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【22万PV突破!】Anemone ~ 君とまたいつの日か。  作者: NexT
#── Capture5. Restart! ──#
46/53

#—— 2 ——#

 


 自宅のマンションから駅前のバス停まで約十分、優太が駅前のバス停に到着したときには、すでに二メートルほど人の列が出来上がっていた。

 最後列に並んだところで、ロータリーの奥のほうから低い走行音が聞こえてきた。ちょうど道路の脇に停車しているバスの間を縫うようにぐるっと回ってやって来たのは、柳沢駅行きのバス。行先表示器がそう示しているから間違いない。


 自宅から高校を行き来するため、早二年お世話になっている。今ではすっかりお馴染みの車体だ。見間違うほうが難しくなってきている。

 指定された停留所に滑り込むように停車したバスに、前の人のから順番に乗車していく。正しく列を守り、ひとりずつ確実に乗り込んでいく姿は、日本ならではの光景かもしれない。当然、優太もその中の一つになる。


 無事、全員が乗車を果たしたことを確認すると、バスはゆっくりと動き出した。

 背の高い建物が左から右に過ぎ去っていく。ざわざわとした喧騒から閑静な街並みに変わっていく風景も、今ではすっかりお馴染みの感覚。代わり映えのしない景色が、今日も優太の目の前に広がっていた。


 でも、今の優太には、そんな街並みが無性に羨ましく思えた。

 変わらないことは悪いこと。

 どこかでよく耳にする言葉。でも、あまり深くは考えない言葉。

 昔の優太もそうだった。よく耳にする言葉だけに、あまり深くは考えず、変わらないことは悪いことだと鵜呑みにして、信じて疑ってこなかった。

 でも、最近になって気づいたことがある。

 それは、変わらないことが悪いことではなくて、大切なのは、何に対して変わることができないかどうか——。


 例えば、目標があって、叶えたい夢があったとする。

 その夢は、変わらなければ叶うことはない。決して。変わらなければ叶うことがないのだから。

 それはそうだと優太も納得できる。自分が目指す場所があるのに、何も行動せず、停滞を選べば、そりゃあ叶うものも叶わない。当たり前だ。何も難しい理論ではない。


 でも、これが人間関係ならどうだ。

 自分と彼女。

 現在と過去に置き換えてみると、片瀬優太と皆瀬雪音に変換して考えてみると、果たしてどうだろうか。

 答えは簡単だ。自信を持って答えられる。

 当然、優太は停滞を選ぶに決まっている。

 一重に変わることが良いことに繋がるとは限らないから。逆に、変わらないことが悪いことに繋がるとも限らないから。


 片瀬優太と皆瀬雪音。

 ふたりの幼馴染は、五年前の冬の日を経て以来、変わってしまった。いや、厳密に言えば、変えられてしまった。

 苦しかった。悲しかった。悔しかった。そして、虚しかった……。

 変わることが、変わってしまったことが、ひどく寂しかった。

 そう感じてしまうくらいなら、最初から変わらないほうがマシだ。何も発展しないまま、ただ一緒にいるだけで幸せになれるほうが楽でいいに決まってる。そっちのほうが、もっと人生を豊かに過ごせることができるだろう。


 でも、そうはならなかったのが現実だった。そして、そんな現実の中を、今、片瀬優太と皆瀬雪音のふたりは生きている。そして、それは今も大きく変化してしまっている。

 過去は変えられない。変えられないけれど、未来へは繋げることができる。変わってしまったものは、未来に活かすることができるのだ。

 それがより不確かで、不安定で、今にも崩れそうなくらい大きなものなら、さらに太く、今よりも強く昇華させることができる。


 今、不思議とそう思えるのは、自分も変化してきたという証であり、成長してきた証拠。変わってしまったことをプラスに変えようと、もがいてきた結果なのかもしれない。

 そんなことを考えながら、優太は車窓に流れる風景を眺めていた。だから、直接肩を叩かれるまで、自分が話しかけられていることに気付けなかった。


「おーい、優太、聞こえてるかー」


 話しかけられた方向に視線を向けると、不思議そうにこちらを見てくる男子生徒と視線があった。

 さっぱりとした短髪に健康的に焼けた肌が印象的で、175センチある優太を見下ろす視線はわずかに高く、威圧感がある。それなのに、持ち前の甘いルックスを活かし、余りある魅力に変えてしまう爽やかイケメンがそこにはいた。


