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ウェザー・ペイン

作者: Duck on sait QUE


≪湿った空気の影響で大気の状態が不安定になり、東北地方を中心に広い範囲で激しい雨が降っています。気象庁は土砂災害や低い土地の浸水、川の増水に警戒するよう呼びかけています。≫


ブラウン管のテレビからは昨日と同じようなニュースが流れているようだ。

無表情にテレビを眺める男。髪はずぶ濡れであったが、Tシャツは乾いていた。


回り始めたばかりのコイン式自動洗濯機の丸い小窓からは、白い泡と緑のなにかがかき混ざっているのがかろうじて見えた。きっと上着を入れたのだろう。


男は門番のように洗濯機の前のベンチに腰かけている。


≪政府は5月30日から今日まで続く一連の豪雨災害を平成3年豪雨災害と呼称することを決定、災害対策会議を22時より開催する模様です。≫



●モノローグ


バチバチと雨が屋根を打ちつける。

男は後ろを向いて洗濯機を見ると、またテレビに目を向ける。


入り口近くの蛍光管がパチパチと瞬きをして、暗がりを生んだ。


梅雨入りと同時に降り始めた雨はいつしか豪雨となり、今日で6日目となる。

(さび)れたコインランドリーの中の様子は雨で見え辛かった。




小山敏こやま さとし


見たところ客は俺一人のようだった。


古めかしい(たたず)まいと、レトロ感溢れる洗濯機に一瞬躊躇(ちゅうちょ)したが、動作に支障はなさそうだ。動き始めたのを確認してほっとした瞬間、後ろの蛍光灯が消えた。


(本当に大丈夫だろうか、このコインランドリー…)


改めて店内の様子をざっと見まわす。他の洗濯機の中は全て(から)だ。

部屋の片隅にはカラーボックスが設置されている。中の文庫本はまばらであり、

「持出禁止!」の張り紙が悲しげにその理由を俺に伝えてくれた。


本棚の上、天井近くに設置されたテレビは、やはり豪雨の情報を垂れ流している。

近くで停電している地域もあるようだが、ここ一帯はまだ大丈夫だろう。


後ろを振り返り洗濯機のタイマーを確認する。嘘だろ、まだ5分しか経ってない。

乾燥は家ですれば良かったかもしれないと考えていると、雨音が急に近くなる。


頬に冷たい風を感じてハッと顔を前に向けると、正面にある扉が開いていた。

先ほど消えた蛍光灯のせいでよく見えないが、人が立っていることに驚く。


「こんばんわ。」


透き通った声を投げかけられ、さらに驚く。なんと、女性とは。

(こんな夜遅くに人が来るものなのか。)


カンと音を鳴らし、弱っていた蛍光灯が活力を取り戻して入り口と人影を照らす。


雨合羽(あまがっぱ)の帽子でよく見えないが、黒い髪が肩ぐらいまで伸びている。

合羽の下には藍色のコートを着ているのだろう。(すそ)が下からはみ出ていた。



そこには、安物のビニールの雨合羽と傘を携えた、若い女が立っていた。



●女


コインランドリーに入る前に気がついた。人がいる。


にわかには信じられなかった。まさかもう来ているのか?

