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午前中の授業を終えた昼休み。進級して一ヶ月経過した二年一組の教室は、喧騒に満ちていた。
一ヶ月も経過すると、クラスにも各個仲良しグループが形成されはじめ、昼休みに突入した教室内にはその数だけ机が寄せ集められている。
その中でも、自席でマイペースを維持したまま弁当を広げている者もいれば、一年のときに築いた友情を引き継いで、クラスが別れた友人のもとへ一目散に向かう生徒だって存在している。優太の場合は、母親が作ってくれた弁当を自席でのんびり手をつけるのがここ最近の流れとなっていた。
「おっす、優太。飯食おうぜっ」
けれど、一週間に二回ほど、聞き慣れた言葉と一緒に優太のもとへやってくる友人と昼食をともにしている場合がある。その度に、視線の約三十%が向けられたりするのはもはや恒例行事。
注目比率的は女子が高い。嫉妬や妬み、嫉みや憧れ、その他もろもろの感情が混ざり合った男子たちの視線が飛んでくるのも、今ではご愛好だ。
まあ、クラスにはいないタイプのイケメンが訪れれば仕方がないことだとは優太も思う。しかも、サッカー部で最も活躍している次期エース候補ともなれば、教室内が浮き足立ってしまうのは、もはや自然現象と相違ない。咎める方が酷というもの。
そんな学校のアイドルと言わんばかりに目立っている男子生徒を、優太は知っている。いや、むしろ、何の縁あってか、そんな彼は数少ない優太の友人だ。
校内では人気の彼は、異性に当然のようにモテる。モテるのだが、彼は優太と同じように彼女と呼べる相手が存在しない。狙っている女子は多いと聞くけれど、彼はそのすべてを袖にしている。
別に、異性に興味がないわけじゃない。優太は知っている。彼には、阿久津慧には、片思い中の幼馴染がいることを。
「いやあ、腹減ったなあ」
今日も今日とて、慧は、喜怒哀楽ごちゃ混ぜになったお馴染みの視線を浴びせられながら、見慣れた保冷バックを片手にやって来た。
いつもなら、このまま優太の机に向かい合う形で昼食を摂る流れ。たわいもない会話や戯れあいに興じる憩いの一時を過ごし、午後の授業に向けて英気を養う大切な日常。
しかし、今日だけは断わらなければならない事情が優太にはあった。
「わりぃ阿久津、今日はパスで」
一方的に言って、机に広げっぱなしの教科書や筆箱を引き出しの中に入れ、優太はさっと席を立つ。すると、すぐに残念そうな、それでいて驚いたような声があがった。
「ん? なんか用事か?」
「まぁ、そんなとこ」
優太が即答すると、慧はふむと何やらひとつ頷いき思考ポーズを取る。けど、思い当たる節でもあったのだろう。
「もしかして、今朝の話か?」と、すぐに持ち前の勘の良さを発揮してきた。
「ま、半分正解ってとこだな」
「半分?」
「そ。つまり半分は間違い」
「なるほど、さっぱりわからんな」
これで理解できたら逆に凄いと思う。エスパー二号の称号に値するかもしれない。
ちなみに、一号は女子バスケ部のミーティング中だろう。きっと、今頃くしゃみをして周りの部員に笑われているに違いない。
優太がそんな予想を立てていると、ふと下から覗いてくる視線に気づいた。見ると、相変わらず頭上にクエスチョンマークを浮かべた慧が、腕組みしたまま優太を真剣な眼差しで見上げていた。もしかして……
「うん、やっぱ、さっぱりわからんな」
「それ、さっきも聞いたって」
慧の言葉に優太は苦笑しながらも、内心わずかにドキッとさせられた。もしかしたら、真帆から事情を聞いていると思ったのだ。一年間、学校生活を一緒に過ごしてきた友人だとしても、優太は未だに慧のことを理解できていないところがある。
だから、ふとした拍子に放たれた言葉の意味がまるでわからなかった。
「だけどまぁ、ひとりで大丈夫なのか?」
