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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第一部 救済の神託
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第一章 砂漠の交易路 その1(挿絵あり)

 喉の奥がザラザラする。いつの間にか砂埃が溜まっていたようだ。


 所々に硬葉樹が頭を出している以外、四方八方どこもかしこも白肌の岩山。空は呆れ返るほどの青一色。


 日中ずっと歩き続けているこの一週間、飽きるほど見続けてきた光景だ。それでもあと三日は、この変わり映えの無い空間を進み続けねばならない。


 太陽に炙られて無駄に体力を使いたくはない。俺は帽子を深く被り直し、ざらついた口に唾を溜めてごくっと飲み込んだ。


 俺以外には誰一人見当たらないこの広大な大地だが、かつては西から東から何千何万もの商人が行き交っていたのだろう。足元の土はガチガチに固められて、風化しかけだが轍の跡も残っている。


 五年前、俺は馬に乗って東へと旅立ったが、その時もこれと同じような状況だった。一人で意地悪な太陽の下をせこせこと歩いてきたのをよく覚えている。変わったのは俺の年齢と荷物と、馬がラクダになっただけ。


「この調子なら日没までに宿に着くな。頼んだぜ、相棒」


 ラクダの背中に跨った俺は、その長い首筋を優しく撫でてやった。ヒトコブラクダのアコーンは一瞬じろりとこちらを睨んだが、すぐに視線を地平線のはるか先まで戻した。


 その後もいくつもの岩山を迂回して、俺とアコーンは荒野を進む。


 途中、巨大な岩山の側面がえぐれて都合よく日光を遮ってくれている場所が目に入る。これはちょうど良いと、少し休むことにした。


 アコーンをしゃがませて地面に降り立つと、このラクダは俺の意図を理解したようで、自分からのそのそと日陰に入っていった。


「おいおい、主より先に休むラクダがいるかよ」


 すっかりしゃがみ込んでいるアコーンに続き、俺も灼熱から逃れる。


 ここの空気が乾燥しているので日陰に入るとかなり涼しい。去年まで滞在していたはるか東方の国では、暑い上に雨が多く空気もじめじめしてて、最悪だったのに比べると断然マシだ。


 水場があればアコーンの水分補給もできるのだが、ここは砂漠のど真ん中、日陰があるだけありがたい。それにラクダは一週間くらいなら水を一滴も飲まなくても問題なく砂漠を渡れる。


 革製の水筒を取り出してぐっと喉に流し込む。乾燥と砂で痛みかけていた喉が一瞬で潤う。この砂漠の熱はただの水も極上の甘露に変えてくれる。


 恵みの水を楽しんだ後、俺は地面に寝そべった。ずっとアコーンの背中に揺られてきたので、腰と背中ががちがちに固まっている。


「ふあー、なんだか眠くなってきたな……」


 一週間歩き続けたせいで疲れ切っていたためか、はたまた予定通りに進んでいる安心感からか、突如どっと眠気が押し寄せてきたのだった。


 まあ、日没まではまだ時間あるし、少しくらいなら。あ、でもこの砂漠は野盗が出没するんだっけな。まずい、ここで無防備になっちゃ、せっかく貯めた金と商品が全部持ってかれる。でも、ああ、瞼が重い……。


 襲い来る睡魔には勝てない。アコーンも地面に頭を落としたままピクリとも動かない。


 まあ、少しくらいならいいか。少しくらいなら……。



挿絵(By みてみん)



 まどろみの中、肌寒い風を肌に感じた俺は、寝返りを打って寒さから身を守った。右手が大きく振るわれ、地面に叩き付けられる。そうなるはずだった。


 空を切った俺の右手がぶつかったのは柔らかく温かい、不思議な感触。


 はて、何にぶつかったのだろう? アコーンは反対側で寝ていたはずだし、そもそもあいつは剛毛でこんなに柔らかくはない。こんなもの持ってたかな?


 ゆっくりと眼を開くと、辺りはすっかり夜の闇に包まれていた。


 しまった、寝過ごした!


