第92話 対戦車戦闘
2023年12月9日pm3:20 半地下掩蔽陣地 作戦指揮所 (伊藤一佐視点)
約30分前。第1中隊から広域帯多目的無線機を通じて、暗号化された短い通信文が指揮所に届いた。暗号は直ちに解読されると同時に、陸海空を問わずに全部隊に共有された。
『敵主力の誘引に成功』
第1中隊が発信した情報を受けて、作戦指揮所の中は慌ただしい空気に包まれていた。
「戦車小隊及び特科小隊、配置に着きました」
「UAV間もなく作戦空域に到達します」
「第1中隊より共通戦術状況図の共有を確認しました。C4ISRシステムは正常に作動しています」
ヴァンパイア作戦の発動に際し、航空偵察で容易に発見される可能性が高い駐屯地は、作戦指揮所の設置候補地から速やかに除外された。
そこで一時的に駐屯地を離れて、紅魔館により近い森林地帯に野戦陣地を構築することに決まった。連日の冷えと積雪により陣地の築城には相当な苦労が伴ったが、施設科部隊の尽力もあり無事に半地下式の野戦指揮所が開設されていた。
「連隊長、第1中隊は無事に迎撃陣地へ到達できるでしょうか? 車両を多用することで機械化に成功したとはいえ、連日の積雪の影響で道路状況は最悪です」
蛍光灯の灯りの中、迷彩服に鉄帽を被り弾帯類の装具を身に着けた幕僚が不安そうな面持ちで質問してきた。
これらは主に演習の際に身につける装備類だが、月の軍隊が現れてから装具を身に着けることが常態化したこともあり、今は違和感は無い。
「数で劣る現状では奇襲効果を最大限に発揮するためにも、我の伏撃に気づかれるような行動は控えたい。正直なところ作戦が予定通りに推移することを祈るばかりだ」
「今回ばかりは、我の損害が大きくなる可能性がありますね」
「そうだな。だが、仮に失敗したとしても特科小隊は射程内だから敵に一定の打撃を与えることはできる。第一次防衛線でどこまで敵を削り切れるかが問題だな」
紅魔館正面隘路に至るまでの道のりに2か所の防衛線を築くことで、敵部隊を漸次撃滅することを狙った作戦は効果的だが、敵の主力と正面からぶつかる事となり作戦立案時から犠牲者の増大が懸念されていた。
「前線からの情報を総合するに、彼の戦力はおおよそ60年代に採用されたロシア製の装備品を中心として構成されているようです。幸いにも機甲戦力は大きく見積もっても戦後第一世代程度のようですから装備品の性能では我が優越しております」
「戦争は武器の性能だけで勝敗が決まるほど単純ではないぞ。それに2個師団を擁する敵の方が火力は優勢だ。厳しい戦いになるぞ」
歩兵や機甲戦力の誘引に成功したとはいえ、後方に控えているはずの野戦砲兵の位置は依然として不明である。
砲撃を確認したならば直ちに対砲迫射撃を見舞うことになるだろうが、その時点で反撃しても味方の頭上には少なくない数の砲弾が降り注ぐことになる。その場合も犠牲を覚悟せねばならない。
二曹の階級章を着けた隊員が席を立ったのはそんな時だった。彼は険しい表情を浮かべながら、俺の前に駆け足で向かってきた。
「第1中隊より報告。中隊は有力な敵機甲部隊と会敵し、対機甲戦闘に入ったとのことです」
指揮所の雰囲気が張りつめたのが分かった。89式装甲戦闘車や軽装甲機動車を集中配備することで応急的に機械化したとはいえ、普通科中隊に過ぎない第1中隊にとって機甲部隊との戦闘は荷が重い。
「規模は?」
「不明です。第1中隊に確認させますか?」
「いや、その必要はない。UAVはどこまで進出した?」
敵の対応に徹している前線は当たり前のことだが非常に忙しい。情報要求は的確にかつ最小限にしなければならない指揮統制に支障が出る。
「UAV作戦空域に到着しました。映像モニターに出ます」
護衛艦隊や紅魔館とテレビ通信を行う為に指揮所に設置されたモニターだったが、UAVからの映像が投影されると隊員達の視線は画面に釘付けになった。
「おいおい、何だこの規模は……」
UAVに搭載された高性能カメラが映し出す映像の先には、第一中隊の砲火を浴びながらも前進を続ける敵機甲部隊の姿があった。
「恐らく1個中隊……いや、全部で1個大隊は居ますよ!」
「これはヤバイぞ」
だが、その数は俺達の予想をはるかに上回っていた。1個大隊と言ってもピンと来ないかもしれないが、分かりやすく言えば50両ほどの戦車で組織された部隊だ。
その姿は全てを灰燼と化す鉄の津波に違いなかった。
「第1中隊の対戦車火力だけでは対応不能だ。直ちに火力支援の準備をさせろ」
「了解しました。特科小隊及び対戦車小隊に攻撃を命じます」
俺の指示に幕僚が直ちに反応し、隷下部隊へ命令を下していく。だが、接近する敵の規模を確認した今となっては、命令伝達にかかる時間すら惜しくなってくる。
