第86話 ヴァンパイア作戦
2023年12月8日am4:15 幻想駐屯地 指揮所 (伊藤一佐視点)
守衛の陸士長に付き添われ指揮所に現れた文さんの表情は硬かった。聞けば今回は記者としてではなく大天狗を始めとした山の首脳部から全権を委任された交渉大使として来たという。
想定されていた事態とはいえ、なまじ知り合いが相手だけに難しい交渉になるだろう。
「天狗の里は敵の準備砲撃によって甚大な被害を受けました。山の防衛線は既に半壊し多くの同胞が死傷し戦闘力を失いました」
男性の絶対数が多い自衛隊の野戦指揮所に女性特有の高めの声はよく響く。
いつも明るく振る舞い、熱心に取材を行っていた射命丸文の姿を知っているだけに天狗達が受けた被害が凄まじいものであったことが容易に想像できる。
「我々には最早、大挙して押し寄せてくる敵主力を打ち破る力は残っておりません。大天狗様、天魔様は此度の状況を鑑み自衛隊への応援を頼みたいと仰られています」
上層部はともかく末端では自衛隊との共同作戦に不要論を唱える排斥派の天狗達が幅を利かせていた為、天狗達の方から大っぴらに応援を要請するようなことは無かったのだが今回の砲撃でなりふり構っていられなくなったようだ
「事情は理解しました。既に大谷二佐率いる第1中隊が出動準備を行っています」
援軍の約束を取り付けたにもかかわらず予想に反して彼女は困惑しているようだった
「自衛隊が精強なのは密着取材を行ってきた私が一番わかっているつもりです。しかし、いくら何でも1個師団を超える大軍を相手に歩兵1個中隊で対抗することなど不可能なのでは?」
成る程、思えば彼女は援軍の約束を取り付けた程度で満足するような人物ではなかった。記者らしく疑問に思ったことは遠慮なく問い質す。それが彼女の本来の姿なのだろう
「詳細は防秘につき申し上げられませんが勝算はあります」
「この期に及んでまだ機密ですか?同胞たちの命運が懸かっているんです!」
文さんの声音に驚愕と怒気が含まれる。彼女の言うことは道理にかなっている。だが、この作戦が万が一にも漏洩するようなことがあれば隊員達に大きな危険が及ぶことになる。
連隊の命を預かる指揮官としてそれだけは何としても避けねばならない
「承知しています。ですが理由は申し上げられません。万が一作戦内容が敵側に漏洩した場合、第1中隊のみならず本隊もが大きな危険に晒されることになります」
「それを言うなら私達は既に重大な危険に晒されています。ことは一刻を争うのです」
文さんたち天狗を信頼していない訳ではないが万が一彼女や情報を知った者が捕虜にされた場合、自らの意思とは関係なく情報を敵に与えてしまいかねない。誘引作戦という都合上、大きなリスクを冒すことはできない
「申し訳ありません。今は信じてくれとしか言えないのです」
指揮所内を沈黙が支配する。このまま双方譲ることができない交渉が続くかと思われたが意外にも文さんが沈黙を破った
「…わかりました。これ以上はお尋ねしません。援軍到着まで私達がとるべき行動をご教授願います」
「第1中隊は24時間以内に到着します。それまで遅滞戦闘に専念していただければ敵主力はこちらで排除しましょう」
そこまで伝えると文さんはふと表情を緩めた
「…信じていいんですよね」
「我々は自衛隊です。作戦の都合上、内容だけはどうしてもお伝え出来ませんが助けを求める人々を見殺しにはしません。どうかこれだけは信じてもらいたい」
何の保証もせずに信じてくれと言うことがどれだけ無責任かよくわかっている。それだけに今の状況がもどかしかった。
だが、彼女はそっと微笑み口を開いた
「わかりました。大天狗様には援軍が来ることと遅滞戦闘に専念してほしいということだけ伝えます」
「いいのですか?使者としてきたのならば当然、報告の義務があるのでしょう?下手に情報を絞るようなことをすれば不利な立場に置かれるのでは?」
「あまり褒められたことではありませんがバレなければ問題になりませんよ。それよりも作戦上致し方ないこととはいえ、自衛隊が私達への情報提供を渋ったという事実が排斥派に伝わる方がよほど問題です。ことが公になり排斥派が騒ぎ立てれば今後の共闘関係に大きな支障をきたすことになります。それは私達が望むことではないはずです」
