第26話 国家安全保障会議
2023年8月30日am9:00 永田町 首相官邸
自衛隊の演習派遣艦隊が太平洋沖で消息を絶ってから既に20日間が経過していた。
武装した数千人の自衛官が一度に失踪するという異常事態に、政府内はもとより世論の注目度も高く、マスコミは連日に渡って盛んな報道を繰り返していた。
しかし、沸騰する世論に反して日本政府の対応は鈍かった。
連日に及ぶ報道への対応や、米国を始めとする周辺諸国への対応に時間を割かれた政府は、関係省庁間の連携が上手くいかず初動対応に失敗。
総理の夏休み期間中に起こった事件だったことから、野党から非難の対象となり内閣支持率も大幅に低下する運びとなった。
なにより自衛隊・海上保安庁による懸命な捜索にもかかわらず、いまだ艦隊の発見には至っていない現状に、世論は大きな不満と不安を抱えていた。
これにより与党自由党以下、防衛省·陸海空自衛隊は少なからず焦っていた。
そんな中、やっとのことで国家安全保障会議が開催されようとしていた。
「総理入ります」
内閣府職員の声を受けて、椅子に腰掛けていた国家安全保障会議のメンバーが一斉に立ち上がり礼をする。
側近を引き連れて扉をくぐった総理が片手を挙げて、座るように促して着席させると自分は席の前に立った。周囲の出席者達を見回してから、彼はゆっくりと口を開いた。
「諸君らも知っての通り、政府は前例のない異常事態に直面している。数千人の自衛官を載せた艦艇が消息を絶ち、未だに発見に至っていないのだ。我々は一丸となって失踪した自衛官達の発見に努め、国民の信頼を取り戻さねばならない。関係省庁はよく連携を取り合い、事態の収束に全力を注いでほしい」
総理は短く言い放つと席に着いた。その物言いに何人かの出席者が苦い顔をする。白髪交じりの老人の危機対応能力が低かったことも、初動対応の遅れに繋がった面があるということを知っているのだから当然ではあるが。
「まず、今回の事件について状況報告を統合幕僚長」
国家安全保障会議は通常、内閣総理大臣·内閣官房長官・総務大臣・外務大臣・財務大臣・経済産業大臣・国土交通大臣・防衛大臣・国家公安委員長の9名で構成される。
しかし、今回は事態の特殊性を鑑みて統合幕僚長以下、陸上幕僚長・海上幕僚長・航空幕僚長の自衛隊制服組トップも参加しているのだ。
「はい。8月10日、日本標準時間1120時に米軍との合同演習の為、海上自衛隊所属の艦艇5隻が横須賀基地から米国ハワイ州パールハーバーに向け出港しました。艦隊は順調にハワイに向け航行していましたが、5日後の8月15日1820時に艦隊から横須賀気象隊に対して周辺海域の気象情報の要求が有りました」
「続けて」
「はい。横須賀気象隊が派遣艦隊周辺の天候を確認しましたが、特に変わった様子が無かった為、演習派遣艦隊に座標の再確認を求めた直後、通信が途絶しました。その後の詳細はお手元の資料をご覧ください」
統幕長の言葉を受けて、出席者達が一斉に資料に目を落とした。
② 失踪海域の状況について
同時刻、異常を察知した横須賀気象隊は自衛艦隊及び海上幕僚監部に派遣艦隊との通信途絶を通報。
自衛艦隊司令官は艦隊との通信途絶地点に厚木基地よりP-1対潜哨戒機を派遣。同海域に現着するも派遣艦隊の姿は無く、海幕だけでの対処は困難と判断。
統幕監部及び防衛大臣への通報が行われる。
「成る程、艦隊のロストの経緯も不明か……次は航空機の方だ、空幕長」
総理は厳めしく頷くと、統幕長の側に控える空幕長に視線を向けた。
「はい。ロストした航空隊はC-2輸送機2機、F35J戦闘機2機の編隊です。この編隊は8月6日0900時、米国グアム飛行場に向けて空自百里基地から離陸。同日、1500に現場に到着。4日間グアムで米空軍との演習後、10日1000にハワイ島に向けて離陸しました」
原稿に視線を落としていた空幕長の声が詰まる。私情を挟むまいと努力してはいるが、それでも空いた一瞬の間は、彼の無念さを表すのには充分だった。
「……しかし、離陸から3時間後の1300に同編隊はレーダーロスト。米空軍は直ちに現場空域に救難隊を向かわせましたが発見に至らず。グアムに待機していた空自のF-15j及びF-2Aも編隊捜索の為離陸しましたが、こちらも発見に至らず帰投しています」
「空自の輸送機には何が積まれていたんだ?」
外務大臣の発言に、空幕長は一つ頷くと口を開いた。
「はい。ロストした輸送機には各種装備品の他、陸自の施設科中隊、空自の航空機整備員が搭乗していました」
「すると、かなりの戦力を失ったんだな……損害は以上か?」
国家公安委員長の言葉に、空幕長はまたもや鎮痛な面持ちで答えた。
「いえ、実はロストした艦隊の捜索の支援のため三沢基地から離陸したE2-C早期警戒機が1機ロストしています」
会議の出席者達がざわついた。既にマスコミに周知されてることではあったが、それでも捜索活動中の航空機までもを失う事態には動揺も大きい。
