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この世に神がいようとも  作者: 群青のはる
6/30

1幕 フクロウ 6

 朝焼けが差し込む鳥市の小屋の二階の欄干に手を着き、身を乗り出して通りを見渡していた雨寂ははっとし、下階の入り口でうろうろしている津由へ慌てて声をかけた。

「津柚姉さん!来たよ!」

 通りの向こうに灯己の姿を捉え、津由は走り出した。雨寂も滑るように階段を下り、靴を履くのも忘れて灯己に駆け寄った。

「師姉、遅いから心配したよ、どうしたんだよ。」

 駆け寄った雨寂は、灯己の背負っている子供を見てぎょっとした。

「この子供、あの鳥籠の!連れ出したのか?」

 きょろきょろと辺りを見渡していた津柚が、おい、と灯己を顧みた。

「繰弄は?繰弄はどうした?一緒じゃないのか?」

 灯己は背負っていた晶を地面に降ろし、懐から包みを出すと津柚に手渡した。

「は?なんだこれ。」

「焼いちまった。」

「は?」

 津柚の手が、包みの結び目を解いた。風に灰が舞った。

「は?」

 ぽかんと口を開き包みの中を見つめていた津柚の顔が、瞬く間に紅潮し、包みを持つ指が震え始めた。

「おい、まさか、これが繰弄だって言うんじゃねえよな?どういうことだよ?」

「おれが殺して焼いた。」

「なんだと!?」

 津柚が灯己の胸ぐらを掴み、包みが足元に落ち灰が零れ出た。灯己は軽く体を捻り津柚の手を払うと、地べたにしゃがみ込み、丁寧に灰を掬った。

「おい、灯己!」

 掴みかかろうとする津柚を、背後から取り押さえる者があった。

「朝っぱらから通りで喚くな、ご近所様に迷惑だぞ。」

 灯己の鋭い一瞥が義葦を捉えた。

「おい、その餓鬼はなんだ?千城で拾ってきたのか?ふん、カラスを捨て餓鬼を拾ったか。」

 灯己の瞳が怒りに塗られ、灯己は義葦に掴みかかった。

「カラスを捨てたのはてめぇだろうじじい!なぜ、カラスにあんなことをさせた!?なぜ、謀反貴族なんかにカラスを売った!?なぜ、帝王をやらせた!?」

 雨寂と津柚は驚きに目を見開き義葦を顧みた。

「てめえ、あれほど帝王に肩入れしてたくせに、なんでカラスにあんなことを!?」

 捲し立てる灯己をぼんやりと見上げ、義葦は微かに咳をした。光の消えた目玉を隠すように、義葦は目を伏せた。

「まさか、本当にやっちまうとはな。帝王は天ほどに遥か手の届かぬお方。あれがやれるなんざ、思わねえだろ。」

「だからおれを行かせたのか?帝王殺しのカラスを殺させるために。」

 再び津柚が灯己に掴みかかった。

「だからって殺せるのか!?法度だからって!?」

 津由は両手で灯己の頭を鷲掴みにし、がんがんと小屋の柱に打ち付けた。

「相手は繰弄だろ、小さいときから一緒に育った繰弄だ、それをあんたは、情もなく殺したっていうのか!御法度だ仕事だって!?」

 血相を変え雨寂が止めに入った。

「やめて!津柚姉やめて!師姉が死んでしまうよ!」

「はっ!死ぬ?このフクロウが死ぬもんか!仲間殺して自分は生きようってやつが!あんたは骨の髄まで鳥市だ!死骸を喰って生きる残酷無情のフクロウそのものだ!その手でよくも繰弄を!」