「おまけに、サッカー部の次期エース候補で、決して気取らない飄々とした性格から、クラスの女子だけではなくあらゆる学年の男女から慕われ、無意識に無自覚にハートを射抜いてしまう、天然にして天性の女ったらしのご登場っと…」


 まったく非の打ちようがないそんな男子生徒の名を優太は知っている。優太が唯一校内で親しくしている彼の名は、阿久津慧あくつけい


「なるほどオーケーだ。お前がどんな目で俺を見ていたのか、よーくわかったよ」


 そんな彼は、今、細く長い片眉をぴくぴく引きつかながら、優太のすぐ横の吊り革に掴まって立っていた。


「やべ、もしかして今、心の声に出てたか……」


 慌てて口を塞ぐ仕草を優太が取るが、「今の、ぜってぇわざとだろが」と脇腹に一撃を入れてしまった。でもそれは、いつぞやの全然痛くない愛のある一発。


「いたのか、全然気づかなかったわ」

「嘘つけ。絶対気づいてたろが。 じゃなきゃ、ピンポイントであんな言葉は出てこねぇだろよ」

「ちっ、ばれてたか」

「大バレだ、このやろうっ」


 仕方がなさそうに笑い、慧は最後にそう言うや否や、ダメ押しの一発を肩に入れてきた。

 そのあとは、どちらとなくこみ上げてきた笑いに笑い合った。もちろん、他の乗客の迷惑にならないように声は殺して。



 一頻り笑い合うふたりの男子高生乗せたバスは、なおも街中を快調に進んでいく。

 途中、停留所で人の乗降をすべく止まっては、再び動き出す。

 それをいくらか繰り返していると、バスは市民文化会館前の停留所で停車した。

 スーツを着たサラリーマン、私服姿の女性、ジャージを身に纏ったおじさんが、思い思い降りていった。あらたに乗ってくる乗車客の姿はなかった。


 それを横目に見ていると、慧が視界の端で意味ありげな視線を送ってきていることに優太は気づいた。見ると、薄い唇はにやりと曲がっている。


「悪いな。俺には男に見つめられて喜ぶような趣味はないんぞ」


 先回りしてあらぬ誤解は解いておく。


「ちっげーよ! いきなり気持ち悪いこと言うなよな」


 ならばと、勘弁してくれよと言わんばかりに否定する慧に、今度は疑いの視線を向ける。気になるのは、どんな理由があって優太を見ていたのか。


「お前って、そういうとこあるよな」

「そういうところ?」

「そ。そういうところ」


 慧の言葉には大切な「何が」が抜けていてうまく要領を得ない。


「わからんよ、どういうとこだよ。このご時世、指示語だけでは伝わらんぞ。主語を言え、この先上手く生きていくためにもな」


 優太が未来を見越して指摘してやると、慧は「そうだなよなぁ」とおもむろに呟き、顎に手を当て、ちらっと視線を向けてきながら言った。


「相手が何を言いたいか、言おうとしているのか、それをわかっている癖に、とぼけたフリをするところ……かな?」


 それは、何となく、優太も理解できる感覚。そういうところは、確かにあるとは思う。


「……なるほど、俺にはそういうところがあるのか。ハロー新しい俺よ」

「じゃあ、そんな新たな自分を無事見つけられた優太にひとつクエスチョン」

「おいおいやけに唐突だな」


 優太の言葉は聞こえなかったことにして、慧はしたり顔で話を続ける。


「いいかい、片瀬君。人生は、いつ何時、何が起こるかわからなんだ」

「ふうん。たとえば、好きな相手に想いを告げてなお、気づいてもらえない、とかな」

「そうそう、あのときは本当にどうしようかと……って俺の話じゃなくてだな!?」


 そう言いながら、文字通り、痛いところを突かれた慧に、今度は先ほどよりもやや威力強めのツッコミが脇腹を突いてきた。


「うぉっ…、ナ、ナイスのりツッコミ……。また腕を上げやがったなぁ、こののりボケ上手め」

「いやぁー、こりゃあ昨日、お笑いの鉄則二十四時を徹夜で見た甲斐があったなぁ……じゃねーだろ! って、さっきもしたからなこの下り……」


 いい加減にしろ、と慧がその大きな体をどこっとぶつけてくる。浮かべる表情も不満げ。いったい、何が不満なのか優太にはわからない。優太的には、手を叩きそうになるほど切れたノリボケツッコミだったのに。つり革で右手が塞がっていなければ、拍手喝采は請け合い。人気者の手練手管ここにあり。そういうところは、優太も見習っていきたいと素直に思った。


