第64話 経緯
2023年10月16日pm1:20 ”いずも”第二士官室(ニーナ少尉視点)
彼女が本物の英雄ならば確かめなければいけない
「今から5ヶ月ほど前に私は父の務める第2師団司令部に呼ばれました」
我々陸軍は何処に向かっているのかを...
2023年5月2日pm5:40 陸軍第2師団司令部(ニーナ少尉視点)
「お嬢じゃないですか。士官学校はお休みですか?」
この司令部には幼い頃から通っていたから知り合いも多い
何故かは知らないが彼らの多くは私の事をお嬢と呼ぶのだ
今声をかけてきたこの曹長も旧知の仲だ
「はい、今日は父に呼び出されまして」
「司令にですか?どうしてまた」
「さぁ詳細は私も知らされていないので」
私の父が第2師団司令官だからか大抵の隊員は私の事を知っている
そしてなにより私はこの師団が好きだ
父の師団だからというのもあるだろうがこの師団は良い意味で軍隊らしくないのだ。
雰囲気を例えるならば家族という言葉が適役だろう
「そうですか。ではお気をつけて」
「ありがとうございます」
挨拶もほどほどにして司令室に向かう
実の父とはいえ師団の司令官を待たせるわけにはいかない
私は司令室の扉を叩いた
「ニーナコトフ士官候補生、ただいま到着いたしました」
「入れ」
「入ります」
扉を開けて見慣れた室内に入る
「すまんな。急に呼び出したりして」
「いえ、教官も是非行ってきなさいと仰っていましたから問題ありません。それにお父様...いえ陸軍大将殿がお呼びとあれば何時でも飛んでいきますから」
「ここでは二人きりなんだから階級で呼ばなくても良い。親子なんだからあまり気にする必要はないさ」
嘘だ
私が軍に入隊してからは部下に示しをつけるために司令室では階級で呼ぶのが恒例だったのだ
自宅ならまだしもここで親子の会話をするとは思えない
これは何かある
私は父に調子を合わせつつ続きを促すことにした
「では改めましてお父様、ご用件はなんでしょう?」
「あぁお前は中央の対立について何か聞いているか?」
「いえ、特に」
「そうか…中央では地上との関わり方について意見が分かれている。我々の先祖を迎え入れたように地上の民と協同して月の発展に寄与していきたいハト派と地上の民を武力を用いて制圧し浄化すべきと主張するタカ派でな」
「そんなことが起こっていたのね」
「それだけじゃない。実は統帥部におかしな動きがあってな」
お父様は何気ないことのように言い始めたがこれは普通ではない
統帥部と言えば月夜見陛下に変わって陸空軍を統帥し、地上に軍を送る権限を持つ機関で我々軍の実質的な最高指導部だ
そんな組織に不穏な動きがあるとすれば何があるかわからない
「うちの参謀が統帥部に出向いたときに作戦室に出入りするタカ派の代議士を見かけたそうだ。近々政変が起こるかもしれんぞ」
にわかに信じれれなかったがもし本当だとしてその時、私はどうしたらいいのか
動揺していると父が微笑んできた
「ニーナ。もし政変が起こってどうしていいか分からなくなったときは正しいと思うことをしなさい」
政治の話はこれっきりだった
その後は学校の事や師団内部の事などについて話して一度自宅に戻ることになった
久しぶりに父が料理を作ることになったのだが昔よりも上達していて驚いた
何でも料理番だった私が士官学校に行ってから自分が作るしかなくなったため自然と腕が上がったそうだ
亡くなった母が聞いたらどう思うだろうか
母は私が8歳の時に他界している為あまり覚えていない
ただ料理は得意だったようで私にも熱心に料理を教えてくれた
与えられた休暇は1日だけだったので明日には士官学校に戻らねばならない
その日は早く寝ることにした
翌朝、素早く朝食を摂り支度をし玄関を開けようとドアノブに手をかけたとき父は一言だけ呟いた
「無事に帰ってきなさい」
何故かこの時の言葉が私には非常に重要に感じた
「わかりました。いってきます」
