108 山奥の温泉で老獪な獣人との混浴。だんだん親密になっていくが実はその裏側で…
「(カポーン)
………先客か?
…おやおや、これは珍しいのう。
人間がこんな山奥の温泉に入っておるなんて。
…どっこいしょっと。
(チャプン)
………ん、なんじゃ?
ここは温泉じゃ。温泉に来たからには、湯に漬かりにきたに決まっておろう。
それともあれかの?
今は自分だけでここを一人占めしたいとか、そういうことかの?
(………)
………ああ、そういう。
カッカッカッ!
いくら雄と雌だからといって、お主は人間、わっちは獣人じゃ。
見えるじゃろう?この耳と尻尾。
いくら獣人の見た目が人と似ておろうかて、雄とか雌とか気にしても仕方あるまい。
まったく、うぶなやつじゃの。おもしろい。
………にしても、人間が来るなんて珍しいのう。
人里離れたこんな山奥に、一体何しに来たのじゃ?
………山菜取りか。
確かに、この辺には上質な森の恵みがたんとある。
だが、あまり採り過ぎるでないぞ。
自然の恵みは、わっちら獣達のものでもあるからの。
それを糧にして生きておるやつらのことも忘れるでない。
………わかっておるなら結構。
…しかし、だというならなおさら驚いたことじゃろう。
こんな山奥にこんな温泉があるのだからな。
昔、食べ物を得ようとした獣人が地面を掘ったら偶然掘り当てての。
以来、ここは獣たちの憩いの場になっておるというわけだ。
………ん?じゃからさっきも言ったじゃろう。
人間が来るなんて珍しいとな。
こんな山の奥の奥、わざわざ入ってくる奴なんてそうそうおらん。
人と獣。
お互いがお互いの縄張りをもって別々に暮らしておる。
基本的に不干渉であるのは、お主も知っておるのではないか?
………ただまあ、時たまこうしてお主のように縄張りに入ってくる輩もおる。
………別に、怒ってなどおらんさ。
ただ、人であれ獣であれ、縄張り意識が強い奴というのはごまんとおるからの。
そういう奴らに遭ってしまったら、責任は持てんという話じゃ。
わっちら獣は人間よりもはるかに力も強いし走るのも早い。
文字通り裸一貫のお主が血気盛んなやつらに見つかったら、ひとたまりもないじゃろうの。
………すまんすまん。今の冗句じゃ。
遥か昔ならともかく、今の時代において人間と事を構えようと思う奴はそうは多くおらん。
今の平和は、かつての先代達と人間との融和によるもの。
ご先祖様の苦労を水泡に帰する輩はおらんよ。
だからお主も、気にせずこの温泉に入りに来るが良い」
「(カポーン)
………なんじゃ。お主、また来ておったのか。
…まあ確かに、入りに来いと言ったのはわっちだが。
だからと言って、本当に入りに来るとは思わなかったのじゃ。
(チャプン)
…まあ、この湯の各別さは、身をもって知っておるがの。
しかし、お主も物好きよのう。
普通の人間はわっちら獣を毛嫌いしておる。獣人は特にじゃ。
ただまあ、自分らと似たような姿形をしておりながら、別々の生物であるから仕方ないかもしれんがの。
まったく見た目の違う動物や獣なら、完全な別種と思って好き嫌いの感情は生まれん。
しかし、獣人はなまじ似ておる部分があるから、そこから差異を見出し負の感情が生まれる。
同族嫌悪という奴じゃな。
身体能力が高いからこそ、いつ攻撃されるか、怯えて恐怖する。
…人間が使う道具があれば、そんな能力差など、あまり大きな問題ではないのじゃがの。
………お主はどうじゃ。
今ここで、わっちに襲われるとは思わないのかの?
わっちがその首を食いちぎる想像を全くしておらんと、そう断言できるのかの?
…そうかそうか。口でそう言うのは簡単じゃ。
じゃがまあ、そう言ってくれるのであれば、わっちもお主を信用しようかの。
人であれ獣人であれ、疑うことほど疲れるものはないのじゃから」
「(カポーン)
~~~♪
~~~♪
(ガサガサ)
…誰じゃ?
………ああ、お主か。
ここしてこう何度も出会うと、何かしらの運命を感じてくるのう。
(チャプン)
………お、その手に持っておるの。酒じゃないのかえ?
温泉に酒というのは最高の組み合わせじゃ。
お主もわかっておるのう。
…わっちも飲んでええのか?