「まあ、いいだよ、俺のことはよ。それより今はお前だよ、優太」

「ん? 俺?」


 仕切り直すように咳払いをしたかと思えば、今度はいきなり水を向けられた。優太にはぱっと思い付く心当たりはない。そんな優太の反応を横目に、「自覚なしか……」と慧はおもむろに呟いた。

 停車していたバスは再び動きはじめる。


「なあ、優太」

「んだよ?」

「お前さ、さっき、何考えてたんだ?」

「さっき?」

「ほら、俺が乗車してきたときだよ。俺の存在に気づかないくらい、ぼーとしてただろうが?」

「あー……まぁ、いろいろとな」

「随分と答えずらそうだな」


 慧の苦笑に、優太は苦笑で返した。さっきまでテンポの良かった会話が嘘みたいにぎこちなくなる。

 次の停留所である緑町二丁目では、バスは止まらなかった。


「まあ、今、優太がどんな問題を抱えているか、俺にはあんまわかんねーし、そして、たぶん、それはお前にしかどうにかできない問題だろう。けど、まぁ、なんつーの? あんま気負い過ぎないほうがいいと俺は思うぜ」


 慧のこの言葉には、優太も概ね賛成だ。でも、人には譲れないものというものがある。今、優太の抱える問題はそういう類のものだから。

 慧は車窓を視線を預けながら、言葉を紡いでいく。


「気負うってさ、『気』に『負』って書いて『気負う』だろ? つまり、やる前から不安なことを想像しすぎていざ本番になると、途端に力を出しきれず、まんまと負けちまうってこともあるんだぜ?」

「哲学っぽいな、それ……。まあ、言っていることはなんとなくわかる」

「だろ? 俺もサッカーから学んだんだ」


 そう言って、慧はからっと笑った。

 スポーツというのは、普段生きている中では気づけない尺度の感性を与えてくれるのだろう。慧もサッカーというスポーツをへて、技術や成績からでは得ることができないものをしかっり学んでいるのだ。


「サッカーさまさまだな」

「お前もどうだ? サッカーは楽しいぞ」

「初めていいこと言ったかと思えば、高度な勧誘だったのか」

「初心者でも大歓迎だ」

「ふんっ、考えておくよ」

「それ、絶対入部しない奴がよく使う決まり文句だからな」

「バレたか……」


 そんな会話を交えている間にも、バスはどんどん進んでいき、ついに優太たちが通う北野蔵高校前の停留所に到着した。

 車内アナウンスのあとに、運転席横の扉が開く。同じ制服を纏った生徒たちが一斉に立ち上がり、ひとりまたひとりと降車しはじめる。


 優太と慧もその流れに乗り、ICカードを翳してバスを降りた。無事アスファルトに足をつけると、そのままぞろぞろと校門まで続く道を大名行列の如く歩く生徒たちの中に混じる。


「あっ、そいえば、阿久津は市来さんとはどうなったんだ?」


 その途中、今思い出したような話題を優太からさりげなく振った。すると隣を歩く慧は、要領えないという顔を向けくる。わざととぼけているわけではなさそうな顔。


「ほら、木曜日、俺と別れたあのあとだよ。確か、市来さんと一緒に帰ったはずだろ?」


 順を追って説明してやると、慧はやっと納得したような表情を浮かべた。

 それは、何気に気になっていたけれど、結局忘れてしまっていた一件。

 阿久津慧と市来真帆、ふたりは幼馴染であり、慧は真帆に恋している。今のところ慧の片思い。友人の立場としてはもちろん成就してほしいと願っているし、それと同時に、慧の境遇も理解しているつもりでもある。


