2話
夫婦は近づいてくる俺たちに気が付き怯えたが、同じく顔面蒼白な沙也加の様子を見て少し落ち着きを取り戻したようだ。
「何か用かね?」
夫のほうが警戒するように声をかけてきた。
声が震えているくせに妙に威圧的で、俺は少しむっとしたが気を取り直して丁寧に声をかけた。
「すいません、状況を整理するためにあなたがたのお話を聞きたいと思いまして」
「なぜ私たちが君に話をしなくてはいけないんだ。君は何なんだね?」
「あなた、そんな言い方をしなくても…」
今まで震えて何もできなかったくせに、自分より目下の俺を見つけて調子でも取り戻したのだろうか。
いるんだよな、自分が年上ってだけで無意味に威張り散らすおっさんが。
俺の苛つきを感じたのが、沙也加がそっと俺の腕をひいた。
わかってる、こんな状況で怒る俺じゃないさ。
俺は沙也加の腕を軽く叩いて、とりあえず下手に出た。
人の良さそうな奥さんが話してくれた内容によると、二人はバスに乗って温泉に行くはずだったが旦那の仕事の都合でキャンセルしたとのこと。
他にも奥さんからいろいろと話を聞いていると、いきなり旦那が「そんなくだらん話をしている場合じゃない。行くぞ」とすたすたとどこかへ歩き出した。
「あなた、どこへ行くんですか?」
「どこって、ここら辺を調べるに決まっているだろう? お前もくだらん話をしていないでさっさと来い」
何というか、こういうのを団塊世代とでもいうのだろうか。
協調性のかけらもないおっさんめ。
なおも奥さんを置いてスタスタと歩いていくおっさんを追うように、奥さんは「ごめんなさいね」と一言おいて慌てて追いかけようとした。
その目の前で、おっさんは一戸建ての家ほどの大きさの岩に押しつぶされた。
岩はそのままアスファルトにめりこんだ。
おっさんの姿は確認できないが、確かにおっさんの上に岩が落ちてきたのを見た。
視界いっぱいに広がる岩はしゅうしゅうと音を立てて湯気のようなものを吐いている。
「あ!」
沙也加の悲鳴のような声に気が付けば、ゆっくりと奥さんが倒れるところだった。
俺は慌てて駆け寄ると、奥さんを抱きとめる。
奥さんは口を押えたまま気絶していた。
『はいは~い、三人目死亡。死因、巨大隕石に押しつぶされて死亡。
こんなばかでかい隕石が降ってきたら、衝撃波とか地球自体やばいじゃんとかいう突っ込みはなしね! すごいでしょ? 隕石が人に当たる確率ってのも、天文学的数値くらいすごいらしいよ?
隕石で天文…ぷくっく……』
俺は呆然と目の前の巨大隕石を見上げた。
気絶したままの奥さんはそっと地面に横にして、沙也加に預けた。
もう何でもありじゃないか。
この隕石についていた謎のウイルスで病気になって死亡とか、隕石が実は宇宙船で中から出てきた宇宙人に殺されるとか、そんな馬鹿げた考えが俺の頭の中でぐるぐるとまわった。
「…うっ…」
微かなうめき声に振り返ると、遠くのほうで若い女性が体を丸めてうずくまっていた。
奥さんに付き添っている沙也加と目を合わせて頷きあうと、俺は女性に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
俺は女性に声をかけながら背中をさすった。
「……ありがとう…」
女性はくぐもった声で顔を上げ、俺はお腹に手を当てているのに気がついた。
「お腹が痛むんですか?」
「…妊娠していて、ちょっとお腹が張っただけよ」
思わず女性のお腹をまじまじと見てしまったが、とくに出ている様子もなく見た目ではちっともわからなかった。
そんな俺の視線に気が付いたのか、女性は顔色が悪いながらも少し笑った。
「まだ妊娠初期だからわからないでしょ? あのバス旅行の直前に妊娠がわかったの。スキーに行くつもりだったからキャンセルしたのよ……」
「そうですか……」
妊婦なのにこの状況は殊更つらいだろう、お腹の中の子に影響がないといいが……。
俺はどうしたらいいかわからず、しばらく女性の背中をさすり続けた。
今生き残っているのは俺と沙也加と、奥さんとこの妊婦さん。
そしてお腹の中の赤ちゃんか……。
そこまで考えて俺はあることに気が付いた。
人数が合わない。
死んだ人間が3人。
残っている人間がお腹の中の赤ん坊を入れて5人。
合わせて8人だ。
神と名乗る声は確かに『死ぬ予定の7人が生き残った』と言った。
まだ生まれていない赤ん坊は人数にカウントされないということか?
