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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第一部 救済の神託
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第二章 豪商の都サルマ その3

評価ポイントを入れてくださった方、ありがとうございました!

なろうでポイントを入れられたのは初めてで、とても嬉しいです。

これからも精進して投稿を続けて参りますので、応援よろしくお願いします。

 花嫁が通り過ぎその姿がすっかり見えなくなると、大通りを塞いでいた兵士たちも花嫁を追いかけるように次々と持ち場を離れていく。これからまだ宮殿で別の仕事が待っているのだろう。そこでは今、国賓たちがセリム商会の後援で宴を心待ちにしているはずだ。


 集まった民衆も各々の目的地へと散り、大通りには露店商とそれに群がる人々が行き交う祭りの一風景に戻る。これで俺たちも自由に動けるようになった。


 昨夜話したように、俺とリーフはこの町のゾア神教の信者に会いに行くことにした。


 アラミア教を国教とするこの国では大きな聖堂を構えることはできない。あるとすれば目立たない裏通りに看板も出さず、仲間同士が密かに集まる秘密結社のような施設のはずだ。


 俺たちは宿の主人からゾア神教の活動について尋ねた。ゾア神教と聞いた途端に耳元が少しだけぴくっと動いたが、主人はにこやかな表情のままいくつかのことを教えてくれた。


 曰く、街の中心に位置するモスクにほど近い貧民街にゾア神教の信者が出入りしているということ。また、地元の人間でも施しを目当てにゾア神教に入り浸っていること。


「モスクの近くにも広場があるはずだ。きっと色んな店が出てるし、見世物屋だって来てるぞ」


 軽い足取りで人々をかわしながらリーフが俺の少し前を歩く。


「おいおい、目的はゾア神教の信者に会うことだろ、そういうのは用事が終わってから存分に楽しんでくれ。それにこれから行く所はあまり楽しい場所じゃあない」


 貧民街の治安の悪さについては宿の主人から聞いていた。商売を国策とし、資本が物を言うタルメゼ帝国において、その道を踏み外した者が身を寄せ合って暮らすのがこの町の貧民街だ。乞食やゴロツキが闊歩し、軒先に立つ女はほぼすべて娼婦だ。サルマの人間が好んで行くようなことは無い。リーフを連れて行くなら絶対に傍を離れないようにと強く念押しされた。


 モスク前の広場はこのサルマで最も広く、宿正面の大通りの何倍もの人々が集まり、祭りを満喫していた。


 ラピスラズリの顔料をふんだんに用いたタイルで彩られた巨大なモスクはロクム村のものより数段大きく、砂漠の真ん中に海の青色を持ってきたように神秘的だった。


 荘厳なモスクと広場に集う人々の活気は、この国が斜陽の帝国とはとても思えない熱気を漂わせていた。尤も、この狂乱自体が蝋燭が尽きる前にひときわ大きな炎を出すような、人々の最後の足掻きなのかもしれないが。


 目移りしているリーフを引っ張るようにして連れながら、広場から伸びる道に足を踏み入れる。

 住居だろうか、古ぼけた建物に囲まれた狭い通りは薄暗く、広場の人々にはこの場所が目に入らないのかと疑うほど人影は無い。


 道の端にはいつから放置されているのか、腐食した樽や穴の開いた木箱が無造作に積まれている。華やかなモスク前広場とはまったく異質の空間がここから先にあることはすぐにわかった。


「リーフ、絶対に俺の傍を離れるな」


 暑いはずなのに、奇妙な冷感も漂っていた。その空気を感じ取ったのだろう、リーフはこくんと頷くと、俺の外套に身を寄せた。


 細い道の両側には汚れて表面の崩れた土煉瓦の建物が隙間なく並んでいる。たまに人ひとりがようやく通れるほどの狭い通路が開けていると思えば、そこにはどこかで拾ってきたのかぼろ布をかぶった爺さんが地面に寝転がっていた。


 予想通り、表通りとは真逆の陰鬱とした世界だった。


 ただ、宿の主人の言っていたように、ゴロツキと娼婦が待ち受けいつ襲われてもおかしくないといった雰囲気は無い。そもそもそういった連中はおろか、人気そのものが無いのだ。祭りで出払っているにしても、この静けさには違和感がある。


「誰かに道を訊きたいのに、これじゃ無理だな」


 俺はため息を吐いた。その時、リーフは俺の袖をちょいちょいと引っ張った。


「オーカス、これ見てみろ」


 慌てた様子でリーフが建物の壁を指差す。そこは今まで歩いてきた道と同じく、汚く汚れ表面が所々えぐれ落ちた煉瓦の壁が広がっていた。


 だが不思議なことに、その壁には固まった泥が塗りつけられ、ひとつの模様を形成していた。それはまさしく太陽の紋章だった。大人の男の背丈ほどの大きさで、ゾア神教のシンボルである太陽の紋章がでかでかと描かれていたのだ。