 頭の痛みに顔を顰め、灯己は目を開いて義葦を見た。

「これで思い通りかよ。」

 思い通りなものか、と吐き捨てるように義葦が呟いた。

「聞こえねえか、隊列の足音が。帝軍が来る。どういうわけか知らねえが、鳥市の仕業とばれたようだ。」

 義葦は指先で自らの顔に触れると、粘土を捏ねるようにぐにゃりと人相を変えた。鳥市の三人は見慣れたもので驚かなかったが、ああ、こうしてこいつはまた顔を変え生きていくのか、と辟易した。この年老いた妖魔が一体どれだけ生きているのかは知らないが、多くの悪事に手を染め露見する度に名を変え姿を変え生きてきたことは、聞かずとも知っていた。

「おめえらともこれまでだな。まあ、生きられるものなら、生きてみろ。」

 義葦は背を向けると、老人とは思えない身軽さで屋根に飛び乗り、甍の波間に姿を消した。

 通りに残された雨寂と津柚と灯己は力が抜け、地面に座り込んだ。しばらくそうしていた。初めに立ち上がったのは津柚だった。ゆらりと立ち上がると、じっと灯己を見下ろした。

「灯己。いや、フクロウ。おれは、あんたを許さない、絶対に。」

 灯己は灰の入った包みを拾い、津柚の胸に押し付けた。津柚の瞳から涙が流れた。

「許さないよ。」

 包みを灯己の手から捥ぎ取ると、津柚は背を向け、歩き出した。

 遠ざかる津柚の背を見送りながら、灯己が小さく呟いた。

「繰弄を、殺すつもりじゃなかったんだ。」

 わかっている。雨寂は頷き、立ち上がると、あーあ、と伸びをし、

「やっと年季が明けたってのに帝王殺しのお尋ね者か」

 と明るい声で言った。

「帝王殺しだもんな、絶対に死刑だ。」

 灯己が顔を上げた。

「おれが償うよ。」

「いや、そういうつもりで言ったんじゃないんだ。」

 雨寂は慌てて言い繕ったが、灯己は首を振った。

「おれが、そうしたいんだ。おれの、いや、おれたちの、鳥市の人殺しの人生を終わらせたい。おれが鳥市として捕まって償う。」

 灯己は顔を上げ、ことの成り行きを茫然と見つめていた晶を手招きした。

「それより雨寂、頼みがある。この子を一緒に連れていってもらえないか。」

「なぜ、師姉がそうまでしてこの子を助ける?」

 それは、灯己がずっと考えていた謎だった。なぜ、おれが、この子を。だが、そうではないのだと灯己は理解した。この子に触れられた時、はじめて心が動いた。この子のために何かしたいと思った。今まで自らの意志を潜めて生きてきた灯己の意志を闇から掬い出してくれたのだ。

「人を殺すことしか考えたことの無かったおれが、はじめて、生きていてもらいたいと思った。」

「なぜ?ただ一度言葉を交わしただけの餓鬼だ。この子を助けて、今までの罪滅ぼしのつもりか?」

 灯己は黙って首を振った。この感情を理解してもらえる気がしなかった。そしてその通りに、雨寂には理解できなかった。雨寂にとってこの子供はただの得体の知れない奇鬼児だった。しかし、雨寂には灯己を信じる他に選択肢は存在していなかった。雨寂は考えることをやめ、頷いた。

「わかった。任せてくれ。」

 雨寂が頷くと、灯己は強張っていた頬を緩めた。

「おいで、おまえ、名前は?」

 雨寂に手招きされ、晶は傍へ歩み寄った。朝陽に照らされ、赤毛が煌めいた。

「晶。」

「晶か。」

 灯己が指先で晶の頬の傷に触れた。この前見たときにはなかった傷だった。

「晶、雨寂だ。この男についていってほしい。」

「シシは?」

「おれは行くべきところがある。おまえをつれてはいけない。おまえには生きていてほしい。」

「師姉にだって生きていてほしいよおれは!」

 雨寂は両目いっぱいに涙を溜め、灯己を見つめた。この人がやっと自分の意志をもったのに、やっと持った意志が死罪になることなんて。灯己はひょいと晶を抱きかかえると、雨寂の胸に押しつけた。雨寂は受け取り、その小さな体を肩に担いだ。

