第96話 戦場の女神達
2023年12月9日pm5:10 第6砲兵連隊 砲撃陣地 (イワン・フェドロフ大佐視点)
「撃てぇ!」
号令と共に、D-20榴弾砲が一斉に火を噴いた。目標は地平線の向こう、数十キロも離れた敵陣地だから弾着の様子は確認できない。
それでも152mmもの巨大な砲弾を、惜しげもなく使った砲撃戦は敵に大きな損害を与えるであろうことは、容易に想像できた。
「弾着5秒前。3……2……1……いまっ!」
指揮所に詰める砲兵将校の大尉が、バインダーと懐中時計を片手に報告する。周囲に比べて僅かばかり高い丘の上にありながら、偽装網を使って航空機から隠匿を図った指揮所からは砲陣地が一望できる。
どの中隊も既に次弾の装填作業を完了しつつある。後は前進観測を担っている第2偵察隊の報告を待つのみだ。
「第2偵察隊より連絡。先程の砲撃、全弾近。修正射の要あり」
「畜生めっ! これで何回目の修正射だ!」
苛立ちに任せて机を蹴りつけた。固い軍靴は足を痛みから守ってくれたが、悪化し続ける指揮所の空気までは守り切れなかったらしい。誰も彼もが俯いて俺と視線を合わせようとしない。
勇ましい砲声とは裏腹に、連隊指揮所は重苦しい空気が支配していた。
「……7回目です」
「7回も撃って命中弾が得られないとはどういうことだ! 本当に修正諸元通りに撃っているんだろうな?」
「間違いありません。恐らく、第2偵察隊側の観測に問題があるものと思われますが……」
「そんなことはどうでもいい! 次こそは必ず命中させろ。これ以上恥をさらすことは許さん」
第6師団は月の使者たちとの戦闘により、その戦力を大幅に減らしている。それはこの第6砲兵連隊も同様で、旧式の牽引式榴弾砲などが主力となっている装備品はもとより、将校を始めとする深刻な人材難の影響をもろに受けている。
この命中精度の悪さは、どう考えても前進観測に従事している偵察隊だけの責任ではあるまい。観測を受けながら、このざまでは陸軍全体からの笑いものだ。これ以上、ハズレ弾を量産していては俺の評価にも関わる。
「連隊長、意見具申よろしいでしょうか?」
意を決したかのように一歩前に出たのは、意外にも少尉の階級章を付けた若造だった。おおかた、士官学校を卒業する前に任官された手合いだろう。
「何だ、次こそ砲弾を命中させる方法でもあるのか?」
「いえ、砲撃開始から時間が経っておりますので、そろそろ陣地変換を行うべきかと考えます」
砲兵の戦闘ではある程度、射撃をしたのなら陣地を引き払って移動するのが常だ。これは絶えず移動することで敵に我の陣地を悟らせないようにする為の措置だ。その意味では少尉の言うことは正論だ。
だが、第6砲兵連隊の置かれた状況下ではそれは極めて難しい。陣地変換にはある程度の訓練が必要だ。一斉に移動しようとすれば前線に投射できる火力が途絶えるし、野砲を牽引した車両による交通渋滞も発生する。
そもそも敵歩兵の追撃命令を受けて、大慌てで部隊を展開したがために予備陣地の確保すらできていないのだ。陣地変換のしようもなかった。
「良いか少尉。学校でどの様に習ったのかは知らないが、現場で求められるもは臨機応変な判断だ。敵部隊に砲兵の存在は確認できていない以上、陣地変換は必要ない」
「しかし、敵部隊には高射砲兵の他に戦車までいるとの情報が入っております。野戦砲兵がいても不思議はありませんが……」
「貴様、士官学校すら満足に卒業していないくせに指揮官の俺に説教を垂れるのか?」
「いえ、その様なつもりは」
睨まれた少尉の顔色が、みるみる内に悪くなっていく。新米士官に過ぎない彼は、連隊長の俺に睨まれたらやっていけない。
「だったら、そのやかましい口を閉じてろ! 不愉快だ」
「申し訳ございません」
少尉はそれ以上、何も言わずに下がった。ガキのくせに調子に乗るからだ。現場のことなど何も知らないくせに、出しゃばってくる奴ほど気に食わないものは無い。
「修正諸元、伝達完了しました。各中隊、射撃用意よし」
大尉が淡々とした声音で告げる。俺と少尉のやり取りは聞かなかったことにしたらしい。賢明な判断だ。
「よろしい。砲撃せよ」
「撃てぇ!」
大尉の射撃号令は、野戦電話の有線を通じて各射撃中隊の砲撃陣地に伝達。命令を受領した中隊の野砲が一斉に火を噴いた。
砲撃の爆音は腹に響くような衝撃波となって連隊指揮所の面々を叩きつけ、拡散した硝煙は風に乗って強烈な火薬の臭いを送り届ける。射撃陣地よりも高所に陣取ったのだが、これらの影響からは逃れることができないらしい。