「……なにが?」
自然体を装いながらそう尋ね返すと、答えはすぐに返ってきた。
「今から行くんだろ」
「……」
慧の言葉には大事な「どこへ」が抜けてしまっている。けれど、それだけで慧の言わんとすることが優太も理解できた。だから、一瞬、聞き間違いかと思った。思ったけど、慧のいつになく真剣な眼差しがその可能性を否定している。
「どこで知ったんだ?」
だから優太もはぐらすことはしなかった。口にしなくても、具体的な言葉にしなくても、伝わっているものがある。そして、次に慧の口からあげられた名前が決定的にした。
「ほら、前に俺が言っていた海先輩って、一つ年上の先輩いたろ?」
覚えているか、と慧が視線で尋ねてくる。
「……いたな、そんな奴」
言いながら、優太の左手は無意識に右頬まで伸びる。まるで、先週きちんともらった頬の痛みを今でもしっかり覚えているように。いや、現にあのとき抱いた感情は、いぜんふつふつと胸の奥でくすぶり続けている。
同じ部活の先輩である慧には悪いが、自然と呼び方も無礼なものに変わってしまったのはその証拠だろう。
慧はそんな優太にただ苦笑するだけで、優太の発言自体は咎めることも、擁護することもなく、何事もなかったかのように話の続きを口にし始める。
「んで、今日の朝、優太と分かれたあと、俺が部室に置き忘れた物を取りに行ったそんときだ。部室の中から誰かが電話している声が聞こえてきてな」
「なるほど、それが海先輩だったわけか」
「ご明察」
徐々にきな臭くなってくる話の展開に、優太は一度席に座り直し、聞き入ることにした。
ちらりと時計を見ると、まだ昼休みも始まったばかり。慌てる必要はない。確か、真帆からの言伝では、昼休みに体育館裏に来て欲しいとだけ話されているのだから。
裏を返せば、時間内に行けば問題はないということ。相手からすればただの屁理屈だと指摘されること請け合いな理屈だか、それが現実だ。屁理屈も立派な理屈の一つ。要は、相手の主観次第で決まってくるのだから。
恨むなら、過去の自分の不注意を。今の優太にとって大切なのは、立ちはだかる問題に対する攻略順番を間違えないことだけ。
恐らく、この一連の話は、一つの線で結ばれていることを、このときの優太は直感的に確信していたのだろう。
「そ。部室の窓にはカーテンがかかっていて、外から中は見えないようになってんだけど、あの声と笑い方はあの人で間違いないと思う」
確かに、いい意味でも、悪い意味でも、海先輩は人の記憶に残りやすい性格をしている。優太の場合、出会い方が印象的すぎて、人一倍鮮明に残っている。廊下で見かけたときは、無意識に見てしまわないように気をつけなければいけないかもしれない。
「それじゃあ、今から俺が行く場所も、阿久津にはバレてるってことか」
「まあな、その辺もきっちり口にしてたからな、あの人」
そう言って、慧は仕方なそうに苦笑を漏らした。
「まあ、細かいところはずさんだからな、あの人」
慧の意見に、優太は諸手を上げて同意した。ああいうタイプの人間は、感情に流されてしまいがちなため、秘密ごとに不向きなのかもしれない。
「行くのか?」
「……行くしかねぇーだろ」
憂げな慧の視線から逃げるようにして、優太は再び立ち上がった。
「んじゃあまぁ、行ってくる」
それだけ言うと、踵を返し、慧の肩をぽんっと叩いた。
「……ほんとに、助けはいらないんだな」
すれ違いざまにかけられた声には、もう、優太を慮る声色は含まれていない。
だけどそれは、覚悟を確かめてくるようで、背中を鼓舞してくれるような、言葉にしなくても十分に伝わってくる慧なりのエールなのだ。
実に慧らしいと思う。だから、思わず優太は内心笑ってしまった。
「ああ、心配ご無用だ」
今日で、すべてを取り返しに行く。
過去の負債を取り返す。
そのための覚悟はできている。




