第94話 砲撃
2023年12月9日pm4:30 第一次防衛線 (宮野三尉視点)
戦車を含む味方の支援射撃のお陰で、第1中隊は無事に第一次防衛線までの後退に成功していた。
「負傷者の後送を急がせろ。いつ敵の機甲部隊が来てもおかしくないぞ!」
だが、先の対機甲戦闘で受けた損害が著しいものであったが為に、各隊は陣地の防御態勢の強化よりも負傷者の後送作業に躍起になっていた。
無論、鉄条網の設置や地雷の埋設は既に施設科部隊が行ってくれてはいたが、先の戦闘で損耗した対戦車火器の補給はまだ済んでいない。
防御陣地は幾重にも張り巡らされた交通壕に、十字砲火を可能とするために計算されて設置された掩蔽壕など、師団検閲でもかなり高評価されるであろう強固なものになっている。
それでも機甲部隊を目にしてしまった今では、充分に敵を破砕できるという自信を持つには至らなかった。
「大河原さん、73式大型トラックへの死傷者の収容状況はどうですか?」
部下にテキパキと指示を出しながら、駆け回る大河原曹長を引き留めてしまうことになるが、今は情報が欲しかった。
「なんとか半分以上は中隊の車両に積み込みましたが、雪の影響で肝心の73式大型トラックの進出が遅れているようです。今、警戒陸曹が連隊本部に到着時間を問い合わせています」
「クソ、連隊本部は何やってるんだ! もたもたしていると追撃を受けるってのに……対戦車火器の補給はどうなっていますか?」
「それも殆どが件の73式大型トラックに積載しているようです。少数は防御陣地に配置されていたようですが、それも全て本管小隊に配備されるようで我々には回ってきません」
「なんてこった。用意周到・動脈硬化の陸自から用意周到を奪ったら何も残らないぞ」
用意周到・動脈硬化。その昔、防衛記者会で作られたとされる陸上自衛隊の気質を表した言葉らしい。かなり的確だったこともあり、部内でもよくネタにされていたが……実戦となれば、やはり普段通りにはいかないらしい。
「小隊長!」
声の相手はすぐに見つかった。彼はデカい無線機を背負い込んで、高く伸びたアンテナを揺らしながら駆け足でやってきた。
「新山士長、どうした?」
「報告します。戦車小隊が敵機甲部隊への突入に成功。多数の戦果を挙げた模様です」
「おぉ! やってくれたか!」
自分たちを援護する為に突入した僅か4両の戦車が、一個大隊規模の機甲部隊に殴り込みをかけて戦果を挙げるとは……戦争が終わったら戦車小隊の連中には、とびきり良い酒を奢らないといけないな。
「戦車小隊は弾薬補給のため連隊本部へ帰投しましたが、準備が整いしだい防御陣地へ合流するとのことです。それと対戦ヘリ小隊が敵機甲部隊攻撃の為に離陸したようです」
「そいつは心強い。何とか希望が見えてきたな」
戦車小隊に次いで、圧倒的性能を誇り世界最強の名を欲しいままにしたアパッチ攻撃ヘリコプターまで投入されるのであれば、敵の機甲部隊が防御陣地まで進出することは難しくなっただろう。
それは準備不足な我々にとって、とても素晴らしい情報だ。
「空自も近接航空支援の準備に入ったようですし、73式大型トラックの遅れは何とかなりそうですね」
大河原曹長の言う通り、敵への攻撃が上手くいけば諸々の遅れをカバーすることが出来る。何か一つが上手くいかなくても他の面で補えれば問題にはなりえない。なるほど、陸自が用意周到と揶揄される理由はそこにあったか。
「よし、取り敢えず余裕ができたのは朗報だ。今は対機甲戦の準備に徹するぞ」
その時だった。何の予兆もなく空が鳴ったのは。
「っ! 伏せろ!」
大河原曹長が怒声を上げるのと殆ど同じタイミングで、衝撃が俺を襲った。
「畜生……小隊長、無事ですか?」
