本章 一 選んだ道 【追手】2
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陳は割とすぐに見つけた女をどう切り刻もうか考えていた。
女が此方に気づいている様子はない。
そして女に武器はない。女が持っていた黒刀は自分が持っている。
周囲に落ちているのは木の枝、木の葉に砂ぐらいか
どれも武器にはならないだろう。
砂で目くらましされたとてこの陳にそんなものは効きはしない。
陳は糸のような目をさらに細め、ひとつ舌舐めずりをすると
中国特有の独特な形状をした剣で一気に女の喉元へと飛びかかった。
ズシャッ
肉を断つ生々しい音とともに鮮血が宙を舞う。
それはまるで深紅の色をした花弁の様に鮮やかに華やかに。
陳は笑っていた、口が裂けて見えるほど、
それは不気味で女を不快にさせた。
地面に倒れ伏したのは陳だった。
血液をその首から流し地面へ吸わせてゆく。
彼の体はすぐさま冷たくなってゆく。
「ヒュ-、木の枝…ヒュー、アルか。
化け物ヒュー、アルな、女ァ!」
女は陳の血で全身を濡らし眉をひそめて黙っていた。
陳は大きな血管の集まる首を木の枝を束ねただけの
棒のような物で刺し貫かれていた。
そのせいか、棒が抜かれ穴の空いた首からヒュ-ヒュ-と
空気の抜ける音が嫌に五月蝿く聞こえた。
「望んで、こうなったわけじゃない。」
剣を抜き、飛びかかってきた陳に対し女は
ほとんど条件反射で陳を刺し貫ぬいていたのだった。
「ククッ、ヒュー、うるさいアル、ヒュー
この…人、殺し…………。」
人殺し、の言葉を最後にぴくりとも動かなくなった陳。
絶命したのであろう、しかし顔には不気味な笑みが残ったまま。
彼も人のことは言えないほどたくさんの命を奪ってきた男であった。
命を奪うことを快感だと思ってしまうほどに歪んだ彼は
下っ端と称される男たちとは比較にもならないほど強かった。
この国の幹部であった彼は
きっとこうも簡単に死ぬような男ではなかったのに
なぜ、死んだのか。
それは、至極簡単なこと。
日本人であるこの女が圧倒的に強かったからである。
しかし死に際に陳はそんな女に贈り物をしたのだ。
言葉のナイフを心に突き刺して、罪悪感という呪いを。
「化け物、に…人殺し、か。」
中国人の男を二十一人と幹部である男を一人瞬殺した女は
その行動には反する、大きな悲しさを滲ませた顔をしていた。
血だまりに浸かった自身の持ち物である黒刀を拾う。
「早く…契約者たちを探そう。そしてすぐにこの国を出よう。
…心が折れてしまう前に。」
鍛えられた日本人である女の心がこれぐらいで折れるわけはなかった。
しかし何も感じないわけではない。
人を殺す、という行為。
それは己の国では大きな罪だった。
幸せだった自分には一生無縁であるはずだった。
命を己の手で奪うことがこんなにも恐ろしく辛いのに
殺さなければ殺されるか殺すための道具となる。
きっと今、自分は地獄にいるのだと、そう女は思った。
女は歩き出す、囚われた仲間を救い出すため。
そして女は広大な土地を有する中国の、とある街に辿り着くのであった。
―――
「陳、お前、死んだアルか。」
陳の双子の片割れ、梁は血の海に沈んでいる兄弟を見つめる。
「…。」
既に絶命している陳には答えることなどできはしない
しかしこの光景が答えを示していた。
「陳、お前も馬鹿アルな。」
そう言って、梁は兄弟の死に静かに泣いた。
戦闘狂、人殺し、それでも我が半身だった。
同じく人殺しである自分も受け入れてくれた家族だった。
こんなに簡単に失ってしまえる命ではなかった。
いや、己は悪だ。
人を使い人を殺し戦争を企む悪だ。
たかが女ひとりになど負けることはない。
兄弟の死に心を揺らしてはいけない。
はやく、女を捕まえなければ。
いや、殺すべきだろうか。
兄弟の亡骸をそのままに歩き出す梁の瞳には
暗い光が宿っていた。




