041 師匠と呼んでいるクールなコックに胃袋を掴まれて…
「………よし、できたぞ。
さあ、めしあがれ。
今日は蟹のクリームパスタとえびグラタンだ。
…どうだ?うまいか?
………ふん。まあそうだろうな。私の料理がまずいわけがない。
では、私もいただくとしよう。
………
うん。今日もきちんとできてるな。さすが私だ。
…今日の仕事もご苦労様だったな。
予約客が15に、一般客が45。
厨房は終始てんやわんやだったが、お前の賢明な働きのおかげで、きちんと最後のお客まで回ったよ。
それでこそ、私の一番弟子なだけなことはある。
………最初、弟子入りした時の頃はひどかったもんだった。
それまで料理しないどころか、ろくに包丁も握ったことがないと言われた時は、私も唖然としたからな。
だが、それからのお前の成長はすさまじかった。
料理の基本はすぐにマスター。
人並みに料理が作れるようになったら、どんどん私の技を盗んでいくんだからな。
私の一番弟子になるまで、まさにあっという間の時間だった。
今では一部の料理を任せるほどにまで成長するとは、あのころからしたら考えられないよ、まったく。
これからも私の下で精進していくんだな。
お前ならもっと上に行けると、私は信じているぞ。
………
………どうした?改まった顔をして。
何か相談でもあるのか?
一番弟子の悩みだ。少々の悩みだったら………
………出ていく?
どうしたんだ、急に?
まさか、給料が不満なのか?
まあ、ここ最近はまったくアップしてなかったからな。
お前が上げろというなら、今の2倍にしてやっても………
………
…はっはっは。独立ね。
独立したいから出ていきたいというわけか。
冗談としたら面白おかしい話だが………その顔を見る限り、どうやら本気のようだな。
………
………
………
―――お前では独立は無理だ。
お前が一人でやったところで、やっていけるはずがない。
………
…やってみなくてもわかるさ。
私は、お前が絶対独立できないことを、確信している。
だからそんな妄言はさっさと忘れて、食べ終わったら明日の仕込みをだな………
(バン!)
………そうか。私がこれだけ言っても出ていくというのか。
なら、勝手にしろ。
(タン、タン、タン、タン)
………
………
………
………料理は残した、か」
「………ん。よし。
じゃあ後はスパイスを足して味を調整しつつ…
(………バタン)
こんな時間に、誰だ?
………って、お前か。
お帰り。待ってたぞ。
もう少しで完成するから、そこに座って待ってるんだな。
………
………
………
………完成。
ほら、食え。
今日はTボーンステーキとビッソワーズだ。
たくさん作ったから、お替りしてもいいぞ。
………そんなバツの悪そうな顔しなくてもいいさ。
料理に罪はない。
だからちゃんと食べろ。
………
………
………
…うまいか?
………
そうかそうか、よかったよかった。
じゃあ、私も食べるとしようか。
………
…ふふ。やはりこの私だ。私でなければ、これ以上の味は出せまい。
………
………残念だったな。
風の噂で聞いたが、お前の店、この前つぶれたんだってな。
私の予言は当たったというわけだ。
だが、あんな店ではつぶれても仕方あるまい。
気付いていたか?