大河原曹長の声はすぐ近くからだった。どうやら彼が俺に覆いかぶさったらしい。
「一体何が……」
ヒイィィィインと言う空を切り裂く高音が鳴り響き、その数秒後には連続した爆発音があちこちで衝撃を伴いながら大地を揺らす。
バトラーを使用した訓練では散々苦しめられたから、それがどういうものかは理解している。だが、こんなにも唐突に訪れるとは……
「小隊長、我々は砲撃を受けています! 掩体へ退避しましょう」
大河原曹長の叫び声で現実に引き戻された。そうだ、今はとにかく隊員を掩体へ退避させなければならない。
「分かった。だが、部下をおいて自分だけ退避するわけにはいかん」
そう言ったそばから比較的至近に砲弾が落下。爆発音と同時にピチューンという甲高い音が耳に飛び込んでくる。弾着後に四散する砲弾片の一つですら、銃弾とそう変わらない速度で飛んでくるのだから当たればタダでは済まない。
「いえ、小隊長は退避して指揮を執ってください。隊員の掌握は私がやります」
「しかし、それは……」
「私の替えはいくらでもいますが、陸教で戦術を学んだ幹部は替えが利きません。私は飯の数は多いですが戦術だの小難しいことは分かりません。小隊を正しい道に導けるのは宮野三尉。あなただけです」
大河原曹長の表情は険しかった。久留米の幹候を出てからすぐに配属になり、右も左も分からない俺を年配の曹長は手取り足取り支えてくれたのだ。
俺が部下の前で恥をかかないように、陰ながらフォローしてくれたのもよく知っている。それだけに彼からの信頼が嬉しく、そして期待に応えたいと強く感じたのだ。
「わかりました。自分は小隊本部へ退避します。部下の掌握を頼みます」
「了解しました。小隊を頼みます」
お互い敬礼はしなかった。目を合わせて頷くとすぐに別れて駆け出した。大河原曹長は慌てふためく隊員達のもとへ、俺は小隊本部が設置された監視壕へと。
通信機を担いだ新山士長を引き連れて、土と土嚢で補強された交通壕を駆け回る。砲弾が掩体内に着弾した場合の被害を軽減させるために、幾重にも降り曲がった交通壕は砲撃の音を聴きながら進むには長すぎた。
何度目かに及ぶ屈折を曲がると、掩蓋掩体に続く茶室に入るくらいの狭い穴が現れた。そんな狭い通路を砲撃に追い立てられながら転がり込む。
「はぁはぁ、畜生っ。新山士長、中隊本部へ無線を繋げ」
掩体に飛び込んですぐに指示を出したせいで、新山士長は息つく間もなく無線に手を伸ばした。敵の砲撃は依然として続いているが、どうにもおかしな点がある。
敵の砲撃は点検射も無しに始まった訳だが、時間が経つごとに着弾する砲弾の位置が陣地に近づいている。これはつまり、敵の前進観測員が付近に潜伏して観測した情報を逐次、戦線の奥深くに位置する砲兵隊へと送っている可能性が高いということだ。
これを潰せば砲撃を止めることはできずとも、少なくとも精度の低下は望める。混乱しているであろう中隊本部に、これだけは伝えなければいけない。
「小隊長!」
不意に呼びかけられて振り向いたが、それと時を同じくして降り注いだ猛烈な弾雨によって続く言葉を聞き取ることはできなかった。
防御陣地全体を満遍なく包み込むような砲弾の雨は、遂に敵の効力射がはじまったことを教えてくれた。
「何だ!」
腹に響くような爆発音のせいで、お互い怒鳴るような大声を上げないと聞こえない。掩蓋掩体を作る際に、敵方に向けて開けられた監視孔から稀に吹き込む爆風に身をかがめながら新山士長の元へと駆け寄った。
「本部から通信が入っています。何と言っているのか聞き取れません!」
それを聞いて新山士長から無線をひったくるようにして奪う。耳を近づけてみたが、唸るような稼働
音がそれが使用されていることを教えてくれた。しかし、どうしても周囲の轟音のせいで内容は聞き取れない。
