序章 降り積る闇
初めてのヒーロー作品です。
この物語は自分に取っても特別な物を感じます。
そんな思いを見てくれる読者の皆様方にも伝わってくれるような作品にしたいと思います。
漠然とで、すいませんが。
是非よろしくお願いします。
世界は病を認めない。
世界は弱者を認知しない。
世界は悪臭で充満した腐敗された世界。
そんな価値観で生きていた十七歳の少年。
名前はライト・ヴァイス。
彼が住んでいる場所は世界で人口が最も多い、イグレシア国、スウェーズ地区の古く小さなアパートで五十五歳の母親、カナリア・ヴァイスと共に住んでいる。
人口が多いと言っても一千万人も満たない数。
ライトの住んでいるアパートは歩く度に床は軋み、所々の麹色の壁は黒カビが広がっていて、重曹や漂白剤を使っても取れない。
隙間風は酷く、冬になると部屋の温度は氷点下まで下がる時もよくある。
家計は貧しく、一般的な家庭とは言えない。
調理器具などの生活用品は全て使い古された物ばかりで、日用品などはライトの家から5キロ離れた百均市場で買い揃える。
母親は訳があり、就職できる身体では無かった。
そんな貧困な家庭でもライトは百八十センチの筋骨隆々とした恵まれた恰幅だった。
理由は二千二十五年の二年前、殺されたプロレスラーの父親、ヴァン・ヴァイスの遺伝子が影響していた。
五十三歳のヴァンのプロレスラーとしての功績は一年間に行われる百以上の試合を無敗で無双するなど輝かしい物だった。
年齢の衰えを感じさせないそんな彼は昔からヒーローと呼ばれ、子供達の憧憬の渦中に居た。
もちろんライトにとっても自慢の父親でもありヒーローだった。
強く優しく、世界からは侠客不動のヴァンと呼ばれる程だった。
当時ヴァンが三十七歳の時、年に一度開かれる最大最高の試合、ザ・ベストマキシマムに出場し、決勝戦まで上り詰めた。その当初、友人の誘いでヴァンの試合を見に来ていたカナリアに、ヴァンは一目惚れしていた。
ヴァンは筋骨隆々で二メートル五センチもある長身。ブロンドの短髪に吊り目の強面の男。一方カナリアは黒いロングヘアーに二重の目蓋で温厚な表情。
ザ・ベストマキシマムで優勝すれば、この世の名誉と栄光が手に入ると言われているのに、ヴァンはカナリアの事で頭が一杯だった。
そして、決勝戦の相手はグラハマ・イーガルと言う、ヴァンの好敵手。
赤毛の長髪以外はヴァンと双子かと思わせるぐらい容姿がそっくりだった。
二十代から共に同じジムに通い、笑い、喧嘩し、プロレスに必要な精神、肉体、技量など琢磨し続けてきた二人。
ヴァンとグラハマの試合はプレミアム物だった。
当時の二人の試合の勝率は拮抗していたため、ファンの人達も、どちらが勝つのか予想がつかない白熱する試合に、大いに盛り上がっていた。
リングの上でグラハマが見たヴァンは心ここにあらず、と言った感じ。
常に客席にいるカナリアに目を奪われていたヴァン。
そんなヴァンに苛立ったグラハマは鋭い眼差しでヴァンの近くまで歩くと、何の躊躇も無く頬を強く叩く。
試合前だと言うのに、グラハマの行動に、どよめくファン。
何かのアドリブか? それともファンを熱気に包ませるサプライズか?
そこでグラハマはヴァンに剣幕を突き立ててこう言った。
「この勝負で俺が勝てば、あの女は俺が頂く!」
グラハマの言葉に憤怒したヴァンは、その場でグラハマを殴り飛ばした。
その現場を目撃したレフリーは止むを得ず、試合のゴングを鳴らすように指示を出すと、会場中にゴングの鐘が鳴り響く。
そして、二人はいがみ合うように戦い、激戦の中、勝利したのは……ヴァンだった。
ヴァンはリングの上で、俯せで倒れているグラハマに、憐憫の眼差しを向けると、すぐにカナリアがいる客席に走り出す。
カナリアは自分の所に向かってくると分かると、ギョっとした目をヴァンに向ける。
ヴァンはカナリアの前に立つと息を切らせながら「俺と結婚してくれ!」と、声を上げる。
それを耳にした他の客達はざわめき始めたり、中には悲鳴を上げる者も居た。
カナリアは自身の心臓の鼓動が高鳴るのを感じ、頬を紅潮させ胸に手を当てると「……はい」と真剣な眼差しをヴァンに向け頷いた。カナリアもまたヴァンに一目惚れしていたのだ。
すると、ヴァンは非常識にもカナリアの唇を奪う。
周囲の客達は一瞬、停止したかと思いきや、二人に咆哮するぐらいの声量で喝采した。
客達は拍手をしたり、中には口笛を吹く者など居たりと、二人は祝福された。
それを目の当たりにしたグラハマは、足を引きずりながら静かにリングを下りた。
目から大粒の涙を流しながら。
その当日にはヴァンの結婚の吉報が新聞の一面やテレビ、ネットなどで報道された。
程なくしてグラハマの引退が発表された。
一時期は、その話で持ちきりだったが、日が進むにつれ、試合をする度のヴァンの輝かしい功績に目が移った市民たちは、グラハマの引退に関心を持つ者は殆どいなくなった。
そして、グラハマが消息を絶った事などプロレスの一部の関係者以外、気にも留めなかった。
ライトはヴァンとカナリアが結婚したその年に生まれた。