そう言って彼女は笑う。同胞たちの命運を懸けた交渉は射命丸文全権大使の譲歩により幕を閉じた。
そして同時刻、大谷二佐率いる第1中隊が駐屯地を出発。ここにヴァンパイア作戦が正式に発動されることとなった
2023年12月8日pm10:48 妖怪の山近辺(大谷二佐視点)
駐屯地を出発してから17時間以上が経過した今、第1中隊はやっとのことで敵との距離にして10㎞の地点まで進出していた。
雪に覆われた地形を突破するのは困難であったが、日本有数の積雪地帯を拠点とする東北方面隊にしてみればこれくらいの積雪はいつものことである。
「それにしても寒いですな」
中隊幕僚を務める年配の一尉が寒さに凍えながら臨時の指揮官車となった96式装輪装甲車に乗り込んでくる。幸いにも吹雪いてはいないが、それでも冬の夜の寒さは人を凍えさせるのに充分すぎる
「ろくな雪中装備も無い上に敵が近いと火も使えないからな。それでも風雪をしのげる車両があるだけマシな訳だが」
派遣部隊が編成された時期が夏場だったこともあり寒冷地での必須装備となる防寒装備やスタッドレスタイヤのような雪中装備が欠如していたため人里から拝借した代用品でなんとか誤魔化してはいるが、所詮は民生用品である。
軍事組織で使われることを想定していない装備であるから耐久性にも疑問が残る。勿論、無いよりは遥かにマシなのには変わりないのだが
「斥侯が戻りました。確認できた敵の戦力は戦車4台を含めた一個大隊。規模から見て主力ではないでしょうが、主力の攻撃を容易にするために配置された支隊の可能性もあります」
支隊にしては戦車の数が些か少ないと感じるが、いずれにせよ脅威なのに変わりない
「一個機械化中隊で相手をするには危険すぎるか…」
「では迂回しますか?本作戦は主力の誘致が目的ですから極論、支隊など無視しても構わないかと」
不利な状況を見て取った一尉が迂回を進言してくれたがこれは難しい
「いや、それでは誘引機動中に挟撃される可能性がある。連隊本部からの支援が望めない本作戦においてそれは致命的だ」
「ではどうなさるので?」
ヴァンパイア作戦の目的は敵主力を紅魔館正面隘路に誘引することだ。しかし、敵の支隊に多少の攻撃を加えたところで主力が動いてくれるかどうかは正直、微妙なところである。ならばとるべき道は自ずと決まってくる
「我の全力をもって敵の支隊を撃滅する」
「撃滅…ですか」
配下の幕僚たちから困惑の声があがる。
それもそのはず、誘引作戦とは即ちわざと負ける作戦である。つまり、我々が敗走したと思いこみ追撃してくる敵をこちらにとって優位な地形に誘い込み撃破するというものだ。
それ故に撃滅してしまっては作戦自体が成り立たなくなってしまう。だから彼らが困惑するのは当たり前なのである
「敵の支隊に大きな打撃を与えることによって主力の注意をこちらに向ける。支隊を壊滅させれば次に出てくるのは主力だ」
だが、今回は一尉が言ったように主力の誘引さえできればどんな手段をとっても構わないのだから後の作戦に悔恨を残さない為にも支隊を先に潰してしまおうという訳だ
「理屈は分かりましたが敵は戦車を含めた一個大隊を相手にして勝てますかね?無視して迂回するという選択肢を捨てた以上、残るのは包囲と突破です」
「…敵の陣形はわかるか?」
「夜間ですから円陣を組んで休息をとっているようですがこういった場合、周辺に警戒装置や監視がいると見て間違いないでしょうから攻撃には充分な注意が必要かと」
「ですが幸いなことに我々は今、機動力に優れた機械化歩兵です。夜が明ける前に敵を包囲すべきかと」
中隊の幕僚たちが次々に意見を挙げる。最終的な決定に責任を持つのは指揮官だが、選択肢の提示や細かい作戦内容の立案は幕僚の仕事である
「数に勝る敵に対して包囲戦術を執れば必然的に戦力の分散を招くことになる。それで各個撃破などされようものならば目も当てられない」
「では、残るは突破となりますがよろしいのですか?ご存知の通り突破はあらゆる戦術機動の中で最も犠牲が発生するものです」
