ユリア姫の逃亡計画
私がエストリア王国の姫。ユリアこと、ユリアンナ・アスタロッテとして生まれ変わり、15年が経った。
大きなお城の中で私は蝶よ花よと育てられ、お城の外に出かけることもあまり許されなかった。
確かに前世の極貧生活に比べたらはるかに快適な暮らしである。しかし、その反面、行動は限りなく制限される。
前世の私は放浪癖があり、いつも家を飛び出しては各地を観光し、モンスターを狩ってはそれで日銭を稼ぎ、のらりくらりとした生活を過ごしていた。でも思えばあの頃が楽しかった。
そんなわけで、王族の姫に生まれ変わったところで私の自由を愛する本質までは変わらなかった。なので幼少期は度々家出を繰り返しては城から出る前に衛兵に見つかり、連れ戻されるようなことを繰り返していた。
私は束縛されるのが性に合わなかったので、前世の時はずっと独身だった。そもそも私は結婚には向いていない。
だから私は生まれ変わっても生涯独身を貫こうと決めていた。
しかしそう簡単にいかないのが王侯貴族。政略結婚など日常茶飯事。私の個人的な感情など無視される。
ならばそんなもの、自ら打ち破るまで。私は自由に生きてやる!そう心に誓い、やがて15年が経った。
お城の中にある自分の部屋の姿見の前に立ち、その中に映る自分の姿を見つめながら、私はそう呟く。
鏡に映るのは、青いドレスを身に纏い、まるで絹糸のように美しい金色のストレート髪を足の膝くらいまで伸ばし、両手には肘丈まである白い手袋を付け、頭にティアラを載せた宝石のような蒼い綺麗な瞳をした一人の少女の姿である。
「ぬふふ♪」
自分の美しすぎるその顔に思わずニヤけてしまう…。無理もないことだ。だって本当にかわいいんだもの。
前世だったら間違いなくモテモテだろう。事実、ついこの間も隣国の王子から求婚されたばかりだ。
とはいえ、私はあんまり異性とかに興味はないので丁重にお断りしたけど。
実際、求婚してきた相手がどれほどイケメンで家柄が良かろうとも、私はちっとも彼らに靡くことはなかった。
そもそも独身を貫くと決めているので最初から結婚なんてする気はない。子供とかも特別欲しくないし。それに仮にもし結婚するなら相手は女の子がいい。
「ともあれ…なんとかして王子との結婚だけは回避しないとな…。」
一人鏡の前で独り言を言っていると、部屋に銀髪のショートヘアーに、アーマーを身に纏い腰に剣を挿した一人の少女が尋ねて来た。
「おはようございます、姫様。」
「うわぁッ!?な…ナタリア!…ビックリしたぁ…もう脅かさないでよ…」
「ノックはしました。お返事がなかったのでまだ眠っておられたのかと。」
部屋を訪れた人物は、従者の女騎士、ナタリアだった。彼女とは幼い頃からの仲で、小さい頃は遊び相手として二人でよく遊んでいた。お転婆な私によく振り回されては怪我をさせてしまったものだ。まぁ彼女より私の方も生傷が耐えなかったけど…。
初めの頃はまさか自分がただの冒険者から一国のお姫様に生まれ変わるなんて思ってもみなかっし、前世が一般庶民であった私にとって、お城での暮らしは幼いながらも当時はいろいろと苦労の連続だった。そんな時、彼女はいつも助けてくれた。
「姫様、またご自分でお着替えなさったのですか…?」
「はい…あの、どこかヘンかな?」
「いえ…そういうことではありませんけど…そういうことは侍女がやる仕事では…?」
「私は自分のことはできるだけ自分でやりたいの。だってそれが当たり前だしナタリアだって同じじゃん?」
「それはそうですが…しかしながら姫様は仮にもこの国の姫であり王族であらせられる高貴なお方!もう少しその自覚を持ってもらわないと困ります!」
ナタリアさんは相変わらずお堅いなぁ…まぁそれが彼女らしいっちゃ彼女らしいんだけど。
「ところでナタリア、私に何か御だった…?」