私が一度、あの店を訪れていたことを。
…知らなかったようだな。
まあ変装もしていたし、お前は厨房の方で忙しかったようだから、無理もないが。
その時食べた感想だが………あれではダメだ。
肉の焼きは甘いし、魚の味付けは不十分、パスタは湯で過ぎでソースが濃すぎる。
本当に私の弟子なのかと疑ったよ。
極めつけはあれ、サラダは絶対に駄目だ。
野菜の切り方、ドレッシングのかけ方、皿への盛り付け方。
全てがダメ。
0点を通り越して-100点の点数だったよ。
一瞬、生ごみを食べてるかと錯覚したくらいだ。
………ん?ああ、あれはお前の作ったものじゃないのはわかっているさ。
さすがにあんなサラダをお前が作っていたとしたら、我を忘れて厨房に怒鳴り込んでいくレベルだったからな。
他の奴が作ったことくらい、料理を見ればすぐにわかる。
半人前の半人前。いくら人手が足りてないからって、あんなものを作るやつを雇うなよ。
………
…たとえ作ったのが別の人間でも、味は店の店長であるお前の責任だ。
一度客に出している以上、お前のせい以上のものではない。
あんな料理を出し続けていれば、一見の客はやってくるだろうが、リピーターは来やしない。
だから客が来なくなって潰れたんだ、お前の店は。
………
………
………
ぐうの音も出ないか。
だから私は言ったんだよ。お前では無理だとな。
………私は無理だと思った理由は、大きく分けて2つある。
1つ目は、お前の料理の腕。
いくら私の下で長年修業したといっても、お前の腕は私の足下にも及ばない。
確かに、この店ではいくつかの料理を任せていたが、それでも完成した後に作り直させたことが何度もあるのを忘れたのか?
経験が足りないんだ経験が。
お前のように、成人になってからこの世界に踏み込んだ奴には、特にな。
………そして2つ目の理由。
こっちが重要で、最大ともいえる理由だが、それは…
私の料理がとても美味しいからだ。
………
…からかってる?そんなわけがないだろう。
じゃあ、自分の頬を触ってみたらどうだ?
………そう、お前は泣いている。それが証拠さ。
私に弟子入りしてから、お前はほぼ毎日、私の料理を味わってきた。
私の美味しい美味しい料理を食べ続けてきたお前にとっては、私以外が作った料理なんて、天と地ほどの差があるものだろう。
自分が作ったものでは満足できない。
他の料理人が作った料理でも満足できない。
お前は、私が作った料理でしか『美味しい』と思えないんだよ。
私の愛情のこもった最高の料理でしか、な。
私の料理が食べられず、『美味しい』という感覚が薄れたから、お前の店は半年ももたたずにつぶれた。
そりゃあ味の責任者である店長が『美味しい』を感じなくなったんだから、当然だよな。
そして、私の料理が恋しくて恋しくて、食べたくなったからこそ、この店に戻ってきた。
私の美味しい料理のせいで、私の美味しい料理のために。
(………パク)
………実をいうとな、お前以外に作った料理では、私はここまでの味を出せないんだ。
もちろん、店で出しているものは海外の本場と比べても見劣りしないものだが、しかしそれでも、お前に作るものとそうでないものには明確な違いがある。
私は精神論の類は信じない主義だったんだが、お前のために料理を作って、つくづく思ったよ。
愛情は最高のスパイスだってことにな。
…ん、今日のこの料理か?
いや別に、私は今日、お前が戻ってくることなんて知らなかったさ。
ただ、お前が出て行った日から今日この日まで、お前が帰ってきた時のために、料理を作り続けていたというだけだ。
今日までにどれくらいの食材を捨ててきたか。
そういう意味では、私も料理人の風上にも置けないかもな。
だが、今日の料理はお前が食べてくれた。そのための犠牲だと思えば、なんてことはない。
手間もお金も、こういう時にあってしかるべきだからな。
………一番最初。
そう、一番最初。
お前がこの店に客としてやってきて、私の料理を食べた時の顔。
美味しそうに食べてくれるその顔に、私は惚れてしまったんだ。
また食べてもらいたい、また美味しいと思ってもらいたいからこそ、そこからさらに私は成長できた。
そして、お前に料理を作り続ける限り、もっともっと腕を上げ続けることができる。
お前は、ずっと私の料理を食べ続けてくれればいい。
ま、確かに店の従業員としても役に立ってほしいがな。
………でも、たとえお前の両腕がなくなって、包丁が握れなくなっても、フライパンが持てなくなっても、その口が残っていれば、美味しい料理はいつまででも食べさせてやる。
お前は一生、私の美味しい料理から離れられないんだから、な」