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この世に神がいようとも  作者: 群青のはる
10/30

2幕 飛都の子ら 2

 「いやあ、さすが灯己元帥、かっこいいなあ。」

 すっかり感じ入った様子で目を輝かせながら回廊を歩く彰豼を麗威が追った。

「おまえ、二度とフクロウなどと口にするなよ。肝を冷やしたぞ。」

「だって、飛都史上最強と言われたお人なんだぜ。そんな人の下で働けるなんてすごいじゃないか。」

 麗威がしっと指を立てた。

「馬鹿者、お前は最年少で軍将になって妬む輩も多いのだから、要らないことを言うな。鳥市は燈峻様の敵だぞ。元帥は敵をとったお方とはいえ、元は奴らの仲間だ。」

 二人の前を歩いていた蘭莉が立ち止まり、今しがた座を辞したばかりの灯己の執務室を振り向いた。

「蘭莉様、どうされました?」

「懐かしい匂いだ。」

 麗威と彰豼は目を瞬き、蘭莉の大きな体躯を見上げた。

「と、言いますと?」

 懐かしい、神苑の匂い。蘭莉は灯己の執務室に引き返すべきかしばし迷った。あまたの匂いの記憶から当て嵌まる匂いを引き寄せようとするが、ぴたりと嵌る記憶が見つからない。しかし、と蘭莉は思った。嫌な匂いではない。少なくとも、今、この時は害のない香りである。

「私はもう少しの間ここにおりますので、お二人は隊の詰所に戻っていてください。」

 そう言うと、蘭莉は回廊から庭へ降り、膝を折った。麗威と彰豼は顔を見合わせたが、この男が妖魔であることも鋭い嗅覚に従い生きていることも既に承知している。頷き、その言葉に従った。

 その頃灯己の執務室には、蘭莉が嗅ぎつけた通り、神苑からの訪問者が居座っていた。

「いやあ、人生何が起きるかわからないね、まさかあんたがあのフクロウで、そんで帝国軍の最高司令官になっちゃうなんさ。」

 突然現れ、目の前で太々しく胡坐をかく全身黒ずくめの小鬼を見るや、灯己は執務机に伏し頭を抱えた。あれは夢ではなかったのか、それとも今もまた夢の中にいるのか。

「夢じゃない、夢じゃないよ。ほら、目を開けてちゃんと見て。正真正銘の死神の遣い、ペル・ロディさ。」

 ペルは立ち上がるとくるくると回って見せた。

「おれは夢なんか使わないよ。夢はグレイスの領域だからね、覗き見られても嫌だしね。」

 またグレイスなんとかの話か、と灯己はうんざりした。

「グレイス、グレイスって、なんなんだ?あれから三年も経ったのに、まだ掴まえていないのか?」

「えー、えへへ。」

 ペルは頭を掻いた。

「掴まえられないどころか、更にやらかされてしまいまして実はグレイスがアルの人間を誘拐してこっちに連れてきてしまいまして。」

「アルだと?」

 灯己は思い切り顔を顰めた。またお伽話だ。

「アルって知ってるでしょ?神が創ったもう一つの世界。いや、もう一つももう二つもある、あまた存在する世界のうちの一つ。」

「知らねえよ、見たことねえし、作り話だ。」

「見たことあるものしか信じないの?見えなくても存在するものはあるし、見えていても存在しないものもある。例えばあんたの中に存在する妖魔。姿は見えないけど存在することをあんたはわかっているよね。」

 体の中で当てつけがましくごそごそと蠢めく気配に灯己は苛立った。

「わかっているからごそごそ動くな。」

 ペルが驚いて灯己を見た。

「体に宿った魔物と話ができるの?」

 体の芯が振動する。妖魔が笑っているのだ。灯己は舌打ちをした。

「話したのは一度だけだ。あとは笑っているだけで何の役にも立たねえよ。」

「その妖魔何者?」

「おれが知るわけねえだろ。」

「自分の中にいるモノのことなのに、いいの?そんないい加減で。もっと興味持たないの?そんな他人事みたいに。」

「興味持てば、こいつがおれの言うことを聞くようになるのか?こいつにその気はねえよ。」

 ペルはしげしげと灯己を見上げた。

「体に妖魔住まわせて平気でいるなんてどんだけ頑丈なのさ。あの初代燈王でさえ正気を保って共存できたのは数年だったって言うじゃないか。まあ、あれは炎鷲焔鷙って飛都最強の妖魔だったから比べものにもならないだろうけどさ。」

