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この世に神がいようとも  作者: 群青のはる
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幕間 カラスの一生

 繰弄が義葦に売られたその夜は新月だった。自分が売られた時の詳細を、繰弄はよく覚えていない。努めて忘れようとし、忘れてしまった。ただ、その夜のことだけはどうしても忘れられなかった。

 扉を叩く音に、繰弄は目を覚ました。隣の部屋の灯りが襖の隙間から漏れて、宿の主人と義葦の話し声が聞こえた。

「申し訳ありません。明日に、と申しましても、どうしても今夜でなければと言ってお引き取りになりません。」

「今行きますよ。」

 宿の主人が出ていく気配がし、繰弄は襖を開けて覗いた。義葦が振り向いた。

「起こしたか。下に客が来たそうだ。こんな夜分に。夜逃げかね。逃げるのに餓鬼が邪魔になったかな。行ってくるから寝ておれ。」

 義葦は飛都の様々な地方を転々とし、貧しい家から子供を買って歩いていた。買った子供は貴族の下働きに入れると家族に説明したが、本当にそんなまっとうな仕事だろうか、と繰弄は疑っていた。貴族の下働きの中でも、人に言えないような仕事をさせられるに決まっている。だが、飢えた暮らしよりはましだろうとも思った。金で売られた人生は金で取り返してやる、と繰弄は心に決めていた。

 ふと、繰弄は外が明るいように思い、障子を開けた。遠くの空が燃えるように赤い。部屋を出ようとした義葦も気がついて窓に寄った。

「はぁ、こりゃすげぇな。ありゃ千城の都が火の海だ。遂に燈峻様が反旗を翻したか。とうとう阿陀良の悪政の時代も閉幕かね。」

 ぶつぶつと呟きながら義葦は部屋を出ていった。

 繰弄は窓を開け、身を乗り出して遠い千城の空を見ていた。しばらくして、下階から義葦と客の話し声が聞こえた。

「夜分に申し訳ありません。お休みでしたか。」

 客の声は、深く低く妖艶な、男か女かよくわからない気品のある声だった。繰弄は聞き耳を立てた。

「火急のことにて、失礼を承知でお訪ねいたしました。あなた様が阿陀良帝の逆臣でないことを願ってお話しいたしますが、実はわたくし、阿陀良帝の家臣でございまして、我が主の使いとして温州へ二年ほど出向いておりました。晴れて役目を終え、都千城へ帰る途中、捨てられているこの子を見つけ、放っておけず、都へ帰ればもらってくれる親もいるだろうと拾ったのでございます。ところが御覧の通り、我が都は火の海、我が主の一大事に今すぐ駆け付けたく、しかしこの子を戦場へ連れていくわけにはまいりません。金貨ならばいくらでも差し上げますから、どうぞこの子を貰ってくださいまし。いかがでしょうか。」

 声が止んだ。しばらくして玄関から客が出ていくのが見えた。客が編み笠を上げ、二階の繰弄を顧みた。

 繰弄はぎょっとし、さっと窓の下に身を隠した。笠の下の目玉が、金に光ったように見えた。しばらく息をひそめ、そっと窓を覗くと、客はいなくなっていた。階段を上がってくる音に振り向くと、部屋に義葦が戻って来た。後ろから繰弄と同じ年端の女の子がついてくる。

「新しい仲間だ。あの人に拾われる前の記憶がないんだとよ。よっぽど酷い思いをしたのかね。」

 繰弄はしげしげとその子供を見た。

「繰弄、この子の布団を出してやれ。おまえ、自分で敷けるだろ。」

 繰弄は布団を出してやったが、少女はキョトンとして動かない。義葦が布団を整え、寝るように促すと、少女は戸惑いながら布団に入り、横になると吸い込まれるように寝てしまった。義葦は視線を少女から窓の外の燃える空に移した。

「金色の目は魔物のしるしというが。とんでもない貰い物をしてしまったかもしれんな。」

 それが、灯己との出会いであった。

 三年後、貴族の屋敷で下働きしているはずだった繰弄は、中街の裏路地で、じっと息をひそめていた。暗闇に四つの目が、瞬きを繰り返した。先に鯉口を切ったのは灯己だった。さっと路地から飛び出し、歩いてきた貴族の男へ刀を抜き斬りかかった。貴族も咄嗟に懐刀を抜き、応戦するが、灯己の刀に弾き飛ばされる。