その人を透かして後ろを見ると、回っている洗濯機が見えた。


なんだ、ただの客らしい。しかし、よりによって今日この時間に人がいるとは。

よく訪れるコインランドリーであったが、客を見かけたことは殆どなかったのに。


一瞬胸によぎった驚きと落胆の感情を抑え、思いガラス製のドアを押して開ける。

感情が外にでないよう、平静を(つと)めて声を出す。


「こんばんわ。」

相手も意外であったのだろう。びっくりして顔をあげた。


濡れた黒いTシャツ、作業ズボン。白髪交じりの短髪。

(寒くないのだろうか。)そう思ったが、歳のわりに屈強そうな体つきを見て、いらぬ心配かもしれぬと思い直す。外で体を使う仕事なのだろう、靴は泥に濡れていた。


きっと私の父親くらいの年齢だろう。いや、もっと若いかもしれない。


「すいません、急に声をかけて。」

様子をうかがうように再度声をかける。


「ああ…いえ。」


あやしいヤツ、とでも言いたいのか、男は私の顔をまじまじと見つめる。

合羽の帽子を脱ぎながら、傘を畳む。

男が座っているベンチ、その隣の、隣のベンチに向けて歩き出す。


「ひどい雨ですね。」

(自分は怪しいものではありません。)という意味を含めて、世間話を振る。


「ええ… しばらくは止みそうにありませんね。」

濡れた合羽と傘を無造作にベンチに置く。どうせ他に客は来ないだろう。

ベンチに腰を掛けると、プラスチックの冷たさがお尻を出迎える。

コートを着てきてよかった。凍えずに夜を過ごせそうだ。



いくらか緊張感は無くなったが、肩越しに男の視線をまだ感じる。

ここで男との会話を終わらせてもいい。

が、このままだと私は間違いなくあやしい女として男の記憶に残るだろう。


(私はあやしくないと弁明するべきだろうか?)I


(というか、うら若き乙女と中年のオッサンが二人きり…。はたから見ればあやしいのはオッサンの方では?)

弁明ではなく、よくわからない違和感と怒りが湧いて出てきた。


「どうしたんですか?こんな夜遅くに。」


時間切れとばかりに男が私に質問する。

このまま男を安心させるために弁解してもいいが、どうせ暇である。

予定を変更してこの男と問答に興ずることにした。本命の予定まで時間はある。


「コインランドリーですからね。洗濯を。」


「洗濯って…、何を?」

手ぶらで来た私を見て、男は予想通りの答えを返す



「心です。」

上着のポケットから文庫本を取り出して男に見せる。すると男はため息のように


「…はあ。」

と返事をした。その声からはピリついた不信感はもう感じられない。


パチパチ。背後の蛍光管だけが点滅でリアクションを返す。


数秒、コインランドリーには沈黙が…、いや、雨とテレビと洗濯機の音が響いた。

やってしまった。ジョークは笑うのが礼儀であると思うが。

気まずそうにテレビに向き直ろうとする男に向けて、


「あなたこそ、何をしにここへ?」

と問いかける。


男は(いったい何を聞いているんだ?)とばかりに後ろで回る洗濯機を見る。

視線で返事をしないでほしい。私を不審者と疑い、その上滑らせるとは、許せん。


「こんな夜分遅くに…、そんなに急ぎの洗濯があったのですか?」

(人のことは言えないだろう。)と意味を含めて同じ質問を返す。


「ああ、はは、いえ、この豪雨で乾くものもありませんでしたので。」


内容は普通であったが…、たじろぐとはこういう様子を言うのであろう。

一体何に動揺したのか。確かめてやろうといじわるな好奇心が湧いてくる。


「私もよく洗濯物を溜めてしまいます。根がぐうたらなもので。」


「はは、お互いままならないもので。」


「しかし溜めたにしては少ない量に見えますねえ。」


男が一瞬返答に詰まる。しまった。流石に無礼であったか。

普段ならば初対面の人にしないであろう問いかけであった。


「すいません、失礼なことを聞きました。」


「いえ…、仕事着でしてね。明日また着るのです。」


また間が訪れる。また部屋の隅の蛍光灯が(またた)き始める。

もうすぐあの蛍光灯はダメになりそうだな。まあ、別に関係ないが。

手にした本を開こうとした時、男が声をかけてきた。


「いつもここで本を読むのですか?」


今思えば当然の疑問である。コインランドリーで洗濯もせずに本を読む女。

しかも深夜に。


あやしいヤツ扱いされて腹を立てていたが、今思えば図々しいことであった。

また反省。


「気が向いたときだけ…ですが、まあ週に2,3回ですね。」


「それは… 趣味と言えそうですね。」


「なぜでしょうね。落ち着くのです。ここに座って本を読んでいると。」


失礼を男に働いたからか、質問に向き合うことが正しいことのように思えた。

――そうだ、予行演習のように、「自分」の身の上話をするのもいい考えだ。


「初めてここに来たのは2年ほど前なんです。」


「はあ、そんなになるのですか。」

興味があるとも無いともとれない返事であった。


「実は、人を待っているのです。その人は会ったこともないですし、もしかしたら来ないのかもしれないのですが。」


反応を見て「私」の話を続けるかどうか、見極めるとしよう。

文庫本の背、タイトルの部分をなぞりながら、そう考えた。



小山こやま さとし


(一体なんだこの状況は)