「最強の妖魔ねえ。」

 まるで興味をひかれない様子の灯己に、ペルは鼻に皺を寄せた。

「まさか炎鷲焔鷙も知らないの?炎鷲焔鷙は初代燈王が拘束の契約を交わして飲み込んだこの飛都で最も強大な魔物だよ。妖魔の王だ。炎鷲と焔鷙は、元は一つの強大な比翼の妖魔だったのが、五代の子、双子の阿陀良と燈峻に宿るときに分裂したって言われてる。燈羨帝に宿るのは焔鷙、沈黙の焔と呼ばれてる、対する炎鷲は雄弁の炎。」

 すらすらと説明するペルに灯己は感心した。

「詳しいな。」

「いや、これ飛都のひとにとっては常識だよ?転生を繰り返す妖魔は肉体が死んでも魂は消えない。その魂を消滅できるホノオを持つのは、焔鷙と炎鷲だけなんだから。妖魔の最も恐れる存在だよ。」

 灯己は体の中で妖魔がじっと息を殺す気配を感じていた。

「それで、燈羨帝に宿るのが焔鷙なら、もう片一方の炎鷲はどうしているんだよ、今。」

 ペルは肩を竦めた。

「わからないんだ。阿陀良帝と共に消滅したのか、どこかへ封印されたのか。阿陀良帝の崩御した夜から、その気配はぷつりと消えてしまったんだって。」

「へえ。」

「ねえ、本当に興味ないんだね、よくそれで今までこの飛都で生きてこられたね?」

「歴史だの王家だの裏町の人間に関係あるかよ?必要ねえよ、裏街で生きていくのに。」

 灯己は執務机から立ち上がると、奥の扉を開け、仮眠室へ入って行った。ペルは後を追い、扉から顔を覗かせた。

「ねえ、あんたさ、この三年間、毎日缶詰にされて貴族教育叩き込まれてきたんだよね?え、出来てる?大丈夫?三年前と何か変わったとこ見られないんだけど?これで貴族仕様になったの?」

「うるせえな、余計なお世話だ、だいたい何しに来たんだよ、用がないなら帰れ。」

 急降下した灯己の機嫌に慌て、ペルは寝台に座る灯己に足元に縋り寄った。

「用ならあるよ、むしろ用しかないよ!」

「うるせえ。用があっても帰れ。」

「そんなこと言わないで、ね、ちょっと頼みたいことがあるんだよ。」

「嫌と言えることならもちろん断る。」

 ペルは苦笑いするしかない。

「これは灯己にしか頼めないんだ。」

 名を知っていたのか、と灯己は溜息を吐いた。死神の遣いに名を知られているなら、まず逃れられない。

「グレイスがアルの女の子を攫ってこっちに連れてきちゃったって言ったでしょ、おれはその女の子を見つけてアルに連れ戻さなきゃいけないんだ。それでその子を探すためにもう一人アルの人間を連れてくるんだけど、灯己の配下として雇ってもらえないかな?千城の中を自由に動き回れるようにしてほしいんだ。」

「おれはこの城じゃあ新参者だぜ。そう簡単に裏工作ができるかよ。」

「大丈夫。灯己は元帥だろ?元帥といえば武官の最高位、軍内の人事権は帝王と同等とされるんだから。」

「人事権以前に、士官学校を出ていなきゃ軍に入れないぜ。」

「そこをなんとか!灯己付きの世話役とかなんかそういうのでいいから!もちろん、ただでとは言わないよ、灯己。おれにできることがあれば何でも言って、ね?」

 灯己はペルに背を向け、寝台へ寝転がった。

「じゃあもう顔見せんな。」

「そんなこと言って、灯己、おれがいなかったら絶対困るって。」

「お前のような鬱陶しいやつを遣いにしてる死神様の気がしれねえよ本当に。」

「そんなこと言って、灯己、おれがいなかったら絶対淋しいって、絶対。」

 灯己は寝返りを打ち、うつ伏せになった。快い返事をしない限り、この小鬼は居座るつもりだろう。面倒に巻き込まれるのは嫌だったが、しかし、これまで生きてきて面倒でなかったことなど、灯己にはなかった。鳥市に拾われたあの時から、灯己はずっと面倒事の中に身を置いている。今更どれだけ面倒を押し付けられようと変わらないのだろうという諦めの気持ちがあった。

