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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第四部 はじまりの教典
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第十八章 黄昏のピラミッド その2

 カーラの放つ輝きは強く、夕焼けのように美しいものだった。だが俺たちは瞬きすらできない。教典を唱えるごとにさらなる輝きを放つカーラを目の前にじっと待つしかなかった。


「さあ改めよ、この世の理を!」


 クリシスが叫び、一際大きく地面が揺れた。直後、カーラの身体が流星のように激しく発光した。同時に俺たちの術も解け、身体が動くようになる。すぐさま目を閉じた俺たちは響く轟音と降り注ぐ砂にすべての感覚を奪われ、その場に倒れ込んだ。


 発光が止み、轟音も治まる。砂がパラパラと落ちる音だけが耳に届き、俺はようやく顔を上げた。


 そして唖然と口を開けた。カーラもクリシスも、姿を消していたのだ。


 代わりにあったものは、一本の木だった。狭い玄室の中央にぽつんと、俺よりも若干背丈の高い程度ながら人間ひとりでは抱え込めない太さの木が、石畳を突き破って根を張っていたのだ。深い緑の葉も茂り、この砂漠の真ん中、それも室内にあるものとしてはあまりにも不自然すぎた。


「オーカス、見ろ!」


 動きを縛られ続けたせいで若干に感覚を麻痺させながらも、リーフが指差したのは木の幹だった。まっすぐ伸びず、妙に凹凸がある木の肌だが、じっと目を凝らすとその形の不自然さがよくわかった。


 カーラの立ち姿が埋め込まれていたのだ。背格好そのままに、半裸の上半身が木の幹から飛び出すように木の幹と同化していた。両目はしっかりと閉じられ、石膏で固められたようにピクリとも動かない。


 何が起こったのかまるで理解できない。俺とリーフが互いに顔を見合わせて目を点にしていると、生い茂る葉ががさがさと揺れた。


「こ、これはどうしたことだ?」


 緑の隙間から男が這い出た。上半身を露にしたラジロー、いや、クリシスだ。そして自分の身体を改めて観察し、さらに驚きの表情を見せる。


 クリシスの身体もこれまた木に同化していた。カーラが木の幹に埋め込まれたとするなら、クリシスは木の頂から上半身だけを突き出している形だ。


「私はこの世界の森羅万象を統べる存在になるよう願ったが、なぜこのような姿になるのだ?」


 クリシスは混乱していた。自分の腕を、胸を、失われた足を何度も見直している。そして何かに気付き、はっと息を止めた。


「森羅万象……そうか、私は人間だけでなくあらゆる動植物、この世界に生きとし生けるものすべてを統べる存在になったわけだ」


 クリシスが腕を組み、ガッハッハと笑い飛ばした。同時に樹冠の一部がごそごそと揺れ、その間から何かが飛び出す。


 それは黒猫だった。木の枝の先端部が膨らむと、猫の前脚と頭を含む半身に変化したのだ。クリシスと同じように、木から身体が飛び出している格好だ。


 猫はニャーと可愛らしい声で鳴く。クリシスはふむふむと頷いた。


「なるほどわかったぞ。どうやら私は自らの創造の力を用いて、この身体から無限の生物を生み出す力を得たらしい。この世を支配する理の一部を改変したわけだな」


 クリシスが腕を伸ばして頭をなでてやると、ゴロゴロと喉を鳴らす。そのおぞましさ、不気味さに俺たちは声も出ず立ち尽くしていた。


「どれ、もうゾアも降りては来ぬか? 理の神はまだその力をこの世に及ぼすのか?」


 クリシスがあざ笑うかのようにリーフを見ると、今まで上機嫌にしていた猫さえもじろりとこちらに鋭い目を向けた。


「……聞こえる。弱くはなったが、ゾア神の声はちゃんと聞こえているぞ」


 睨み返しながらリーフが答える。その姿は俺からも虚勢を張っているように見えた。クリシスは鼻で笑う。


「ふん、しつこい奴だ。どんなことを言っている?」


「カーラでは神の言葉は完全に唱えられなかった。ゆえに今のお前はこの世で創造の力を発揮できても、理を司るには不十分な力しか行使できない。そのような不安定な状態ではこの世にさらに混乱を招くだけだ」


 毅然と言い切ったリーフに、クリシスは余裕を見せて答えた。


「なるほどな、確かに現在の私ではまだ完全なる力をこの世に及ぼすことはできないようだ。うん、いいことを思いついたぞ。私が貴様を取り込めば、ゾアの大いなる知恵さえも私のものにできよう」


 突如、リーフの足元の石畳にビシビシとひびが入った。


「まずい、逃げよう!」


 俺がリーフの肩を掴もうと手を伸ばしたが、直後床を突き破った太い植物の根のようなものが鞭のようにしなり、リーフの細い右脚に絡みついたのだった。


「あぐぅ!」


 脚を取られ仰向けに倒れるリーフ。急速に伸びた木質の根は今度はタコの触手のように一気に縮み、床の上を引きずった。


 リーフは顔を真っ赤にして石畳の隙間に指を食い込ませて抵抗するも、根の力は強く長くは持ちこたえられない。


「離しやがれ!」


 俺はナイフでリーフの脚に絡まった根を切りつけた。だが単なる木とは思えないほど硬く、しかも動き回るのでなかなか切断できない。


 そんな間にも別の根が床を突き破って現れ、今度は俺の右腕に絡みつく。巨漢に捕まれたような締め付けに、俺はナイフをポロリと落としてしまった。


 さらに三本、また新たに木の根が床から現れた。それらはリーフの左脚、右腕と左腕にそれぞれ巻き付いて動きを完全に封じてしまった。リーフの指がついに床から離れ、その身体を持ち上げてしまった。