 路地に隠れていた繰弄ははっとして飛び出した。

「おい!まだ来るぞ!」

 繰弄は貴族の背を斬りつけた。灯己が振り向くと、剣を持った男たちが駆けてくる。男たちが一斉に剣を抜いた。


 ぼろぼろになった繰弄は灯己に背負われ鳥市の隠れ家に戻った。灯己が乱暴に戸を開け、その振動が繰弄の傷口を開かせた。

 戸の音に振り向いた津柚が悲鳴を上げた。

「繰弄、どうしたの、ひどい傷!」

 灯己は津柚には構わず、大声で義葦を呼んだ。義葦が奥からやってくる。

「うるせえ、どうした?しくじったか?」

 灯己は舌打ちして義葦を睨んだ。

「向こうに五人もいるなんて聞いてねえぞ!」

「ほお、そんなに出てきたか。」

「とぼけんな!」

「きっちり仕留めたんだろうな?」

「あたりめえだ!じゃなけりゃ生きてねえよ!」

「一気に片付けられてよかったじゃないか。また出張る手間が省けた。」

 二人の間に津柚が割って入った。

「そんな話してる場合か!じじい、早く手当てしてやれよ!」

「ふん、急かさなくとも、おれが生きてる限り、こいつは死なせねえよ。これきしの傷、おれにかかればどうってことねえさ。」

 灯己は玄関の土間に立ったまま、義葦にひょいと抱かれて奥へ運ばれていく繰弄を見ていた。義葦について奥へ行こうとした津柚は振り向き、灯己が背を向け出ていこうとしているのを見咎めた。

「どこ行くのさ、こんな時に?繰弄の治療を見ないのかい?」

「もう見飽きた。訓練場に行ってる。治療が終わったら教えてくれよ。」

 灯己はぴしゃりと戸を閉め、出て行った。繰弄は灯己の背が戸の向こうに消えるのを見ながら意識が遠のくのを感じた。

 繰弄が意識を取り戻したとき、繰弄は隠れ家の二階で布団に寝かされていた。体のどこもかしこも痛くて仕方がなかった。ぼんやりと天井を見、目を閉じたが、階段を上がってくる足音に、再び目を開けた。乱暴に襖が開き、灯己が入ってきた。灯己は繰弄の横に腰を下ろし、不機嫌な面持ちで繰弄を見下ろした。

「なんであんなことした。」

 繰弄は黙ったまま答えなかった。

「繰弄。なぜ、腕を下ろしたんだ?なぜ、わざと斬られるようなことした?」

「思い出すんだよ。」

 灯己は仏頂面のまま、繰弄が言葉を継ぐのを待った。

「こいつを斬ってやろうって、刀を振り上げるだろ、そうするといつも思い出す。頭の中にぱっと花が咲くみたいに、くそじじいに売られた日のことを思い出す。母親や、兄貴達がおれを見る目を。」

 灯己が首を傾げたのを見て、繰弄は苛立った。

「おまえは、覚えてねえから生きてられるんだ。おれは、おれがこうして生きてることが憎い。なんでおれだったんだ?なぜおれがあのじじいに売られなきゃならなかった?なぜおれなんだ?なぜおれがよりによって鳥市の義葦に。」

