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【Anemone ~ 君とまたいつの日か。】もいよいよ結末が近づいてきました。
結末に向けて本日は二話連続投稿を行う予定です。
21時過ぎくらいから二話目を……と、考えていますので、どこか引き続きよろしくお願いします!
彩花が立ち去った屋上には、重たい沈黙だけが落ちた。
屋上に流れる時間は穏やかで、晴々しい春の陽気が心地いい。こんな陽気の良い日に昼寝をすれば、さぞ気持ちがいい一時を過ごせるだろう。きっと、普段の雪音ならそう感じていたかもしれない。
しかし、現在雪音が置かれている現状は百八十度異なっている。穏やかな時間はうっとしく、春の心地いい日差しはただ苛立ちを募らせるだけ。
向かい合う二人の男女。
ひとつ年上の男子高生と一つ年下の女子高生。
爽やかそうな好青年と清楚で怜悧な美少女。
一見お似合いそうな二人。
実際、青春映画のワンシーンでありそうで、恐らく、何も知らない第三者が見れば、これからはじまるのは甘酸っぱい青春シーンだろうと思うかもしれない。逆に、このシュチュエーションから険悪な空気を想像するほうが確率的には低いくらいだ。
「……」
「……」
だけど、現実はそう甘くない。甘いだけの現実ではなかった。
現在、向かい合う雪音と海の間に流れる空気は、それほど和やかで穏やかなものではなくて、今、ふたりの間に流れる雰囲気を青春映画で例えるならば、修羅場シーンが適切なのかもしれない。
「こんにちは、そして久しぶり」
そんな沈黙だけが永遠と続くと思われたそのとき、先に火蓋切って落としたのは他でもない、海の爽やかな挨拶からだった。
でも、その挨拶もすぐに顔を背けた雪音によってシャットアウトされてしまう。せっかく切り出した会話は、にべもなく一瞬で幕引きとなる悲劇に終わった。
そんな雪音の冷たい態度には、さすがの海も後頭部を摩って苦笑を浮かべるほかなくて。
「あれ? 俺のこと、覚えていない?」
「……はい、まったく」
切り込み方を変え、今度は別方向の疑問をぶつけてみると、無視をされなかったが、その内容はおおよそ喜んでいいものではなくて、海自身もそこまで楽観的な性分ではなかった。でも、だからといって、簡単に引き下がれるほど聞き分けのいい性格もしてない。
「これっぽちも?」
「はい、一ミクロも」
そんな一縷の望みに懸けて食い下がった末に返ってきた答えはミクロ……。それは、海が想像していた物差しでは測れない単位だ。もはや分子とか原子の世界にまで入り込まれてしまえば為す術はない。
「まじかー、俺の存在ってミクロの世界かよ〜」
雪音はあえて突き放すような態度を取って、さっさと引き下がってもらうつもりだった。それなのに、帰ってきた反応は酷く楽観的で戯けたもの。予想に反して楽しそうに笑っているし、それはまるで何も気にしていないような、はじめから予知していたかのような反応にも思えて。
それとも本当に鋼の心を持っているのか、単にバカなのか……そこまで考えて、雪音は思考することをやめた。だいたい、これ以上こんな茶番に付き合う義務も意味もないのだから。
「では」
だから雪音はそう一方的に会話を終わらせた。これ以上、言葉を交わす気などない……そう言わんばかりに、ひとりで屋上の出入り口に向かって歩き出す。
「なるほど、あくまでもそうくるか……」
すれ違う直前、何やら呟き声が聞こえた。それでも、わざわざ雪音の足を止める理由にはならない。
徐々に遠ざかっていく足音は、一歩ずつ、確実に遠のいていく。
このまま何も言わなければ、雪音は海の前から去って行くのは明白だった。
「ふうん」
だが、それでは面白くないし、何より、ドラマがない。
海は思う。
自分が歩む人生が、そんなつまらないメロドラマに成り下がるのは嫌だと。自分の人生は、もっとドラマチックで劇的でなければならない。
ただし、不幸はいらない。
欲しいの幸福、ただそれだけ。
それは傲慢な考え方なのかもしれない。でも、それが嘘偽りない海の本心であり、そしてこのまま雪音を立ち去らせてしまえば不幸になるのは海本人。
でも、それでは論外なのだ。海の望む人生は、劇的でなければならない。ドラマチックでもなくただ平坦でつまらない価値になり下がってしまうのは望むところではない。
ならば、どうすればいいのか?