「わかった、そのアル人の件はどうにかしてやるからもう帰ってくれ。」

「ありがとう灯己、恩に着る!」

 ペルのうきうきした気配が遠のいていき、灯己はほっとして目を閉じた。これから夜警のために仮眠を取らなくてはならない。いつまでもこの小鬼に付き合っていられないのだ。

 一旦遠のきかけた気配が、不意に止まり、灯己を振り向いたようだった。

「で?」

 ペルの唐突な問いに灯己は目を開け、扉の前に立つペルを見た。

「ただでとは言わないって言ったでしょ?灯己の望みは何?」

 無意識に灯己の口が開き、声が零れた。

「晶を。」

「アキラ?」

 ペルのきょとんとした顔を目の前にし、灯己は我に返った。慌てて布団を被った。

「いや、いい。何でもない。」

「よくないよ、おれ、こう見えても死神の遣いなんだから、たいていのことは出来ちゃうんだからね。晶って?」

 灯己は説明しようとし、しかし説明のしようのなさに黙った。自分と晶の関係を表す言葉を探すがまったく見つからなかった。

「わからない。ただ、そういう名前の、晶という名前の少年ということしか、おれは知らない。」

 ペルは瞬きをしまじまじと灯己の潜る布団を見つめた。

「その子に会いたいんだね?」

 灯己は迷った。フクロウは捕まり、帝王に首を刎ねられたことになっているのだ。鳥市の罪に巻き込まないために雨寂に託したのに、再会を望んでいいのだろうか。でも、会いたかった。今、ほんの一瞬会える可能性を考えただけで、胸が高鳴った。灯己は目を瞑り、頷いた。

「そうだ。」

 ペルの顔に笑みが広がるのが見なくてもわかった。

「わかった、連れてくるよ。約束する。」

 扉の閉まる音を聞き、灯己は身を起こした。喜びに体温が上がっていく。眠れそうになかった。


 執務室近くの庭で侍座していた蘭莉は、執務室から出てきたその黒ずくめの小鬼を見るなり、死の匂いが鼻腔いっぱいに蘇るのを感じた。

御遣(みつかい)い殿。」

 懐かしい呼び名に、ペルはぎくりとして庭を見た。本来この世界の者に姿を見せることは禁じられている。もっと早く姿を消すべきだったと後悔した。灯己との交渉がうまく行き気が緩んでいた。しかし、ペルを「御遣い」と呼ぶのはペルを知る人物、神苑の関係者に限られる。声の主を見たペルの心には、安堵と困惑が入り乱れた。