「クソッ、特科の連中は何やってんだ! こうも一方的に撃たれちゃ敵が接近しても対処できないぞ!」
この砲撃は、恐らく戦列後段に控える敵の野戦砲兵によるものだろう。その目的が我の移動を制限するための阻止射撃だった場合、次に俺達の前に現れるのは追撃の為に前進してきた敵の機甲部隊ということになる。
満足な補給も受けれずにいる第1中隊は瞬く間に殲滅されてしまうだろう。対戦車火器の残弾は既に無く、対機甲戦において頼みの綱だった89式装甲戦闘車は弾薬補給のために後方に離脱していて、その姿は無い。
この爆音にも耳が慣れてきたようで、ようやく無線が聞き取れるようになった。
『各小隊、掩体へ退避。対機甲戦闘準備』
中隊本部に詰める運幹の声だ。対機甲戦闘準備が下令されたということは、本部も敵機甲部隊から追撃を受けることを想定しているということか。
ともかく、情報だけでも本部に伝えなければ。
「中隊本部こちら第3小隊。敵前進観測員が付近に展開中の模様。潜伏展開位置の可能性が高い、陣地前方400の傾斜地に対して81迫の射撃頼む! 送れ」
敵の潜伏位置には確証があったわけじゃない。砲撃が始まる前に見渡した、陣地付近の地形を思い起こしたときに、そこが最も弾着観測に向いていると思ったのだ。根拠らしい根拠はそれくらいで、後はもう感だった。
『第3小隊こちら中隊本部。要請を受諾、これより砲撃を行う。弾着に備えろ。終わり』
返答は意外にも素早かった。恐らく無線を聞いた中隊長がすぐに決心したのだろう。大谷二佐は演習対抗部隊との戦闘訓練でも、状況に対する決断の早さを武器に勝利をもぎ取ってきた人だ。
部隊へ配属されてから日が浅い俺でも、大谷二佐の凄さは良く分かる。
新山士長に無線を押し付けてから、這うようにして監視孔の近くまでたどり着く。近くに砲弾が落ちれば爆風で首を持っていかれる可能性もあるが、81迫の射撃効果を確認するためには監視孔から外を覗くしかない。
笑ってしまうくらいガタガタと震える膝を、気力で押さえつけて監視孔から外を覗く。目標とした傾斜地が盛大に土煙を巻き上げたのは丁度その時だった。
「よし! 命中だ!」
ワッと挙げた歓声も降り注ぐ砲撃による轟音にかき消され、後ろで小さくなっている新山士長までは届かない。もっとも俺自身、監視孔に近いこの位置がどれほど危険かすぐに思い至って伏せることになったわけだが。
『黄色警報。各小隊、航空攻撃に備え』
空電と共に唸る無線が伝えた情報は、まさに最悪だった。敵は遂に空爆を行うことにしたらしい。備えろと言われても、中隊にはまともな対空火器は配備されていないから、どうすることもできない。
「小隊長、どうしますか?」
「黙って配置に着け。航空機なんざ連隊の高射特科に任せとけばいいんだ」
もとより、対処方法など無いのだからそうする他ない。陣内には航空攻撃が近いことを知らせる警笛が鳴り響く。砲撃に空爆、どちらも右手で握ったままの小銃ではどう頑張ったって反撃できない。
見えないところから一方的に撃たれ続けるのが、これ程にも応えるものだとは知らなかった。昔、教科書で見た第一次世界大戦の兵士達も同じ事を考えていたのだろうか?
今となってはその答えは誰も分からない。分かっていることはただ一つ。
状況が最悪だということだ。
用例解説
幹候…陸上自衛隊幹部候補生学校の略称。各国軍隊の士官学校に相当する機関で、福岡県久留米市の陸上自衛隊前川原駐屯地内に所在する。
掩蓋掩体…いわゆるバンカーを指す。爆風・破片などから人員を守る屋根を持つ。
効力射…砲撃において、効果的な射撃や相手に有効的な打撃を与える射撃のこと。
81迫…81mm迫撃砲の略称。