2章 立ち上がれ、ヒーロー 5話
だがライトは、欲しい、と目で催促していた事に気付くと、恥ずかしくなり、顔を横に逸らす。
すると、ビンはキッチンに向かい一枚の小皿を取り出し自分の分の蓬の天ぷらを小皿に乗せ、テーブルに戻ってくると、一口分しか残らなかった蓬の天ぷらを、キッチンナイフとフォークを使って、更に小分けにするように切っていく。
「相手を更生させるには、その間に信用がなければいけない。信用無くして更生させようと説得しても、それはただの詭弁だ」
細分された蓬の天ぷらを口にしながら、フレンドリーに語るビン。
「だから何だ?」
不機嫌そうにしながら目線だけをビンに向けるライト。
「これを食う代わりに、私を信用してくれと言う意味だ」
ビンの鷹揚な声に、驚いたライト。
「そもそも俺は更生されるような事はしてねえよ!」
ビンの前に身を乗り出すライトは剣幕を立てる。
「なら先程私を殴ったのは、私の頬に蚊でも付いていたからか? それともあれは過激なスキンシップだとでも言いたいのか?」
「……それは」
ニヤニヤしながら痛い所をついてくるビンに、ライトは苦悶の表情で俯き始める。
「なら、ただ食うだけでいい。お前に何の見返りも求めない事を誓ってやる。だから安心して食え」
ビンはライトを宥めるように言う。
「……ありがとう」
少し間を置き、恥ずかしながらも、ビンの厚意を受け取ったライトは、手掴みでビンから分けて貰った蓬の天ぷらを食べていく。
「にしてもお前、あれだけ食ってまだ腹が減ってるのか?」
ビンは呆れながらそう言うと、細分されている小さな蓬の天ぷらをフォークで掬い口に運ぶ。
「テンプラだか知らないが、あんな葉っぱいくら食べても満腹になるわけないだろ」
仏頂面で答えるライト。
「まったく、口だけでなく胃袋もひねくれているとはな」
ビンはやれやれ、と言った素振りだった。
そこでライトは大きなため息を吐いて、また顔を横に逸らす。
「よし、付いて来い! ひねくれボーイ!」
何かを思いついたビンは笑みを浮かばせ元気よく立ち上がりながらそう言うと、残りの蓬の天ぷらを口に掻き込み、盛大にゲップをし、一息つけると、外に出ていく。
訝しい目でそれを見届けたライトは、今度は一体何か? と警戒しながら後を付いていく。
畦道の先の砂利道に出ると、ビンは浮かない顔で空を見上げる。
「で、今度は何がしたいんだ?」
げんなりしたかのような態度を取るライト。
また何か意味深な説教でも口にしてくるのか? と思いながら。
「暗雲は闇であり悪、星々は光り輝く正義の象徴」
ビンは唐突にそう口にしてくる。どこか思いふけているようにも思える。
「は?」
ライトはビンの口にした意味が分からず素っ頓狂な表情になる。
「あの夜空を、正義と悪に例えて言ったんだ」
ビンの言葉に首を傾げながらも、夜空に目を向けるライト。
単純に思案すれば、悪のイメージは黒く、正義は光。
ライトがそう考えていく内に、ビンは再び喋り出す。
「この風景は正に、正義と悪を表明している。暗雲は文字通り世界を覆う程の巨大な悪の象徴、小さく散りばめられた星々の数は正義の数と規模。圧倒的に正義が劣っている事は一目瞭然と言う訳だ」
切ない声で語りだすビンの言っている事は大体理解したライト。
「それと、俺をここに連れてきた意味と何の関係がある?」
腑に落ちない部分に悩みながら、ビンに聞いてみるライト。
「お前は、この風景のどの色にも該当しない。まるで闇と光に抗い続けている小さな戦士にも思える。お前の心境に何が起きて、何に苦しめられている? お前の望みは何だ?」
ビンは真剣な面持ちでライトに問いかける。
ライトは、今まで自分の内面を知ろうとしない、どの人間とも違うビンの優しく気にかけてくる言葉に、蔓延している心の闇が、晴れていくのを感じる。
病に罹ってから、医者以外に憂慮してくれる相手に対して気が緩みだしていたライト。
仕事でもなければ利益のためでもない。なのにここまで親身になってくれる理由は何なのだろう? と。
だが、ライトに取っては、それは些細な問題ですらなかった。
ビンの言の葉は、ただ、ただ、暖かった。
そして、自然に瞳から涙が溢れかえるライトは泣きじゃくりながら、砂利に両手と両足の膝を付ける。
「俺は、ただ、皆と笑顔でいたかった。傷つけるのも傷つくのも嫌だった。でも、俺がそうしてくれないんだ! 俺は! おれは! 変わって、この世の闇を晴らしたい!」
泣きながら、吐露した声を上げるライト。
その想いには、今まで自分でも蓋をしていた、ライト自身の本当の願い。
ライトは世界を憎んでいたと同時に、憧憬していたヴァンのようになり、世界の人を笑顔にしたい、ヒーローになりたかった。
しかし、ライトの病がそうはさせてくれない。その病の鎖が断ち切れない以上、どうにもすることが出来ない、とライトは理解していた。
更生ルームに、ライトの鳴き声が木霊していると、平屋の家にあった模型が突如、光り輝き始める。
その光に同期したかのように、ライトの身体も光り輝きだす。
「まさか、……こんな事が」
信じられない、と言う様子で光り輝くライトを、目を凝らして見るビン。
ライトは目を瞑って泣いていたため、その光には気付いていなかった。
少しすると、ライトから放たれていた光は消えていく。
ビンは、ゆっくりとライトに近付いていく。
「顔を上げろ。お前の夢は、どんな大人も取りこぼした光の雫だ。現実を知り、落胆した光の路
(みち)を脱線せず、向き合うお前の姿勢は、正にヒーローだ! 今、私がその生き証人だ! だから顔を上げろ」
ビンの力強く優しい言葉。
隔意していたはずの扉をビンは開け、ライトの心に寄り添おうとしていた。
「あなたは……いったい何者なんです?」
ここまで真摯に向き合ってくれた自分に対し、ライトは感謝と疑念の意を込めた眼差しをビンに向ける。
「私か? わたしは……」
間を少し置いたビンは、左胸に右手拳をトントン、と軽く叩くと、その手を右斜め下に振り払うような素振りをして身体も若干、右斜めに捻ると。
「ヒーロー教官だ」
ニヤリとした笑みで低く威厳のある声で、そう口にするビンと名乗っていたヒーロー教官。
ライトは目を大きく開き、憧憬の眼差しでヒーロー教官を見ていた。
まるで、初めて神を目にしたかのような……。