 過去に慧は一度、真帆に告白しているのだ。けれど、思わぬ形でそれは不発に終わり、今もなお慧の心に多大なるトラウマとして残っている。

 今まで一番近くにいるはずの相手だからこそ、実は上手くいかないということは、優太が一番わかっているつもりだ。

 一度壊わしてしまった関係を再度修復するのは一朝一夕ではいかない。でも、だからこそ、慧には何事もなくさっさとその想いを遂げてほしいのだ。それができなかった立場だから、なおさら……。


「ああ、確かに、一緒に帰ったな」


 帰ってきた答えは、あまりにもあっさりとしたもの。


「……それで?」

「それでって、いや、別に……この話にはそれ以上もそれ以下もないんだが?」


 情けないことを、慧は真剣な顔で暴露してくれた。


「なるほど。つまり、ただ一緒に帰っただけだと」

「まあ、そうなるな」


 ごく当たり前のことだと言わんばかりに、慧は平然としている。そこに疑問を抱いたのは優太だけのようだ。


「なあ、ひとつ聞いてもいいか?」


 だから優太も当たり前のように尋ねることにした。


「んだよ、改まって」


 慧が一気に警戒した視線を送ってくる。こういうとこだけは勘が鋭い。優太はそれに気づかないふりをして核心をつく言葉を口にした。


「阿久津って、市来さんのこと好きなんだよな?」

「……んだよ、マジで急に」


 少し怒ったような、訝しがるような、咎めるような視線が優太を突き刺す。それにも気づかないふりをして優太は話の続きを促すした。


「まあ、いいから答えろって」

「質問次第だな」

「うし、言ったな?」


 一応の言質は取れた。質問に応答するのは慧次第だけど、そこは問題ないはずだ。これはなし崩し的に答えてくれる流れだと思う。彼はそういう男だということを優太が一番知っている。だからこそ、遠慮なく質問することができる。


「もし、市来さんにお前の知らない市来さんがいて、実はその市来さんが裏で最低なことをやっていたという証言があったとしたら……お前は信じるか?」

「は? んだよそれ……」

「わかってる。おかしなことを言っていることは、ちゃんと自覚してるから」


 それでも教えて欲しかった。自分以外の意見を聞きておきたかった。聞いたところで答えは決まっていたとしても……。


「んなもん、信じるしかねーだろ」


 そう言って、慧は自身の尺度を持って優太の問いかけに答えていく。


「そりゃあ、俺も、最初は疑うだろさ。いくらあいつが……真帆が幼馴染だろうが、お互いすべてをわかり合ってるわけじゃねーし、すべてを見せているわけじゃない。だから、俺が知っているあいつと、周囲が知っているあいつに齟齬そごが生まれてくるのも当たり前の話であって、それはきっと正しいことなんだと俺は思う。まあ、その分だけ見方は変わっていくものだし、そこにはそれぞれが抱く好意とか、悪意みたいのも張り込んでくるものだから、俺も無意識にあいつに対する印象は決まっていくだろよ」

「だから、疑うと?」

「そ。でも、それは最初だけだ」


 そう口にした慧は、少し先の地面を見ている。いや、たぶん、ここにはいない彼女を見ているのだ。


「結局はさ、俺が信じるあいつを、たぶん、俺は信じると思う。周囲から見て、あいつが最低だろうが、最高だろうが、大事なのは、俺から見てあいつがどうなのかだから」

「大事なのは、自分から見てどう思うか、か……」

「そうそう、恋愛だけじゃなくても、あまり他人の意見に左右されるのはよくないと思うぜ。最終的に決めるのは、自分自身なんだからよ」

「最終的に決めるのは、自分自身……」


 そう言われて、ようやく優太の中にも腑に落ちるものがあった。ずっと探していたおもちゃを見つけられたような、奥歯に詰まってたものが取れたような、そんな爽快な気分。

 教えてくれたのは、全部慧だ。ならば、礼を言わなければならない。

 そう思って、優太が慧に視線を向けると、当の本人は金魚のように口をぱくぱくと動かし、何やら青い顔をしている。何か言おうとしているのはわかるが、驚きすぎて言葉がでないといった感じ。

 気になってその視線を追うと、ちょうど優太の斜め後ろにひとりの女子生徒がいることに気がついた。


 少し明るめに染めたミディアムヘアに、大きく丸い目、整った鼻梁、くすぐったそうに震える形のいい桜唇。身長は小柄で、155センチくらい。メイクはしているが、派手すぎずにナチュラルに仕上げている。

