第93話 鋼鉄の巨人
2023年12月9日pm4:00 魔法の森近郊 紅魔館正面隘路まで10km 10式戦車(日浦二尉視点)
敵との交戦に伴い、戦況を告げる無線が前線から発信され始めてから、だいぶ時間が経ったように感じる。
最初は敵の撃破など戦果を報告する内容が多かった無線も、時間が経ち彼我の距離が近づくにつれて景気のいい報告は少なくなり、今ではその殆どが死傷者発生と応援を要請する悲痛なものに変わっていた。
「小隊長、突入して味方を援護すべきです。このままでは第1中隊は全滅してしまいます!」
「分かっている。連隊本部の回答を待つんだ」
「もう、充分待ちました。これ以上待てば手遅れになります」
機甲部隊主力と交戦中の第1中隊への支援は、特科小隊と攻撃ヘリによって行われるとの通達があった。しかし、第1中隊から一番近い位置にあるのは我々だ。
そのこともあり連隊本部へ第1中隊の支援を申し出ているのだが、かれこれ十数分待っても本部からの回答は無い。
「伊藤連隊長には作戦計画を変更する柔軟性が無かった。それが結果です。ですが、小隊長が行動すれば第1中隊の被害を抑えつつ後退を援護……いえ、敵機甲部隊の戦闘能力を削りきることもできるはずです」
「やりましょう。俺達は小隊長の命令に従います」
当初の作戦計画では我々、戦車小隊は敵の背後連絡線を急襲するための機動部隊として温存される方針だった為に、初動の段階では第1中隊の支援任務を与えられることは無かった。
それ故に、支援を求める第1中隊の悲痛な無線を、歯がゆい思いを抱えつつも黙って聞くことしかできなかった。だが、それももう限界だった。
既に部下たちは、今にも突入して敵に主砲をぶち込むことで頭がいっぱいだ。今までは何とかなだめていたが流石に判断が遅すぎる。
「わかった。もう一度だけ、連隊本部に指示を仰ぐ。返答が無ければ俺の責任で第1中隊支援のため突入する。それでいいな?」
「わかりました」
部下の同意を確認して、無線機のマイクの角度を調整し、一呼吸入れてからPTTスイッチを押し込んだ。
「CPこちらタイタン01。もう充分待った、敵機甲部隊攻撃の可否を問う。送れ」
戦車小隊のコールサインとして割り当てられたタイタンは、ギリシャ神話に伝わる巨人の神ティーターンに由来するものらしい。まさに陸戦の王者たる戦車小隊にふさわしいコールサインだろう。
無線を発信してから30秒ほどが経過したとき、待ちに待った無線が鳴った。
『タイタン01、連隊長の伊藤だ。攻撃を許可する。ただし、目的は敵機甲部隊撃滅では無く、あくまでヒトマルの撤退支援である。よろしいか? 送れ』
予想外の人物の登場に動揺したが、命令内容に不服は無い。
「了解しました。タイタンはヒトマルの撤退支援を行います。終わり」
PTTスイッチを離して無線を切ると、周波数を小隊間のものに変更して再びPTTスイッチを押し込んだ。
「小隊はこれよりヒトマルの撤退支援任務につく。タイタン前進よーい。前へ!」
命令は即座に部隊に伝達され、1個小隊4両の10式戦車が降り積もった雪を巻き上げながら一斉に前進を開始した。
「ヒトマルこちらタイタン。感銘送れ」
『タイタンこちらヒトマル。感銘良好、来援に感謝する。送れ』
第一中隊の方は思った以上に切羽詰まっていたのだろう。こちらから送った無線に飛びつくように返信してくるところを見れば余裕はなさそうだ。
「タイタンはこれより貴隊の左翼方面より突入し敵機甲部隊の勢いを削ぐ。ヒトマルは優先攻撃目標をヒトマルネットにて指示されたい。送れ」
『了解した。広域帯多目的無線機を経由してそちらに共有する。貴隊の幸運を祈る。終わり』
通信が切れてから間もなくして、ヒトマルネットワークに敵部隊の位置情報が共有された。これで直接捕捉しなくても敵部隊の位置が把握できるようになった。
現代戦の要は情報だ。昔の戦争では鉄量で勝敗は決まったが、現代では敵を素早く補足することで少ない火力でも的確に敵の弱点を突くことが勝利への道とされている。
「ヒトマルネットより目標を捕捉。各車照準します」
砲主の報告と同時に砲塔が旋回し3時の方向で固定された。敵に装甲の薄い側面を晒すことになるが、走行間射撃を行うので滅多に反撃を喰らうことは無いだろう。
10式戦車の優れた砲安定装置と火器管制システムのお陰で、行進間射撃の命中率は同世代の他国戦車と比べても遜色ないレベルに達している。