「あ!そうでした!すっかり忘れておりました!国王様が姫様をお呼びするようにと…。」
「お父様(国王)が…?」
遂に来たか、この時が…。
予想はしていた。おそらく私の婚姻の事に関してだろう…。
そして、その予感は見事に的中した。
「喜べユリア、お前の婚姻が決まったぞ!相手は隣国ミネロスの王子だ!この婚姻が結ばれれば強固な同盟が結ばれ、我が国の平和と安定は保たれる。」
呼び出した私に、父はそう語った。予想通り、やはり政略結婚の話であった。
思えば私の父である国王は自分が一度決めた事は絶対に曲げる事はないという頑固者である。まったく困ったものだ…。だから当然私が結婚は嫌だと言ったところでどうせ首を横に振られて話に取り合ってもらえないのが関の山だろう…。
「お父様…それはもう決定事項ですか?」
「当たり前であろう。それにお前ももう年頃だ。私もお前ぐらいの歳にお前の母親である王妃を嫁に貰ったのだからな。」
ならば私も自分で一度決めた事は絶対に曲げない…。目には目を、歯には歯を。だ。
不本意ではあるが、なにしろ私はこの人の娘なのだからな。
「今日はお前の誕生日だ、盛大に祝おうではないか!」
「わかりました。お父様…。」
得に反論もすることなく、私はお淑やかにそう答えてお辞儀をした。
だが、平常心を装いながらも、心の奥底で私は不敵な笑みを浮かべていたのである。
当然ながら、私は王子様と結婚するつもりなど毛頭ない。
何故私はこうも余裕綽々な様子なのか、それは私は以前からある計画を進めていたからだ。
その計画というのは、私の逃避行計画である。その逃避行計画とはどんなものか、その全貌はのちに明らかになることなので今は伏せておく。
夜。城中が寝静まった頃に私はベッドから起き上がり、皆が寝静まったのを確認すると、蝋燭に火をつけて明かりを灯し、私はベッドの下をまさぐる。
「よいしょっと。」
ベッドの下から取り出したのは、鞘に収まった二振りのダガーナイフだった。私はナイフを二本腰にの後ろにベルトで固定すると、ナイフを抜き、クルクルと手で回して壁にかかった的にめがけてナイフを投げた。
ヒュッ…ドスッ!ドスッ!
「我ながらだいぶ上達したなぁ。」
投げたナイフは二本とも的の円の真ん中に命中し、ナイフの腕前の成長を実感した。初めた頃は的にすら刺さらなかったナイフは、今では中距離ならほぼ正確に狙ったところに命中させることができるようになったのだ。
「あとは実戦で通用するかが問題かな…」
刺さったナイフを的から引き抜き、鞘に戻してそう呟く。
大事なのは、いくら腕が上達したからとて、戦う基礎は出来ても実戦で通用しなければ意味がない。実戦による戦闘訓練を受けたいところだが、今の私は一国のか弱いお姫様なので、騎士団に訓練をお願いしたところで丁重にお断りされるのが関の山だろう。まぁ、この国では姫が戦闘訓練を行うことなど前代未聞だし、本来なら護られる立場だから護身術すらも教えないのだろう。それだけ護衛の騎士が信頼されているという証でもあるけど…。
それ故に、私は独学で闘う術を身につけて、来たるべき日に備えたのだ。
私は着々と家出の準備を始めていた。もちろん、誰にも見つからず、悟られないように必要なものを城中から集めた。
そして夜は一人で部屋に籠もり、黙々と準備を整えた。これから冒険という名の逃避行をするにあたって、必要なものを持ち運びしやすいように、なるべく身軽で動けるように必要最低限の物を揃え、大きめのリュックに食料と調味料。フライパンやお椀、飲み水用の水筒に火起し用のマッチやローソクが幾つかと、簡易的な寝床としてピクニック用の小さい絨毯が一枚とオイルランプ。華奢な少女の体に対してかなりの装備になった。
「うわッ!流石に重いな…」
このままではいかん。今の私はただのモヤシだ!体力をつけねば!