 クラス内でも、中心グループのひとりであろうポテンシャルを持った彼女のことを、優太は知っていた。


「ふうん、まあ、あんたにしては、まずまずの答えなんじゃないの?」


 女子生徒は妙に尊大な態度だ鼻を鳴らしているが、誰の目から見てもそれが照れ隠しだというのは一目瞭然。嬉しいけど、優太がいる手前、素直に喜べないといったところだろうか。いや、きっと優太がいてもいなくても、彼女、市来真帆いちきまほは変わらないのだろう。


「……おい、優太、どこへいこうとしている?」


 嫌な予感を機敏に感じ、慧を残して校門を跨ごうとした優太の肩を、慧がかっちりホールドをしてきた。こちらを見据えるその瞳と顔は、すっかり羞恥の色に染まっており、かと思えばそっと耳に口を寄せてくる。いわゆる内緒話。

 だけど、その分だけ優太はそっと距離を置こうと離れる。これから起こると予測できる痴話喧嘩を前にしてわざわざ巻き込まれようとは誰も思わないはずだ。


「おい、逃げんな」


 けれど、抵抗虚しく掴んで肩を慧は離してくれそうになかった。こうなれば大人しく耳を貸してやるほかない。


「おい、聞くが、どうしてこいつがここにいるわけ?」

「さあ?」


 残念ことに、それは聞きたいのは優太も同じ。気づいたときには背後にいた。幽霊も肩なしの恐ろしいステレス能力。


「それで、いったいどういう経緯で私の話をしてたわけ?」


 あからさまに交わされるひそひそ話しを前に、いい加減疲れた真帆が憮然とした表情を浮かべてそう聞いてきた。


「お前には関係ないだろ」


 そう強気に言い返したのは、慧のほう。


「ふうん、まあ、どうせろくでもないことなんでしょうけど?」

「ああ? ろくでもないとはなんだ、ろくでもないとは」


 二言三言会話を交わしただけで、ふたりはもう優太はそっちのけで厳しい視線をぶつけ始めた。それを傍から見ている優太には、ちょっぴりふたりの関係性が垣間見えてきた気がした。


「俺たちはな、人生において大切な話をしていたんだよ」


 なあ優太と、慧が視線を向けてくる。


「人生において大切な話?」


 ますます自分には関係ないじゃないと、今度はその視線を追った真帆が優太を見てきた。ふたりの視線が優太に集中した。

 自然と答えなければいけない流れができてしまったようだ。だから優太は遅れながらに、先ほど慧が言っていた「人生において大切な話」という言葉を瞬時に考え直してみた。そして、考え直してみると、確かにこれから先の人生に影響してくる話だったかもしれない。


 だから優太は曖昧に頷き、それを答えにすることにした。すると、すかさず「ほらな、優太もこう言っているだろ?」と、慧が援護に回ってくる。ちらっと横目に見えた瞳は「ナイス」と語っているようだった。


「ふうん、まあ、なんでもいいけど」


 情勢は二対一。これ以上食い下がっても、得られる情報はないと判断した真帆が早々に諦めたようにため息を吐く。


「賢明な判断だな」


 勝ち誇る慧のその顔からも、ふたりの力関係が覗けたような気がした。


「まぁ、頑張れよ」

「えっ、お、おう……」


 たぶん、普段は慧のほうが多くの苦渋を舐めている側だろう。でなければ、人間、あんな些細な勝利に喜ぶことはないと思う。相当に器が小さな者であれば話は別だけれど、慧の人間性を知っている優太はそうは思わなかった。

 そして、優太がそんなことを一歩引いた位置で考えていると、横からごほんと咳払いひとつ。


「んで、なんでお前はこんなところにいるわけ」


 そう真帆に向かって質問したのは、他でもない、慧だ。その瞳、やっと話を戻せることができて大いに満足そうだ。

 向かい合う二人は、登校中の生徒たちから不思議そうな目で見られていた。その流れで、ふたりほどではないにしろ、半分ぐらいは優太にも視線が向けられる。

 視線の流れ弾。勘弁してほしいが、仕方がない。何しろ、慧も真帆も校内では名の知れた同士。気にならないという方が珍しいのかもしれない。


「ここは私も通っている高校だから、何か文句でもある?」


 少し勝ち誇ったような表情を真帆が浮かべて言った。その顔は、やっぱり得意げ。先ほど慧に遅れをとったことを根に持っていたのだろう。


「くっ……」


 早々にカウンターをお見舞いされた慧が、優太の横で肩を落とした。スリーカウン制ならば、慧の逆転負けだ。

 優太がそんなことを考えている間にも、慧と真帆の話は続いていく。それはくだらない会話で、中身のないような言い合いだったけれど、意思の疎通を取れた同士にしか交わせない心地やり取り。