「行ってくれ。」

 帝軍の隊列を成す足音がすぐそこまで来ていることを灯己は悟った。朝の裏街が騒めき始める。軍列の足音に、なんだなんだと人々が表に飛び出してくる。灯己はそっと雨寂の胸を押した。泣きそうになるのを雨寂はぐっと我慢し、頷いた。背を向けると振りかえらずに走った。

 灯己は鳥市の小屋の戸を開け、玄関の横に掛けてある舞台用の面を手に取り被った。ぼろぼろの外套を脱ぎ、替えの外套を羽織った。小屋の前で軍列の足音が止まった。

 表には裏街の人々が集まり、固唾をのんで雑技団一座雪松の小屋を見守った。

「殺し屋一味鳥市、帝王様並びに正后様殺害の罪で捕縛する。」

 軍士が声高に宣言した。がらりと戸が開き、赤い外套の長い裾が風に翻った。面を付けたすらりと美しい立ち姿はまるで芝居絵のようで、人々から感嘆の声が漏れた。

「名を申せ。」

「フクロウ。」

 観衆がわっと手を叩き、まるで主役を迎えたような喝采である。

「捕らえよ!」

 面の奥からフクロウがぎろりと軍士たちを睨んだ。息の根を止められたように、軍士たちは身動きが取れない。

「その必要はない。おれは自分の意志で行く。帝王のもとへ案内しろ。」

 裏街は歓声に包まれた。


 それからしばらくの後、灯己は牢の中に居た。仰向けになり縛られた両手を天井に掲げて見つめる。この手で繰弄を焼いたのか、と思う。実感がなかった。しかし、認めなくてはならないと灯己は息を吐いた。あの時から気付いていたが、まわりがやかましすぎて意識が向かなかった。こうして静かな場所に一人でいると否応なしに自覚する。自分の中に別の呼吸が聞こえることを。

「誰だ。」

 灯己の問いに看守が振り向いた。灯己はじっと耳を澄ました。確かに、微かな息音が体内に響いている。その呼吸が僅かに笑ったようだった。

「断りもなしにおれの体に棲みつくとはいい度胸だな魔物。」

 灯己に聞こえる僅かな笑い声が確かなものになった。ふふん、と鼻を鳴らすような振動に体の芯が震えた。

「おれを恐れぬとはおまえこそいい度胸だ、小娘。」

 体の奥深くから骨と肉を伝わって響く低い声。灯己はちらりと看守を盗み見たが、看守にこの声は聞こえていないようだ。ただ怪訝な顔つきで灯己を監視している。灯己は声を潜めた。

「なぜ、おれにカラスを殺させた。」

「おれが殺させたわけじゃない。あのとき、おまえがおれを呼んだんだ。」

「おれはおまえなんか知らない。」

「おまえが知らなかっただけでおれはずっとおまえの中にいた。ずっと前からな。」

「おまえは誰だなんだ。」

「おれはおまえの魂。おまえの血と肉。」

 灯己は口を閉じた。

「おまえは馬鹿だ。自ら進んでここへ来るなど、シシ。」

 灯己は腕をおろし、目をつぶった。

「シシ。いや、今の名は灯己、か。」

 シシ。あの時帝王もそう言っていた。

「何を知っている?」

「全てだ。おまえの全て。」

 かつん、かつん、と石畳を固い踵が鳴らす音が近づいてくる。牢の入り口に人が現れた。

(あまり)様。」

 羨と呼ばれた少年はじろりと看守を睨み、看守の腹を蹴った。

「失礼致しました、燈羨様。」

 慌てて看守が言い直した。あ、と灯己は思う。あの時の、あの梅園の。

 咳き込む看守に、少年は冷たく、外せ、と言った。

「しかしこれはあの怖しい暗殺者でございます。」

「おまえ、所属隊と官位は?」

「は、第四部隊五位。」

「僕の武術指南役が誰だか知っているよね?」

「は、煌玄様と存じております。」

「君より僕の方が武術に優れていると思うけど。」

「ごもっともでございます。」

 看守は顔を青くし、一礼して去った。梅園で出会ったのは燈羨だったのか、と灯己は驚いた。燈羨と言えば十六になったばかりと聞いた。たかが十六歳でこの態度ではこの国の先が思いやられるな、と灯己は思ったが、おれが心配することではないなと思い直した。この男によって死刑になるのだから。