硝煙を吸い込んだのか若い士官がむせ込んだのを尻目に、俺の意識は懐中時計を片手に計算を続ける砲兵将校に向けられていた。
「初弾、弾着15秒前」
「次こそ当てろよ」
俺の呟きは、砲声の余韻によってかき消されて誰の耳にも入らない。それでも同じことを考えている人間は俺一人だけではないと確信できた。
「弾着5秒前、4……3……2……1……いまっ!」
当たり前だが、弾着の閃光も着弾音も聞こえない。遥か彼方を狙った砲撃の結果をひたすら待つ。
……だが、待てど暮らせど無線が鳴ることは無かった。
「おい、報告が遅くないか?」
怪訝な表情を浮かべていたのは俺だけではない。指揮所に詰める者は皆そろって不安げな表情を浮かべていた。
「確認します」
砲兵将校が無線に駆け寄り、周波数を確認して連絡を取ろうと試み始めた。彼を目で追った時、事態は大きく動いた。
先程の砲撃とは比べ物にならない規模の衝撃波が、指揮所に詰める兵士達をなぎ倒した。次いで腹に響くような爆音が響き渡る。
射撃陣地よりも高地にありながら、砲兵隊の斉射を上回る衝撃波を受けるなどただ事ではない。真っ先に思い浮かんだのは、榴弾砲の弾薬を積み上げた即応弾の誘爆事故だった。
信管が活性化したままの砲弾に強い衝撃を加えれば、当然のように爆発するので慎重な取扱が求められるのだが、なにぶん我が連隊を構成する人員は満足に訓練を受けていない素人同然の集まりである。事故が起こる可能性は非常に高かった。
「状況を報告しろ!」
俺の怒鳴り声を受けてか、何人かの将校と兵士達が立ち上がり砲兵隊の射撃陣地を確認する。
「第3中隊、射撃陣地付近で火災」
「負傷者発生。現在集計中」
射撃陣地付近ということはやはり事故か。砲弾が命中しないだけではなく、誘爆事故まで起こしてしまうとは……砲兵指揮官としての俺のキャリアはもうお終いだ。
俄かに慌ただしくなった指揮所の中で、俺は一人呆然と佇むことしかできない。風切り音が聞こえたのはそんな時だった。
衝撃波、次いで爆音。今度はこれらが数秒間隔で陣地のあちこちで巻き起こった。ここまでくれば最早疑いようがない。
「事故じゃない。敵の砲撃を受けてるぞ!」
指揮所は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。これは初めて第6砲兵連隊が敵と交戦していることを認識した瞬間だった。
「連隊長、指示を」
「ただちに対砲迫射撃を開始せよ。投入できる火砲は全て使え。敵の砲兵隊は最優先で潰す必要がある」
砲兵にとって最大の敵はやはり砲兵だ。捕捉したならばこれを真っ先に叩くことで、我の火力優勢を確保する必要がある。
「しかし、音響標定は練度不足で精度が保証できません。友軍の弾着観測が無い中では、命中は期待できないかと」
「泣き言はいい。こっちが砲兵隊を狙っていることを敵が察知すれば陣地変換を強要できる。命中はハナから期待していない」
「了解しました。各中隊に射撃命令を発令します」
各中隊の射撃陣地へと続く有線電話へと走る少尉と入れ違うように、無線に張り付いていた大尉が駆け足で向かってきた。
「連隊長、前進観測に当たっていた第2偵察隊との通信が途絶しました。先方の通信設備に何らかの問題が発生したようです」
このタイミングでの通信異常だ。ただの故障という訳ではあるまい。第2偵察隊も俺達と同じように攻撃を受けていると考えるべきだった。
「この状況下では、こちらかの救援は困難だ。今は対砲兵戦に全力を注ぐほかない」
第2偵察隊の状況は分からないが、我の戦車大隊が前進を再開すれば救援が可能な位置に展開しているはずだ。彼らの救援は我々の仕事ではない。
「敵機視認。11時方向、距離700に回転翼機。機数1」
大尉からの報告は途中で打ち切らざるを得なくなった。敵砲兵に次ぐ新たな敵の登場に、俺は半ばパニックに陥りかけていた。
「敵機だとぉ!」
警戒に当たっていた兵士を押しのけ、砲兵将校に支給される官給品の双眼鏡を空に向ける。
その方角には確かに敵がいた。我が軍のハインド攻撃ヘリと比べると、細身な機影のヘリが一機のみ。林の木々の少し上をホバリングしていたが、緑を基調とした迷彩柄と日が落ちたことによる暗闇のせいで発見が遅れたのかもしれない。砲兵部隊には対空レーダーが配備されていなかったことも、発見を遅らせた原因の一つだ。
この段階になっても攻撃してこないことから、ハインドとは違い攻撃を主眼としたヘリではないようだ。恐らくは、砲兵の弾着観測を支援する為の機体なのだろう。