それはありがたい。
(ゴクゴクゴク)
………プハァ。
やはり、人間の作る酒はうまいのう。
獣人が作る酒ではこうはいくまいて。
この雑味のないすっきりした味わいは、どうしたら出せるんじゃろうなあ。
日夜研究中じゃ。
…どれ、もう一杯。
(ゴクゴクゴク)
…うまいな。
ほれほれ、おぬしも飲め飲め。
…って、お主の酒なのじゃがな。
温泉に酒、そして闇夜に浮かぶ月。
まさに夕餉にふさわしい。
………
…んー?獣人とて酒は好きじゃよ。
好きな食べ物はあるし、嫌いな食べ物もある。
わっちは酒が好きじゃし、肉や魚はうまいと感じる。
じゃが虫は嫌いじゃ。
小さいうえにあの歯触りと食感と言ったら、思い出すだけでも寒気がしてくる。
別に獣だから、人間だからと区別する必要もあるまい。
好きなものは好きで、嫌いなものは嫌いじゃ。
お主のような人間は好意に思うし、逆に縄張りを争うとする人間や同族を殺そうとする人間は嫌いじゃ。
獣と人間。
それだけで好き嫌いの判断はせん。
…そうそう、昔わっちらの住処に入ってきた人間がおっての。
それはもう横暴なやつで、わっちらの住処を荒らして荒らして荒らしまくった。
銃とかいうものをもって脅しつけられての。あの時はひどかったひどかった。
おかけで別の洞窟に住処を移さなきゃならず、それはもう災難じゃった。
………ん、その人間?
ああ、弾切れになったのか。急に慌てふためいたと思った途端、ほうほうのていで逃げ出しおった。
本当に疫病神か何かかと思ったのは、あの時だけじゃ。
その点、お主は人畜無害の能天気な輩じゃからの。
安心して、こうやって酒を飲み交わせるというものじゃ。
…ほれほれ、もう一杯もう一杯。
今夜はお互い、じっくり飲み明かそうかの」
「(カポーン)
………
………
………
(ガサガサ)
………ん、どうしたんじゃお主?
湯にも入らず突っ立っておって。
そんなところに突っ立っておると風邪をひくぞ。
(クシュン)
ほら、言わんこっちゃない。
ほれほれ、さっと湯に浸かるが良い。
(チャプン)
………ふぅー、やはり湯は気持ちいいのぉ。
………
………
………
…いつにもまして静かじゃな、今日のお主は。
なにかあったのかえ?
(………)
…なんじゃ、藪から棒に。わっちの住処が知りたいなど。
………一度行ってみたい、ねえ。
…そうじゃのう。
わっちの問いに答えてくれおったら、教えてやらんでもない。
…なに、そう難しい問いではない。
問いというのは………
お主ら人間が最近企てておる、ここら一帯の獣人を根絶やしにしようとする謀略のことじゃ。
………
カッカッカッ!
お主、わっちが今まで何も知らんと思っておったのか?
滑稽じゃ滑稽じゃ!
………
…獣人は人間よりはるか身体能力が高いじゃって。
腕力や脚力はもちろんのこと、嗅覚や聴覚も人並外れておる。
故に、人間に気づかれぬよう、人間の声を聞き取るのも容易というわけじゃ。
いくら秘密裏に計画を立てていたとはいえ、人の口に戸は立てられん。
紙のやり取りであったとて、獣人の目をもってすれば盗み見るのは他愛ない。
故に、わっちらは人間の謀略の全てを知っておる。
お主はわっちらに近づき、わっちらの情報を探る役目を担っておったのであろう?
この温泉を出た後、いつも同じ仲間と合流してやり取りしておるのを何度も見ておる。
縄張りの中においては、わっちらが終始監視しているのを知らずにな。
………
…どうした?黙りこくって。
なに、別にお主を取って食おうとは思ってはおらんよ。
言ったであろう。
お主らのやり取りはすべて筒抜けだとな。
………お主、わっちから得た情報を自分の仲間に伝えておらんじゃったろ。
あえてわっちが口が滑ったふりをして話した情報は何も伝えず、他愛ない世間話だけを仲間に報告した。
更には、計画をやめるよう申告していたこともあったかの。
人間のくせに、人間にしては、人間らしからぬことをしよるなお主は。
(…ガサガサ)
………来よったか。
…ああ、お主には何にも伝えられておらんかったの。
お主らの仲間が、今まさにここに向かってきておる。
お主がろくな情報を持ってこんとしたからに、今度はわっちを直接捕まえて情報を吐きださせる算段らしいのう。
捕まったら拷問か、はたまたそれ以上か、どうなるのやら?
わっちに情を抱いたと思ったのか、お主には伝えておらんかったようじゃがの。
………さて、今日ここで袂を割かつえば、わっちをお主はもう相対することはないかもしれん。
仮に相対することになったとて、その時は、お主に牙を向けなければならんかもしれん。
…じゃが、の。
それはちぃと、嫌じゃのう。
(ガシッ)
これ、暴れるでない。
文字通り裸一貫、丸腰の今のお主にわっちに抵抗するすべはないじゃて。
なに、とって食おうとは思うておらん。
ただ、このいざこざが終わるまで………いや、お主の一生という時間を、わっちにくれんかえ?
お主と酒を飲む時間はどうにも楽しかったからの。
人間とか獣人とか関係なく、そんなお主だからこそ、共にいたいと思うのじゃ。
人間の中での暮らしは、お主だって疲れておろう?
こんな役回りをさせられては、特にじゃな。
お主はただ、わっちと酒を飲んでくれればそれでよい。
…では、行こうかの。
………どこへって。教えてやらんでもないと言ったろう?
わっちの住処に、じゃ。
(ザプン!)
(タッタッタッタッタッ!)
(タッタッタッタッタッ!)
(タッタッタッタッタッ!)」