深夜の寂れたコインランドリーに女が現れただけで異常な事態である。

なのにこの女は洗濯もせずに本を読みながら人を待つという。


突如として目の前に現れた時は、すわ幽霊かと疑ったものであるが…

どうやらそうではないらしい。


いまいち頭の整理が追いつかない状態であるが、黙って横に座られたままでは、

落ち着かない。後ろの洗濯機を首をひねって覗き込む。タイマーは残り45分。

前に向き直りながら女の方を一瞬確認すると、本の表紙をじっと見つめている。


ニュースは、避難地域が拡大したことを報じている。ここは含まれていない。


「一体だれを待っているんです?」


好奇心が無いといえば嘘になる。首だけ横に向けて途切れた会話を再開させる。

俺はきっと、この女の話を聞くべきなのだろう。そう思った。


(それに、本当に幽霊とか、幻覚とかじゃあないよな?)

女の話を聞けばきっとわかる。


女はちょっと意外そうにこちらをちらりと見ると、視線を前に向ける。

視線の先にはだばだばと雨に濡れるガラスがあるばかりだったが。


「妹がいるらしいのです。私の妹です。双子の。」


女は本の背を指で触りながら話す。相槌はきっといらないだろう。


「私はここの生まれなんです。もちろん妹もそうだったのでしょう。

ただ、私に妹がいることを、双子であることを知ったのはつい最近のことです。」


「生き別れ…、というやつですか。」


「生まれてすぐに私は義父に引き取られました。義父は、良くしてくれたんだと思います。辛いことはありましたが、不自由を感じることはありませんでしたから。その義父も、18の頃に逝ってしまいました。」


淡々と話す女の口調に、感情が追いついていかない。

何か言った方がいいだろうか、迷っている間に女は口を開く。


「私は明日、誕生日なのです。成人の。」

飛び飛びになる会話についていこうとした結果、頭は自動的に定型文を選択した。


「それは…なんというか、おめでとうございます。」

我ながらなんとも間抜けな祝いの言葉である。


「いえ、それで、誕生日の明日、妹とここで会う約束をしたのです。」

それはまた、なぜだろう?ここはただの寂れたコインランドリーだ。

生き別れの姉妹が再会する場所に選ぶ理由なんて、一つも無いように思える。


「ですから、来たときはあなたが妹ではないかと思って驚きました。」


「はは…。いらぬ期待をさせたようで。」


「いえいえ、それで、早めに来たのは、ここにお別れをするためなんです。」

そう言って小さな張り紙を指さす。

張り紙には「コインランドリーサボン 閉業のお知らせ」と書いてあった。


(ここはサボンという名前なのか。)

