introduction5
これで準備は揃ってきた。
いや、引き返せないのと同じく、彼は望んでいるようだ。
「しかし、本当に何も覚えてないんだ・・・」
タツロウは独り言のように言った。
「まだ、あの子は僕らに近い。だから探し出すのも容易で助けやすいんだ。実体化してなければかなりの確率で偶然に頼るしかない。」
「反応が弱いとか?」
聞き返すとリュウジはすぐに答えた。
「ああ、その通りだ。よほど近くないとわからない。実体化してなければ怪我を負うことはない。
しかし、出口を見つける前に殺される可能性は高いと思うよ。生きて出口を見つけられた者は単なる悪夢として記憶するだけだ。
その本当の危険を知らずに。殺された者は・・・いわゆる突然死だね。病名は付けられるだろうけ朝になったら冷たくなってた、
こんな感じかな。」
「それで、パトロールのように入ってる?それでいいのかな?」
「そんなところだ。もっとも反応が強ければ、鋭いミクが知らせてくれる。それで出る事もある。」
ミクはフロアにはおらずクリニックに戻ったようだった。
「あそこにいる亡者とは?」
「うん・・・」
リュウジは何か考えながら話し始めた。
「うまく説明できるかは・・・うまく伝わるかな?
おそらくは、まあ、一種の思念だろう。本当に全部が亡者なのかも言い切れないが、明らかにそういう者もいる。
で、あそこは・・・僕らで言う悪意、違う価値観の世界の光が充ちている。それに照らされて生ある者が入った時に襲いかかる。」
「うーん・・・とんでもない所だけど・・・」
「まあ、僕らは入るだけで、それ自体は影響はない。もっとも負傷した場合はそういうわけでもないが・・・」
「そうか・・・」
リュウジは口調を変えて強い口調で言った。
「もっとも・・・無理は絶対にしないで欲しい。そういうのはわかるはずだ。実際ここで命を落とした者だっている。
ここは強制ではない。危ないと思う時は拒否しても、逃げ出してもいい。その事だけは忘れないで欲しい。」
「ああ・・・はい・・・」
真っ直ぐに自分を見て話すリュウジを見て、これは本当なんだろうな、とタツロウは思った。
リュウジはフォローするように言った。
「無理をしなければ・・・いや、僕も無理した事はあるけど入って5年になるんだ。人の入れ替わりはあるんだが円満にやめていく人が多い。
まあ、大丈夫だと思う。」
用意してあったお茶をお互いに一口飲むとグンシが降りてきた。
「どうだった?少しは慣れたか?って実質今日が初めてか?」
そう言って笑いながらグンシはタツロウの肩を揉んだ。
「いや・・・まあ・・・」
苦笑いしながらタツロウが答えると
「まあ、無理しなければ・・・君にとっては副業もできるジムみたいなもんだ。地下1階は本当のジムになってる、表向きはな。」
「表向き?」
タツロウが驚いて答えるとグンシは笑いながら答えた。
「ここは運動のデータを取る為の研究施設、ということにしてある。謝礼はまあ、データ提供料になってるはずだ。なあ神谷君。」
今度は神谷が苦笑いしながら答えた。
「そういうこと・・・ですね。」
グンシは後ろから覗き込むようにタツロウを見て言った。
「まあ、無理言って来てもらうと言うわけだからしっかりと投資はするぞ。ただし!有効に使ってくれ。」
「あの・・・あのお金は・・・ただあそこまで気前よく出されると・・・」
タツロウが戸惑いながら言うとグンシはすぐに返した。
「人命救助のために最高の装備を用意するのは依頼者の務めだよ。
金の事は気にするな。それにここで使う武器なんか所持してるだけで捕まる代物だ。実質的にここから持ち出せん。」
「あ、たしかにそうですね。防具も売っても金にはならないでしょうし」
タツロウも少し納得して答えた。
「ところでロッカーは決めたか?使いやすい私物を持って入れておけばいい。あと、足りない物は揃えてくれ。領収書は品代でいい。」
「そうだ!先生は時間ありますか?武器の相談をしたいんだっけ?醍醐さん?」
「あ、そうでした!あの、申し訳ないのですがわがままは言えるでしょうか・・・?」
「ああ?とりあえず聞くだけ聞こう。あ、そうだ聞いたか?銃や爆弾は使えないぞ。あと、持って歩ける範囲の物だからな。歩きまわるわけだし」