「……」


 羨ましい、優太は素直にそう思った。と同時に醜い感情が胸の真ん中で渦巻いていく。それが強くなって行くたびに、自分の弱さを自覚させられていくようでさらに自己嫌悪。


「あっ、そだ、片瀬君」


 そんな自分から目を背けようとしていると、突然、真帆がこちらに水を向けてきた。その声は、つい今し方慧と言い争っていたときよりも、数段落ち着きを取り戻している。


「ん? 俺?」

「そ。片瀬君。君に用があるの」


 真帆の大きな瞳が真っ直ぐ優太を見てくる。どうやら、聞き間違いではなかったようだ。


「優太に?」


 慧も横目にちらっと優太を見ては小首を傾げている。優太は、真帆とはそれほど仲がいいと言うわけでもないし、かと言って悪いわけでもない。廊下ですれ違っても、軽く会釈を返すぐらいだろうか。そんな優太に心当たりがあるほうが怖い。


「俺、先に行ってようか?」


 気を利かせた慧がそう提案してきた。


「うん、それがいいかも」


 真帆がすぐにその提案に賛成した。この場合、優太に発言できる権利はなさそうだ。


「じゃあ、俺、先行ってるわ」


 即決即断即行動、そうと決まった慧は、ひとりで校舎の方へと歩いていく。

 でも、やはり少し気になるのか、ちらちらとこちらを気にするような素振りで何度振り返り見てくる。そんなに気になるのなら、変な気を回さなければいいのに。そっちの方が優太だって心強かった。

 しかし、今さら決まった総意に文句をつけるには遅すぎた。ここは甘んじてこの状況を受け入れる覚悟を決めるほかない。


「それで? 俺に用ってのは……」

「うん、実は、片瀬君を紹介してほしいって子がいてね」

「……紹介してほしい子?」


 真帆が口にした用件は、優太の予想の斜め上をいくものだった。


「そ。昨日お願いされちゃってさ」


 お願いされえたのであれば、余程の事情がない限り真帆にはどうにもすることができない。だから、彼女を責めるのはお門違いにもほどがある。


「何かの間違いじゃないのか、それ」


 できれば、何かの間違いであってほしいとは言えなかった。


「うん、間違いじゃないと思うけど、昼休みに体育館裏で待ってるらしいから、行ってみてあげて」

「……体育館裏? しかも、昼休み? 放課後じゃなくて?」

「うん、確かに昼休みって言ってたよ、ほら」


 その証拠と言わんばかりに、真帆が取り出したのは、淡いグリーン色のカバーがついたスマホの液晶画面。

 かたかたと慣れた手つきで画面操作を行うと、見せてきたのはいわゆるLINEのトーク履歴。左上に表示されるユーザー名は、しっかり手のひらでガードされて見えなかった。この辺の気遣いはさすがに抜け目ない。

 人物の特定は諦めた優太に残されていたのは、目の前のトーク履歴のみ。見るとと、先ほど真帆から言伝された内容と同じ文章が確かに表示されていた。


「ね、間違いないでしょ?」

「確かに……」


 ここまでの確証を提示されては、さしもの優太も認めざるを得ない。


「じゃあ、そう言うことだから、あとはよろしくね」

「あっ……」


 そうこうしている間に、スマホをスカートの中にしまった真帆が、慧の背中を追うように校舎の方へと走って行ってしまった。

 ひとりに取り残される形となった優太も、釈然としないままゆっくりと校舎に向かって歩き出す。


「昼休み、ね……」


 このとき優太の脳裏には、ひとりの少女の姿が浮かび上がっていた。

 視界の端で、アスファルトに残った一片の花弁が宙を小さく舞った。


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