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招待状

 厳しい冬の風が吹き荒れる日の午後、店のドアベルが騒がしく鳴り響いた。


「だから! ついて来ないでって言ってるじゃない、ヴェントゥス!」


「……うるさいな。俺はただ、確認したいことがあるだけだ」


 入ってきたのは、顔を真っ赤にして憤慨するリゼットと、その後ろでバツが悪そうに、けれど決然とした表情で続くテオドールだった。


「アリー姉さん、見てよ! こいつ、学校からずっと私の後をつけてくるのよ!」


「変な言い方をするな、シルフィード。俺は……」


 テオドールの言葉が止まった。カウンターの奥で作業をしていたアリアドネが、顔を上げたからだ。

 眼鏡を外し、作業を中断するためにふと向けられた彼女の瞳。それは、あの夕闇の丘で自分を救い、優しく見つめてくれたあの「旅人」と同じ――透き通るようなスカイブルーだった。

 そして、店内を満たしているのは、あの日自分を包み込んだ、甘く穏やかな花の香り。


「……あ」


 テオドールのシトリン(黄水晶)を思わせる瞳が激しく揺れ、瞬時に顔が耳元まで染まった。彼はリゼットも驚くほど丁寧な仕草で、深く一礼した。


「あ、あの……先日は、本当にありがとうございました。お礼が遅れてしまい、申し訳ありません」


「テオドールくん、どうして……」


「やっぱり! 貴女でしたか。あの時はフードを深く被っていたし、おまけにあの魔力! 性別さえ分からなくて、やっとの思いで探したんです」


 瞳を潤ませ、心底嬉しそうに微笑むテオドール。そのあまりの豹変ぶりに、アリアドネが戸惑う横でリゼットが絶叫した。


「ちょっと! なんでアリー姉さんに敬語なのよ! さっきまで私に『地味女』とか言ってたじゃない!」


「だ、黙っていろ! 俺は、この方に……女神様・・に、お礼を言いに来たんだ」


 テオドールは震える手で、大切に持ってきた小さな包みと、封筒を差し出した。


「これ……良ければ受け取ってください。貴女が『捨てていい』と言ったあのハンカチ、僕は一生の宝物にするつもりです。だから、その……これは、俺の気持ちです」


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! アリー姉さんのハンカチを一生の宝物!? ヴェントゥスのくせに生意気よ! 返しなさい!」


「断る! 貴様に関係ないだろう!」


 店内で始まった激しい言い争い。アリアドネは、差し出された包みと、喧嘩をする二人を交互に見ながら、ポカンと立ち尽くしてしまった。


(……困ったわ。内緒にしてもらうはずが、弟くんにもバレて、しかもリゼットまで巻き込んで……)


