親の顔が見たい人
「親の顔が見てみたい」
真子がそう呟く。真子は25歳のOLで特段どこか変わっている訳ではない。流行りの音楽を聴き、週末はTikTokやYouTubeをダラダラと観ながら日が暮れる、そんな生活。友達とのランチが息抜き、そんなごく普通の毎日ではあるが、真子には人知れず楽しみにしている趣味があった。
それは「親の顔を見る事」だった。誰でもいい。学生時代なら同級生や先生、通りすがりの人、パン屋で働く人、美容室や服屋のスタッフ、会社の同僚、とにかくその時々で気になった人の親の顔が見たい、それで親の顔見る。それが真子の趣味なのだ。この趣味はさすがに親にも友人にも話した事はない。また、注意深く行わないとストーカーとして通報されかけない。すれすれのところを楽しむのが良いもので、親の顔を見るのは一回限り。継続はしないので(一度尾行して、見れなかったら諦める)捕まることはまず無いのであるが。
親の顔をなぜ見たいかというと、真子にもこの趣味を始めたきっかけはあるのだ。高校時代、同級生の女の子で随分と真子にだけ嫌なことを言う女の子がいた。あまり話すのが得意では無い真子は言い返すことが出来ず、心の中で
「あー!親の顔が見てみたい」
と思い、放課後、その意地悪な女の子の後をつけてみた。それでその女の子の家に着いたとき玄関先で「おかえりなさーい、あら、早かったわねぇ」と迎え入れた中年の女性はなんだか、目つきが悪く、口元もだらしない、意地悪そうだった。それを見た真子はなんだか
「やっぱり親も意地悪そう」
そう思ったらなんだか腑に落ちてスッキリした。初めて親の顔を見に行った真子はとても心が爽快だったため、なんだか引き続き誰でもいいから親の顔が見てみたくなった。
だが、同級生じゃ物足りなくなってしまった。とりあえず、路上でギターの弾き語りをしている若い男(毎週水曜日の午後6時位から歌っている)の後をつけることにした。歌い終えるのはいつも夜11時位だと真子はその場所を通り過ぎる時に把握していた。あまり男に顔を覚えられないよう、近くのファミレスで時間を潰した。11時になるのを待って、元の場所に戻ると男は、数人残った馴染みのファンと少し話し、観客から帽子の中に投げ入れられた小銭を丁寧に集め、ギターをケースにしまった。この男は、少し痩せこけた風貌だ。目つきは少しきつめ、クールな顔立ちだ。ただ笑うと目元が優しげだった。真子の予想では、平日は会社員だろうと思っている。痩せこけてはいたが、男の髪型や表情からは品の良さや知性が滲み出ていた。真子は男がその場所を、立ち去るのを見届けてすぐに後に続いた。電車を2駅乗り継ぎ、降りた駅からそーっと後をつける。男は全く気がつくことはなかった。10分ほど歩いただろうか、街中の喧騒からそんなに遠くないが閑静な住宅地に入った。建ち並ぶ家は古い佇まいだが立派な家や、洗練されスタイリッシュな今どきの家、二分していたがとにかく裕福そうな家が多かった。多分、その向こう側は確か大使館が多い地域だ。男の足が止まり、玄関の前に立ち玄関のドアチャイムを鳴らした。中から、キリッとしながらも品の良いすらりとした60代くらいの女性が出てきた。女性は男の母親だろうか、帰宅を見届けて安堵した表情だった。真子はその顔を見てなんだかほっこりと優しい気持ちになった。母親はいくつになっても母親だ。そしてその場を後にする。だいたい見届けて帰る、毎回そのような事を繰り返している。
ある時、真子はスーパーマーケットで買い物をしていた。すると、スニーカーの下にローラーが付いている子供用の靴、なんでもその靴は「ローラーシューズ」というらしい。女の子がキャーキャー叫びながらローラーシューズを履いてお菓子売り場や生鮮食品のコーナーを行き来していた。近くに親はいないらしい。それに、皆、怪訝そうな顔をしているが誰も注意する事が出来ない。スーパーマーケットやデパートではよくある光景だが、とにかくビュンビュン早いスピードで駆け回り、時には商品の棚にぶつかり、重ねられた商品が崩れ落ちている物もあった。そんなのはお構いなしに女の子はますますヒートアップして走り回る。棚に隠れてみたり、やりたい放題だった。真子の中に、何かすごくこみ上げてくる思いがあった。
「親の顔が見てみたい!!」
今日は口に出してしまっていた。とにかくこの場をなんとかしないと。そう思ったら足がもう進んでいた。そして従業員にも状況を説明しておいた。ずんずん足が進む、先ほどの女の子から少しした場所に立ち読みしている女性。女の子はこの女性の場所からお菓子売り場を行ったり来たりもしていた。まずは女性の顔を見届ける。「無」という感じだった、全く無関心で。その間も女の子のローラーシューズでの滑走は続いている。無言で黙々と立ち読みをしている女性の顔は目元も口元もなんだか冷え切った感じが漂っていた。先ほどの店員が女性の母親とまだ確認してから、話しかけた。
「お客さま大変申し訳ございませんが、店内ではローラーシューズで走り回るのはご遠慮いただけますでしょうか。お子さまにお声がけしていただいてもよろしいですか?お怪我があっても大変ですので」
先ほどまで無表情だった女性の顔はたちまち鬼のような顔になった。
「はぁ?こっちは客で買い物中なんだけど。それに何も壊してないし誰も迷惑してないからいいじゃない、なんなの!この店。腹立つからネットに苦情書き込むからね」
女はそう言い放つ。真子はいてもたってもいられない。とうとう意を決して、女の子と母親の元に向かう、そして声をかけようとすると。なんと、背後からも続々と老若男女、様々な買い物客が集まってきた。おじさんがまず開口する。
「ったくよー、親ならきちんと子供のこと見てな。この女の子はなさっきからビュンビュン危ないったらありゃしない」
すると、近くにいたおばさんも
「親の顔がみたいと思ったら、まあね、あなたならぇ、、、。仕方ないわね」
高校生くらいの男の子だろうか?
「あー、ありえねえ、こんなマナー違反見たことないし」
そしてその場にいた全員、私も一斉にその母親に向かって
「親の顔が見たいわぁ」
と言い放った。母親は女の子を叱り、恥ずかしそうにその場を去る。その日から真子は親の顔を見るという趣味からはあっさりと手を引いた。だって、やっぱり、親子は親子である。いろんな親子がいる、その事でもう十分だった。そして、真子は久しぶりに自分の親の顔が見たくなった。