今更店名を知っても何も意味は無いが。彼女には大事な場所と言う。


「なぜ、ここで会うんです?」

(こんな寂れたコインランドリーなんかで)という意味を含めて聞く。


「不思議に思われますよね、でもここは私には特別な場所なんです。」

女は続けて話す。


「私…、村上市子と、妹、村上末子は、ここで生まれたんです。」


雨音の中に、女の透き通った声だけが響いている。

この女は、村上市子というらしい。



村上むらかみ 市子いちこ


男は話に飽きていないように見える。意外なことだが。

時折テレビを確認するも、私の方に視線を投げ続けていたのが視界の端で見えた。


身の上話もいざしてみると、案外難しいものだ。「私」のものだと尚更。

読んだ本をなぞるように、2年前に聞いた話を思い出す。


「コインランドリーは、一週間に一回、メンテナンスをするんです。集金ボックスを開けて、機体の洗浄をするんですよ。全部の洗濯機を回すんです。」

そうだ、これは本の中の出来事なのだ、そう自分に言い聞かせる。


「その日はメンテナンスをする際、洗濯機の中を確認しなかったそうです。仕方のない話です。まさか中に赤ん坊がいるなんて思いもしないでしょうし。」

仕方がない。当時の記憶なんて私はもう憶えていないのだから。


「洗濯機の中から泣き声がして、慌てて止めた中を確認したそうです。中には、バスタオルが何枚かと双子の赤ん坊。それだけだったと聞きました。」

そう、それが私。


「それが19年前の6月5日で、私たちの誕生日。私は、ここで生まれたんです。」

(あなたが今、回している洗濯機です。)とは言わないでおいた。


「…そういうこと、だったんですね。」

男は静かにそう呟いた。雨の音で、聞き辛い声だった。




≪雨量は(おとろ)えず、記録的な豪雨となる見込みです。豪雨による死亡者は確認されているだけで23名となり、市は避難区域の拡大を決定しました。市の対策本部は、ご覧の地域の方は最寄りの避難場所まで移動するよう呼びかけています。≫



しばらくの無言。テレビの声が幾分気まずさを紛らわしてくれている。


男は居心地が悪いのか、何か言おうとしているのか、そわそわとしている。


(きっと、両方だろうな。)

とんでもなく重い話をしてこの状況を作り出したのは私だが。


「妹さんとは、明日初めて会われるのですか。」

意外にも、男が会話の口火を切った。

そう、この話はまだ終わりではない。明日、ここには妹が来る。


「生まれてすぐ、私たちは離されました。私は義父に引き取られ、妹は施設へ送られたそうです。」


「なぜ、妹さんは施設へ?」

ここまで来たら、の精神だろうか。男は躊躇せずに質問をする。


「2人を分けた理由は教えてくれませんでした。義父には何か考えがあったようです。今となっては、知る由もありませんが。」

私はそれに淡々と答えていく。


「私が18の時です、義父が息を引き取る前に生まれた時のことを教えてくれました。驚きました。コインランドリーで生まれたなんて、双子の妹がいるなんて、思いもよりませんでしたから。」

淡々と。


「私は、その日からこのコインランドリーに通うようになりました。もしかしたら、妹がふらっと現れるかもしれない。私と同じ顔なら、見間違えることもないですから。」

自嘲するつもりはなかったが、乾いた笑いが口からこぼれる。


「結局今日まで、妹が現れることはありませんでしたが。」

そう、対の「私」には、結局会うことも話すこともできなかった。


「つい先日のことです、妹から手紙が届きました。また驚きましたよ。今まで連絡を取ったこともありませんでしたし、連絡先も私は知らなかった。」


「その手紙に、明日のことが?」

男が腑に落ちた、というような顔でこちらを見る。


「ええ。20歳の誕生日、私たちが生まれたところで会わないか、と。」

ここまで話して、段々と不安が募ってくる。


私は本当に明日、会えるのだろうか。

今まで話したことも見たこともない、実在するかもわからない姉妹に。



「これが、深夜に現れた、コインランドリーで本を読む女の謎です。」



これで、私の話は終わりだ。短くて、とても重い、身の上話。


電子音が、ブザービートのように店内に響き渡る。


男の洗濯が終わったようだった。



小山こやま さとし


洗濯機が鳴らす音で、我に返る。

まるで悪夢の中にいたような、じっとりとした冷や汗が首を伝う。


この女の話、この状況で聞いた話でなければ、きっと信じなかったろう。

(今持っているその本に、そのまま同じ内容が書かれているのでは?)