 その時。入り口から、すべてを見通しているような低く甘い声が響いた。


「これは、何の騒ぎかな?」


 いつの間にか開いていた扉の傍ら、冷たい微笑みを湛えたセリアスが立っていた。

 凍てつく冬の空気を纏い、逆光の中に佇むその姿は、まるで舞台の上に現れた主役のような圧倒的な存在感を放っている。


「兄貴……!」


「セリアス様……」


 テオドールが肩を震わせ、リゼットが息を呑む。

 セリアスはゆっくりと店内へ足を踏み入れる。


「注文したものの進行状況を聞きに来たんだど。……どうやら、随分と賑やかなことになっているね」


 彼はアリアドネの至近距離で足を止めると、ふふ、と喉を鳴らした。


「テオ、君がここにいる理由は聞かなくてもわかるよ。……そのハンカチをくれた誰かを、突き止めたというわけだ」


「兄貴、俺は……」


「ボクが独り占めするには、彼女の才能は眩しすぎたね」


 セリアスはそう言いながら、アリアドネの耳元に顔を寄せた。


「でも、困ったな。ボクの加護師・・が、こんなに早く他の男に見つかってしまうなんて。……それが、たとえ実の弟であってもね」


 トパーズ色の瞳が、不敵な光を宿してアリアドネを見つめる。

 その熱量に圧されながらも、テオドールは一度深呼吸をして、意を決したように言葉を吐き出した。


「実は、星降祭せいこうさい……に、貴女を招待したくて」


 テオドールが顔を真っ赤にしながら、絞り出すような声で言った。


「魔法学校の……現生徒とOBが集まって一年の終わりを祝う大きなイベントなんです。そこで、その、一緒に……」


「あら、星降祭?」


 アリアドネが瞬きをする。かつて自分も通った懐かしい学び舎の行事だ。冬季休暇に入る前に、来年への希望と、一年の無事を祝う聖なる夜。

 学園の広場には巨大な魔導ツリーが点灯され、この夜、最も美しい光(祝福)を賜った女性は永遠の幸せを手にするという、恋人たちにとっても特別なイベントでもある。


「いいね、それは」


 セリアスが、アリアドネの耳元から少しだけ顔を離し、不敵な笑みを浮かべた。


「ボクも招待を受けているんだ。テオ、いい提案だ。彼女をどう連れ出そうか考えていたところだった」


「兄貴……! 俺が先に誘ったんだ、横から入ってくるなよ!」


 テオドールが、自分の勇気を土足で踏み荒らしていく兄に、剥き出しの敵意を向ける。しかし、アリアドネは板挟みになった困惑から、眉を下げて視線を泳がせた。


「あの……お二人とも。お気持ちは嬉しいのですが、私は無理だわ。あんな華やかな場所に行くようなドレスも持っていないし、ダンスだって……学校を卒業してから、ずいぶん経つもの。今の私には、ここで静かに針を動かしている方がお似合いよ」


 かつて「光らない刺繍」と蔑まれた学び舎。あんな眩い場所へ戻る自分を想像するだけで、指先が強張る。アリアドネは、やんわりと、けれど明確に拒絶の言葉を紡いだ。


「ドレスなら、ボクが贈るよ。君のスカイブルーの瞳が、聖夜の灯りに最高に映えるような一着をね」


「ですから、私は……」


「兄貴、自分勝手すぎるだろ! ドレスだって、誘った俺が……!」


 狭い店内で、ヴェントゥス兄弟の火花を散らす。アリアドネは、勝手に「贈るドレス」の競り合いを始めた二人を前に、アリアドネはただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


「えぇっと……」


「テオ、君の役目はもう終わっているよ。ボクに口を挟むなんて、生意気になったね」


 セリアスが冷ややかな微笑を浮かべれば、テオドールも負けじと兄を睨みつける。


「兄貴こそ、ただの客じゃないか! アリアドネさんの時間を独占しようとするのは、横暴だ!」




「……いい加減にしましょうか?」


 低く、けれど芯の通った声が店内に響いた。

 兄弟が弾かれたようにアリアドネを見る。そこにあったのは、いつもの困り顔ではない。氷のように冷たく、静かな怒りを持っていた。


「……アリアドネさん?」


 二人の戸惑いを無視し、アリアドネは針箱の蓋を静かに閉める。


「私は行きません。ドレスも、招待も、今の話はすべておしまい。……お客様、本日は閉店ですのでお引き取りください」


 有無を言わせぬ圧に、二人は毒気を抜かれたように押し黙る。アリアドネはそのまま迷いのない足取りで入り口へと促し、文字通り丁重に、けれど断固としてヴェントゥス兄弟を店の外へと追い出した。


 カランカラン、と激しく鳴ったドアベルが止まり、店内に静寂が戻る。


「……はぁ。まったく、あんなに騒がしくされたら指先が狂ってしまうわ」


 アリアドネが深く溜息をつき、額の汗を拭う。すると、棚の影で一部始終を見ていたリゼットが、おそるおそる近寄ってきた。


「アリー姉さん……本気で怒っちゃった?」


「私だって怒るわよ、あんなの。お店は戦場じゃないんだから」


 呆れ顔のアリアドネに、リゼットはふっと表情を和らげ、姉の腕にぎゅっと抱きついた。


「でも、お姉さん。……本当は、ちょっとだけ行きたいんじゃない?」


「リズ……」


「ヴェントゥスの誘いはどうでもいいけど、今のアリー姉さんは、昔の『光らない』って馬鹿にされてた頃の姉さんじゃないわ。こんなに凄い加護を縫える、私の自慢のアリー姉さんよ!」