 灯己の表情は変わらなかった。繰弄は苛立ちをぶつけた。

「人殺して、金をもらって、それで生きてどうすんだよ?」

 灯己が笑った。

「死にたきゃ死ねよ。」

 その言い種に、繰弄はぎょっとして灯己を見上げた。灯己は立ち上がった。

「死にたきゃ勝手に死ね。おれの足を引っ張るな。」

「じゃあ助けんじゃねえよ!」

 灯己が繰弄を睨んだ。

「馬鹿か。てめえを放って帰りゃおれがじじいにぶっ叩かれるじゃねえかよ。死にたきゃおれを殺してから死ねよ。」

 繰弄の頭にかっと怒りで血が昇った

「殺してやるよ、てめえのことなんか、今すぐに!」

「こんなザマのお前に、おれが殺せっこねえだろ。一生かかってもおれに追いつきゃしねえよ。」

「灯己!てめえ!ふざけんな!殺してやるよ!どれだけかかったっててめえを殺してやるよ!」

 繰弄は立ち上がり灯己に掴みかかろうとしたが、ふらりと布団の中に崩れ落ちた。

 繰弄の罵声を聞きつけ様子を見に来た津柚が、布団の上で目を回している繰弄を見つけた。

「ちょっと、灯己、繰弄に何言ったんだよ!刺激しちゃいけねえことくらいわかってんだろ!?殺す気かよ!」

 灯己が鼻で笑った。

「死にやしねえよ。おれを殺すまでは死なねえってよ。」


 繰弄は目を覚ました。長い夢を見ていたが、それはすべて記憶の中にあることだった。真っ暗な部屋の中に、繰弄は一人だった。ひどく疲れ、一生を終えた気分だった。

「ご気分はいかがですか、生き返ったご気分は。」

 声が聞こえ、目を凝らすと、闇の中に金の光が二つ灯った。光が近づいてくるにつれて、それが目玉だとわかった。目玉から順にするすると人型が浮かび上がり、白い顔に白い肢体、白い髪が現れた。奇妙な白い服を着たそれは、全て出来上がると、金の目を細め、繰弄を見つめた。

「申し訳ないのですが、左腕と左目だけ、材料が見当たらず再構築できませんでした。誰かが持って行ってしまったのでしょうね。」

「花街の女に使っておれに帝王殺しを依頼したのはあんたか?」

 金の目玉がゆっくり瞬きをし、しいっと白い唇に白い指を立てた。

「まだお喋りにならない方がよろしいでしょう。生き返ったばかりなのですから。」

 やっぱり死んだのか、と繰弄は思った。

「あと少しでしたのに、残念でございました。やはり一番手のフクロウには最後まで敵いませんでしたね。結局覆えせずに、あなたは二番手の人生を終えたのです。」

 繰弄はぐっと奥歯を噛んだ。じゃり、と音を立て歯が口の中へ零れた。

「まあまあ、あまり力を入れてはいけませんよ、まだくっついたばかりなのです。悔しさは歯ではなくここにお溜めなさい。」

 白い手が、繰弄の胸を押した。

「フクロウを憎いと思うのなら憎んだらよろしいのです。我慢することはありません。憎みなさい。憎しみがあなたを強くするのです。」

 繰弄は目を瞑り考えた。どう考えても面倒に巻き込まれている。神の住まう神苑にも蘇生術は存在しないと、昔神苑の信者に聞いたことがあった。だったらおれは今、何者なのか。繰弄は目を開け、それを見た。

「あんたは、誰だ?おれを助けてどうする気だ?」

 金の目玉がゆったりと微笑んだ。

「わたくしは優雅な讃美歌と申します。あなたが、憎しみを生きる糧にしてくださるなら、わたくしはあなたが生きるお手伝いをしたいのです。」

「なんで。」

「憎しみがひとを生かすさまを見てみたいのですよ。」

「神様のお遊びか?」

 優雅な讃美歌は可笑しそうに笑った。

「神を信じているのですか?神を信じれば救われるとお思いなのでしたら、神頼みの生き方は即おやめになるべきです。神なんてものはいたとしてもわたくしやあなたとさして変わらぬ生き物なのですから。万能ではありません。あなたを生き返らせたことを神の業だとお思いですか?いいえ、これはちょっとした手品なのです。種も仕掛けもあるのです。」

 繰弄はただ、はあ、と気の抜けた返事をした。優雅な讃美歌の言葉を聞いていると眠くなる。さすが優雅な讃美歌だと思った。

「憎しみを糧に生き直して、その先に何かあると思うのか?」

「繰弄。あなたにとって生きることは苦しみですか?この世は憂いに満ちていますか?」

 ああ、難しいことを言いやがる、と繰弄は眠い頭で考えた。狂信的な神苑信者と問答しているようだった。

「繰弄、己の憎しみを慈しみなさい。恨みを楽しみに、妬みを微笑みになさい、あなたが厭うすべての感情を、もっともっと強く、濃く、自覚なさい。あなたの厭うみじめで汚らしい感情こそが、あなたを形作っているのです。目を逸らさずに、さあ、私の手を取ってください。」

 白い手が、目の前に差し出された。ああ、やっと憎たらしいしみったれた人生を終えたというのに、また一生をはじめなければならないなんて、と繰弄は目を瞑った。強い眠気に意識が混濁していく。このままずっと眠っていたい、目覚めるのが億劫だ、と繰弄は思った。目覚めてまた灯己を恨んで生きるのは億劫だった。しかし灯己を思うほかに、繰弄には生きる目的が無かった。出会った時からそうだった。

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