「な、何だってこんな所に!」


 いくらタルメゼ帝国とはいえ、アラミア教国でこのようにゾア神教を喧伝しては官憲のお咎めを食らうはず。それ以前に住人が拒否反応を示すだろう。


 きっとこれは貧民街の住人の誰かが、信仰心を表すために描きだしたものだ。顔料を買う金も無いために代わりに泥を使ったに違いない。


 セリム商会の商人が話していたように、貧民を中心にゾア神教が広がりつつあるのは事実のようだ。そして彼らはゾア神教の僧に施しとして金銭や食糧を貰っているのも疑いは無い。だからこそゴロツキや娼婦が消え、この貧民街の治安も以前より良くなったのだ。


「あんたたち、こんなとこで何してるんだい?」


 後ろの建物の入り口にかかっていたぼろ布を払いのけて、中から女が顔を出した。乳児を抱えた母親で、みすぼらしい格好でやせ細ってはいたが血色は悪くなかった。


 そして驚いたことに、この女は頭に布を被っていなかった。貧民とはいえ、アラミア教の信者なら人前、特に見知らぬ男の前なら恥ずかしがって頭を隠すのが当然のはずだが。


 女は俺たちの靴の先から頭のてっぺんまでじろじろと目を運ぶと、疑り深い目で尋ねた。


「うん、あんたたちここの人間じゃないようだね。ゾア神教の関係者かい?」


 女の口からゾア神教という言葉が飛び出し、俺の心臓は高く鳴った。


「まあ、そういったところだ。あんた、ゾア神教の僧侶を知らないかい?」


「ああ、司教様なら今日は出払ってるよ。それだけじゃない、信者もみんな司教様について広場に行っちまったさ。あたしゃこの子の世話があるから家に残ってるんだけどね」


「広場に? なぜ?」


「さあ。よくは知らないけど、何か重要な発表があるみたいでさ。正午にモスク前まで国の偉いさんが来るんだってさ」


 正午と言えば礼拝で一番人の集まる時間だ。一人でも多くに知らせたいと、国民に向けてよほど伝えたい何事かが控えているのだろう。


 俺とリーフは女に礼を言うと今来た道を引き返し、モスク前の広場まで戻った。相も変わらず露店が並び人でごった返している。


 しかしよく目を凝らしてみると、モスク脇の日陰にこの華やかな場には明らかに似つかわしくない連中が集まっているのが見えた。


 着飾った人々とはまるで違い、長年洗濯すらろくにされていない襤褸ぼろを羽織り、陽に炙られて焼けるように熱い石畳の上でも裸足のまま。そんな男たちが何十人も身を寄せ合って、モスクの壁に座り込んでいたのだった。


 ちょうどその前を汚れひとつない白のローブを着た男が通りかかり、その汚れた連中の前で立ち止まると財布を取り出した。哀れな乞食だと思ったのだろう。


 ローブの男は財布から硬貨を取り出し、それを見た集団の一人が手を伸ばして受け取ろうとすると、その横に座っていた別の男が伸ばした腕をつかんで引っ込ませてしまった。そして一言何か怒鳴ると、金を渡そうとした男は逃げるように去っていった。


 ただの乞食なら喜んで金を受け取っただろうに。


 俺はリーフの一歩前を歩き、男たちに近付いた。


 人混みの中をズンズンと向かってくる大男には流石の男たちも気付いたようで、皆こちらをギョロッと飛び出しそうな目を向けて睨みつける。


「なああんたたち、こんな所で何してるんだい?」


 俺はわざと陽気に話しかけた。


「変な格好だな。異国の者か?」


 栄養不足なのか、黒ずんだの肌の男が返した。どことなく拒絶しているような、喧嘩腰の話し方だ。


「ああ、西の国から来た商人だ」


「西、てことはあんたゾア神教の信徒か!?」


 男のひとりが言うと、周りの男たちも「おおっ」と湧き立った。


「まあそうだな。もしかしてあんたたちも?」


「そうさ、俺たちもゾア神教の信者、あんたの兄弟さ」


 黒ずんだ肌の男が手を伸ばし握手を求める。俺はやせ細って骨の浮かび上がったその手を握った。風が吹けば脆く折れてしまいそうな細い指だが、驚くほど強い力で握り返された。


「これはなんという奇跡、きっとゾア神の思し召しだ」


 男たちは立ち上がり、俺に次々と握手を求める。俺は僧侶ではないのだが、彼らにしてみたら西の国のゾア神教の信者というだけで同じらしい。


 いつの間にかどさくさに紛れてリーフも男たちと握手をしていた。無邪気な様子で、嫌がっているようには見えなかったが俺は「おい、そのへんにしておけ」と耳打ちした。


「この国では国民は皆アラミア教の信者だと思っていたが、みんなは違うんだな」


「昔は俺たちもそうだった。だが、今は違う。ゾア神教は俺たちでも人間として救いの手を差し伸べてくれたのだ」


 男のひとりが拳を握りしめ、強く言った。周りの者たちは静まり返り、男の声に耳を傾けた。


「アラミア教は絶対的な戒律で身分を定め、僧と王侯貴族、そして平民に奴隷と人間を区別した。平民でも金がある者は違う、王侯貴族と同じ扱いを受ける。だが、金も身分も無い俺たちはどうだ? 日銭を稼ぐために汗を流している間にも、奴らが座って手紙を一通書けばそれだけで俺たち数百人分の金を稼いでいる。俺たちは毎日のパンにも飢えるのに、奴らは肉と葡萄酒を貪っている。俺の息子が病で苦しんでいる時には、奴らの息子は絹の服を着て、何十とそろえた陶製の人形で遊んでいる。同じ人間なのになぜここまで差があるのか? アラミアの神はなぜこのような差を世に生み出したのか?」


