第十八章 黄昏のピラミッド その4
巨大な亀の背中に支えられながらクリシスは腕を組み、こちらを見て高笑いする。
「私は創造の神、この程度造作もないわ。さあ、アリの如く惨めに踏み潰してやろう!」
巨木を生やした亀が咆哮する。獅子の雄叫びをはるかに超えた大音量は風すらも巻き起こし、砂が嵐のように高く舞い上がった。
身体を打ち付ける砂から顔を守っていると、ズンズンと地面が一定のリズムで揺れ始める。ちらりと眼を開けると、例の大亀が一歩一歩、四本の脚を動かして砂を踏んでいたのだ。
大股でゆっくりではあるが、巨体ゆえに一歩だけでもかなりの距離を詰めてくる。人間が走って逃げきるには厳しいだろう。そしてどれほどの体重を支えているのか、一歩ごとに脚先が砂に埋まり、巨大な砂埃の柱が上空まで突き上げられている。それを繰り返すので、クリシスは大量の砂を巻き込みながらこちらへとまっすぐ向かって来るようにさえ見えた。
「こっちだ、来い!」
俺は走り続けた。あれと真っ向勝負する必要は無い、とにかくリーフが解読できるだけの時間さえ稼げばよいのだから。
大樹の幹に埋め込まれた動物たちが一斉に声をそろえて吼えた。突如、例の巨人の顔の目が開かれ、再び大口から光を漏らし始めたのだ。
またあの光線がくる! ちらりと先ほど熱線を浴びた遺跡を見ると、融けた砂と石材が固まり、赤色と黒色の混じった歪な岩石の塊になっていた。だが光の当たらなかった場所は依然黄色の砂が積もり、くっきりと境界線を描いている。
あの光さえ当たらなければなんとかなるはず。俺はさらに足を速めた。
ついに二発目の光線が放たれた。光の筋は俺のすぐ後ろを明るく照射し、その部分は真っ白な輝きと超高熱を放った。
ついに俺は倒れ込んだ。前へと全身を投げ出され、砂に埋もれる。
直後、光の筋はさらに太いものとなって辺りを灼熱地獄へと変えた。砂が融け、真っ赤な溶岩となって互いにくっついてひとつになる。超高温の熱風をまともに浴び、にまるで全身を焼かれているようだった。
そして超高温の発光は止んだ。白い湯気すら立たぬ乾燥した大地に、じゅうじゅうと砂の融け流れる音だけが聞こえる。
「仕留めたか?」
クリシスが一歩、また一歩と近付く。そしてすぐ照射地点を足元すぐにまでとらえると、じっと目を凝らし、動くものがいないことを確認した。
「ははは、やったぞ。これでゾアの力は俺のものだ! さあ、あの小娘を追うぞ!」
大亀が誇らしげに小さく首を振った。
「ほお、神のくせにおめでたい考えですこったい」
突然の声に神は黙り込んだ。きょろきょろと周囲を見回す様は実に滑稽だ。
「俺は死んじゃいねえよ!」
大亀の足元の砂が盛り上がり、そこから何かが飛び出す。そう、その何かこそ俺だった。
先ほど地下の遺跡が崩れたおかげで、この砂漠にはそこら中に大きな窪地ができていた。俺はその窪地のひとつに身を投げ出し、光の直撃から逃れた。あとは砂中に身を隠して相手の接近を待っていたのだ。
想像以上の熱波を受けたものの、砂を被ってしのいだおかげで火傷も無かった。
大亀の巨大な爪に飛び乗った俺はその鱗の隙間に両手剣を突き刺した。骨まで到達したのだろう、硬い何かを砕いた音とともに真っ赤な血が切り口から噴き出す。
大亀は絶叫を上げ、腕を振り回した。だが俺は突き刺した剣をがっしとつかんでいたために振り落とされることは無かった。
大樹を支える足場が暴れるので、幹に埋められた動物たちは一斉に悲鳴を上げて泣き叫んだ。
「落ち着け、死ぬことは無い!」
頂きからクリシスが声を荒げるが、大亀はなおも身体を揺らして痛みに悶えている。深々と刺した剣がぐらつき始め、隙をついて俺は剣を引っこ抜いた。そして甲羅の上に飛び移ると、張り巡らされた木の根っこを掴みながらゆるい傾斜を上った。
暴れ続ける亀に怯え、動物たちが騒いでいる。今のうちに近付いて、少しでもダメージを与えよう。
「貴様、こんなことをして許されると思うか!」
