11.魔法を検索する魔法
セシルの病気を治す。ヒロはセシル本人にそう宣言した。
宣言した以上、それは約束だ。約束を遵守するのはヒロにとって義務に近い。
治せる根拠もないくせに約束して大丈夫なのかと思う気持ちはあるが、かと言って約束を放棄するつもりはない。
「さて」
ヒロは、セシルを家に入れて早く寝るように促した後、改めて家の外に出ると、地面に腰をおろした。
時間は夜。月はまだ闇の真ん中にあり、しばらく朝を迎える気配はない。
森を吹きぬける風はひんやりと冷たく、ヒロは無意識に腕をさすった。やはりTシャツだけでは肌寒い。このまま外にいたら、いくらヒロが頑丈でもいずれ風邪をひいてしまうだろう。
しかし、今からヒロがするのは魔法の研究だ。
セシルの風邪をこの世界の医療で治すのは難しい。そもそもこの世界の人々の体が弱すぎるせいで、風邪に打ち勝てないのだ。これから医療が発展すれば風邪くらい治せるようになるだろうが、現時点ではまだ不可能。幸いヒロには魔法の力があるので、不可能を可能にするにはこの力を使うのが最善だろう。
ただし、ヒロは魔法の素人だ。治療の魔法についてゼロから調べる必要がある。その過程でまた魔女と喋ったり、光ったり、独り言を呟いたりする可能性があるため、念のため家の外で調べることにしたのだ。
とはいえ、魔法の研究だけに時間を費やすわけにはいかない。カレルに借りた本を読み込んで必要そうな薬をピックアップし、作り方と材料を暗記するという面倒くさい作業が後に控えている。やるべきことはさっさと済ませた方がいいだろう。
「って言っても、病気を治す魔法なんて、魔女がやってたやつしか知らないんだよな……」
昏睡状態にあった妹を治した——否、修理した魔法。魔女がヒロの前で初めて使った魔法だ。
一応、それを使えば風邪を治すことはできるらしい。
ただ、肝心の治療方法が「正しい状態と比較して異常を探し、修理する」という治療とは思えない荒技で、しかも異常は目視で探す必要がある。魔女にも「おまえにできるのか?」と聞かれたくらいなので、つまり普通の人間であるヒロに扱える魔法ではないのだろう。
「いや、そもそもどんな魔法があるかを知るのが先か」
魔女の魔法をすべて使えると言われたものの、どんなものがいくつあるのかヒロは教えられていない。
まずもって、ヒロが魔法を行使するには魔法の名前を把握している必要がある。沼底の図書館から魔法を呼び出すのに魔法の名前がいるからだ。そのためにも、どんな魔法があるのか知っていなければ話にならない。
「魔法の一覧とかあればいいんだけどな。いちいち魔女に聞いてられないし……」
地面の上にあぐらをかき、両腕を組んで考え込む。
現状、魔法について知りたいことがあれば声送りの魔法で魔女に聞くしかない。しかし「暇だったら応じてやる」と言われた以上、いつでも答えてもらえると思わない方がいいだろうし、自己学習の方法がない環境はあまりよくない。ITエンジニアの勉強ならインターネットで検索すれば一発だったが、魔法はそうはいかないのだ。
何はともあれ、魔法の一覧がほしい。
それこそ検索システムのようなものがあれば話が早い。「火」で検索したら火を出す魔法や火を消す魔法などが一覧で表示されて、さらに魔法の構成式が調べられるシステムがあれば最高だ。欲を言えば「言語に関する魔法」と検索して通詞の魔法や声送りの魔法が表示されるカテゴリ検索や、火を出す魔法に関連して水を出す魔法が表示されるレコメンド機能なんかもほしいが、さすがにそんなショッピングサイトみたいな機能を求めるつもりはない。
まあ、そもそも検索結果を「表示」するためのディスプレイがここにはないのだが。
「…………そういえば」
ふと思い付いて、ヒロは左手をおもむろに胸に置いた。
そのまま沼底にある図書館にアクセスする。最初のような沼に沈んでいく感覚はすでになく、ずいぶん速く図書館にたどり着けるようになった。本棚を眺めて探すような感覚もないし、おそらく名前を呼べば魔法の方から来てくれるだろう。
というわけで、ものは試しとばかりにヒロは念じてみた。
——タブレットの魔法。
「出るんかい」
ヒロが念じた瞬間、目の前に光の板が現れた。
光の板、もとい画面。翻訳した文字を読むには別の媒体に表示させる必要があるからと、魔女が「書見の魔法」に組み込んだ魔法である。
書見の魔法の修正時に魔女が「たぶれっとというのか」と言っていたのを思い出し、試しに呼んでみたのだが、まさか本当にその名前で登録されているとは思わなかった。
とはいえ、目の前に画面があるのはありがたい。
たとえ空中に浮かんでいても画面は画面だ。エンジニアのヒロには馴染み深いインターフェースである。
「この画面に文字を表示できるのは書見の魔法で確認済みだ。……ってことは、やりようによっては魔法の一覧も表示できたりするんじゃないか?」
見慣れたインターフェースを前に少しワクワクしてきたヒロがつぶやく。
ヒロのイメージでは魔法は本の形をしており、本は本棚に格納されている。
つまり、本棚に格納された本の一覧を表示できれば、実質それは魔法の一覧だ。
できるかどうかは分からないが、試行錯誤の価値はある。
なによりヒロは、確証こそないものの、魔法の一覧表示についてなんとなく方策を見出していた。
通詞の魔法を書見の魔法に修正する際に使った呪文。
原理に奏す、から始まる厨二病まるだしのあの呪文だ。
ヒロがあの呪文を聞いたのは、通詞の魔法を修正するときと、魔女と契約を結ぶときの二回だが、どちらも魔法の行使ではない場面で使われていた。むしろ魔法の行使には呪文を使わず、左手を胸に当てて呼び出すだけだ。
つまりあの呪文は、魔法の構成式に手を加える——修正したり契約を結んだりといった「原理」に触れる際の呪文なのではないだろうか?