「対空戦闘だ! 高射砲兵の機関砲で叩き落せ」
命令を受けた兵士が、大慌てで高射砲兵部隊への直通電話に向けて走り出す。航空攻撃への対策として我が連隊には牽引式の対空機関砲が6機ほど配属されていた。他にも少数ながら重機関銃も配置しているが、対空戦闘の主力はこれらの機関砲になるだろう。
それにしても、前線から離れたこんな奥地にまで敵航空機の進出を許すとは。空軍はいったい何をしているのだ。月の使者達との戦闘では陸軍ほどの損害は受けていないだろうに。
双眼鏡ごしに覗いていた敵ヘリが、不意に機動を開始した。直後に我が陣地から数本の火線が、敵機に向かって伸び始める。曳光弾交じりの機関砲による弾幕射撃だ。
これに対し、敵機はヘリとしては信じられない高機動で回避運動を取って対抗した。
「信じられない。何て動きを……」
隣で対空戦闘の推移を見守っていた、大尉が思わずと言ったように呟くのが聞こえた。鈍重な我が軍のハインドでは絶対に取れないような高機動に、対空機関砲が翻弄される。
それに合わせてチャフなどの妨害装置も使われたようで、機関砲弾もなかなか収束しない。遂に敵機は弾幕を振り切って、低空へと消えていった。
「逃したか」
悔しいが敵の弾着観測射撃を封じることには成功したのだ。今はそれで良しとしよう。これで航空機の脅威は去ったのだ。
高射砲兵と連絡を取っていた兵士が血相を変えて指揮所に舞い戻ってきたのは、それから僅かに数分後だった。
「報告します。全ての対空陣地との連絡が途絶。攻撃を受けたものと思われます」
「馬鹿な! 砲撃がピンポイントで対空陣地に直撃したとでもいうのか?」
「いえ、最後の通信では新たな敵機を発見したと……」
「馬鹿者! それを早く言え!」
再び双眼鏡を空に向けて、周囲を確認するとヤツらはいた。先程のヘリとは打って変わって、角張った見た目に機首下部にぶら下がる大口径の機関砲。左右にせり出したスタブウィングに吊り下げられたロケットポットや対戦車ミサイルによって凶悪さを増した大型の機影。
このタイプの機体は我が軍も保有しているから、何を目的としているか嫌でもわかる。
「クソ、なんだって攻撃ヘリが……」
敵機のロケットポットが火を噴き、狙われた野砲が自らの弾薬を巻き込んで盛大に吹き飛んだ。僅か2機の攻撃ヘリでも、対空機関砲を全て失った俺達に対抗手段など最早なく、蹂躙されるに任せるしかない。
素早く展開するために、偽装網や掩体の構築などは殆どできていないから被害は急速に拡大していく。敵機はロケット弾や機関砲を駆使しながら、部下を射撃しつつ縦横無尽に飛び回った。
「この卑怯者めっ! 降りてきて戦え!」
敵機に向けた絶叫もローターの奏でる爆音と、誘爆する砲撃陣地にかき消されて届かない。
こんな……こんな屈辱があってたまるか!
カラシニコフ自動小銃を引っ掴んで、指揮所の外に駆け出した。攻撃ヘリは一通り吹き飛ばして満足したのか、既に陣地から離れるように進路を変えていた。
逃がしてなどやるものか。俺が指揮する隊にこれだけの損害を与えたのだ。例え僅かであっても一矢報いなければ、死んでも死にきれない。
「連隊長、危険です!」
制止の声は無視した。槓桿を引いて初弾を薬室に送り込み、セレクターレバーを連発に入れる。標的は逃げ去る攻撃ヘリではなく、なぜか再び顔を出した弾着観測機とみられるあの高機動型の機体。
「馬鹿め! わざわざ墜とされにきたのか!」
頬付けをして敵機を捉える。AK-47自動小銃の照門と照星に、敵機がピタリと重なったところで引き金を引き切った。
強烈な反動と雷鳴のような銃声を引き換えにして、7.62×39mmの銃弾が敵機に向かって撃ち出された。距離は遠く当たるかどうかも分からない。カチッという撃針が落ちる小さな音を最後に、30発の銃弾は一瞬で弾倉から吐き出された。
敵ヘリは……依然健在。
「はっははは……ハッハハハ」
どこで間違えたのだ。どうすればこの惨事を防ぐことができたのだ。
へなへなと体の力が抜けて、手から小銃が滑り落ちた。遥か遠くで滞空する敵のヘリを睨み付ける気力すらも、もはやどこにも存在しない。
陣地は混乱を極めており、武器や鉄帽を投げ捨てて逃げ回る兵士たちでごった返していた。この様子では復旧は絶望的だろう。
一時的に止んでいた風切り音が再び鳴り響く。それも最初とは比べ物にならないくらいの数で。
あぁ、遂に効力射が始まったのか……
それが砲兵将校として軍隊生活を送り、遂には大佐まで上り詰めた男の最後の思考になった。