「こんなに多くの自衛隊が一斉にロストするなんてことがあり得るのか?」
官房長官が訝しげに問いただすが、これには防衛大臣が首を振った。
「長官、我々もいまだに信じられませんよ。この様な事態は防衛庁時代にも無かったことです」
困惑しきった防衛大臣の言葉に、官房長官も同情するような表情を浮かべる。
「統幕は何が原因だと考えているんだ?」
総理の言葉に統幕長は一瞬視線を下に落とした。
「原因に関しては調査中ですので、現段階では何とも……」
「その……なんだ……武力攻撃って言うのは考えられないのか?」
総理が歯切れ悪く問うた言葉に、出席者が一様に驚いた表情を浮かべる。誰もが一度は考えては、あり得ないことだと振り払ってきた不穏な事態への恐怖があった。
「統幕としては考えづらいと思っています。現場海域付近に他国艦艇は確認できなかった為ミサイル攻撃等の可能性は極めて低く、かといって米原潜をも発見可能な我が海自対潜部隊が簡単に撃沈されるとは考えづらいと思っています」
それ故に、攻撃の可能性をキッパリと否定した統幕長の言葉に、一同は安堵の表情を浮かべた。
「となるとやはり事故か……そうだ外務大臣、周辺国の反応はどうなっている?」
「はい、不穏な動きがあったのは中国、韓国、北朝鮮の3ヵ国です。中国と韓国は外務省と軍部の交流が盛んになっています。北朝鮮に関しては軍部に目立った動きは確認出来ませんが、国内の在日工作員が活動を開始しました」
「工作員か……警察は彼らの行動は把握しているのかね。国家公安委員長」
「はい、警察庁公安部が防衛省情報本部と協力して対処しています」
「他の国の動向は?」
外務大臣が再び答えを引き継いだ。
「はい。アメリカ・ASEAN諸国はロストした自衛隊の捜索を申し出ていますし、アメリカは中国牽制の為に第七艦隊を横須賀に回しています」
「そうか……支援はありがたいな。純粋な疑問なんだが、あれだけの部隊を失った自衛隊は今の時点で他国の攻撃に耐えられるのか?」
海幕長は思案するように顔を曇らせ答えた。
「わかりません……ただ、イージス艦を失ったので弾道ミサイルに対する防御が薄くなりましたし、ヘリ搭載護衛艦や輸送艦を失ったので離島防衛力が低下しています。唯一幸いなのは最新鋭の空母"しょうほう〟を失わなかったことですね」
「空母……確かもう一隻作ってたよな確か名前は……」
「"ずいかく〟ですね。艦自体は既に進水しておりますが、自衛隊への引き渡しは数か月後の予定です。また、仮に引き渡しが終わったとしても搭載する機体の調達、並びにパイロットの養成に時間がかかっているのが現状です」
「難しいのは承知の上だが、状況が変わったんだ。できるだけ早く戦力化できるようにしてくれ。他国の脅威に対抗できるのはもう空母しかない」
「わかりました」
「少し良いですか?」
一通りの質問が終わったかに見えたとき、情報本部長が手を挙げた。
「何かね? また面倒事か?」
「まぁそうなります。艦隊がロストした際の天候の状況を補足しておきたいので」
「あれだろ? 艦隊からの情報では現場で雨が降ってるって報告が来ていたが、アメダスでは雨なんてちっとも降ってないことになってるやつだろ」
「よくご存じで」
「当たり前だ。マスコミが連日のように報道してれば嫌でも覚える」
「その件ですが、現場からの報告が正しかったことがわかりました」
「どういうことだ」
「まずこの写真をご覧下さい」
「これは……雨雲か?」
「はい、これは艦隊がロストする2分前の現場海域の写真です。我が国の最新鋭偵察衛星『まつしま』からの画像です」
「つまり当時あの海域で雨が降っていたのにも関わらず、どういうわけかアメダスに映らなかったと言うことか?」
「はい。赤外線等のあらゆる手段で雲の下の状況を確認しようと試みましたが、どういうわけか雲の下の状況を確認することはできませんでした」
その時、会議室の扉が勢いよく開き、スーツ姿の官僚とおぼしき人物が血相を変えて飛び込んできた。防衛大臣ものとに駆け寄る。
「大臣、緊急事態です」
「閣僚全員に共有したい。話してくれ」
官僚は一瞬ためらうように周囲を見たが、直ぐに硬い表情で口を開いた。
「わかりました。つい先程、我が国の最新鋭偵察衛生『まつしま』が消息を絶ちました」
「なんだと……」
度重なる追い打ちに、閣僚たちのうち数名が力なく座り込む。国家と自衛隊にとっての悪夢はまだ覚めそうに無かった。
用例解説
アメダス...気象庁の地域気象観測システム。東京のセンターがコンピューターで管理し、雨量等の観測データを集計、配信する。
NSC...国家安全保障会議。国家安全保障に関する重要事項及び重大緊急事態への対処を審議する目的で、内閣に設置される。
いかがでしたか?
今回は普段と違い幻想郷ではなく現代で起こっていることを書かせていただきました。
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