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この世に神がいようとも  作者: 群青のはる
19/30

2幕 飛都の子ら 11

 無事アルへ戻った達は、ペルの言っていた通り、飛都にいた数日間誰も達のことを思い出さなかったため、なんら違和感なく日常生活へ戻ることができたが、授業のノートをすべて友達に借りて写さなくてはならないという業務に数日間追われて過ごし、暫くの間授業がちんぷんかんぷんだった。

 その日も放課後までかかり友達のノートを写していた達はぐったりと重い頭をなんとか首にくくりつけ廊下を歩いていた。自分の勉強はともかく、薫が学校に来た時にノートを見せてもらえる友達が一人もいないことを思うと、この作業を怠るわけにはいなかいという使命感があった。目を覚ました薫は、一週間経ってもまだ登校していなかった。

 ノートを貸してくれたバスケ部の友達へノートを返そうと、達は体育館を覗いたが、友達はいなかった。

「田中は?」

 チームメイトに友達の所在を訊くと、突き指をして保健室に行ったと言う。

 達が保健室の扉を開けると、田中の他にひとり、女子がいた。

「お、達。」

「田中、探したよ。ノートありがとう。指、大丈夫?」

 田中はテーピングされた指を掲げて見せた。田中の奥の椅子に座っている女子が、こちらに背を向けテープを片付けている。マネージャーだろうか、と達は思った。赤味を帯びた長い髪が、夕陽を受けてきらきらと輝いて見えた。ずいぶんと小柄だが、女子の上履きの青色が三年であることを示している。先輩マネに介抱されるなんてちょっといやらしいぞと達は羨望の眼差しを向けた。

「じゃあ、風見さん、ありがとうございました。」

 立ち上がり、達の肩を押して出ていこうとする田中を、女子が振り向いた。

 達は思わず息を止めてそのひとを見た。

「灯己?」

 振り向いたそのひとの顔は灯己に良く似ていた。

「は?何言ってんの?三年の風見さんだよ、知らないの?すいませんね、こいつ。」

 田中に引き摺れられるようにして達は保健室から連れ出された。廊下を歩いていく田中を達は追いかけた。

「ねえ、誰?あのひと。」

「なに、一目惚れ?」

「違うけど!」

「有名人じゃん、三年二組の風見妙さん。保健室登校してる超美人って。」

「いや、知らん。」

「達は風邪ひかねえから保健室行ったことねえもんな。」

「それ、おれのこと馬鹿って言ってるよね?」

「あのひと目当てで保健室行く男子も結構いるぜ。まあおれは年上より年下の方が好きだから、そういうんじゃないけど。」

「年上ったってひとつだけだろ。」

「達って本当にひとの噂疎いよなあ。」

 田中は心底呆れたように達を見た。

「どういう意味?」

「あのひと、本当はもう二十ニなんだぜ。」

「え、めちゃくちゃダブってんじゃん。」

「そうじゃなくて、しばらく植物状態だったんだと。中一の頃って聞いたかな。ずっと眠ってて、目覚めてからもしばらく学校来られなくて、それで。」

 へえ、と達は保健室の扉を振り返った。

「夢の中で結婚して子供もいて、起きてからもしばらくは、そっちの生活が本当だと思い込んでて、なんかいろいろ大変だったみたいよ。まあ、噂だけど。」

 達の視線の先で保健室の扉が静かに開き、風見妙が立った。風見妙はじっと達を見ていた。達も足を止め、風見妙を見つめた。見れば見る程、灯己に良く似ていた。灯己と違い背は低く、灯己のような筋肉質ではなくほっそりとしているが、二十歳過ぎには見えない幼さが、灯己が子供の頃はきっとこんなふうだったのだろうと思わせた。風見妙がすっと手を掲げ、達を手招きした。ひとり喋り続け歩いて行く田中から離れ、達は吸い寄せられるように保健室へ戻った。

 保健室の引き戸のレールの上に立ち、風見妙は歩み寄る達に手を伸ばした。おもむろに達の詰襟を掴むとぐっと顔に引き寄せた。達は首筋に、女の温かい息を感じた。風見妙は思い切り達の肌の匂いを吸い込んだ。

