ふるい本棚の裏側で
2歳から18歳まで暮らした家には本棚がたくさんあった。いちばん古いものは、父親が以前住んでいた家の壁にあわせて注文したという、引き戸にガラスの嵌った大きな本棚だ。二間近くの幅があり、黄色みがかったうすい茶色の木製だった。ガラスの表面は畝のように浮き上がっていて、内側の本の表紙がゆがんでみえた。引き戸のあわせめには差しこむタイプの古い鍵がついていたが、閉められていたことはない。引き戸は滑りが悪くて重く、子供の手で開けるのは難しかった。がんばって開けると今度は閉めることができず、当惑した。
母も自分の本棚を持っていた。若い頃、給料を貯めて買ったという。幅は一間ほど、これもガラスの引き戸がついていたが、木目のプリントを貼った合板製で、あきらかに高価な家具ではなかった。ここには文学少女だった母が大事にしていた本(『魅せられたる魂』『チボー家の人々』といった外国文学、夏目漱石の文庫が全巻など)が入っていた。
子供のころは他にも薄いユニット式の本棚がいくつかあって、廊下の壁沿いに置かれていた。もちろん子供部屋にもあった。こういった本棚はどれもSFとミステリとマンガでいっぱいだった。父は西村京太郎や松本清張といった作家の本をよく買い、兄は星新一や筒井康隆、私はハヤカワ文庫を集めていた。家から人が減るにつれて、これらの本棚の中身は減り、やがて本棚もなくなった。
いちばん大きな本棚は座敷と呼ばれていた八畳間にあった。八畳といっても昔の家の八畳で、さらに床の間と木の床の張り出しもついていたから、今のマンションに換算すると軽く十畳はあったと思う。この本棚は私が小学生のころに追加された。父の本棚よりも大きいスライド式二重棚で、幅は畳二枚にまたがっていたから、ひとつの壁がまるまる覆われてしまうサイズである。
マホガニー色というのだろうか、赤みがかった深い色をしていた。手前の棚は格子のガラス扉で覆われ、スライドして現れる奥の棚の一部にも横にずれるガラス戸がついていた。高さは天井より少し低いくらいで、他の本棚よりも上背があった。この本棚には単行本や全集が収められていた。私が一度もめくることのなかったレーニン全集や宮本百合子全集、逆に何度もひっぱりだして読んだ平凡社の大百科事典、広辞苑、世界美術全集などだ。
子供のころ、この本棚の裏には大きな蜘蛛が住んでいた。手のひらくらいの大きさがある、ゴキブリを食べる益虫である。両親が年末の大掃除をしているとき、本棚の側面に接する砂壁を伝って出てきたのを二回ほどみたことがある。害虫を食べてくれる虫だから殺してはいけないといったのが両親のどちらだったのか、もう思い出せない。
家に誰も住まなくなった時、最後に残っていた本棚は父の本棚、母の本棚、そしてこの巨大な本棚だった。父の本棚は彼が出て行ったあと、物置がわりに使われていたかつての子供部屋の隅に追いやられていた。母の本棚は子供のころとはちがう部屋に移され、母のドレッサーと洋箪笥の隣に置かれていた。だがいちばん大きな本棚は座敷の元の位置のままだった。大きすぎて動かせなかったのである。
この夏、この家を丸ごと片づけることになった。
業者に問い合わせをして、見積もりを頼んだ。約束の日時に訪れた青年は座敷の本棚を見てぎょっとした顔になった。収められた本はタイトルこそ子供のころから様変わりしていたが、まだぎっしり詰まった状態だったのだ。「がんばります」と彼はいい、見積もり交渉は首尾よくまとまった。片付けは一日でおわるという。当日は朝からダンプとトラックがやってきて、食器も衣類も本棚も靴箱も神棚も、一切合切片づけてくれるのだ。前日までに状態のよさそうな本だけ段ボールに詰めて古書店チェーンへ送り、親族が残してほしいという家具や壺に養生テープで印をつけた。
当日、約束の時間の10分前に最初のトラックがやってきた。
引越の経験は10回以上あっても、家一軒片付けるのは初めてだったので、私は興味津々で眺めていた。作業はトラックからあらわれた5人の青年たちにより、手分けして開始された。カーポートに面した縁側のサッシを出入口にして、家の中には半畳くらいのサイズがあるビニールシート製の袋や押し入れケースなどが持ち込まれ、まず小さな家具や座布団類が運び出された。トラックのうしろに続くダンプは廃棄品を積むためだろう。持ち出された物品は一度庭に並べられる。食器や書類、雑貨などは紙、プラスチック、陶磁器、金属と持ち込まれたケースに分類され、外に運ばれた。
家の中はあらかじめ点検済みで、必要なものは全部持ち出したあとだったから、貴重品があるとは思っていなかった。ところが一度「お金が出てきました」といわれてチップスターの空き箱を渡された。あけると1円玉が15枚ほど、それになぜか合衆国のコインが入っていた。
友人のひとりはかつて、祖父の死後、寝室の金庫から金塊が出てきたといっていた。点検のときもそんなことがあればいいと何度も思ったものだ。結局この家からは金貨や札束のようなものは出てこなかった。残念である。片付けはさらに続く。業者さんは全員屈強な青年で、金髪だったり長髪を結んでいたり大柄で筋肉むきむきだったりと外見に個性があって、ときおり聞こえてくる会話も冗談まじりで楽しい。農業を営む某アイドルグループを連想させる。
物がだんだん減ってくると、大きな家具に手がつけられた。座敷の巨大な本棚もインパクトドライバーで分解が開始された。
他の家具はこの十数年のあいだに位置を変えているが、この本棚だけは最初に設置されたときからそのままである。だが最初に手前のスライド棚がなくなり、奥側の棚も分割され、ついに外へ運び出された。
畳が青かった。
本棚が塞いでいた部分だけがくっきりと青い。この本棚を入れたときは畳を交換したばかりだったのだ。砂壁の下は埃だらけだったが、掃除機もないので箒で土埃を掃いた。蜘蛛はいなかったし、砂壁も上の方は比較的きれいだった。この家は湿気が多く、他の部屋の壁はみなひどくいたんでいたが、本棚が隠していた部分はかなりましにみえた。
私は目についた足元の埃を掃きだした。すると、光の点がみえた。
畳の縁に沿った木製の桟と砂壁が接する部分だ。視線を動かすと見えなくなったが、たしかに白い光だった。つまり外の光だ。私はもう一度箒で床を掃き、膝をついて光を追った。そして、砂壁の横の柱の根元がギザギザになっているのに気づいた。
床が沈んでいるのだ。
つまりこういうことだ。
長年この場所に置かれていた本棚の重みで、家の床はすこしずつゆっくり沈み、砂壁と床の桟のあいだに隙間ができてしまったのである。家の中からはっきりと外の光が確認できるほど。柱の根元がギザギザになっているのも床が沈んだせいだろうか。
白い光の点は、カーポートのセメントが昼間の太陽で輝く色だった。
ああ、本棚。
本棚よ。
「確認お願いします」
やがて業者のお兄さんがやってきたので、私はすべての部屋が空になったのをたしかめた。トラックが去り、家具がなくなった家は風通しがよくなった。かつて本棚に覆われていた壁は風通しが良すぎるので、ひとまず段ボールと養生テープで塞いでいる。