魔法の構成式にアプローチするための呪文。
確証はないが、あの呪文を使えばおそらくたいていのことはできる。
呪文の使用許可は得ていないが、魔女はヒロの使う魔法をすべて把握していると言っていたし、もし問題があればやめるようお達しがあるだろう。
正直、中二病まるだしな呪文はできれば口にしたくない。
しかし、あの呪文は実質プログラム言語のようなものだ。
あの呪文さえマスターすれば、ヒロでも魔法をいじれるようになるかもしれない。
さっそくヒロは考える。
まず冒頭の定型句だが、おそらく「原理に奏す」は呪文の開始宣言だろう。わたしは今から魔法の呪文を口にしますよという宣言だ。プログラムにも似たようなものがある。あちらは変数の宣言だが、まあ細かいことはどうでもいい。
ともかく、この一言を最初に言ってしまえば、後に続く言葉が呪文として扱われるのだ。
というわけで、手っ取り早く試してみる。
「原理に奏す。魔法の一覧をタブレットに表示させろ」
実験的に言ってみたが、タブレットはしんとしたまま動かなかった。
さすがにこうも簡潔な呪文では無理らしい。ヒロが小さくため息をつく。
定義された言葉を使わなければ呪文として成立しないのか、それとも小難しい言い回しが重要なのか。魔法初心者のヒロには分からない。
とはいえ、分からないなら試すしかない。
トライアンドエラーを重ねる覚悟を決めたヒロは、魔法の呪文の開発に取り組むべく、己の貧相な語彙を絞れるだけ絞り出し——実験を続けること約一時間。結果、努力の甲斐あって画面に魔法の一覧を映し出すことに成功した。
「で、できた」
画面にずらりと並んだ文字列に、ヒロは思わず指先をわななかせる。
紛れもなく魔法の一覧だ。苦労して呪文を確立させた甲斐があり、思った通りの魔法検索機能が完成した。
ちなみに最終的な呪文は「原理に奏す。理の書架に束ねられし本の題字を覧る許しを求む。原理より許し与えたまわば、書架の便覧を我がタブレットに映したまえ」と相成った。条件をつけて検索する場合は「便覧には○○の条件を定む」と最後に付け加える。
そんな感じで呪文としては完成したが、正直に言うとめちゃくちゃダサい。
今は実用性が重要なので仕方ないが、厨二病でもいいからもう少しマシな呪文にしたいのが呪文作成者としての本音である。
ともあれ、魔法一覧の呪文は完成した。
今は実験として「修復」の検索結果を表示させている。
書見の魔法を並列で発動させているので、画面の文字はもちろん日本語だ。ヒロは画面に表示させた検索結果をつらつらと眺めた。
「修復ってニッチな条件だと思ったのに結構あるなあ。っていうか、書見の魔法のときはタップもスクロールもなかったのにできるようになってる。この短い時間で修正したのか、魔女すごいな。実質タブレットと同じように使えるし、見やすくて助かるわ」
書見の魔法の修正時はタップやスクロールどころか触れることすらできなかったのに、いつの間にか改善されている。右側にスクロールバーがあるのがなんともシュールで、まるでネットサーフィンをしているような気分になる。
それにしても、ヒロがセシルと話していたのはせいぜい一時間程度だが、魔女はその短い間に地球まで行ってタップやスクロールについて調べてきたのだろうか。やはりあの魔女は魔法のこととなるとずいぶん熱心になるらしい。
「あ、生物修復の魔法。やよいを治した魔法はこれかな。……うわ、構成式えぐ。十個以上の魔法効果がくっついて成立してる魔法なのか。効果が三つだけだった通詞の魔法って単純だったんだな」
魔法を眺めるうちに魔女が妹を治した魔法を見つけた。ヒロには扱えない例の魔法だ。
この魔法一覧は魔法の名前をタップすることで構成式を見ることもできるのだが(そんな機能を組み込んだつもりはなかったが勝手にそうなっていた)、生物修復の魔法は今のヒロにはとても理解できない複雑な構成式で組まれていた。
通詞の魔法を修正して書見の魔法を生み出したように、生物修復の魔法から風邪を治療する魔法を生み出せないかと思っていたのだが、この構成式を見るかぎり難しいだろう。
できないものは仕方ないので、スクロールしたり、検索する単語を変えたり、ヒロはさらに魔法一覧を見進める。
