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誰かの中で世界を眺める話。

作者: ほな

あたなは深い息を吸って、吐いて、また吸った。

息が体の中を通る度に膨らむ胸は、腹は、いつものあなたが感じていたあれとは少々違う。


前を向く視線もまた、違う。今までのあなたが見ていた高さとはずれた高さだ。

視界は何故か鮮明に見える。いつものあなたが眺めていた世界より鮮明で、鮮やかな色。


前に伸ばされた腕は見知らぬ形をしている。あなたの腕とは全く違う腕だ。


「こんにちは。」


あなたは自分の意思で口を開いて、そう言った。

あなたは自分の意思とは無関係に、口を開いた。


これまでの事で気付いたと思う。

あなたは今、全く知らない人の中に入っていた。顔も、名前も、声も。

どこに生きているのかすらわからない。

知っているのはただ一つ。


この人が、この『記憶』を記録として残した。

それだけ。


どうしてあなたがこの人に惹かれたのかはわからない。パッと見てこれだと思ったかも知れないし、周りの人におすすめされたからなのかもしれない。

確かなのは今、あなたはここにいる。


「今日の天気は晴れだった。だから一日中、キラキラする日のお陰で暑かったんだ。」


あなたの口で語られる、あなたではない声。

その声はどこか楽しそうに、同時に恥ずかしそうに。一人で語り始めた。


「やっぱり……一人で喋るのって慣れないね。そう思わない?私の中のあなた。」


この人はよく、あなたのように記憶の中に染み込んだ人に声をかけると噂だった。

だからあなたが興味を得たのかも知れない。


「まぁ、誰かに語りかける独り言に慣れた人なんてないんだろうね。」


ふわりと、足に当たっていた何かが舞い上がる。

それにつられ下へと、視線が下がる。


「あなたが男か女なのかはわからないけど、我慢して。あなたが選んだんだから。」


そこにはゆらゆらと、風に合わせて揺れ動くスカートがあった。あなたが着たことがないスカート。なのにあなたは、それがどこか懐かしく感じられる。

もちろんそれはあなたとは無関係なのだろう。


懐かしいという気持ちは、あなたを抱えているこの人の気持ちなのだから。


「何から話そうかな……服の話からしようね。」


あなたは木陰の下にある石に腰をかける。

ここに来るのは大昔からだったのか、あなたが座った石にはちょうどよく削られていた。


まるで椅子のようだって、あなたは思う。

いや、彼女が思った。


「これはね?私が大人になって初めて自分のお金で買った服と同じやつなんだ。見た目も、中身も。ぜーんぶ、あの頃と同じ。」


そよそよと流れる風にあなたの前髪が揺れる。


「でもね?今私が着ているこれはあれとは違う品物なんだ。どうしてなのか、わかる?」


一人で語るのに慣れて行くのか、あなたの声は明るく、聞いていて楽しい声色に変わっている。

それと同時に、バイオリンの音がした。


「どうしてなのかって言うと…これ、デザインだけ同じ違う物なんだからなの。あの頃に着ていた服はもう着れなくなっちゃって、捨てた。」


あなたが聞いた事がないバイオリンの音。音って言うより、演奏だ。


「あなたはそういう経験があるのかな。思い出の物と全く同じだけど、思い出は宿っていない物。」


悲しくも、嬉しくも聞こえるその音はあなたが口を開く度に小さくなる。

まるでラジオの音楽のようだ。


「私には色々とあるのよ、そういうのが。」


だがそのバイオリンは、同じフレーズだけが続く時があれば、それも似たフレーズが出たりする。

練習をしているとも捉えるだろう。


「これもテセウスの船と同じやつなのかな?」


あなたは座り方を変え、木の上を見上げる。


「でもテセウスの船は思い出が宿っているから、私の場合とは違うんだろう。」


季節は秋の最中なのだろうか。あなたの視線の先には紅葉色の葉がたくさん、広がっている。

不思議にも、落ちる紅葉はいない。


「そういう難しい話は誰かと語り合うのが面白いのにな。あなたとは語り合えないから、残念。」


紅葉が一つ、落ちた。

あなたはそれを掴もうと手を伸ばすが、すぐに手が届かないと知って元の姿勢に戻る。


「……もう何を話せばいいのかわからなくなってきた。周りの景色でも見る?ここ、私が人生の中で一番好きなところなんだ。」


あなたはそう言って、立ち上がる。


「秋には赤色に美しく、冬には白く染まって、春には木漏れ日できらきら、夏には緑色で満ち溢れるの。」


一歩一歩、あなたは歩き始めた。

特に目指す場所はいない。ただ、歩く。


「この木、私より歳上なんだ。信じれる?どこでも見れるような木なのに、もう何十年も生きてきて、今でも色を失わないって事が。」


風が吹いて、木々が揺れて。

バイオリンの音が強さを増す。


「人は三十歳とかになってもすぐ色を減らし、なのにもまるで自分が色んな事を知っている風に語り始めるのにな。木は黙々と、咲くだけ。」


涼しい風があなたの頬を撫でる。


「木は語れないから、そう思うのかも知れない。この子…この木も喋れるのなら人と同じなのかも。」


髪の毛が揺れて、あなたの肩をくすぐる。


「さ、悲しい話は止めよう。あなたもこういう話ばっかだとつまらないでしょう。」


あなたは最後に木に笑顔を送って、目を閉じた。


「ここから前に、ただ真っ直ぐに進めばとても綺麗な場所が出て来るのよ。幼い頃は今みたいに、わざわざ目を閉じて歩いてみたりもした。」


目を閉じたせいで、周りの枝がが揺れる音や、葉が擦れる音、あなたの足音と、あなたに踏まれる葉っぱの音がよく聞こえる。

匂いは、あまりしない。


「もうすぐだよ。もうすぐ、あと5歩くらい。」


風が吹いた。今まであなたをくすぐった風とは違う、力強い風が思いっきり、あなたを抱える。

その風を抱え、あなたは最後の一歩を踏み出した。


「ここ。」


目を開けると、あなたを迎えてくれるのはだだっ広い景色だった。


草原って言えるのだろうか。

あなたの目の前に広がっているここは、幼き草むら達が一生懸命に体を伸ばす場所だった。


「どうかな。」


空から降りてくる日差しは草むらに、土に反射されて辺りを明るく染め上げていた。

まるでそれは自ら光を放しているようにも見えると、あなた達は思った。


「うふふ、綺麗でしょ?」


演奏がまた強くなった。

今は、バイオリンだけではない。


音楽にあなたの声が混ざり始めた。


「ここに来ると歌いたくなるんだよな。」


それは頭の中での音で、あなたが口を開いて放した音でもある。

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