第四話 混浴温泉殺人未遂事件
そもそもマルグリット皇女殿下が自らお出ましになったのはミシェル総督の計らいである。
リシャールは仕事を始めるとそれを完璧に仕上げようと熱中する癖がある。戦場においては敵と遭遇すればそこで彼の仕事は終わりで、後は有能な幕僚たちにお任せと言う事になる。要するに締め切りが明確に存在するのであるが、政治にはこれで御仕舞いと言うものがない。実際に動くのは官僚たちだとしても、事務処理能力となればリシャールを上回る人材は希だ。そこで皇女殿下を招いて彼の手を止めてしまおうと言う仕掛けだ。
カトル伯と父のモンタギュー侯ウリエルを見送った後、リシャールはマルグリット殿下を伴って休養に出発した。
「温泉、ですか?」
帝都にも大地からお湯が噴き出す場所はあるのだが、地質の問題もあって人が入れるような成分ではない。リシャールの生まれ故郷には温泉があったが、この辺境伯領は温泉資源が豊富だった。
リシャールは各地の温泉の成分を調査させて、いくつかの地点を選んで資金を投入して施設整備を行わせた。今回は初めての現地訪問である。まだまだお忍びとは行かず、厳重な警備体制を布いている。
アンニバル隊は攻撃力は高いが防衛向きではない。そこで辺境伯への陞爵を機会に防衛専門の部隊を新設して育成を始めていた。最終的に中隊規模まで拡大する予定であるが、今は小隊規模に留まる。そこで皇女殿下の警護部隊との共同任務となった。
皇女の護衛隊は女性兵士だけで構成されてアンジェ・ガルディアンと命名されているが、アマゾネス隊と言う通称の方が知られている。
陸戦隊の用いる装甲服の最大規格は8フィート(約2.4m)である。戦艦の中で戦う為にはこれが限界であるが、警護隊の用いる地上規格は一回り大きい10フィート(約3m)サイズである。気密性が不要な分だけ軽量化されている。地上用は纏うと言うよりは乗ると言う方が適切で、乗り手は小柄な方が有利。つまり女性であることがデメリットにならない。
総督府からの補助金で増築されたホテルは辺境伯を迎えるための別棟を増築していた。これは警備上の配慮もなされている。
リシャールが希望した露天風呂は脱衣所は男女別で、中は繋がっているのだが、今回は事前に間仕切りを入れてもらった。
「如何ですか。初めての温泉は?」
「なんだか、肌がヌルヌルします」
マルグリットの声はどこか愉しそうだ。
「ここは疲労回復の他に、美肌になる効果もありますから」
若い彼女にはまだ不要かもしれないが。
「先に上がりますから、ごゆっくり」
リシャールは一足先に部屋に戻って地酒で晩酌を始めた。この酒もここを選んだ理由の一つだ。帝都では果実を醸造した酒しかないが、ここのモノは穀物を原材料にしている。果実は糖分が多いのでそのまま発酵するが、穀物はまずデンプンを糖に変える手順が必要になる。
テーブルの下に掘り込みがあって冬場ならここに暖房器具が置かれる。これも彼の注文通りだ。
まもなく風呂から上がったマルグリットが浴衣を纏って戻ってくる。
出された料理はいずれもここでしか食べられないものばかり。
「帝都は国中から多彩な食材が集まってきますが、鮮度の関係で産地に行かないと食べられないモノがありますからね」
帝都の料理は多彩な食材の組み合わせの妙。地方の料理は特産物を生かした独自のモノ。それぞれに長所と短所がある。
母なる星を脱出した時に持ち出せた食材は限られており、その時に失われた料理も数多い。その一方で辿り着いた新天地で入手した新たな食材により新たな食文化が生まれている。
話はこれで終わらない。
「不審者を捕えました」
武器を隠し持っていた従業員が居たらしい。目的は要人暗殺と思われるが、
「ターゲットは俺か、それとも皇女殿下か」
リシャールは拘束された暗殺者に直接尋問した。
「自分はテトラ連合の元情報局中佐ヘイミッシュ=ボイドだ」
と訊かれても居ないのに名乗る。
「無能な情報局員もあったものだ」
とリシャールはあきれ顔になる。
「もし襲撃が成功して俺が死んでいたら、俺の庇護下に置かれているテトラの旧主星系は悲惨なことになっただろうな」
リシャールの部下が先んじて抑えたから彼の主導で占領政策が進んだのであって、もし本軍による占領であったなら苛烈な統治が行われていたであろう。それが時間差を置いて実現することになる。
男は何か弁解を試みたが、
「もう喋るな」
リシャールは腰に帯びた拳銃を抜いて男の額に突きつけると、
「これ以上は見ているこちらが恥ずかしくなる」
と言って引金を引いた。
「これでお前は死んだ。死人の言葉など誰も聞かない」
リシャールの銃にはカートリッジが入っていないので撃っても何も起きない。彼が殺人を好まないと言う事もあるが、自分が銃を抜くような事態になれば勝敗はついている。その場合には自決の為にカートリッジを込めると決めている。
「この男はどうしますか?」
と警備隊長。
「棺桶に入れておけ」
棺桶とは冷凍睡眠装置の隠語である。
「それよりも、ここ以外にも工作員が入り込んでいるはずだから、大至急身柄を拘束するように連絡を入れろ」
この男はたまたま当たりを引いただけだ。本来ならリシャールが訪れるのはもっと先のはずで、それまでには入念な計画が整っていただろう。今回は見逃して次の機会を待つべきだったのだが、目の前に転がり込んだチャンスに飛びついてしまった。工作員を一網打尽に出来れば黒幕もあぶり出されるかもしれないが、リシャールはそこまで期待していない。