「目標3時方向、ヒトマルネット共有の敵戦車。弾種対榴、小隊集中行進射、撃て!」
号令と共に120mm砲弾が轟音と共に主砲から飛び出した。砲弾は真っ直ぐ飛翔し敵戦車の車体側面を難なくぶち抜いた。
「命中、目標撃破。続いて撃て!」
戦車小隊による一斉射撃は、敵戦車の装甲に阻まれることなく貫徹。ソ連製戦車は砲塔内に弾薬を格納していることもあり、貫徹した砲弾は容易に敵の砲弾を誘爆させた。
爆炎と共に空高く打ち上げられた敵戦車の砲塔を尻目に、新たな目標を設定する。
「目標2時方向、後方避退中の歩兵戦闘車。弾種対榴、指名! 小隊右へ!」
戦車小隊が一斉に回頭し、敵機甲部隊に対して装甲が一番厚い車体正面を向ける。これは同時に被弾面積を低くすることにもつながる。
「撃てぃ!」
砲撃と共に敵のBMP歩兵戦闘車が大破。次の目標に移ろうと考えたときにそれは起こった。
『タイタン3被弾! 損害軽微』
「んっな!? もう立て直したのか!」
撤退行動をとる第1中隊にご執心だった敵機甲部隊にとって、側面から我々が射撃を咥えてくることは完全な不意打ち。奇襲効果は絶大だったはずだ。
しかも、行進間射撃による攪乱も交えているから反撃も難しいはず。だからこの短時間で命中弾を貰うのは正直言って想定外だ。
「不用意に止まるな。スラローム射撃で回避運動を取り続けろ」
BEEP。
レーダー警告。10式戦車の優秀なレーダー検知器が、敵の火器管制レーダーの照射を捉えたのだ。警報と同時にシステムが自動的に危険度を判定。
砲塔側面前方に搭載された発煙弾発射機が自動的に作動し、発煙弾が射出され敵から戦車を覆い隠す厚い煙幕を張った。
「戦車右へ!」
命令を受けて戦車が回頭した瞬間、ミサイルが煙幕を引き裂きつい先ほどまで展開していた位置に着弾した。あのまま直進していたと思うと……その先は考えたくもない。まさに間一髪だった。
「クソ、ふざけやがって!」
思わず悪態を口をついて出た。ふと気になって横を見ると砲主が青ざめた顔をしていた。旧式とはいえ対戦車ミサイルに狙われたのだ。恐怖を覚えたのは俺だけでは無かったらしい。
これ以上の攻撃は危険でしかなかった。
「潮時だな。小隊、止まれぇ!」
号令と共に戦車小隊が一斉に停止した。10式戦車のブレーキはその制動能力から、殺人ブレーキの異名を持っているほど強力だ。
余りにも優れた制動能力でもって戦車にあるまじき急停止をするから、搭乗する戦車乗りが頭を打って死にかけることを揶揄したあだ名らしい。だが、実際に乗ってみればそれがあながち冗談ではないことはすぐにわかった。
「発煙、撃て!」
戦車小隊は一斉に発煙弾を発射、部隊を厚い煙幕の中に隠した。
「全車後退よーい。後へ!」
10式戦車は優秀な連続可変トランスミッションのお陰で、前進速度と後退速度は共に最大で70kmもでる。ただ、操縦手からは戦車の後方が見えないのは既存の車両と同じだ。
事故防止の為に後方を確認しようと車長用潜望鏡を覗き込む。その瞬間、金属がぶつかったような鈍い音が車内に響き渡った。
「曳光弾、多数飛来。機関銃の射撃を受けています」
砲主の怒鳴り声で、この音が機銃弾が装甲板を叩く音だと初めて気が付いた。車長用望遠鏡を通して車体正面を確認すると、煙幕の壁を突き抜けてくる曳光弾の雨が視界いっぱいに広がっていた。
「チッ簡単には逃がしてくれないか」
曳光弾の軌道を見る限り、どこかに狙いを付けて射撃しているようではない。こちらの撤退を妨害することを意図した弾幕射撃といったところだろう。
「目標正面、敵戦車。弾種徹甲小隊集中行進射、撃てぃ!」
咆哮。撃ち出された装弾筒付翼安定徹甲弾は砲身から飛び出した後、装弾筒を分離したタングステンの弾体は、煙幕を切り裂き敵戦車の正面装甲に命中。T-54戦車の傾斜装甲を物ともせず貫徹し、砲塔内に設けられた弾薬庫を撃ち抜くと、車体後方にあるエンジンをも突き抜けた。
「命中、撃ち方止め。戦車右へ!」
こちらの射撃に呼応するように数発の砲弾が煙幕の向こうから放たれたが、それらは遂に1発も命中することは無かった。
戦車小隊は大きな損害を受けることなく、森の中へとまんまと逃げおおせることに成功したのだ。創隊以来の大戦果に小隊全員が喜びに包まれていた。
「ヒトマル、こちらタイタン。支援任務を終了。これより帰投する」
意気揚々と発信した無線に……しかし、第1中隊からの応答はない。