 燈羨が牢に歩み寄り、鉄格子を握った。にこやかに微笑む。

「また会ったね。」

 灯己は体を起こし、燈羨を正視した。

「一つだけ、言っておきたいことがある。鳥市は長らく燈一族に手をかけることを固く禁じてきた。おれ達はおまえの父親に影ながら手を貸してきたつもりだ。鳥市の名誉のために、これだけは覚えていてほしい。」

 燈羨の顔から微笑みが消え、鼻白んだように、灯己を見下げた。

「おまえたちが偉大な燈峻帝に力添えしてきたからそれがなんだと言うんだ?そんなことは何の自慢にもならないよ、結局殺したのは君たちだった。そうでしょう?帝王を殺したんだ、僕の敵、民衆の敵だよ。僕は国民の敵である刺客一座鳥市の残党である君を極刑に処さなければならない。」

 だけどね、と燈羨は声色を変えた。小動物を撫でるような柔らかい声。

「不思議なんだよ、国民の敵たる暗殺者は、なんとその場で殺されていたんだ。灰の山となってね。いったいどこの誰が?国を裏切った悪者を殺したなんて英雄じゃないか。僕はね、その英雄を捜して、千城に招きたいと思っているんだ。重臣の位につけて、僕の右腕として働いてほしいと思っている。」

 灯己は顔を顰めて燈羨を見つめた。

「おまえは頭がおかしいのか?」

 燈羨はにっこりと笑った。

「僕はね、本当のことを言われたときは怒らないんだ。だけどこれからは口のきき方には少し気をつけた方がいいよ、これから僕は君の上官になるのだから僕の前では汚い言葉を使わない方がいい。」

 灯己は頭を振った。混乱した。この頭のおかしい新帝の求めるものが理解できない。

「おれは、殺されるために来たんだ。死刑にしろ。」

「殺されたい者を殺すなんて、それは罰にならないだろう?」

 灯己は格子を掴んで揺すった。

「民衆が許しはしない、おれを生かしておくなど。」

 燈羨は息を吐き、芝居がかった様子で肩をすくめた。

「わかったよ、そんなに言うなら処刑をしよう。最強の暗殺者フクロウを極刑に処してあげようじゃないか。」

 突然、燈羨が灯己の髪を乱暴に掴み、灯己をうつ伏せに床へ叩きつけた。懐から懐剣を取り出し、鞘を抜きはらうと灯己の首根に突き立てる。小さく呪文を唱えながら、灯己の首筋に切っ先で浅く傷をつけた。血がにじむ傷跡に、燈羨の柔らかい唇が触れた。

 灯己は燈羨を振り払う。

「何のつもりだ、何をした。」

「呪いだよ。燈一族が妖魔の王になった所以、主従契約の呪いだ。僕の意志と君の命は結ばれたんだ。君はもう、僕の意志に逆らうことができないよ。」

「馬鹿な、そんなこと、あるわけがない。」

「これは、死にたい君への罰なんだよ。この僕が生きる限り、君も生き続ける。それが僕に捕らえられた君の罰だ。」

 燈羨はうっとりと灯己を見つめた。

「君は僕の意志に繋がれた犬だ。」

 灯己は絶望的な思いで茫然と燈羨を見上げることしかできなかった。この頭のおかしい新帝の犬になる。

「これは命令だよ。僕と一緒に生きて。」

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