「ランリ。」

「お久しゅうございます、御使い殿。」

 二人はじっと対峙した。蘭莉の強い眼差しがペルを牽制する。

「元帥のお部屋にどのようなご用向きで?神苑の御面倒事をお持ち込みになられたのではありますまいな?」

「すっかり帝国の犬だね、ランリ。」

「お褒めいただきありがとう存じます。」

 蘭莉がにこりと微笑み、ペルも微笑みで応えた。

「御遣い殿も、すっかり変わられましたな。今はあまり嫌な匂いが致しませぬ。」

 ペルの顔から笑みが剥がれ落ちた。

「他人の匂いを嗅いでとやかく言うのは良い趣味ではないよ、ランリ。」

「申し訳ございませぬ、私にはこの鼻しか頼るものがございませんので。」

 頭を下げたランリの口角が笑っているのを見たペルはこの男がただの愚直の士ではないことを思い出した。

「その鼻をもってしても、まだあれは見つからないのか?紫芭(しば)の首は。」

 痛いところを突いてやろうと、ペルはその名を口にしたが、蘭莉を動揺させるには至らなかった。

「首に何の御用が?あれが紫芭として蘇ることはもうございません。それよりも、優雅な讃美歌を逃がすとは、どいうおつもりです?」

 かっとペルの頭に血が上った。

「グレイスを完全に封印することがどれほど不可能に近いか!わからぬおまえではないだろう!?」

 怒鳴り散らすペルを、蘭莉は冷たい瞳でじっと見ていた。その目に見つめられるとペルは背筋が凍るようだった。息を整え、軽く咳払いをした。

「おれにだって、できることとできないことがある。」

「それをわかっていらっしゃるのであれば、この世に無用な手出しはされませぬよう。さあ、もう、行ってください。ひとが来ます。」

 蘭莉が立ち上がり、ペルはぐっと奥歯を噛んだ。格の違いを見せつけられたようで、恨めしかった。

「そういえば、あれもまだ見つからないのか?」

 蘭莉がペルを顧みた。

「あれとは?」

「紫芭が阿陀良に産ませた子だよ。呪い憑きと王魔の間の子だ、生きていればとんでもないバケモノになっているかもしれないよ。」

 蘭莉は静かに首を振った。

「生きていたとして、燈一族と関わりのない人生を送っているのであればその方が幸福でしょう。」

 それは、その通りだとペルも思った。二人は別れの挨拶はなく背を向けた。

 ペルは指で描いた文様の中に飛び込み、姿を消した。模様が床に吸い込まれ消えて行くのを、蘭莉は回廊に佇み見つめていた。

 あれと反りが合わぬは仕方がないことだ、と蘭莉は息を吐き、歩き出した。

 闇の中で、ペルもまた溜息を吐いた。まったく反りが合わないのは仕方がない。あれは神苑を捨て燈王の側ついた。燈王が国を興したとき、そうして神苑から飛都へ下った者が少なからずいたが、八代もの間変わらぬ忠誠心を捧げ続けているのは蘭莉だけだ。

「変な奴。」

 ペルは努めて軽々しく吐き捨て、このもやもやした感情に蹴りをつけた。この闇の中から抜け出る場所を間違えては困る。ペルは意識を集中し、闇の中へ金の光で文様を描き進めた。目指すはアル、東京。


 ペルが東京都港区に降り立ったのは初冬の寒い朝であった。ペルはあらかじめ用意していたニット帽とマフラーを身に着け、その特異な風体を隠した。裾の長い黒の外套に目深に被った黒のニット帽、口元を隠すようにぐるぐる巻きにした黒のマフラーという、不審者に見られかねない全身黒尽くめの格好だが、冬ということもあり、おしゃれを覚えたての小学生のように見えなくもない。ペルはある私立高校の校門近くに立ち、標的が現れるのを待った。しばらくすると道の向こうからとぼとぼと歩いてくるそれを見つけ、ペルは歩き出した。すれ違う女子生徒がちらちらとペルを振り返り、誰かの弟かな、などとこそこそ話しているが、とぼとぼと歩いてくるその男子生徒はペルには全く気付かぬ様子で、隣の友人と話している。