彼女を立ち止まらせるには、どうするべきなのか?
——答えはそう難しくなかった。
海にはとっておきがある。
「本当にそれでいいのか?」
海の声が穏やかな屋上に溶けていく。
相変わらず、雪音からの返事はなかった。
それに反比例して、今こうしている間にも、彼女の足音は徐々に遠のき、今この瞬間の終わりを告げてくる。
けれど、海は慌てなかった。正確には、慌てる必要がなくて。このとき海は、自分が思う最悪なシナリオにはならないことを察していたのだ。
「……」
その証拠に、それまで一定だった雪音の足取りにもわずかなタイムラグが生じたことを、海は耳ざとく聞き取っていた。
そして、それだけで収穫は十分で。それだけわかればあとは容易くて。結果はすぐに現実となって現れる。
それまで一歩ずつ出入り口に向かって歩み続けていた確かな足取りが、次に海が口を開いた言葉に、
「きっと、お前は後悔することになるぜ?」
——乱れ、
「五年前のあのときのようにな」
——ぴたりと停止した。
「……今、なんて?」
振り返った雪音の声色には、先ほどまで漂っていた余裕はなく、あるのは不安と疑念と疑心に揺れる少女のもの。
海はそれを逆手に取った。取れるべき手段は取る。それが末吉海のポリシィーでもあるから。
「まず単刀直入に——皆瀬雪音。俺と付き合え」
「……ありえない」
海が放った命令然とした告白に対し、返ってきた答えは明確な否定。まさに即答だった。考える余地もないと言わんばかりの即答。そして、その回答には言葉以上の拒絶が含まれていた。
もちろん、海もそれを感じていないわけではない。むしろ、清々しいくらいに伝わってきた。
でも、だからいって、海の答えにも変化はない。いや、最初から変更の予定などありはしなかったのだ。
だから、雪音の明確な拒絶を受けてなお、海は憤るわけでもなくへらっとした笑みを持って受け止めてみせれた。
「いやぁ〜、相変わらず冷たいなぁ。……あのときと、何も変っちゃいない」
雪音のある意味予測通りの反応に、海は掌で顔を覆い天を仰ぎ見た。その様は、後悔して嘆き苦しんでいる男のように見えて。されど、雪音は見逃さなかった。その隠れた口元に淡い微笑が浮かんでいたのを。
「私、あなたのことなんて知りませんので。加えて、礼儀も知らない人間なんてさらり眼中にありませんし、何より、その昔あったことあがるような馴れ馴れしい口調も気に入らないです」
「……えらく辛辣だなぁ。なるほど、でも確かに正論だ。けどさ、ほんとにそれでいいのか? もし、本当にそれでいいのなら、きっとお前は、後悔することになるぜ?」
確かに、海は先ほども似たようなことを言っていた。後悔することになると——。
「……後悔ですって?」
雪音自身もずっと引っかかっていた。海の妙に余裕あるその態度と言葉に。
気に食わなかったのだ。全部見透かされているような瞳が。
「……あなたが私の何を知っていると言うんですか?」
だから、気づけば雪音はそんなことを言って、海と向き合っていた。向き合ってしまっていた。
「そりゃあ、こいつを見ればわかるさ」
海はそう言い出すと、待ったていましたと言わんばかりにズボンのポケットからスマホを取り出した。雪音の怪訝な瞳に焦ることなく、何かを企むように口元を歪ませている。
何かに警戒するように身構える雪音をよそに、海の指先は画面上をかたかたと踊る。
そして、一通り画面操作を行ったあとに、雪音に画面を突きつけるように見せた。
「……っ!」
ずっと嫌な予感はしていた。
たぶん、彩花とスマホで何かのやり取りをしていたときから——。
おかしいと思っていた。
彼女に呼び出されたときから、そして、海がこの場に現れたときから——。
ずっと懸念していた、考えないようにしていた、目を逸らそうとしていた。
だけど、目も前の男子生徒はそれを容赦なく突きつけてきたのだ。小さな画面が否応なく見せつけてくる、絶対に避けたかった最悪なシナリオを。
「さあ、皆瀬、もう一度だけ聞かせてくれ」
見たくなかった、知りたくなかった……。だけど、絶対に目を逸らしてはいけない。
大事な彼を守るために。
例えそれが、最低な結末で、卑屈な現実であろうと——。