「あいにく、俺はあんたに許されようとは思っていないのでね。そもそもあんたは許しを請われるほどの存在ではないだろう? この地上に降り立った時点であんたは超越した神ではなく、この世界の理に取り込まれてしまったのだからな!」
ちょうどトラの頭がすぐ目の前にある。振り回す前脚に少しでも触れれば、俺の身体は真っ二つだろう。だが足元が揺れるせいでパニックを起こし目の焦点が合っていないのと、何より体の後ろ半分が木に埋もれているせいでそれ以上前に進めないようだ。
俺は両手剣を握り直し、その脳天をめがけて渾身の力で振り下ろした。
トラは頭蓋ごと両断され、叫び声すら上げず絶命した。それを見た動物たちはさらなるパニックに陥り、木の幹全体までもが無様に揺れたのだった。
「うろたえるな、ええいこの畜生どもが! これならばどうだ!」
それぞれの意思に基づいて動く動物たちは使い勝手が悪いと思ったのか、亀の甲羅の上に張り巡らされていた根っこがシュルシュルと伸縮し、その身を持ち上げる。
前後左右、あらゆる方向から根が俺に襲い掛かる。剣を振って斬り落とすが、キリが無い。すぐさま別の根が別の方向から伸びて絡みつくのだ。ついに足に絡みついた木の根が俺の動きを封じ、その後一斉に他の手足にも絡みついたのだった。細い蔦が首にも巻き付き、俺の首をぐっと強く絞めあげたので、俺はまたも剣を落としてしまった。
今度ばかりはさすがに動けない。
「どうれ、その首をへし折ってやろう!」
俺の首を絞めつける力が強くなり、頭が破裂しそうなほどに痛くなる。息もできず苦しい。
だが、心は不思議なほどに安らかだった。既にこの砂漠に脚を踏み入れた時から覚悟していた死の瞬間が、ようやくやって来たのかというある種の諦観があった。
これで終わりか。今度こそ兄貴と、マグノリアと、じっくり飲み交わしたいものだ。
そんな俺の覚悟を知ってか知らずか、クリシスの蔦は力を弱めた。俺の肺に空気が流れ込み、俺は驚いて息を荒げながら目を開いた。
「貴様、まるで死に関して恐怖していないな。なぜだ? 死は人間にとって最も恐ろしいもののはずなのに」
クリシスは首を傾げていた。
「私は死を恐れる人間を少しでも安心させるために真正ゾア神教を結成させ、この世をひとつにまとめ上げようとしていたが……何故だ? 死は最も忌むべきものではないのか?」
「きっとあんたは神だからわからないんだ。この世界では当たり前の死という概念があんたらには無いから」
クリシスはじっとこちらに目を向けていた。粗野ながらもどこかしら底深い慈しみさえも感じる瞳だった。
「俺たちはいつか死ぬ。どんな生き物もその定めからは逃れられない。それがこの世界の理だからな。でも、俺たちはその理に従って生きている。それを不幸だとは思わない」
気が付けば動物たちもすっかり黙り込んでいた。先ほどまで最も騒がしくわめいていたサルでさえも、固く口を閉ざしている。
「長い歴史の中で人間は死の恐怖を乗り越える術を身に着けた。それがあんたの最も嫌う信仰だ。この世の摂理を拙いながらに解釈した人間は自らの人生の意味を見出し、後世のためにと発展を続けた。生と死と言う絶対的な理があったからこそ、人間は知恵を使って文明を築くことができたんだよ」
「俺は既に死を受け入れている。だからお前なぞ何も怖くない。さあ、殺したかったら殺してみやがれ!」
笑い飛ばしてやった。クリシスはじっと俺に目を向けたままポリポリと頭を搔いた。
「わからぬ。死は終わりではないのか……?」
その時だった。クリシスの身体が淡い光に包まれたのだ。
「な、何だこれは?」
慌てふためくクリシスに、動物たちも一斉に騒ぎ始めた。俺を縛り付ける木の根や蔦も、突如力を弱める。
まさか? 俺ははるか後方へと目を移した。
はるか遠くの砂の上、沈まんとする夕日以上の輝きを放ちながらそこに立つ者がいた。
アコーンに跨ったリーフだった。手に原初教典の石版を持ちながら、その身を黄金に輝かせてじっとこちらを見ながら立っていたのだった。
「やっと……読み終えたのか」