 リゼットはハニーブラウンの髪を揺らし、姉と同じスカイブルーの瞳を真っ直ぐに姉に向けた。


「もう、あの頃の学園じゃないの。……あの場所を、最高に楽しい思い出に塗り替えてやりましょうよ! 私と一緒に!」


 妹の屈託のない笑顔と、力強い言葉。

 アリアドネは数秒間目を丸くしていたが、やがてふっと、憑き物が落ちたように微笑んだ。


「……リズの頼みなら」


「そうこなくっちゃ! 私ね、アリー姉さんとお揃いのドレスを着て踊るのが夢だったのよ」


 その言葉と共に、リゼットは嬉しそうに店内を飛び跳ねた。一方、店の外では、追い出された兄弟が冬の冷気の中で凍りついていた。


「……俺は、なんて失礼なことをしてしまったんだ」


 テオドールが今にも泣き出しそうな顔で、閉ざされた扉を見つめ、膝から崩れ落ちる。しかし、その隣に立つセリアスは違った。彼はわずかに開いた窓から漏れ聞こえてくるリゼットの声を聞き逃さなかった。


「……お揃い、か。なるほどね」


 ショックで固まる弟を尻目に、セリアスは早くも次の「一手」を考え、薄く微笑んだ。


 数日後、アリアドネの店に驚くほど大きな二つの箱が届けられた。送り主の記名はない。けれど、その贅を尽くした包み紙と気品溢れる装丁が、ヴェントゥス公爵家の関与物語っている。


「……これ、お揃いじゃない!」


 箱を開けた瞬間、リゼットが歓声を上げる。

 一つは、十六歳の若々しさと愛らしさを凝縮したような、淡いピンクのシフォンドレス。幾重にも重なったフリルとギャザーは、指で触れるだけでふわふわと春の風のように揺れ、胸元の大きなリボンがリゼットの可憐さをこれ以上ないほど引き立てている。


 対してもう一方は、深いミッドナイトブルーのシルクドレス。

 ベースのデザインこそリゼットのものと同じだが、こちらは余計な装飾をあえて削ぎ落とし、布地そのものが持つ上質な光沢を主役に据えている。緩やかな曲線を描くデコルテには無数の微細なビジューが散りばめられ、まるで夜空にまたたく星屑をそのまま縫い留めたかのようだ。


「……私のは、少し大胆すぎないかしら」


 アリアドネは鏡の前でドレスを当て、戸惑ったように頬を染めた。特に背中が大きく開いたバックレスのカットは、普段地味な作業着で肌を隠している彼女には、あまりに眩しすぎた。


「何言ってるの、アリー姉さん! 誰がどう見たって最高に綺麗よ!」


 リゼットが姉の背中を力強く押す。


「セリアス様もテオドールも、これを着た姉さんを見たら、今度こそ本当に息が止まっちゃうんだから!」


 アリアドネは妹の勢いに押されながらも、鏡の中の自分をそっと見つめた。

 届いたドレスは確かに一級品だ。けれど、まだどこかよそよそしく、「命」が宿っていない。


「……ふふ、やられたわね。さすがはヴェントゥス様、私の性格をよく分かっていらっしゃるわ」


 アリアドネの瞳に、職人としての静かな情熱が灯る。

 デザインが極限までシンプルに抑えられているのは、セリアスが「アリアドネなら必ず刺繍を入れる」と確信してのことだろう。


「リズ、針の準備をして。このドレス、もっと特別なものにしたいわ」


「もちろんよ、アリー姉さん!」



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