そう言ってグンシは席に着いた。
「これでいいのか?」
「はい、こんな感じでいいでしょうか?」
タツロウは構想を話し、リュウジとグンシもアドバイスを加えて、長い間の話し合いは終わろうとしていた。終電も近い。
「ええ、すいません。でもいいんですか?こんな無理を言って?」
「ああ、これなら構わないが・・・まあ・・・作ってみよう。で、使い勝手が悪ければまた言ってくれ。」
「はい・・・よろしくお願いします。」
「おお、こっちこそ遅くなって済まなかったな。明日の仕事は?」
グンシは心配してタツロウに尋ねた。
「明日は休みですし・・・そうそう、あの、ここは昼間入れますか?明日準備をしようと・・・」
リュウジが立ち上がり近くのボードの引き出しを開けた。
「ああ、ここのカードキー。もう預けておくんで、一人の時でもここに入れる。」
「じゃあ、お預かりします。すいません遅くまで。」
タツロウは改めて礼を言ってクリニックを出た。
いや・・・後戻りできなくなったなあ・・・でも・・・まあ、気楽にやればいいか・・・ただ懸かっているのは人命だからなぁ
タツロウは軽く迷いながら終電の中で立っていた。終電は込み合っていたが疲れを感じてきた。
駅を出ると彼はタクシー乗り場の列に並んだ。結局、札束は置いてきた。明日使うときに取りに来る、という事にした。
もっとも、そんな現金を持って歩くのは物騒極まりない。しかし、3万円の方はそのまま持ち帰ることにした。
「君の金なんだから好きに使え。」と二人に言われたからだ。
そんなわけで、その3万円は小遣いになった。バスもない中歩いて帰るのはまっぴらだ。
家に着くと両親は寝ており、シャワーを浴びて冷蔵庫の中の物を適当に温めて食事を取った。
疲れたのか寝酒もなしにぐっすりと眠ることができた。
翌日、荷物を持ってクリニックに行くと午前中は誰もいなかった。荷物を整理しながらロッカーにまとめて、昨日の封筒を手に取った。
カード渡してくれた方がすっきりするのに・・・
そう思いながら彼は封筒を用意してきたセカンドバッグに入れた。
「さて、と」
クリニックを出て朝に調べて来た店に入り、概ねイメージ通りのプロテクターを購入した。
サバイバルゲームなどで使うフルプロテクターだ。
胸当て、肩、二の腕、背中をガードする。もちろん、これをそのまま使おうとは思っていない。あくまでこれはゲーム用だからだ。
これを元に作り直す予定でいる。
上に着る物はミリタリーデザインのジャケットにした。
その他はゴーグルやヘルメットだが通販で購入する旨を伝えてある。あまり着用はしないんじゃないか、とのアドバイスもあった。
とりあえず必要な物を買い揃え、クリニックに戻るともう夕方だった。
もうミクが来ており、鍵は開いていた。
彼女は受付の席で事務や書類の整理をしていたようだ。
「あ、こんばんは。色々買って来たんだ・・・」
「うん、今日はいつも通りの出勤?」
ミクは首をかしげながら答えた。
「普段よりはちょっと早いかな。あ、晩御飯あるんだ。来るって聞いてたからお父さんの分と一緒に作っといたの」
タツロウは少しびっくりしたように
「あ、ありがとう。先に荷物まとめたり、メモ作ったりやっていいかな?」
「うん、じゃあ、また後で。」
タツロウは下に降りてロッカーに荷物を分けた。そして、プロテクターを着けたり外したり、動いてみたりしながらメモを作り始めた。
そのうちにグンシが現れ打ち合わせを始めた。
「うーん、綿密だし的確なチョイスだ。何か経験者みたいだな。」
笑いながら感心してグンシは要望を聞いた。
持ってきた小物を見せると
「そうだな。持って歩くといい。さて飯にして診察を始めるかな。君はどうする?」
「今日は行かずに帰ります。」
すぐにグンシが言った。
「じゃあ、飯くらい食っていけ。用意してあるはずだから。」
その言葉に甘えてリビングの食卓を囲んだ。用意してくれたカレーはおいしかった。
タツロウは二人の様子を見ながら、仲の良い親子なんだ、と思った。それと、多分ミクの母親はいなくなって久しいんだと感じた。
もっとも、それを聞こうとは思わなかった。ただ、外から見てそんな雰囲気があった。