何かが引っかかる…。
「…大丈夫?」
かけられた声にふと顔を上げると、いつの間にか沙也加が傍にいて心配そうに俺の顔を見ていた。
よっぽど俺はひどい顔をして考え込んでいたのだろう。
まだ気絶したままの奥さんを横にして、沙也加は俺のもとへ来てくれたようだ。
そんな沙也加に心配ないと微笑みかけようと顔をあげ、ふと沙也加が巻いているマフラーに目が留まった。
あれは彼女が中学生のときに家庭科の授業で編んだマフラーだそうだ。
「物持ちがいいでしょ?」そう言って笑った彼女の眩しい笑顔を思い出す。
そう、彼女はモノを無駄にしない性格だった。
俺の冷蔵庫を覗きこんでは、賞味期限が切れて放置したままのものを見つけて勿体ないといって食べてしまう女だった。
「もったいないお化け」とよく沙也加をからかったものだ。
ふと沙也加の顔を見て思う。
あの沙也加が、俺と別れたからといってバスツアーをキャンセルするだろうか?
確かあのバスツアーは、沙也加がネットで予約したものだ。
俺は別れたことで頭が一杯で、こんな状況で旅行なんて行くわけないと一人で思っていた。
だけど、沙也加は?
「…なぁ、沙也加……」
俺はある一つの可能性に思い至った。
「なぁに?」
沙也加は俺の問いかけに、安心した表情で答える。
「お前さ、バス旅行に行ったんじゃないのか?」
思わず声の震えた俺の問いかけに、沙也加の顔は見る見るうちに強張った。
それが、何よりの答えだった。
しばらく俺と沙也加は言葉もなく見つめ合った。
やがて、静かに沙也加の頬を涙が滑り落ちた。
沙也加は決して涙に逃げるような女じゃない、むしろ、決して相手には涙を見せないで隠れて泣くような女だ。
そんな沙也加の涙に、俺は胸が締め付けられるような思いがした。
「……だって…だってっ! 別れても寂しくって忘れられなかったんだもんっ…。…だから傷心旅行のつもりで、あのバス旅行に行ったの……」
沙也加の嗚咽交じりの告白に、思わず俺は立ち尽くす沙也加を抱きしめた。
「もういい、もう何も言わなくていい!」
嗚咽をこらえようとしてよけい震える細い体がどうしようもなく愛おしく感じる。
「あなたと私が知り合いだと知っていて、この世界であなたが死ぬまで騙すことができたら私を生き返らせるって言われたの。私、生き返るつもりなんてなかったけど、あなたにもう一度会いたくて……」
「そうか、そうだったのか……」
沙也加は顔を上げると、涙で濡れた目で俺の顔を見つめた。
「私の正体に気が付くこと、それがあなたが元の世界に戻るための条件よ」
沙也加はそうきっぱりと言った。
その清々しく美しい姿に魅せられ、俺は無意識に尋ねた。
「…なぁ、沙也加が生き返る条件の『俺がこの世界で死ぬまで』ってのは、自分で今死んでも条件にあてはまるか?」
沙也加は目を見開いた。
溜まっていた涙が目じりから一筋零れ落ちるのを見て、素直に綺麗だと思った。
俺は沙也加を守ると心に決めた。
それは例え沙也加が死んでいても決意は変わらない。
沙也加が生き返れるのなら、俺が代わりに死んでもいいと真剣に思えた。
「君の代わりに俺が死ぬよ」
そう言おうと口を開いたときだった。
ブブブブブブブブブブブブブブ。
いきなり振動音が聞こえ、俺のズボンのポケットが激しく震えた。
突然のことにびくっと体が震え、何が起きているのかわからずに軽くパニックになる。
「あ、携帯か。沙也加、ちょっとごめん」
冷静になってみればどうってことない、俺のポケットに入っている携帯だった。
俺は沙也加からいったん体を離し、ポケットの携帯を取り出す。
携帯の存在を忘れているなんて本当にどうにかしている……。
内心苦笑しながらディスプレイを見る。
セットしておいたアラームだった。
俺は習慣として1時間ごとに記録を付けている。
何で始めたのか覚えていないが、何となく続けている習慣だ。
今は悠長に記録なんか書いている場合じゃねえよな、とアラームを切った。
「え?」
『アラーム件名:許さない、許さない、許さない。俺という存在がいながらあんな男と一緒にいるなんて。許さない、許さない、許さない、ユルサナイ、ユル……』