「ヒトマル、こちらタイタン。感銘送れ」
再度送信するが、やはり応答はない。いよいよ無線の故障を疑ったとき、電波を捉えたことを告げるノイズが鳴り響いた。
『タイタン、こちらタチバナ78。現在、対地攻撃任務を受けそちらに急行中。友軍相撃防止のため至急退避されたし。送れ』
応答したのは予想に反して、アパッチを操る対戦車ヘリコプター隊だった。
なるほど。そういえば俺達の突入前にアパッチの投入が議論されていたのだった。これが実現されれば、先程の戦果と合わせて敵機甲部隊を無力化することも可能となるだろう。
「タチバナ78、こちらタイタン。了解した、貴隊の幸運を祈る。終わり」
味方の勝利を信じ無線を切って後退を継続することにしたが、その頃には先程の無線で感じた違和感などすっかり忘れてしまっていた。
2023年12月9日pm4:20 地上派兵軍団野戦司令部 (ラシード少将視点)
敵歩兵部隊を追い詰めつつあると言う報告を受けてから、およそ1時間が経過して前線の情報は刻一刻と司令部に伝えられていた。
「敵戦車の後退を確認しました。現時点での我の損害は戦車・装甲車両合わせて撃破16、大破4、中破9です」
作戦参謀が震える声で読み上げた被害報告に、野戦司令部の参謀たちは皆一様に蒼白になった。
「たった1時間でそれ程までの損害を受けるとは……」
1個大隊50両のうち29両が撃破された。一般的に戦闘部隊は損耗率が30%を超えると全滅と判定される。今回はそれを優に上回る損耗率50%以上であるから、軍事用語で言えば壊滅状態に当たる。
虎の子の戦車大隊が、一方的に打撃を受け壊滅状態に陥るとは……この部屋にいる誰もが予想だにしなかったであろうことは想像に難くない。
「もうダメだ……我々だけでは到底手におえない」
「攻勢作戦は直ちに中止し、本国の増援到着を待つべきです!」
正直言って追撃を許可した俺自身も、このレベルの損害を受けるとは考えていなかった。それ故に参謀たちの狼狽えようを責めることはできない。
だが、参謀たちの進言に従って撤退という選択を下すにはまだ早すぎる。中隊参謀時代の経験からここで引いても状況が好転することは無いことは身に染みて知っている。
「司令官、ご決断を!」
師団参謀達が席を立ち、俺に詰め寄ってきてもその判断は変わらない。だとすれば、どうするのが最適なのか?
撤退は有り得ない。本当なら後退しつつある敵歩兵部隊を追撃したいところだが、敵機甲部隊の攻撃で戦車大隊が甚大な被害を受けた今ではそれも不可能。とはいえ、この歩兵部隊をみすみす逃したくはない。
腕を組んで考え込んでも最適解は出てこない。ここはいけ好かない空軍に一つ頼むのが適当であろうか? 滑走路の向こう側に立つ空軍司令部に直接伺わなければいけないかもしれない。
思わずため息が口をついて出たとき。多数の参謀たちが部隊の方針を定めるべく議論する中、部屋の隅で一人無線に聞き入っていた大尉が椅子を蹴とばすような勢いで立ち上がった。
「何事だ?」
立ち上がった大尉は、咎めるように睨む少佐に一礼だけして俺の前に進むと不動の姿勢を取った。
「報告します! 第2偵察隊が後退中の敵歩兵部隊を捕捉しました。周辺からは塹壕陣地らしきものも確認されておりますので、これは敵の防御線と見られます」
「でかした!」
大尉の報告に思わず、俺自身も立ち上がった。これでみすみす敵を逃さずに済む。
「砲兵連隊へ命令。砲兵連隊は第2偵察隊の観測のもと、後退中の敵歩兵部隊を砲撃。これを撃滅せよ」
「了解しました」
大尉は命令を受けると、直ちに踵を返し無線機のもとへ走った。
敵の防御線に接触したとなれば、後は徹底的な砲撃、そして戦車部隊と歩兵の協同が重要になってくる。決戦の時は近いだろう。
「参謀長、俺達も前線に行こう。栄光ある勝利は近いぞ!」
今頃は弾着観測を受けた砲兵連隊のD-20 152㎜榴弾砲とBM-21自走多連装ロケット砲が砲撃を開始している頃だろうか? なんにせよ、この砲撃が最大の戦果を挙げてくれることを祈るばかりであった。
用例解説
D-20 152mm榴弾砲…ソビエト連邦軍の主力榴弾砲。東側諸国の多くの国で使用されたベストセラー。
BM-21自走多連装ロケット砲…ソ連製のロケット砲。愛称は「グラート」
T-54…ソ連製の中戦車。1947年に量産型がロールアウトしたのちソ連軍や東側諸国にて使用された。