「飛都の匂いがする。」

 鈴の鳴るような声だと達は思った。風見妙が達の詰襟を離し、達の目を覗き込んだ。

「あなたはグレイスに何をあげたの?」

 達は目を瞠った。

「何も。」

 達は風見妙の肩を押し込むように保健室に入ると後ろ手に戸を閉めた。

 灯己に似ていることが偶然ではないのだと、はっきりと理解した。

「グレイスには何もあげてないし、何も貰ってない。」

 体を寄せると風見妙の小ささが際立った。肩を並べていた灯己の顔が、今は胸のあたりにあることに達は戸惑った。風見妙は掬い上げるように達の顔を見上げていた。

「じゃあ、どうやって帰ってきたの。」

 瞬きもせず、身じろぎもせず、詰め寄るようなその瞳に、達は薄ら寒くなるような気味の悪さを感じた。

「どうもこうもないよ、ほとんど死んでたのを、なんとか生き返らせてもらったんだから。」

 風見妙が僅かに眉間に皺を寄せた。怪訝な表情も灯己に良く似ていた。

「どういうこと?」

「そっちこそどういうこと?」

 達は風見妙を宥めるように保健室の丸い椅子に座らせた。

「他にも飛都に行った人がいるなんて思わなかった、それもこんな近くに。他にも会ったことあるの?」

 達の問いに、風見妙は首を横に振った。

「さっき、グレイスって言ったよね?グレイシー・ディティのこと?風見さんもグレイスに飛都へ攫われたの?」

「攫われた?」

 風見妙は首を傾げた。

「攫われたんじゃない、私が、行きたかったから連れて行ってもらった。」

 達はぽかんとして風見妙を見つめた。

「は?」

 風見妙は口を開けている達には構わず続けた。

「今も、戻りたいの。こっちへ帰ってきたこと、後悔してる。さっき、死んでたって言ったよね?死んだら行けるの?」

 風見妙の強い眼差しに気圧され、達は一歩下がった。

「いや、そういうわけじゃないよ、おれは専門家みたいなやつに仮死状態にされて、それで行ったから、普通に死んだらだめなんだと思う。」

 達の答えに肩を落とした風見妙の薄い胸元に浮き出た鎖骨の窪みの深さに、達はどぎまぎし、目を逸らした。赤い癖毛が視界の端で西陽を受けきらきらと眩しい。

「なんだって、そんなに戻りたいんですか、あんなわけのわからない世界に。」

「心配だから。」

「心配?おれたちが心配することなんか別にないでしょ。」

「あなたは心残りがないのね。」

 心残り?と達は訊き返したが、風見妙はそれには答えなかった。

「帝はどうされているの?」

「帝?燈羨のこと?」

「燈羨?燈羨って、羨様?晶じゃなくて、羨様が帝王に?」

 風見妙の瞳が驚きに見開かれるのを、達は怪訝に見返した。

「羨様?燈羨帝は燈羨帝だよ。」

 風見妙の顔が奇妙に歪んでいく。

「だって、あの子は奇鬼児じゃないの!奇鬼が帝になれるわけないじゃない!」

「は?」

「なんでそんなこと。私はちゃんとグレイスと約束したのに!やっぱり帰ってくるんじゃなかった!」

「ちょと、落ち着きなよ風見さん。」

 風見妙は両の掌で顔を覆い、背を丸め、動かなくなった。達はしばらくおろおろと彼女の後頭部を見つめていた。

「風見さん、大丈夫?ちょっと横になって休んだら?」

 風見妙の顔を覗き込もうとした達は、細い指の間からじっと達を見る目玉にびくりと体を揺らした。関わってはいけないものに触れてしまったのではないかという不安がじわじわと胸を染めていく。

「ほら、まだ施錠時刻まで時間があるから、少し休んだら、ね?」

 達の言葉に風見妙は顔を覆っていた両手をぽとりと膝の上へ落とした。達はその掌に、見慣れないものを見つけ、思わず顔を寄せた。風見妙の左手の掌には鳥の形の判子を押したような模様があった。風見妙は達の視線に気づくと隠すようにさっと掌を閉じた。

