甲板に立ったリーフが尋ねた。
「詳しくはわからねえが……どうも新たな交易ルートを開拓するらしい。タルメゼ帝国の立場が危ういのは今も変わらねえ、セリム商会も生き残るために新たな商売に手を出すつもりみたいだ」
「てことはまた旅に出るのか?」
あきれ顔のリーフ。ずっと各地を歩き回っていたのに、まだあの冒険を続けるのかとでも言いたげだ。
「かもしれねえな。だが、どうも俺は一所に留まっているのは性に合わないみたいでね。神様も俺には天職を与えてくださるのがお好きなようだ」
神。その言葉を聞いてか、リーフはふっと笑って前方に広がる海へと顔を向けたのだった。
「そうだな、すべては神のみぞ知る。私たちがこれからどうなるかも」
「リーフ、それは違うぞ」
俺はその隣に立ってリーフの肩に手を回す。進行方向、東の空には朝日が昇り始め、空が明るみ始めていた。
「神は俺たちを見守っている。だが、運命までは知らない。どういう人生、歴史を作るかは俺たち人間にかかっているんだ。そればかりはいくら神様だってどうにもできないよ」
水平線の向こうに、ちょろっとだけ明るい炎が見えた。波打つ水面に光が差し、一本の輝く道が現れる。
「そうだな……」
リーフは俺に寄りかかって、そっと手を俺の胸に当てた。
やがて太陽が昇り、空を、海を、大陸を、飛び交うかカモメを、俺たちを、燦々と照らし始める。
太陽は神の目であり、この世のすべてを見守ってくれる。今日もこの空の下のどこかで、誰かが太陽に祈りを捧げているのだろう。
この作品はここで完結とさせていただきます。
ここまで読んでくださった読者の皆様、貴重なお時間を拙作に割いてくださりありがとうございました!
この物語を思い付いたきっかけは、大学での講義で中世ヨーロッパの価値観について教授が語ってくださった時にありました。キリスト教を絶対とする価値観があったからこそいわゆる暗黒の中世と呼ばれる時代があり、一方で自然科学の研究を進める土壌が出来上がったのだと知ったことで、宗教というものに強く興味を抱くようになりました。
ですがこの作品は想像以上の難産で、構想をまとめるのに大変苦労しました。信仰というテーマを扱う以上、下手な設定にはできません(十分下手ですが)。一方でバトルものとして昇華させるためにも、単に腕力の強い主人公をどう動かして強敵を倒すかあれこれと練る必要もありました。
毎日更新を目指していたので大変でしたが、ブクマや評価をくださった読者の皆様のおかげで楽しくここまで完走することができました。
次回作は少し休憩を挟んでから投稿したいと思います。
ロボットの出てくる近未来SFモノと異世界転移での成り上がりモノ2種類のプロットを構想しておりますが……どちらにしましょう?
重ね重ねになりますが、本当にありがとうございました。