そう言って茶化したかもしれない。


立ち上がって洗濯機の扉を開ける。

乾燥を終えたばかりで、湯気のような熱気が顔の横を通った。


(もしかしたら、妹さんは来られないかもしれないですね。)

そう言おうか迷った。無駄に悲しませるだけだろうか。伝えるべきだろうか。


(良かった。落ちないかと思ったけど。奇麗に落ちている。)

汚れてからすぐに回したのが良かったのかもしれない。


改めて女の顔をまじまじと見る。最初見た時は幽霊か幻覚かと思ったが…。

まさか双子であったとは。やはり話を聞いておいて良かった。


「どう思われましたか。」

急に女が口を開いた。不意を突かれ、上着を落とす。


「なんとも、悲しいお話で。」

表情を作るのが難しい。うまく笑えただろうか。


「姉は、明日来ると思われますか。」

言葉に詰まる。俺は、その答えを知っている。


俺は、話すべきだろうか。


コインランドリーの駐車場。停まっているワゴン車。そのトランクに、姉が入っていることを。


つい先ほど、現場から帰ってくる途中に、車道にうずくまる女を轢いてしまったことを。


その女が、目の前の女と同じ顔をしていることを。


ニュースは先ほど、ここ一帯が避難地域に指定されたことを報じていた。

時間を置かず消防が避難誘導に回ってくるだろう。警察も見回りに来ているかもしれない。


その前に、川に流さねばならない。

この雨はきっと、女も、現場の血も、奇麗に流してくれるだろう。


立ち上がり、ポケットの中でマイナスドライバーを握りしめる。

豪雨で、コインランドリーの中は見え辛い。


パチンと音を立てて、男の後ろの蛍光灯が切れた。



天気痛ウェザー・ペイン

もともとあった症状や病気が天気や気圧の変化で悪化したり、

頭痛や”古傷の痛み”を引き起こす症状のこと。気象病とも。






〇双子の姉「村上市子」 




19歳 大学生

 

 産まれてすぐに「コインランドリー サボン」に遺棄される。

発見された際、ランドリーが点検運転していたため腕にケガを負っていた。


 責任を感じたコインランドリーの店主に引き取られて比較的恵まれた生活を送る。

腕のケガがトラウマ化しており、コインランドリーに入ることができない。 義父の死後はランドリーを相続するも、業者に集金を任せていた。


 成人となり正式に相続が完了した際には、忌まわしきランドリーを閉業することを決意する。

そんな折、市子のもとに手紙が届く。差出人は「村上 末子」。

手紙には、自分は双子の妹であること、施設で今まで暮らしていたこと、そして


”20歳の誕生日、生まれたところ、「コインランドリーサボン」で会いましょう。”


思い悩む市子であったが、生き別れの妹に会うことを決意する。

 

誕生日前日の夜、0時をコインランドリーで迎えようと豪雨の中出発する。

向かう途中、トラウマがフラッシュバックしてよろめき、ワゴン車に撥ねられる。


トランクに入れられ、意識を取り戻した市子が最期に見たのは、

コインランドリーの中で座る男と、回っている洗濯機であった(●モノローグ)。


その後、車中にて多臓器不全により死亡。享年19歳。

死亡時刻、平成3年6月4日21時20分。






〇コインランドリーの客「小山 敏」 




39歳 独身 東京出身。離婚歴有。建設事務所勤務。勤続21年。

転勤族で今の現場がある県に来たのは2回目。

 

 当日は豪雨のため現場の遅れが発生し、業者との仲立ち、現場の確認のために奔走、21時近くまで勤務をしていた。帰宅途中に豪雨で見通しが悪くなった道路で女性を轢いてしまう。女性はぐったりとしており、抱きかかえた際に作業着に血が付着する。


後部座席に女を乗せ、血に塗れた作業着を洗うためにコインランドリーへ。

洗っていると、轢き殺し、トランクに押し込めた女がランドリーへと入ってくる。


 幽霊かと思っていた女は、轢いた女の双子の姉であった。

日付が変わるころに来る生き別れの妹と会う約束なのだという。

身の上話をする姉を前に、アリバイ工作のため殺すべきか迷っていたが…






〇双子の妹「村上 未子」




19歳 町工場で受付に就業 愛読書は「コインロッカーベイビーズ」。


 発見された際、ケガを負わなかった。

そのため二人は引き離され、末子は施設へと預けられる。


劣悪な環境で生まれを呪いながら生活する末子。18歳になり、施設を退所する際、職員から自身の生まれを知らされる。その時初めて双子の姉の存在を知る。

19年前の新聞から自身が生まれたコインランドリーを調べ当て、その場所に向かう。


(もしかしたら姉と会えるかもしれない。会えたら何を話そう。)