「ハッハッハ、そこでこの娘が私に取り込まれる様をよく見ておくがよい。貴様は完全なる神の誕生の瞬間を目撃した唯一の人間になれるぞ」


「そんなこと許すものか!」


 俺はまだ自由に動かせる左腕を懐に突っ込んだ。そして急いで取り出した物に松明の火を点けると、すぐさま放り投げた。


 ナズナリアの特製火薬瓶、その最後の一個だ。


 植物となって動かなくなったクリシスに火薬瓶を投げつけるのはあまりにも容易だった。火を灯されて回転しながら、火薬瓶はまっすぐと木の頂から頭を出すクリシスに向かう。


 驚いた顔を見せていたクリシスだが、一瞬ふっと不気味に笑うと、またしても新たな根が床を突き破ったのだった。


 そして放物線を描いていた火薬瓶にまっすぐ伸びると、陶製のその瓶を粉々に砕いたのだ。


 直後、狭い室内に爆発が起こり、熱と爆風が俺たちを襲った。天井の石材の一部も砕け、破片となって降り注ぐ。


 瞬く間に炎に包まれたクリシス。やった、と俺は拳を振る間も無く左手でナイフを拾い直した。


 あいつの身体は今は木だ、きっと炎なら燃えてしまう。特に強力な特製火薬瓶ならば。


 木の幹、樹冠ともに炎を上げ、先ほどの猫は悲鳴を上げていた。だが当のクリシスは腕を組んだまま平然としていたのだった。


「愚かな。この程度の炎で万物を統べる神である俺を倒せると思ったか?」


 クリシスは揺れる炎の向こうからにたりと目を向けると、ぱちんと指を鳴らす。途端、全身を巡っていた炎が消え失せ、黒く焼け焦げた部分から白い煙がしゅうしゅうと音を立てて上げた。猫もなんとか無傷の状態で、ほっと安心した様子でだらんと身体を伸ばしている。


「神を舐めるな、この身体はただの植物ではない……ぞ?」


 余裕の笑みを見せていたクリシスだが、様子がおかしいことに気付き目を丸くした。


 炎を消すことに集中していたせいか、自分の根っこが全て切られていたことに気付かなかったようだ。


 俺はナイフを両手剣に持ち替え、自分の腕に巻き付いた根だけでなくリーフに絡みついていた四本もすべて断ち切ったのだった。いくら硬質の根であっても、この兄貴の剣ならばリンゴの果実のように簡単に刃が通ってしまった。


 そして何より、締め付けられた痛みに顔を歪めながらもリーフはわずかな隙をついて棺の傍に置かれたあまになっていた石版を拾い上げていたのだった。そう、あの原初教典を。


 クリシスの顔がさっと青くなる。真にゾア神から授かった大いなる知恵を持ったリーフがこの石版を読めば、この世の理はまた書き換えられるのだ。


「逃げよう!」


 帽子を拾い上げてかぶり直した俺は、リーフの手を引いて元来た道を駆け出した。とにかくリーフがこの文書を声に出して読ませるだけの時間を何としても稼がねばならない。


「待てぇ!」


 クリシスの声が響き、足元が割れる。何本もの根が襲い掛かるが、逆に出現する前には必ず床にひびが入るので、どこから伸びてくるのかすぐに分かる。俺は自慢の両手剣を振り回して迫り来る根を断ち切った。


 そして狭い通路に潜り込むと、ついに奴の視界から離れた。今まで向かってきた根もピタリと止む。


「リーフ、原初教典を読んでくれ!」


 走りながら俺が言うと、リーフは「ああ」と言って両手に石版を持って眺めた。文字なのか絵なのか、見たことも無ければ規則性すら感じられない不思議な盤面だった。それでもリーフはじっとそれを見ると、ぽつぽつとどこの国のものとも知らぬ言葉を発し始めたのだった。


 このまま終わるのか、そう、このまま。駆け足を続けながらもそんな風に感慨に耽っていると。突如後方の天井が崩れ始めた。


 ガラガラと音を響かせながら石材が連鎖的に崩れ、その崩壊はどんどん追いかけるように俺たちに迫る。


「まずい、急げ!」


 俺はリーフの手を掴みさらに足を速めた。リーフも必死の形相でなんとかついてきているが、それでも文書の音読をやめることは無かった。


 なんとか大広間までたどり着くが、そこも既に危ない。天井の一部が崩れ、大量の砂がざあざあと降り注いで床に積もっている。


 ここで利口にも俺たちの帰りを待っていたアコーン。状況を察しているようで、俺たちが跨りやすいように座り込んで背中をこちらに向けている。


「ありがとうよ、急いでくれ!」


 俺とリーフはアコーンに飛び乗った。すぐさま立ち上がったアコーンは自慢の脚力をフルに活用し猛烈な加速で大広間を駆け抜けたのだった。

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