「ごめんなさいね。変な話をして。」

 風見妙はゆらりと立ち上がると、ベッドへ向かった。薄い背が、カーテンの向こうへ吸い込まれるようにして見えなくなった。

「大丈夫。もう帰って。」

 達は迷った。何が大丈夫なのか少しもわからなかった。しばらくそこに居ると、すすり泣く声が聞こえてきた。達は更に迷った。傍に行くべきなのか、立ち去るべきなのか、正解がわからない。しかし、傍へ行って掛けてあげられる言葉が何も思いつかなかった。

 達は鞄を持ち、保健室を出た。暮れかけた陽に影が濃く廊下へ伸びる。ずいぶん日が短くなった、と達は思った。千城宮で野営をした夜の凍てつくような寒さを思い出し、これから東京もどんどん寒くなるのだと思うと身震いがした。灯己の家に泊めてもらった夜の暖炉の暖かさは素晴らしかった、と達は思い返した。もし極寒の地に住むことになったら家には暖炉を作ろう、薪を割るのは骨が折れるかもれないけどあんなに小さい晶だってやっていると思えば頑張れる、と思い巡らせ、達ははたと足を止めた。

 アキラと言った。アキラじゃなくて羨様と。それに、あの髪の色、あの癖毛。夢の中で結婚して子供もいて。

 爪先から脳天へぞわりと震えが突き抜け、達は身を翻し、今来た廊下を走った。乱暴に保健室の戸を開けカーテンを捲った。しかし、そこに風見妙の姿はなかった。嫌な予感がした。達は暗い廊下を三年の下駄箱に向かって走った。逸る心を抑え三年二組の女子の下駄箱を上から順に探していく。風見のシールが貼られた下駄箱には茶色のローファーがきちんと揃えて入っていた。達は二段飛ばしで階段を駆け上がり、屋上へ続く扉のドアノブに手をかけた。どうか閉まっていてくれと願った扉は手応えなく開き、勢い余った達は投げ出されるように屋上へ転げ出た。息を切らしながら顔を上げた達が見たものは、屋上の柵に立つ風見妙の姿だった。

「風見さん!」

 風見妙は柵の向こう側にある僅かなコンクリート部分に降り、柵を握って達を見た。達は恐る恐る柵へ近づく。

「風見さん、おれ、言ったよね?死んでも飛都には行けないって。」

「やってみないとわからない。」

 達は首を振った。

「わからなくないでしょ。」

 達は手を伸ばし、柵を握る風見妙の左手を握った。

「わからなくないよね?やってみるまでもないよね?わかってるよね?」

 風見妙の黒々とした瞳からぽろりと涙がこぼれた。

「だって、私はちゃんと約束したのに。あの子が焔鷙の器なのに。」

「ねえ、風見さん、お母さんなの?あんたが、晶の。」

「あの子が帝にならなきゃ。じゃなきゃ何のために私、グレイスにあの子をあげたのかわからない。」

「あげた?」

「初めから、そういう約束だったんだもの。私と燈峻様が結ばれたら、生まれた子をあげるって。」

「グレイスに?なんで?」

「グレイスはわかってた、私の子が焔鷙を宿すって。だから、私を連れて行ってくれた、燈峻様の元に。」

「わからない、何言ってるか。」

 風見妙が一度瞬き、涙が足元へ落ちた。

「毎日あのひとを夢に見たの。十二歳の時だった。とても美しい王様。私、恋をした。毎日毎日恋をして、私、あのひとのところへ行きたいって願った。それが叶って、私とても幸せだった。」

 風見妙は俯いていた顔を上げ、洟を啜った。

「でも、違ったのかもしれない。私は燈峻様にとって紫玉楴様の代わりでしかなかったのかもしれない。愛されていなかったのかもしれない。だから晶も愛してもらえなくて。晶のこと愛してあげられるのは私だけなのに、傍にいられないなんて。」