月日が経つにつれ、ライトが十五歳になった頃、ライトが楽しみにしていたヴァンのザ・ベストマキシマムの試合当日に、事件は起きた。
その当日、試合会場に向かうヴァンの車の下側に、時限式のプラスチック爆弾が仕掛けられ、その爆発によりヴァンはこの世を去った。
当時、豪邸に住んでいたライト達の家の監視カメラの映像には、爆発に遭ったヴェンの車には何の変化も無く、爆弾が仕掛けられた様子はなかった。
それでも警察は謀殺の線が濃厚だと判断し、捜査をしていたが一向に証拠と呼べる物が見つからず、捜査は断念され、未解決となった。
カナリアは警察が捜査を断念した事を知ると、普段の温厚な母とは思えない程、激怒し警察に再捜査の抗議や非難の言葉を浴びせた。
しかし、その声は警察に届かなかった。
世界はヴァンの死を嘆き、殺した者に怒りを露わにしていたが、カナリアの抗議の声に耳を傾けても、助力してくれる者は一人も現れなかった。
本気でヴァンの事件の真相や、ましてや仇を取りたい者などは一人もいない。
ヴァンが亡くなった当時はマスコミや記者は、遺族であるライトとカナリアの元に昼夜問わず頻繁に訪れ取材をしていたが、一か月も経たずに押しかけていたマスコミや記者達は取材をしに来なくなった。
実は有名人だったヴァンが殺されたその日から、立て続けに他の有名人が殺されていった。
スポーツ選手、芸能人、アナウンサー、学者等が、何者かの手によって殺害されていった。
スポーツ選手の豪邸に火を付け焼殺したり、芸能人が住んでいる高級アパートに何者かが集団で押しかけ銃撃するなど、事件は頻繁に起きていた。
酷い時は一家全員が虐殺された時もある。
その事件の中で証拠と呼べる物は殆ど無く、警察は八方塞がりの状態が続く。唯一の証拠は事件直後の近くの高速道路の防犯カメラが、猛スピードで走るバンの車が映されていた。そして、バンの中で覆面姿をした人物達が少なくとも五人は居たと見られている。
証拠としては弱いかもしれないが、事件直後の近くの高速道路で、バンの中で5人も覆面姿をしている者達に何の疑念も抱かないと言う訳にはいかなかった。
それともう1つは、複数犯と言う可能性。
もし、バンの中に居た覆面姿達が、殺人に関与していたとなると、その映像は貴重な物になる。
しかし、切り取られた証拠の一ページを見つけたとしても、事件現場となる付近の監視カメラは事前に破壊され、目撃者となる近隣住民や通行人が居ない時間帯を狙っての襲撃が殆どだった。
銃など扱う時も発砲音が無くサプレッサーが使用されていた、と警察はそう推測している。
まるで犯人はこの世界を手玉に取っているような万能な人間、あるいは悪魔なのか。
有名人が殺され続け、警察が音を上げる度に『怪傑人が現れた』と民衆は騒いでいた。
日が経つにつれ、民衆の怪傑人に対する想いが旺盛になっていく。中には怪傑人を称賛する者まで現れ始める始末。
一部の民衆には、有名人を妬む者も居た。その数は年々と増している。
そんな日常の中、マスコミや記者だけでなく、警察も連続に殺害されていく有名人達の事件の真相を追っていて、決してヴァンだけが特別扱いと言う訳ではない。
押しかけられるマスコミや記者の対応をしなくて済んだからと言って、カナリアやライトは安堵したのではなく、憤怒していた。
何故、あそこまでヒーロー扱いされていたヴァンが、世間からこんなにも見放されているのか?
理由は明白だった。亡くなったヴァンの変わりに次の憧憬対象を見つけ、その者がまた亡くなれば次を見つける。
人はどれだけ身勝手なのか。
死んだ人間より今を生きる人間とでは優劣がつけられるものなのか?
そんな事が繰り返されていく内に数カ月と経たず、亡くなったヴァンの事など周囲は認知しなくなっていった。
その輪廻の主軸に居たライトとカナリアはその運命を深く呪った。
亡くなったヴェンには遺産と呼ばれるものが殆ど無かった。
その理由はこの世界の問題にあった。
世界は少子化が深刻な問題となっていた。
困窮な家庭に教育格差から成り立つ不平等に振り分けられた職場。
そのせいで子供が持てず、家庭も持てない未婚化の進展が加速していく。
ヴァンは少しでも根本的な問題である経済を少しでも改善しようと支援金、つまり多額な寄付を続けていた。
それ以外にもヴァンと同じ志を持った同志達により世界の二十パーセントだった子供の人口が四十パーセントまで増えたのだ。
それは素晴らしい事だが、そのせいでライト達に残された遺産は五百万程だった。
カナリアはヴァンが亡くなって数日後には、このままではカナリアだけでなくライトの将来にも不安を感じ、すぐに月、十一万の給料が貰えるスーパーの店員となった。
しかし、カナリアは職場で店長からパワハラに遭い、そう長くは続かなかった。
そのパワハラの内容は暴言やセクハラ、酷い時には働いた分の給料が差し引かれた時もあった。
民事裁判を起こしたカナリアだったが、その店長は証拠不十分のため不起訴処分になった。
母、カナリアとライトはヴァンが亡くなってからの二千二十三年の六カ月後には遺産は底をつき、貧困の生活を余儀なくされた。