「まだ目覚めないの、宮ヶ原薫(みやがはらかおる)は。」

 友人の問いに、ああ、と力なく答える声が聞こえる。

「もう三日だろ?医者には見せたのか?」

「ああ。だけどわからないんだって。悪いところはなにもないって。」

「どこも悪くなくて三日も眠り続けるか?」

「うーん、検査はしたんだけど。」

 二人の横を数人の女子生徒が追い抜き、振り向いて声をかけた。

「ねえ、薫ちゃんまだ起きないの?心配だねえ。あたしたちもお見舞い行っていい?」

 その時初めて、下を向いていた男子生徒が顔を上げて彼女らを見た。その目に灯ったのは明らかな怒りだったが、彼はそれを口に出さなかった。

「うん、来てくれたらきっと喜ぶよ。」

 その返答に、女子たちがどっと笑い声をあげ、背を向けた。

「なんなん、あいつら。どういう神経してんの。」

 隣の友人が代わりに怒りを込めて吐き捨てた。

「なあ、(たつ)。宮ヶ原、自殺未遂とかじゃないんだよね?」

 ペルは達と呼ばれた青年の前に立ちはだかった。

「おはよう、上田達(うえだたつ)。」

 達と友人は足を止め、目の前の全身黒ずくめの少年を見た。帽子とマフラーの間から、やけに大きな目がぎょろりと覗き、達を見上げている。

「誰?」

 達と友人は顔を見合わせ、首を捻った。ペルは達を手招きし、友人には先に行くよう促したが、二人とも動かない。

「知り合い?」

「いや、知らねえ。」

 ペルは仕方なく背伸びをして達に耳打ちした。

「あんたの幼馴染の宮ヶ原薫のことで話しがあるんだよ。」

 達はさっと顔色を変え、ペルを見た。ペルは頷くと、達の袖を掴んで歩き出した。達は慌てて友人を振り返った。

「ごめん、ちょっと先行ってて!」

 ペルは達を引っ張り非常階段から屋上へ登っていく。

「やっぱりニッポンの学校で秘密の話するとなれば屋上でしょう。」

「屋上は立ち入り禁止だぞ。鍵かかってるし。」

 ペルがノブに手をかざすと簡単に鍵が外れた。

「いいから来いよ。人に見つかっちゃ、うまくないんだ。」

 ペルが先に屋上に入り、達を促した。達が屋上に入ると、ペルは二人の周りに指で文様を描き、結界を張った。達には見えていないはずだが、達は何か気配が変わったことを察し、俄かに緊張したようだった。

「何、今、何かした?」

「まあ、そう怖がるなって、取って食いやしないよ。はじめまして、上田達。今日はあんたに折り入って頼みがあって来たんだ。眠り続けている宮ヶ原薫を助けてやってくれないかな?」

 怪訝な面持ちで達はペルを見下ろした。

「そりゃ、おれだって助けたいけど。おまえ、薫の何?何で薫が眠り続けてること知ってんの?」

 ペルは、まあまあ、と達を宥めた。

「宮ヶ原薫はお前の大事な幼馴染みだよな?助けるためなら何でもする、覚悟はあるよね?」

「もちろん。できることなら何でも。」

「じゃ、死んでみようか。」

「は?」

 ペルはニット帽とぐるぐる巻きにしたマフラーを取った。

「申し遅れました。おれの名前はペル・ロディ。簡単に言えば死神の遣い。」

 ペルの露わにした素顔に、達の表情がみるみる歪んでいく。人間離れした大きな口、大きな耳。唇の間からのぞく牙。

「今おれたちの管轄する別の世界で質の悪い悪魔が復活してね、どうやら宮ヶ原薫の魂をあっちの世界に持っていって別人の中に入れちまったようなんだ。おれたちは宮ヶ原薫の魂をこっちの世界に返さなきゃならないだけど、困ったことにおれたちには彼女の魂が入った人物を見分けることができない。だからあんたに宮ヶ原薫を見つけ出してこっちの世界に戻るよう説得してほしい。それができるのは上田達、おまえしかいない。」

 ペルの説明を聞いているのかいないのか、達は顔を歪めたまま、口をぽかんと開けてペルを見つめている。

「つまりだな、宮ヶ原薫を助けるには別の世界に行かなくちゃならない。人間は生身ではあっちの世界に行けないんだ。だから、いっぺん死んで魂だけ移動するしかない。まあ、夢を媒介にするって方法もあるんだが、これは危険だから死んだ方がむしろ安全だ。いっぺん死んでもらうに耐えうる頑丈で単純な体と脳を持っていて、さらに宮ヶ原薫の魂を判別できる人物と言ったら、上田達、おまえしかいないってわけだよ。」

 上田達ははっと目が覚めたように瞬いた。

「待て。仮に、あくまでも仮に、お前の言っていることが正気だとしよう。正気だとしても、夢を見るより死ぬほうが安全だ?だから死ね?ん?おかしくね?安全の定義を辞書で調べたことあんのか?ないなら今ここで調べろ。」

 達は背負っていたリュックの中をがさごそとかき回し、電子辞書をペルに突きつけた。ペルはそれを押しやり、

「大丈夫。だっておれ、人を死なす専門家だから。宮ヶ原薫が見つかって万事うまくいった暁には何事もなかったこのように元の体に戻してやる。心配ない。おまえが死んでる間は誰もお前のことなんか思い出さないようにしてやるし、おれの手にかかれば死ぬのなんか痛くもないしかゆくもない、たった一度の衝撃でらくーに死ねるんだから。」

 と安心安全の笑顔を湛えた。達は頭を掻きむしった。

「これはあれか?安楽死の訪問販売か?じゃあクーリングオフの説明書見せてくれる?って死んでるから解約できねえ!」

 まあまあ、とペルは猫なで声で達の肩を叩いた。端からアルの人間相手に口で説得できるとは思っていない。やるしかない。

「どのみち、薫を助けるにはこうするほかないんだ。さ、覚悟を決めて、気持ちをらくーにしてごらん。」

 ペルは右の掌を達の左胸に宛がった。

「死ね。」

 達の体の中を凄まじい衝撃が駆け巡り、達の体はペルの腕の中に崩れ落ちた。


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