 達は力を込め、風見妙の手を握り直した。

「ねえ、聞いて。あんたの子供のアキラが、おれの知ってる晶なら、今帝軍のトップのひとの家にいて、結構幸せそうに暮らしてるから、そんなに心配しなくて大丈夫だよ。第一さ、子供は品物じゃないんだから、あんたとグレイスが約束したって、晶には晶の意志があるだろ?」

 それに、と達は続けた。

「晶と一緒に暮らしてるひとのこと、おれは信用してる。あのひとの傍にいれば、大丈夫だよ。」

 風見妙が達の目を見上げた。重ねた手から伝わる焦燥がいくらか和らぐように感じた。

「ねえ、だからこっちへ戻ってきて。」

 風見妙は洟を啜りながら頷くと、柵に足を掛けた。達も柵を登り、風見妙の体を支えこちら側へ引っ張ろうとしたその時、風見妙が足を踏み外し、ずるりとその体が落ちた。咄嗟に伸ばした達の手は風見妙の左手を掴んだが、達のその手だけを命綱に風見妙は宙へ体を投げ出した。

「右手を柵に伸ばして!」

 達は叫んだが、風見妙は、だめ、と呟いた。

「引っ張られる。」

「え!?何?」

 風見妙は瞳に涙をいっぱいに溜め、達を見上げた。

「お願いよ、あの子を助けてあげて。私の夢を見て。」

「風見さん!」

 風見妙が達の手を強く握り返したその途端、猛烈な眠気に襲われ、達は意識を手放した。


「まったく、夢を媒介にこっちにやってくるなんてどういう神経してるんだよ!夢はグレイスの支配下にあるってのに!」

 聞きなれた甲高い声に、達は目を開けた。大きな目、大きな口、大きな耳の揃った黒い顔が達を覗き込んでいる。

「ペル?」

 達は跳び起き、辺りを見渡した。中街の大通りから一本入った路地の隅に、達は寝かされていた。

「なんで戻ってきたんだよ!?おれはちゃんと送り届けたはずだぜ?」

「ここ、飛都?え、おれ、戻って来た?なんで?死んだ?」

 ペルが首を振った。

「おまえは今妙の夢の中にある。」

「は?風見さんは?」

 思わずペルの肩を掴んだ達に、ペルは静かに答えた。

「死んだよ。」

 その温度のない声に、達はすうと体温が下がっていくのを感じた。

「おれが、手を離したから?」

 ペルは答えなかった。話題を変えるように、あの妙がアルの人間だったとはね、と言った。

「あれ、燈峻帝の傍で一時女官をやってた妙って女だろ。いつの間にか姿を見なくなったから、どこかへ嫁いだかと思ってたけど。」

 達はじっとペルの顔を見た。

「嫁いだんでしょ、燈峻帝に。」

「はあ?」

「言ってたよ、燈峻帝と結ばれるために飛都に来たって。」

 ペルは呆れたように眉尻を下げた。

「燈峻帝は第二妃を持たなかった。后は正后の如燔干だけだよ。燈峻帝にそういう思いを抱いた女官はたくさんいただろうけどね、執政官が必要のないほどの賢帝だったし、何しろ美貌だったから。まあ、顔を見られるのは五位以上だけど、噂だけで女官は熱を上げることができるんだから。」

