クーリアとフリッツ
「おぃおぃ!待てよ!」
私とセレナが二人を通り過ぎ、先に校舎に向かおうとしてた所フリッツが呼び止める。
だがセレナは聞こえない事にして、止まる気配がない。
「セレナ…フリッツが呼んでるよ?」
「……。」
「セレナ…私…二人にお礼言いたいな…」
さすがに二人を無視するのはよろしくない…
特に王太子を無視するのは…
それに馬車を購入してくれたと聞いたからにはお礼を言いたい。
昨日、母に打たれた背中の痛みがあまり感じられなかったから、初めて馬車が快適だと思った。
御車の技術ももちろんの事だが、中に使用されていた椅子の素材は本当に柔らかかった。
振動を吸収しやすい素材だったのだろうか…
「まったく…フィルは律儀なんですから…そんなこと言わなくてもよろしいのに…」
セレナは私の顔を見て、ため息をつき、なにやら呟いている。
小さな声で近くにいる私でさえも聞こえないほど小さな主張。
セレナは再び私の腕から自身の腕を引き抜き、扇を広げ口元が隠れるようにしてからフリッツと殿下の方を向いた。
「これはこれは…フリッツ様にクーリア殿下、ご機嫌麗しく。存在に気がつかなくて大変申し訳ございません。
いかんせん…まさか生徒の見本となるべき方々が、まさか他生徒の迷惑になるような事を窘められないなんて、私考えが及ばず…お恥ずかしい限りですわ」
セレナは満面の笑顔で平然と嫌味を言っている。
「お前な…俺は同じ家格だから大目に見るが…クーリアはこの国の王太子だぞ?もう少し礼儀をわきまえたらどうなんだ?」
「ここは学び舎ですわ。もちろん社交の場であればきちんといたしましょう。ですが、それを言うならなおのこと、先程のあの騒ぎはさっさと治めてほしかったですわ。」
「ぐっ…それはそうだが…だけど…」
フリッツの主張も一理あるのだが、セレナの主張も正しい。
ここは学園で、ある程度は貴族社会より緩い。
それは貴族や平民など差別なく育て、国を良くしていこうという信念の元、このマカフィオラ学園は創設されたからだ。
しかし貴族と平民の差別は学園にいるからといっても変わらない。
昔は階級に関わらず、全員同じクラスにしていたらしいのだが、何事もうまくはいかない。
色々な問題が多発してしまった事により、貴族と平民、さらに貴族は家格でクラスを分けられるようになった。
唯一、貴族と平民が交流できるのがクラブ活動や生徒会役員だった。
クラブ活動は参加自由。
これにより平民に関わりたくない貴族、また貴族に関わりたくない平民は所属しなければほとんど階級が異なる人種と関わらなくなる。
さらに言えばそんな事を気にしない者達が集まる為、かなり平和だ。
生徒会に関しては、王族が学園に在籍している時は所属が絶対となり、他は各学年、階級より成績優秀者が所属する事になっている。
王族の所属が必須なのは、国王になった時の予行練習をこの学園に在籍している時に行う事になるからだ。
つまりこの学園を国と例え、統治する練習。
そしてクーリア殿下も例外ではない。
今年入学したばかりの一年生だが、前任から引き継ぎが終わり次第生徒会長として席を置く事になっている。
極めつけはこの学園は中等部から高等部まではエスカレータ式で、中等部は三年制で貴族限定となっている。
中等部で親元から離れ、ある程度自立させるのが目的だ。
そして高等部は貴族のみならず、試験を合格した平民も入学がすることができる。
高等部は五年制で貴族には貴族としての責任の重さを学んでもらい、平民は優秀な者を育てる狙いがある。
現に平民に関してだけ言えば、難関といわれる入学試験を通過しただけでも貴族の家のメイドや執事への就職先や、王宮内の仕事に就く事ができる。
更に五年間磨き続け、成績が優秀な者には政治にも参加できる役職に就く事も可能だ。
つまり入学した時点で将来安泰となる。
「フィルエット嬢…」
目の前で繰り広げられている口喧嘩をぼーっと眺めていたら、ふいに殿下から名前を呼ばれた。
「殿下…」
「おはよう。私は皆より一年遅れての入学だが、これからの四年間、よろしく頼む。」
「こちらこそよろしくお願いします」
クーリア殿下は少しだけ微笑み、視線をフリッツとセレスに移した。
殿下は仮面を被るのが上手いと常に思っている。
どうすれば自分がどう見られるのか、評価されるのかを理解して行動している。
そうでなければ王太子など務まらないのだろう。
昔一度だけ、母が言っていた事を思い出した。
母は短い期間ではあったが、クーリア殿下の家庭教師をしていた事がある。
家庭教師とは言っても、母が教えたのは祖国である隣国アルトア帝国の事だ。
この国しか知らない者が教えるより、実際生まれ育った者に教えを乞いだ方がより確実な知識を身に付けられると考えられたからだ。
そんな母が殿下の事をこう評価していた。
――殿下はねぇ。本当は怠け者さんなのよ。努力はしなくてはいけない地位にいるから嫌々やってるって感じかな?
――あとはきっと女性の事大嫌いね…あれは…あの年で大人顔負けの笑顔貼りつけ仮面をしてるとか凄いわよ…
――ただまだまだ甘いわね。女性が近づくとほんの少し眉間に皺がよるのよ?
――しかも私がそれを指摘するともうあの笑顔の仮面はボロボロ落ちて、まぁ本性が出る事出る事。
――大きくなったらきっとあの甘い笑顔の仮面に貴族の女の子達が大勢メロメロになるのだろうけど…
――フィルエットちゃんは騙されちゃだめよ?
母は子供に対しても容赦ないな…と当時は思ったが、母の言う事は当たっていた。
殿下はいつもにこやかにして、令嬢達の猛アタックにも笑顔で対応している。
大人達と会話している時も、常に相手より先を見据えて話を自分が有利になるように進めている。
交渉事に負けた商人が仲間内に話していたのを聞いたが、負けはしたが、不思議と気分が悪くないらしい。
しかし本当の殿下が異なる事を私達四人は知っている。
本当はすごく怠け者で授業をサボって木の上で昼寝をしたり、猛アタックしてくる令嬢達を追い払った後、【クソッ】と眉間に皺を寄せて呟いていたのを見てしまった。
そんな現場をうっかり目撃してしまったら最後、笑顔で【秘密ですよ?】っと整った顔を近づけて言ってくる始末だ。
あの時は目の奥が笑っていなかった…。
私は元々殿下に興味がなかったので、こちらから近づかなければ良いだけだとあの時は思ったが、まさかフリッツを通して知り合いになるとは…交友関係は思った以上に狭い。