「報告します。第1中隊より近接航空支援の要請を受けました」
「攻撃ヘリをあげろ。それと航空自衛隊に近接航空支援を要請する」
「待って下さい。事前の作戦計画で空自の戦力は、航空優勢確保の為に温存することが決まっています」
「仕方あるまい。中隊の援護が優先だ」
強大な敵を前にした指揮所は、まるで火が付いたかのような大騒ぎになっていた。
2023年12月9日pm3:30 魔法の森近郊 紅魔館正面隘路まで10km 第1中隊第3小隊 (宮野三尉視点)
膨大な数という敵の利点を潰すために、細い隘路に誘い込むというヴァンパイア作戦の方針は、防御陣地にたどり着く前に強大な敵機甲部隊の追撃を受けた時点で半ば崩れかけていた。
「中隊本部こちら第3小隊。01携帯対戦車誘導弾の残弾が尽きた。89式装甲戦闘車の支援が必要だ! 送れ」
『ヒトサンこちらヒトマル。要請は却下する。89式装甲戦闘車は重MATを撃ち尽くしている。保有する対戦車火器で対応せよ』
「畜生! ふざけやがって!」
銃弾が飛び交う中、俺は怒りに任せて通信機の受話器をぶん投げた。通信機を背負った若い陸士が首をすくめるのを傍目に見ながらも、俺の苛立ちは収まらなかった。
「小隊長! 89式装甲戦闘車の支援はいつ頃になりますか!?」
「ダメだ! 対戦車誘導弾を撃ち切ったらしく援護には来ない。何とか持ちこたえろ!」
俺の位置まで匍匐前進で近づいてきた柚木三曹が、砲爆撃が醸し出す爆音に負けない女性特有の高い声で問い合わせてきたが、俺が返せる言葉は彼女を愕然とさせることしかできなかった。
「敵は凄まじい数です! とても小隊の保有する対戦車火器のみでは対応できません!」
「泣き言はいい! 対戦車ロケット弾を前に出せ!」
柚木三曹はまだ不服そうだったが、それ以上何も言わずに引き下がってくれた。これ以上の口論を重ねたところで時間の無駄だということは分かり切っていたのだろう。
柚木三曹は普通科では貴重な女性隊員でありながら、努力と根性で同期の男性隊員よりも早く三曹に昇進するなど負けず嫌いなところがあった。
それでいて女性が兼ね備えるきめ細やかさは健在なのだから、彼女が小隊の皆から頼られる存在になるのは必然だった。
「武田、堀内! LAMを持ってついてきて。敵を吹っ飛ばすよ!」
「了解!」
柚木三曹は対戦車ロケットを持つ2人を連れて、即席の塹壕と化した田畑の用水路に向けて走り出した。幸いにも現在交戦している地域は田園沿いらしく、身を隠せる場所は少なくない。
84mm無反動砲と110mm対戦車弾を担いだ3人は用水路に身を隠して着々と射撃準備を整えている。手際の良さは普段の訓練の賜物だが、敵の数は膨大な上に射程の長い誘導弾はもう撃ち尽くしてしまった後だ。
これからの戦闘は、敵に位置が露呈しやすく危険な無反動砲や対戦車ロケット弾で行わなければならない。しかも、それらは対戦車ミサイルに比べて命中精度・威力が共に劣るのだから当然、撃破率も下がってしまう。
そんな状態が恐らく第1中隊のいたるところで発生しているのだろうから、踏みとどまれる自信は殆ど無かった。
「目標、正面の敵戦車。対戦車榴弾で対処する。LAMは先端のプローブを伸ばすのを忘れるな!」
OD色のファイバーケースから、ハチヨンの砲弾を取り出しながら柚木三曹が声を張り上げる。若干声が上ずっているように聞こえるが、適度な緊張は最適な結果を生みやすくする。それは決して悪いことではない。
「砲尾部閉鎖確認、装填よし。後方の安全よし。発射用意よし!」
「LAM、同じく射撃準備よし!」
「撃てぇ!」
柚木三曹の力強い号令と同時に無反動砲が、続いてロケット弾が敵戦車部隊に向けて放たれた。発射された2つの砲弾は導かれるように飛翔し、標的とされた2台の敵戦車に見事命中した。
そのうちのロケット弾は、敵戦車の砲塔側面を貫通し内部で炸裂。弾薬庫に引火したのか、激しい爆炎と共に砲塔がビックリ箱のように吹き飛んだ。
無反動砲の砲弾は1番装甲の厚さがある敵戦車の正面に命中した為、派手に吹き飛ぶことは無かったが敵戦車を沈黙させることに成功している。間違いのない大戦果だ。
「命中! 敵戦車2両大破!」
「やったぞ! この調子で他の奴もぶっ飛ばせ!」
厳しい戦局の中で生み出された戦果に、小隊全体が俄かに沸き立つのが分かった。正直言って、無誘導の対戦車ロケット弾程度で戦車を撃破できるとは思ってもみなかったから、俺自身も相当舞い上がっていた。
だが、それも長くは続かなかった。
「敵戦車の主砲こちらに旋回中!」