「わかっている。勿論、火力に任せた無謀な正面突破などは論外だ」
「では、どうするのです?」
進言した案を全て却下された幕僚の1人が不機嫌そうに尋ねてくる。せっかくの意見を片っ端から却下して悪いとは思うが、既に俺の頭の中では新たな作戦が完成しかけていた
「おい、外の雪はどれくらい積もっているんだ?」
質問に答えないばかりか話の流れを完全に無視した逆質問を受けた幕僚が一瞬フリーズする中、一尉が全く動じず回答を返してくれた
「15cm程です。もし部隊の機動力を心配なさっているのであればそこは問題ありません。幸いなことに我が部隊には履帯式の89FVありますので、これを先頭にして轍の上を走行するようにすれば装輪車両がスタックすることもありません」
「いや、車両を使うまでもない。15cmも積もっていれば充分だ」
「は?」
「なぁに、敵さんに東北方面隊のお家芸を見せてやろうということだ」
2323年12月9日am1:30 地上派兵軍団 第673混成中隊 仮設駐屯地
冬の夜は冷える
それはここ第673混成中隊の仮設駐屯地も例外ではない。唯一マシなのは昨日の午後から輜重部隊が武器弾薬の他にも飯や防寒具を満載してこの駐屯地にやってきたことである。
何でも軍団司令部が立案した侵攻作戦の実行に伴い、我が中隊が軍団の右翼前衛となることが決まったこともあり他部隊に先立って前衛部隊には優先的に補給を受けさせているとのことだった
おかげで輜重部隊の連中はてんてこ舞いだとぼやいていたが戦闘部隊の彼らからしたら知った事ではない。だが、彼らが運んできた物資が中隊の士気を大いに高めたことは確かである。
侵攻作戦の発動に伴い、本隊から借り受けた一個戦車小隊と歩兵一個中隊を併せて運用される第673混成中隊だけでなく次の部隊へ向かうには時間が足りないとの理由で天幕の設営を始めた輜重部隊の連中も含めてその日は酒を含めた嗜好品をふんだんに使った酒盛りが行われた。
それが最後の酒になるとは知らずに
午前1時半を少し回ったところ、ウォッカを片手に警戒に当たっていた当直の兵士が最初の異変に気付いた。
彼と共に酒を飲み交わした同僚の姿が見えなくなったのである。酔いを醒ましに行くと彼に告げてから既に30分以上が経過しており流石の彼も不安に思ったのだ
しかし、捜索の為に陣地の周りに生い茂る林の中へと向かった彼が持ち場に戻ることはついになかった
今となっては誰も知らぬことだが彼が最後に見ることになったのは変わり果てた同僚の姿と自分の胸に銃剣を突き刺す正体不明の兵士であった
兵士達が知らぬ間に起きたこの惨劇から僅かに5分後、風を切る音と共に飛来した迫撃砲弾が次々に駐屯地に着弾。休息をとっていた多くの兵士たちを榴弾が天幕ごと吹き飛ばし、兵達を二度と覚めることのない眠りへといざなっていった。
警戒に当たっていた一部の戦車が降り注ぐ砲弾から身を守るためにエンジンを始動しようとしていたが、それが叶う前に林の中から飛んできた対戦車ロケット弾が命中し爆散。他の3両も搭乗員の乗車すら間に合わずに同様の運命を辿った。
奇襲により壊滅的な打撃を受けた第673混成中隊であったが一部の下級指揮官たちが反撃を試み射撃統制を行うも闇夜に目切れて銃弾やロケット弾を見舞ってくる正体不明の敵を完全に捕捉することはついぞ叶わなかった。と言うのも敵は雪上であるにも関わらず、驚くほど素早い陣地変換を繰り返しながら射撃を行ってくるため有効打を与えることができなかったのである。
最初の異変から40分後には中隊指揮所はおろか、まともな指揮を執れるものなど残っておらず兵達は皆、散り散りに敗走していった。
そんな中、ただ一人この戦闘で重傷を負いながらも自らの責務を果たした通信兵が本部へ電文を打電。暗号化する余裕など全くなかった為に平文で打たれた『それ』は直ちに軍団司令部へ届けられ現地統合司令官のラシード少将や高級将校に大きな衝撃をもたらした。
【我、所属不明ノ軍ト交戦セリ】
この短い電文こそが月面軍にとって自衛隊の存在を裏付ける確たる証拠となったのだった
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