 俺は上半身を起こした。同時に、昼間とは打って変わって冷たい空気が首筋を通り過ぎ、思わず身震いした。


 さすが雲一つない砂漠の夜空。黒い布の上に散りばめたダイヤモンドのように、満点の星々が輝いている。


 その空から降り注ぐ微かな光が俺の手元を照らす。そこに浮かび上がったのは細くてか弱い人影。人間の若い女が、俺の横ですうすうと寝息を立てていたのだった。


 当然、心底驚いた。何故こんな砂漠の俺の横で、女が寝ているのか。


 ちょうど東の空から満月の光が強く差し込んでいたために、女の顔も照らし出されている。暗いのでよくは分からないが、鮮やかな黄緑色のシャツを着て白いズボンを履いていた。髪は短い金髪で、肌はかなり白い。


 唖然と女の姿を見ていた俺だが、ようやく重要なことに気付いた。


 寝返りを打ったせいで、俺の手が女の胸の上に置かれていたのだった。


 なるほど、さっきの感触はこれだったのか。冷静にふんふんと頷いてみるが、改めて考えてみるとこの状況、かなりまずいのでは?


 女もすうすうと寝息を立てているし、いつ起きるかはわからない。もうしばらくこのまま置いておきたいのが人情だが、そうすると俺は人としてダメになるような気もした。


 名残惜しいが俺はさっさと手を離し、静かに起き上がる。


 さて今から急いだとしても、この時間じゃ隊商宿にも入れない。盗賊の出入りを防ぐために、日没と同時に門を固く閉ざしてしまうからだ。


 この辺りは都にも近く、野盗のアジトがそこら中にあると言われている。人通りの少ない夜は恰好の狩りの時間で、一人で街道を歩こうものならたちまち連中の餌食になって身ぐるみはがされ殺されるのがオチだ。


 こんな危険な場所なのに、なぜ女が?


 俺は顎に手を当てて考え込んだ。この不自然すぎる状況に、何かしら自分を納得させるだけの理由を導き出したかったのだが、何も思い浮かばなかった。


 いや、信じたくはないが、一番あり得るとしたらこの女自身が野盗の一員で、俺を騙して近付いて油断させたところに仲間が押し掛けて襲う算段ではないのか?


 でもそれならば俺が寝ているところをナイフでさっさと一刺しにでもすればもっと簡単に済む。なぜ、女が横で寝ている必要がある?


 思いつく限りあらゆるパターンを想定したが、俺の想像力では結論を得るには至らなかった。とにかく、砂漠の真ん中で起きたら女が寝ていた。その瞭然たる事実だけが存在していた。


 はてさて、どうしたものか。西方東方問わず、旅人は道中で困っている者に出会った場合、互いに助け合うのが共通認識だ。


 俺も何度も病気で動けなくなった旅商人や馬が死んで馬車を運べなくなった旅芸人などと出会い、助けてきた。7年前、野宿をしている間に何者かに食糧を盗まれたときには、翌日出会った兵士がパンと水を分けてくれたこともある。


 このような旅人の間で自然発生的に生まれた助け合いの精神は、長い旅の中で実に役立つ。いつか自分が動けなくなる時にも、誰かが助けてくれるかもしれないと希望が持てる。


 だが俺の身分は商人。神の教えに背く下賤の民だ。


 商売に手を染めたその時から、死後の地獄行きは決定している。今更善行を積んだところで何か見返りがあるわけではない。旅の最中に行き倒れになっている死体を目にすることも珍しくはない。


 俺以外見ている者もいないし、俺にはこの娘を助けられなかったと無視してこの場を離れたとしても、誰に責められることも無かろう。


 だが、こうも俺のすぐ側で眠っているというシチュエーションはあまりに予想を超えている。しかも女が一人だけというのが、俺の心をより強く引っ張る。


 このままにしておくのは、死後の地獄云々よりも何か、もっと俺の本質の根本的な良心を汚してしまいそうな気がする。


「偉大なる全能にして唯一神ゾアよ。私に幸運を与えてください」


 俺はいつの間にやら小さく祈っていた。どうやら冷めた思考の割りに、お人よしな選択をしてしまったようだ。俺はアコーンに括り付けている荷物から毛布を取り出した。

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