誰ともなく上がった叫び声に、高揚していた気分はどこかへ吹っ飛んだ。次に考えたのは敵が狙ってくるであろう場所。そして、そこには彼女達がいた。
「まずい! 柚木、退避しろぉぉぉ!」
俺の声が届いたのだろう。振り返った柚木三曹と目が合ったその瞬間、世界が反転した。
頭を打ったのだろうか? 頭の中で鐘が鳴っているかのような感覚に襲われながらも、油断すると飛びそうになる意識を無理くり繋ぎ止める。
「……い長! 小隊……ですか!?」
遠くから誰かの声が聞こえる。ようやく目の焦点が合ってきたようで、ぼやけていた視界がハッキリとしてきた。
不快な痛みに耐えながら顔を上げると、そこには大河原曹長の姿があった。ということは先程の声の主も彼で間違いないだろう。
「……俺は大丈夫だ。被害は?」
「敵の砲弾が何発か着弾したようです。現在、死傷者の集計中です」
「畜生! 柚木三曹は無事か?」
その問いへ答えるものは居なかった。その理由は倒れていた身体を起こした瞬間に理解することになった。
「噓……だろ?」
柚木達がいた塹壕は見るも無残に崩れていた。田畑の用水路を流用したとはいえ、至近弾で崩れるほど強度が低いわけでは無い。この崩れ方は戦車砲弾の直撃を受けたとしか思えなかった。
それを理解した瞬間、俺は大河原曹長の制止を振り切って塹壕を飛び出していた。
「小隊長、危険です! 下がってください!」
部下の声を無視して、柚木達が身を潜めていた塹壕に飛び込む。焦る気持ちを抑えつつ周囲を見渡すと見慣れた迷彩色の布地が目に入った。
「柚木! 待ってろ、今助けてやるからな」
周囲の土を払い、布地を掴んで引っ張り上げる。渾身の力で引っ張ったせいか、迷彩服はすぐに土から引き上げられた。
だが、その結果は認めたくないものだった。
布地と一緒に掘り出されたものは、確かに部下だった。しかし、それは最悪なことに全部ではなかった。
全てを理解した瞬間、手に持ったモノを取り落としてしまった。足腰から力が抜けてしまったかのように膝から崩れ落ちて、だがそれ以上倒れる前に部下に支えられた。
「小隊長、柚木達はもうダメです。下がってください」
俺を連れ戻すために危険を承知で塹壕に飛び込んだのだろう。大河原曹長の顔に塗られたドーランは汗で滲んでいた。有無を言わせない力強い口調に、俺はただ頷くことしか出来なかった。
「後退するぞ。援護しろ!」
大河原曹長の号令で小隊に配備されている小銃と機関銃が一斉に火を噴いた。接近してくるのは戦車を主力とする機甲部隊だから、仮にこれらが命中したとしても敵を撃破することはできないだろう。
それでも、彼らは諦めることなく引き金を引いていた。そのおかげか、敵に身を晒す後退も無事に済んだ。
「新山士長、中隊本部に連絡を取れ。戦死者3名、戦傷者7名が発生。火力支援と救護車両を要請しろ」
「了解しました」
命令を受けた新山士長は背中に背負った無線機を降ろすと、すぐに中隊本部への連絡を取り始めた。仲間を失った直後だったが、誰もが自分の仕事を果たすために戦っていたのだ。
「大河原さん、取り乱してすいません。もう大丈夫です」
「よかった。では指揮をお願いします。小隊長」
大河原曹長は力なく笑うと、敬礼をして元の配置に戻っていった。彼も決して大丈夫ではなかったのだろう。それでも弱いところは見せまいとして、気丈にふるまい俺を支えてくれたのだ。
彼の心意気を無駄にしない為にも、今は俺がしっかりする必要があった。
「小隊長、報告します。中隊本部から撤退命令が出ました」
「何だと? だが、この状況では撤退は無理だ。今引けば総崩れになる」
「連隊本部からの援護が来るそうです。中距離多目的誘導弾の着弾を合図に、戦車小隊が我々の撤退を支援するとのことです」
彼の報告と同時に真上をジェットエンジンの音が通過した。音を追って顔を動かすと、尾を引いて飛来したミサイルが次々と敵戦車に突き刺さり立て続けに爆ぜた。
「よし、撤退するぞ。すぐに車両を回すように中隊本部に要請しろ。負傷者を乗せ終わりしだい撤退する」
この援護射撃がもう少し早ければ柚木は死なずにすんだかもしれない……だが、それも全ては仮定の話。柚木達は死んだのだ。
用例解説
・広域帯多目的無線機…陸上自衛隊の野外通信システムの一つ。隊員が携行できる大きさで周波数としてはHF・VHF・UHFが用いられる。
・共通戦術状況図…戦術レベルにおける共通状況図。ニア・リアルタイムでの情勢表示が行なわれる。
・LAM…110mm個人携帯対戦車弾。通称パンツァーファウスト。普通科部隊の小銃小隊で運用される対戦車弾。操作、携行が容易で、無反動の対戦車火器であり、信頼性も高い。