 語気が強くなり、周りの男たちも「そうだ、そうだ!」と声をそろえる。見れば涙ぐんでいる者もいた。


 こんなモスクの前で何てことを言うか。アラミアの神を冒涜していると捉えられても反論できない。


 俺は慌てて周囲を振り向くと、すっかり俺たちの周りだけ人がいなくなっていた。道行く人々はこの集団の異様な雰囲気を感じ取り、離れてしまったようだ。


 どうやら誰も聞いていなかったようだ。俺はほっと胸を撫で下ろした。


「俺たちはただ人間らしく生きたかっただけだ。明日の心配もしないで安心して生きたい。そんな時、俺たちは司教様と出会った」


 男は目を瞑った。そして頬を一筋の涙が伝った。


「司教様はパスタリア国から来たゾア神教の僧侶だ。司教様以外にも多くの僧が訪れ、俺たちと同じボロ家を住まいとした。司教様たちは俺たちに金や食糧を恵み、同時に様々なことを教えてくれた。この帝国は既に滅びかけていること、それなのにアラミアの高僧や王侯貴族は贅沢三昧していること。そしてゾア神教では人間は皆等しく、同等に扱われること。アラミア教はこの国を支配するための道具だ、真の信仰はゾア神教にある!」


 言い終えると同時に、男たちは歓声を上げた。そこには人間らしさに目覚めたばかりの、真っ直ぐなまでの熱狂があった。


 なるほど虐げられた身分の者からすればゾア神教の教えは魅力的に映っただろう。そこに金と食料まで与えられたのだから、とびつかないわけが無い。


 だがお前たち、何か勘違いしていないか?


 ゾア神教では確かに人は等しいと説かれるが、実際上と下ではアラミア教社会以上に大きな隔たりが存在している。さもなくば、俺がこんな卑しい商人になっているはずが無いのに。




「そろそろ始まるぞ」


 太陽がちょうど頭の上まで昇ろうとしている。時は正午、礼拝の時間まであと少しだ。


 結局当初の目的であるリーフを知るような僧侶とは会うことができず、俺たちはゾア神教に改めた貧民たちと別れてそこらの露店で時間を潰していた。


 だが正午が近付くにつれてモスク前広場にはさらに人が集まり、ついにはまっすぐ歩いていられないほどの混雑ぶりとなった。どうやらモスク前に兵士が立っていて、中に入れないようだ。


 俺とリーフは人混みに紛れ、モスクの入り口近くに突っ立っていた。女の話によればもうそろそろ国の偉いさんが何か重大なことを話すらしい。


 タルメゼ国民でもない俺には一見関係無い内容かもしれないが、商売に影響がでる話かもしれない。もしかしたら儲け話につながるかもと思い、俺は聴衆に混じることにした。


 しばらく待つと、モスクの奥から真っ白のターバンを巻き、真っ赤な衣服を着た背の高い男がつかつかと歩いて出てきた。その男の足元では兵士が金細工で装飾された台を用意し、男はその上に乗った。


 一瞬で辺りは静まり返った。この男が何者かは分からないが、帝国の高官であることは誰もが勘付いていた。


「諸君、今日はよくこの場に集まってくれた。私はタルメゼ帝国護民官フェドラだ」


 護民官……皇帝の血族を除いては最も高くまで上り詰めた人物の一人だ。偉いさんと聞いたのでどれほどの者かと思えば、想像以上の大物だった。


「諸君も知っての通り、この国は今日新たな姫君を迎え入れた。パスタリア王国という遠くの地から、この砂と太陽の国タルメゼまで遥かなる旅を経て我らが未来の母君となる花嫁が来訪されたのだ。今日は帝国にとって歴史的な一日となるだろう。同時に、我々は今大きな決断を迫られている。この帝国の名をを世界に再び轟かせるためには、既存の国家のあり方を捨て、新たな国に生まれ変わらなければならない」


 群集がどよめいた。新たな国に生まれ変わるとは、どういうことなのか?


 兵士が「静まれ!」と叫ぶと、民はすぐに口をつぐみその目を壇上の護民官に向けた。誰も彼もが一字一句聞き逃すまいとしていた。


 護民官の息は上がっていた。呼吸が乱れ、汗が噴き出している。


「この国にはびこる不均衡の原因は皆身近であるゆえに気付かない。それは皆の生活に溶け込み、そして知らず知らずの内に搾取している。我々はその原因を取り除き、この国の在り方を根底から変えると意志を固めた。いいか、今日より、タルメゼ帝国は……アラミア教の国教としての認可を解く!」

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