この言葉を交わした僅か3ヶ月後に統帥部より重大発表がなされた
2023年8月12日am8:00 士官学校 講堂(ニーナ少尉視点)
その日は突然訪れた
「…君たちも知っていると思うが、我々は最初から月の民として生きていたわけではない。我々の祖国は地上にあるソビエト連邦と呼ばれる国だ。当初はこの国の指示に従って行動していた訳だが半世紀ほど前に連絡が途絶えており現在において我々陸空軍は月夜見陛下のもとに所属している。ところでニーナ候補生、統帥権を持つ我々の最高指揮官は誰かね?」
歴史の講義を担当する教官はおっとりしているので気を抜きがちだったことが災いした
この教官は集中していない生徒を見つけるのが得意なようで正直心臓に悪い
「統帥権を持つのは月夜見陛下ですが、陛下は内政から手を引いておられますので統帥部が代わって軍の運用を行っているため実質的な指揮官は統帥部作戦参謀です」
しかしながら出された問題は比較的簡単なものだったのですぐに切り返すことが出来た
教官は感心したようにうなずき講義を続けた
「その通り。諸君らもここを卒業すれば晴れて第一線で活躍する士官になる。指揮系統も知らなければ下士官に馬鹿にされるぞ。それに…」
この言葉が最後まで続くことはなかった
『全学生は現在行っている作業を中断し直ちに大講堂に集合せよ』
講義中に鳴るはずのないスピーカーからの指示は私達を不安にさせた
教官も状況を把握できないまま午前の講義が取り消され私達は講堂に集められた。
突然のことであったため同期たちもこれから何が始まるのか分かっていない様子であった
教官の指示に従い講堂に整列すると5分もしないうちに緊張した面持ちの校長が登壇した
事前に説明の無い集会は異例であった
「本日、統帥部より重大命令が届いた。只今よりその全文を読み上げる。『現政権は月夜見陛下のご意思を無視した政を行っている。我が陸空軍は陛下に仕える軍であり政府を守る犬ではない。よって現状打破のため全軍を以って政府を倒す所存である。しかしながら政府に同調した月の使者による決死の抵抗により陸軍第5・第6師団は大きな損害を被った。よって士官学校生諸君らにはこの師団の立て直しを命じたい。敵の奮戦は敬服に値するが所詮は賊軍である。我々の勝利に揺るぎはない!諸君の奮戦に期待する』以上だ」
今何といった?
第5・第6師団壊滅の報も衝撃的であったが交戦相手が月の使者であったことが私の理解を遅らせた
月の使者と言えば都防衛の要である
そんな彼らと交戦したということは我々こそが反旗を翻した反乱軍のようではないか
「諸君らには期待している。間もなく我ら陸空軍は地上に侵攻し浄化作戦を開始するだろう。その時、この学校で学んだことを活かし配属される部隊では存分に力をふるってほしい」
講堂内に静寂が訪れる
無理もない
ついさっきまで学生生活が続いていくことに何の疑いも持たなかった私達にいきなり戦争をしてこいと言われたのだから沈黙して当然だ
「ようやく俺達の訓練の成果が試される時が来たんだ。軍人にとっては名誉なことだろ!」
しかし、私達の中には少なからず血気盛んな連中もいる
普段は目の敵にされても戦時では彼らの方が勇敢とされるのだ
「そうだ俺達はそのために訓練してきたんだ」
彼らの声に押されるように同期たちが声を上げ始めた
大衆とは熱しやすく冷めやすい
それが今回、裏目に出た形だ
「我らに仇名す地上の蛮族を根絶やしにしろ!」
「月の都万歳!月夜見陛下万歳!」
講堂内は瞬く間に熱狂した学生であふれ万歳の声が何時までも鳴り響いた
用例解説
ソビエト連邦…正式名称・ソビエト社会主義共和国連邦。1922年から1991年までの間に存在したユーラシア大陸における国家である。複数のソビエト共和国により構成された連邦国家であり、マルクス・レーニン主義を掲げたソビエト連邦共産党による一党制の社会主義国家でもある。首都はモスクワ。1991年12月25日崩壊




