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176 山奥にある宿屋を一人で切り盛りする娘はいつも泊まりに来てくれるお兄さんが最後の宿泊だとわかると…

「(バタン)

いらっしゃいませ!

当宿屋に…あ、お兄さん。

いつもいつも利用してくださって、ありがとうございます。

本日も、一泊の滞在で?

はい、かしこまりました。

長旅お疲れ様です。

今回は、どちらの方面まで商いに?

………東にある城下町の方ですか。

確かあそこって、最近できた町でしたよね。

新しくできた町だと、色々必要なものも多そうですけど、お兄さんの商売は繁盛して?

………さすがお兄さんですね。

そういうところにすかさず逃さず商売に行くんですから、さすが商人さんの鑑です。

…そんなことありませんって。

………あ、荷物ですね。

後で馬は馬車小屋の方に、荷台の荷物は倉庫に預からせていただきます。

では、お部屋の方にご案内します。

………ええまあ、いつもと同じ部屋です。

毎回毎回利用してくださってるので、あそこの部屋、もうお兄さん専用の部屋みたいになってますよ。

…いえいえ、案内も私の仕事の内ですから。

私の仕事はしっかりとやらせてください。

それが宿屋で働く私の商いなので」




「(コンコン)

…お兄さん、お食事の用意ができましたよ。

(バタッ!)

とっと。

もう、お兄さん、いきなり扉を開けないでくださいよ。

危うく頭をぶつけそうになるところでした。

………はい、下の食堂の方に用意してあります。

お兄さんよろしければ、行きましょうか?

………それにしてもずいぶんと空腹のようですね。

…ええ。お腹が空いたとお兄さんの顔に書いてあります。

………ああ、今日は朝から何も食べてなかったんですか。

ならそうおっしゃってくれれば、間食か何か用意しましたのに。

………いえいえ、それも宿屋としての仕事の内ですから。

…と、着きましたね。

それでは、ごゆっくりどうぞ。

………え?いやいや、私は従業員ですから、お客様であるお兄さんと一緒になんて…

…まあ今晩は他にお客さんもいないので、そこまで忙しくはありませんけど………

わかりました。じゃあお兄さんが食事の間、お兄さんに話し相手になります。

流石に一緒に食事っていうのは勘弁してください。

………あ、いえいえ。お兄さんと食事を摂りたくないないっていう意味じゃなくて。

まあ、その、私の食事は従業員用というか、まかないっていうか、そういう感じのものなので、今お兄さんに出している料理と比べると…

そんな感じなので、お兄さんが気を遣わなくてもいいですよ。

………今日のメニューは、鹿肉のハンバーグと野草のサラダ、3種の果物を使ったタルトになります。

どうぞ、ご賞味ください。

………

………どうですか、お兄さん。お味の方は?

…そうですか。それは何よりです。

………え。あ、まあそうですね。最近、あまり景気の方は良くないですね。

見ての通り、今日泊まっているのはお兄さん一人だけですし、閑古鳥が鳴いている日も少なくはないです。

何せ、こんな山奥にある宿屋ですからね。

旅人や行商の方とはちょくちょく来られますけど、それ以外のお客さんっていうのはなかなか…

………いえいえ、小さな宿屋ですから、一人でも十分切り盛りできる範囲ですよ。

まあ小さい分大人数の団体の人は泊まれませんし、そういうお客さんを逃しちゃうっていうのもなくはないですけど。

私なんかに比べたら、お兄さんはかなり出世している商人さんですよね。

話を聞く限りでも、あっちこっちの地に行っては様々なものを売り歩いている。

商人さん達の間でもちょっとした有名人になってるみたいですよ。

こんな山奥を通る時でも、身なりはしっかりしていますし、馬や馬車もかなり立派ですし。

もう本当、商いをする身として尊敬しています、お兄さん。

………あ、パンのお代わりですね。

もちろん大丈夫ですよ。

すぐ、持ってきますね」




「(バタン)

………あ、お兄さん。

そろそろ出発のお時間ですか?

…ええ、はい。馬も馬車もすぐにご用意を。

けど、そんなに急がなくてもよろしいんじゃないですか?

いつもいつも言ってますけど、宿屋で休む時くらい、もう少しくらいゆっくりしても、神様もお許しになると思いますよ。

…はは。商人の神様は「善は急げ」って言ってるんですか。

わかりました。すぐにご用意いたします。

………

………え、どうしたんですか。急に改まって。

しかも、『いつも泊めてくれありがとう』だなんて。

お客様に安心して泊まってもらうのが宿屋の…

………え?今日が最後って、どういう…

………

…あ、そうなんですね。お兄さん、自分のお店を………

…そのお店のために、今日まで一杯働いて、その資金を………

…だから、行商は、今回で終わり………

………

…じゃ、じゃあ、もうここには来てくれないってことなんですか?

………そ、そんな、それじゃあ、もうお兄さんとは会えないってことじゃないですか。

私、毎日毎日ここで働いてて、同じ毎日の繰り返しで…

こんな毎日がずっと続くのかなって思ってた頃に、お兄さんが泊まりに来てくれるようになって…

お兄さんはいつも私に笑顔を向けてくれて、楽しい話も一杯してくれて…

そんなお兄さんに会うのが、私の唯一の楽しみだったのに…

本当は、もっとたくさん、お兄さんと一緒に過ごしていたいと思ってて…

でも、こんな宿屋の娘がお兄さんに付いて行っても、邪魔にしかならないと思って、たびたびお兄さんと会うのだけで、我慢してたのに…

それなのに、これからは一生、お兄さんと会えないなんてそんなの、そんなの………

(ゴンッ)

私は、許さないです」




「(コンコン)

…お兄さん、失礼します。

………お兄さん、お食事をお持ちしました。

………

…ああもう、こんなにベッドを散らかしちゃって。

だめですよ、お兄さん。

ここは宿屋なんですから、ベッドではゆっくり休まないと。

(カチャカチャ)

………ああ、そうですね。

それがお兄さんの両手と両足についているので、どっちにしろ、ベッドからは動けないですか。

…いえ、外しませんよ?

だって、それを外したら、お兄さんが私の前からいなくなってしまうじゃないですか。

ここを出て行って、お兄さんのお家に帰って、それでそのまま一生…

そんなことは私が許さないですよ、お兄さん。

………はい?そんな心配はないと思いますよ?

お兄さん専用のこの部屋は、この宿屋で一番奥にある部屋です。

山奥にあるこの宿屋がお客様でいっぱいになることなんでまずないですし、たとえそんなことがあって隣の部屋に宿泊客がいても、お兄さんのことはわかりません。

どんな大声を出しても、どんな物音を立てても大丈夫なくらい防音はしっかりしてますから。

そうじゃないとお客様が快適に泊まれませんしね。

だからお兄さんがそんな心配をしなくてもいいんです。

この先の人生を、この部屋の中で過ごしていてください。

毎日食事は持ってきてあげますし、業務が終わった後の夜にはお話しをしたり、それ以外のことも色々としましょう。

愛していますよ、お兄さん」

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