「うわ、スープを作る魔法なんてある。なに作ってんだあの魔女。一口大の大きさに刻む、水に熱を加える、塩を生成する……。スープを作る魔法って完成したスープを生み出す魔法じゃなくて調理過程を魔法で再現する魔法なのか。なにやってんだあの魔女……」
具材を一口大の大きさにカットして、お湯を沸騰させて、生成した塩で味付け。魔法の構成式を見るかぎりスープを作る魔法はそんな感じだ。
しかし、鍋や具材の用意やスープを煮込むくだりが構成式になかったので、それは魔女自身がやらなければならない。変な魔法である。
「こう見ると色んな魔法があるんだな。野菜を一口大の大きさに刻む効果と、水に熱を加える効果と、塩を生成する効果。この三つの組み合わせがスープを作る魔法なのか。というより、スープを作る魔法として魔女が登録した、って言った方が正しいかな」
その三つの魔法が合わさったところでスープはできない。鍋や具材を用意しなければならないし、具材を煮込むのは人力だ。
にも関わらず、そんな中途半端な魔法が「スープを作る魔法」という率直な名前を付けられている理由は、無論、魔女がそう名づけたからに他ならない。
スープ作りでよく使う魔法三点セットを「スープを作る魔法」として登録した、魔女がこの魔法を作った経緯はそんなところだろう。
「水を冷やす、水を熱してから冷やす、金属を冷やす、対象に冷気を与える、冷却効果を与える、氷を溶かす、効果を溶かす、効果を抽出する……本当にいろんな魔法があるな。魔法っていうか効果か? そういや効果と魔法の違いってなんだろう。よく分かんないけど、複数の魔法が組み合わさってひとつの魔法になってるって考えればいいのかな」
一覧をつらつら眺めながらそんなことを考えていたヒロだったが、ふいに魔法のしくみについて思い至る。
「あ。てことは、魔法を作るには既存の魔法を組み合わせればいいし、組み合わせ自体も自由なのか」
そういえば通詞の魔法もそんな感じだった、と思い出す。
音声を星細化する、翻訳する、声を置き換える。ひとつひとつ独立した魔法を三つを組み合わせて作ったものが通詞の魔法だ。
つまり、どんな魔法があるのかを把握すれば、ヒロにも魔法を作ることができる。
「これなら……風邪を治す魔法もなんとかなるんじゃないか?」
もしかしたらセシルの風邪を治す魔法を作れるかもしれない——急に治療の見通しが立ったことでヒロは気持ちを昂ぶらせた。
魔法の組み合わせを変えたり中身をいじったりして別の魔法を作る方法なら、書見の魔法で経験済みだ。実践に多少の試行錯誤は必要だろうが、魔法の一覧を編み出した経験からどうにかできる自信はある。
ヒロはさっそく検索機能を駆使して使えそうな魔法がないか探し始めた。
治癒、熱冷まし、ウイルス、細菌、生命力、活力、エネルギー、免疫……少しでも関連のありそうな単語でひたすら魔法を検索する。
そうしてたくさんの魔法を調べるうちに、ひときわ異質な魔法を発見した。
開闢活性の魔法。
開闢とは天地の始まりのことであり、主に創世神話などで使われる概念だ。スープ作りや冷却とは明らかに魔法の規模が違う。名前からしてヒロが使っていい魔法ではないだろう。
ヒロはおそるおそる魔法の名前をタップした。
「うわっ、構成式の数えぐいな。いくつあるんだだろう、百は超えてそうだけど……」
ヒロは思わず顔をしかめた。開闢の名前を冠するだけあり中身はすさまじく複雑で、とてもではないが読み解けない。書見の魔法のおかげで読めるはずの構成式もほとんど読めず、異質な文字が化学式のごとく連なっているようにしか見えなかった。
とはいえ、いまだ風邪の治療に使えそうな魔法は見つかっていない。わずかでも読める構成式があるなら目を通すべきだろう。ヒロは目を皿のようにして構成式を読んだ。
「本当に少ししか読めないな。字も小さくて読みにくいし。えっと、大地の辰星力を認識する、一時的に辰星力の巡りを強める……」
そこまで読んで、はたと気付く。
たしか魔女は辰星力のことを生命エネルギーと呼んでいた。
そして「辰星力の巡りが弱いからすぐに死んでしまうのだ」と。
ということは。
「一時的に辰星力の巡りを強めたら……自己治癒力も強まったりしないかな?」