 ペルの女官を軽んじるような口ぶりに、達は心の中に反感が首をもたげるのを感じた。

「本当だよ。二人の間には子供がいるんだ。あれが嘘だとか妄想だとは思えない。」

「子供?燈羨の他に?」

 はは、とペルは乾いた声で笑った。

「それこそないね。帝王に子は一人だ。賢帝の燈峻がその禁を破るなんて考えられないよ。」

「おれはその子に会ったことがある。たぶん、ペルも会ってる。」

 笑っていたペルは、達の瞳の中に強い反発を認め、笑みを引っ込めた。

「誰だよ。」

「晶だ。」

「アキラ?え、灯己のとこの?」

 再び笑うために開かれたペルの口を達は掌で塞いだ。

「笑うな。冗談じゃない。」

 ペルは達の手を掴み振り払らおうとしたが、視界に入った達の掌にぎょっとしてその手を引き寄せた。

「達、これ、どうしたの?」

 血相を変えたペルに釣られるように、達も己の掌を覗き込んだ。達の右の掌には鳥のような模様が浮かび上がっている。

「あ、これ、風見さんの左手にあったやつ。」

 ペルは呆然と達の右手を見ていた。それから目を瞑り、じっと考えを巡らせるように眉根を寄せた。目を開けた時、ペルは幾分かげっそりとしたように見えた。

「おまえ、印を移されたな。」

 今度は達が眉根を寄せた。ペルは疲れた声色で続けた。

「本当にあの妙が晶の母親で、その印が妙の体にあったのなら、晶が焔鷙の後継者だ。」

「もうちょっと詳しく。」

「その印は、焔鷙を封じる鍵だ。おれはてっきり封印されたのは片割れの炎鷲だと思ってたから、どこかに炎鷲の印を持つ者がいるんだとばっかり思ってたけど、そうか、封印されたのは焔鷙で、その印を持つ者がアルにいたんじゃ、見つからないわけだよ。燈羨の中にいるのが炎鷲だったのか。」

「風見さんは、燈羨が奇鬼だって。」

 ペルは目にもとまらぬ速さで達の口を押えた。

「何てこと言うの!何て畏れ多いこと。」

 この生き物はついこの前までこんな世界滅びろだの呪われろだの悪態を吐いていたのに、一体なんなだ、全く灯己の言う通り素直じゃない、と達は呆れながらペルの手を口から引き剥がした。

「晶の力が風見さんに封印されてるってどういうことなの?何でそんなことしたの?誰がそんなことしたの?」

「考えられるのは燈峻か、燈羨。先に生まれた燈羨にあとを継がせるために、晶の力を封印して、二度と戻らない妙に託したか。」

「風見さんはこれがそんな封印の鍵だとは知らなかったみたいだよ。晶があとを継ぐものだと信じてた。だってそうするためにグレイスと約束したんだから。」

「グレイスと?」

 ペルは顔を歪めた。

「グレイスが風見さんを連れてきたんだ、燈峻帝と結婚させるために。いや、燈峻帝の子供を産ませるために。グレイスには、生まれてくる子が焔鷙の器になるってわかってたって。だから、生まれて来る子をグレイスにあげる約束をしたって。」

 なにそれ、とペルが呟いた。

「でも風見さんはすごく後悔してた。おれに晶のこと助けてくれって。」

「妙が晶に力を戻したいなら、おまえに印を託したことは間違いだったよ。」

 ペルは息を吐いた。

「だって、印を持つ者が死ねば封印は解けるんだから。」

 漠然とした嫌悪感が胸の中に広がっていくのを達は感じた。羅梓依の体が朽ちたあの夜、灯己に言われるままに屋敷を訪れた達を迎え入れてくれた晶を思い出していた。湯を沸かし、温かい布団を用意し、達の不躾な質問にもにこにこと答えてくれた。質問が灯己のことに及ぶと、晶は饒舌になった。達が今まで千城市中で見てきた子供の中で、晶は一番幸せそうな子供に見えた。

「晶は、自分が後継者だなんて知らないんだろ?ねえ、それを望むかな?だってそうじゃない今だって晶はとても幸せそうじゃないか。灯己の傍にいることが晶の幸せなんだろ?そういうふうに見えたよ。」

「晶はもう灯己のところにいないよ。おまえをアルに帰した日だ。森からいなくなった。」

 達はあの日外から戻って来た灯己の凍り付いたような頬を思い出した。晶を探し回っていたのだと思い当たった。

「グレイスが連れて行った。」

 え?と達は訊き返した。ペルは項垂れたまま続けた。

「妙が死んだのは偶然じゃないのかもしれない。引っ張られたんだとしたら。」

「引っ張られた?」

「晶を手に入れたグレイスが、妙を殺して焔鷙の力を晶に戻そうとしているのなら。」

 俯いていたペルが瞼を上げ、その瞳に達を映した。

「グレイスはおまえを殺しに来る。」

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