思い立ったが吉日。私は今後の家出計画の為にも華奢な少女の体に体力をつけようと考え、翌日の夜から部屋の中で使用人たちにバレないようにトレーニングを開始した。腹筋や屈伸などの基礎的な運動から始まり、インテリア代わりに置かれていた剣や斧などをダンベル代わりに使った筋トレなども適度に行った。
そして数週間後、その結果…。
「おー、すげぇ。かなり引き締まったな…。」
姿見に映る自分の肉体美に、以前より増して見とれた。見た目的には体型にはあまり変化はないが、お腹には軽く腹筋が浮き出ていた。
「なんだか前と比べて動きが身軽になった感じがする…フットワークも軽いぞ!」
試しに荷物を入れたリュックを背負ってみたが、息切れすることはなく、体力は以前より比べて格段に上がっていることを認識した。華奢な細腕の割りに以前は重たかった荷物も若干軽く感じられるようになっていた。
とりあえず基礎体力の問題はクリア。残る問題は一つ、例の計画がうまいくかどうかだった。
その日の夜、私は城の地下牢に来ていた。何故地下牢に来ていたのかというと、そこには最近、城に盗みに入った盗賊が捕えられたということで、私はその盗賊に会うために地下牢に赴いていたのだ。その目的とは無論、例の計画の為の交渉である。従者であるナタリアも護衛に同行していたが、私が盗賊と会うことを心配している様子だった。
「姫様…お一人であのような者と話されるのですか…?」
「大丈夫ですナタリア。この者も十分罰は受けています。私は彼と二人きりで話をしたいのです。」
「…わかりました。姫様…」
私はナタリアを説得し、地下牢の外で待機させた。そして今この場にいるのは、私と収監されていた盗賊の若い男と二人だけである。
「あなたが我が城に盗みに入った盗賊さんですか?」
「まぁそうなるな。まさか本当に会えるとは思いませんでしたよ、ユリア姫…。」
少し驚いたような様子で、その男は私を目の当たりにしてそう答える。それもそうだ、いきなり王族の姫が面会に来たら驚くわな。
「それで、俺に話ってのは何だ?」
「話、ですか…。」
「惚けるなよ、お姫様がわざわざこんなところに来て、さっきの従者の騎士を追い返して俺と二人きりにしたってことは、誰にも聞かれたくはない話ってことなんだろう…?」
流石は盗賊、察しがいい。
「フフフ、流石ですね。実は、わたくしはあなたと取引をしたいと思ってここに来ました。」
「取引…?」
「はい。もし引き受けてくれるというのであれば、明日にでもあなたをここから出して差し上げます。」
「何…?」
突然の申し出に、男は先程よりも驚いた様子で私の方を見る。窃盗の罪は軽くて1週間、長くて三ヶ月。さらに重い場合は三年も檻に入れられる。この男の場合、王城の敷地に無断で忍び込み、未遂ではあったが衛兵に負傷者を出しているので三年は確定だった。それをいきなり「明日で釈放にするよ。」と聞かされたら驚かないほうがおかしい。
「どういうことだ?」
少し怪しんだ様子で男は私の尋ねる。
「ご存知かもしれませんが、わたくし、隣国ミネロスの王子と縁談が決まりまして…」
「あぁ、それなら知ってる。新聞で読んだ。それで、その縁談の話がどうしたんだ?」
「実はわたくし…王子とは結婚する気はありません。したくもないのです。ですがお父様…国王陛下は何が何でもわたくしをミネロスに嫁がせようとしているのです。」
「王族や貴族によくある話だな。まぁ平民の俺には関係ないが…。それで、俺に何をしろってんだ?」
ここからが本題だ。
「わたくしの乗った馬車を襲っていただきたいのです。」
「何?」
私の言葉に、男はまたしても驚いた様子で私に尋ねた。
「ただし、襲撃の際に護衛の騎士たちには怪我人を出さないようにしてほしいのです。もちろん報酬もお支払いします。」
「護衛に怪我人を出さずに馬車を襲う…か、難しいな…。」
「出来ませんか?ならこの取引は無し、ということで…。」
そう言って引き下がろうとする私を男が引き止める。
「まぁ待て、難しいとは言ったが、出来ないとは言っていない。」
「…」
「少し時間をくれ。いろいろ準備がいる。」
「わかりました。交渉成立ということで。それと、これは一応警告ですが、もしこのことを他の誰かに言いふらした場合、わたくしの一声であなたを一生ここから出られなくすることも簡単ですので…くれぐれもご内密にお願いしますね。」