くすんだ人生に嫌気がさしていた末子であったが、姉の存在が希望となった。

しかしコインランドリーのオーナーは既に死去しており、連絡は取れなかった。


その日から、事件の関係者に会うことを願って寂れたコインランドリーに通うことが日課になる。

ある日、張り紙で20歳の誕生日を最後にコインランドリーが閉業することを知る。


自分のただひとつのルーツが無くなることを知り、ショックを受ける末子。

数日と経たず、末子宛ての手紙が施設に届く。差出人は「村上市子」。

手紙には、自分は双子の姉であること、義父に引き取られ今まで暮らしていたこと、そして


”20歳の誕生日、生まれたところ、「コインランドリーサボン」で会いましょう。”


姉(市子)はずっと私の存在を知っていたのだ。と思い込む末子。


姉に対する希望は執着となっており、末子は絶望と嫉妬の念を抱き始める。


育ちの呪いと決別するためにも、故郷である「サボン」を守るためにも、末子は市子を殺してなり替わることを決意する。誕生日前日の21時、ナイフを持ってランドリーへ向かう。


(会ったことがなくてもわかる、姉はきっと、誕生日の0時丁度にはランドリーに来ているはずだ。)


ランドリーに着くと既にある人影に驚くが、そこにいたのはただの利用客である小山だった。

末子は小山に、 ”「市子」の” 身の上話をする。

 

男が去った後に市子は来る。市子を殺して成り代われば、アリバイ工作が成り立つ。

「私」は豪雨の被害で死んだことにすればいい。


身の上話をしながら、縁を育む小山と末子。

しかし、小山はふとした拍子に末子を手にかけようとする。


驚く末子に、小山は謝りながら、「末子」を車で撥ねたこと、血が付いた作業着を洗っていたこと、「市子」をここで殺さなければいけなくなったことを話す。


末子は、自身が末子であることを打ち明ける。市子を殺して成り代わろうとしていたが、もう姉が死んでいるのならば、余計な手間は減ったのだ。


 トランクの中の市子を見て、末子は自身の腕にナイフを突き立てる。

傷は、市子と同じ場所、右上腕に10センチほど。

傷口から流れる血をコートで押さえ、汚れたそれを小山に渡した。


「トランクに入れておいて、事件になりそうなら、私が証言してあげる。それは私の血だってね。」

「その代わり、あなたは私が末子であることを、忘れてくださいね。」


数日後、「市子」のもとに手紙がまた届いた。


雨が降り、右腕の傷跡がしくしくと痛む日であった。






〇市子の養父「村上 修三」




コインランドリー店主。享年85歳。若くして妻を亡くし、以来一人暮らし。


 71年の6月4日深夜、コインランドリーの中に放置された双子の少女を発見する。

メンテナンス途中に見つかった双子の姉は、発見が遅れて腕に傷を負ってしまう。


責任を感じた修三は姉の方を引き取って養子とした。

妻に離別された修三に双子を養育するのは難しく、生みの親がもしかしたら施設へ現れるかもしれないという淡い希望から、妹は施設へと預けることにした。


晩年、病床に伏して最期を悟った修三は四枚手紙を書く。


二枚は、二人が成人する日の三日前に届くように。

市子へは末子の宛名で。末子へは市子の宛名で。


”20歳の誕生日、生まれたところ、「コインランドリーサボン」で会いましょう。”


もう二枚は、その数日後に届くように。

末子への謝罪と、二人に、幾ばくかの遺産を相続させること、


だから、たった一人の家族と仲睦まじく暮らすようにと、願いをしたためて。






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豪雨災害から数週間後、小山 敏のもとに一通の手紙が届く。




「法定相続人 小山 敏 様」 

”ご子息「村上 末子」様の遺産相続手続きのご協力のお願い”


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