「アンタ…見た目の割に怖いこと言うんだな…。わかったよ、俺は盗賊だが約束を破ったことは一度もない。その辺は信用してくれ。計画は追って伝える。」
「わかりました。よろしくお願いします。」
交渉が決まり、私は男と握手を交わした。
翌日、私の命により、盗賊の男が地下牢から釈放された。婚礼記念で姫様から恩赦が与えられ、無罪放免となった…というカバーストーリーを用意したおかげで怪しまれることもなかった。
「ねぇ聞いた?ユリアンナ様の縁談の話!」
「知ってる!お相手はミネロス王国の第一王子、ラインハルト殿下ですって!」
「いいなぁ、ラインハルト様ってかなりハンサムなお方でしょ?素敵ねぇ」
私の縁談の話はすっかり城に仕える侍女たちの間はおろか、城下にも既に知れ渡るところとなっていた。
無論、私は王子と結婚する気などさらさらない。
「ユリア!お前の結婚式の日程が決まったぞ!式は三日後の日曜日だ!忙しくなるぞ!」
「はい、私も式が待ち遠しいです。この国の為、この身を捧げることができて、ユリアはとても幸せでございます。お父様…。」
自己中心な父を目の前に、私は偽りの言葉を満面の不敵な微笑を浮かべて答そうえた。
この瞬間、私の中で計画決行の日程は定まった。決行は私が嫁ぎに行くその時である。
そして私はついにその日を迎える。
「ユリアンナ・アスタロッテ姫殿下、ご出立!!」
衛兵に見守られながら、私の乗り込んだ馬車はお城を出発した。城下の沿道で国民たちに祝福されながら、馬車は街を覆う城壁の門を潜り、王都を発つ。
私はこれから隣国の王子の下へと嫁ぐ。しかしそれは表面上のこと。護衛の騎士や従者でさえ、私がこれから王子のところへは行かずに姿を消すなどとは思いもよらないだろう。無論、このことは護衛騎士として同行しているナタリアにすら話していない。
(そろそろかな…?)
馬車と護衛騎士が森の中に差し掛かった時、私は心の中でそう呟く。馬車に同乗していた護衛騎士のナタリアはしきりに窓の外を気にする私の様子に声をかけた。
「姫様、いかがなされました?」
「いや…なんでもないよ…あははは…」
「?」
私はそう言って笑って誤魔化す。
その時、馬車の先頭を行く護衛騎士たちが立ち止まり、突然馬車が止まった。ナタリアは何事かと馬車のドアを開け、身を乗り出して様子を伺う。
「なんでしょうか?姫様は馬車に居てください、私は少し様子を見てきます。」
ナタリアはそう言うと、一人馬車を降りて先頭の方へと向かっていった。
馬車に一人残された私はこの時を見計らい、ドレスのスカートの下に忍ばせていたある物を取り出すと、準備を始めた。そのある物というのは、皮でできた特製のガスマスクであった。
一方で馬車の外では異変が起こっていた。突然、馬車の周囲に森の中から玉のようなものが投げ込まれたのだ。その玉は途端に開いた小さな穴の中から黄色いガスのような煙を吹き出し、護衛騎士たちの視界をあっという間に奪っていく。
「何事だ!!」
「なっ何だ?この煙は!!何も見えん!!」
「うぅ…なんだか、眠くなって…」
煙を吸い込んだ騎士は次々に倒れ、意識を失っていく。馬車の周囲に投げ込まれたのは、催眠ガスを入れた玉だった。
倒れた騎士を見て即座にそれが催眠ガスだと分かったナタリアは手で口を覆い、騎士たちに煙を吸わないように注意した。しかし既に護衛騎士たちの大半は煙を吸い込み、バタバタと意識を失い、崩れていった。
「まずい!姫様が!!」
すぐに馬車のところへ引き返そうとしたが、魔族が出たと叫ぶ声が聞こえ、魔族から襲撃を受けたことを悟った。
「魔族だ!!魔族が出たぞ!!」
「クソッ!一体どうなってるんだ!!」
護衛騎士たちが騒ぎ出し、周囲は大混乱に陥った。
「魔族の襲撃だ!!」
「姫様が危ない!!馬車を護れ!!」
しかし、騎士たちは睡眠ガスによる眠気に襲われ、事切れるように次々と倒れていく。ナタリアも少量ガスを吸い込んでしまい、馬車に辿り着く前に倒れて意識を失ってしまった。
「ひ…姫さ…ま…。」
すまないナタリア。こんな私を許してくれ。これが今生の別れだ。私は馬車の手前で倒れ込んでいたナタリアの姿を見て心の中で謝罪の言葉をそう呟く。
馬車を降りた私は顔にガスマスクを装着した姿のまま、煙の中へと姿をくらました。