#—— 16 ——#
五年前のあの日のことは今も優太の記憶の中に色褪せらず残っている。
その月は、世にも珍しいことに一つのクラスから転校する生徒がふたりも現れたからだ。そして、それだけでも十分珍しく話題になるのに加え、さらにその話題性を大きくさせたのは、転校するその女子生徒に原因があったと、今でも優太はそう思っている。
ひとり目は、艶やかな黒髪を腰まで伸ばした女子生徒。
彼女の幼いながらに整った顔立ちと学校行事の際にみんなの前に立つ凛然とした姿に、数多の男子生徒がハートを掴まれていた。
実際、彼女、皆瀬雪音に好意を寄せていた男子生徒のことを優太は何人も知っている。
告白されている現場も何度も目にしたことがある。
その度に重いため息を吐き、なぜか恨みがましく優太を見てきたことも含めて記憶に残っている。
そして、もうひとり。
雪音が転校した一ヶ月後、同じくして他校に転校した女子生徒がいた。
彼女は亜麻色の髪を腰まで伸ばし、少し困ったような垂れ目が特徴的な女子生徒だった。
誰にでも人懐っこく分け隔てなく接する性格は、当時、雪音に次いで多くの男子生徒から好意的を寄せられていた。
クラスメイト中にも、彼女のことが好きだと公言していた男子もいたという情報は、優太も多々耳にしたことがあった。付き合いたいだとか、好きな相手がいるかどうだとか、わざわざ教室の隅に集まって気にしていたのを覚えている。
「片瀬は、あいつのことどう思う?」
当時、クラスメイトの男子たちからは流れで度々こういう質問されたことがあった。
「別に、なんとも思ってないけど」
その度に同じ言葉を、同じ表情で、同じ声色を持って同じだけ伝えてきた。
「あー、悪りぃ悪りぃ。皆瀬さんを幼馴染に持つお前には愚問だったわけだ」
「ああ? んだよそれ……。言っとけどな、別に俺とあいつは……お前らが勘ぐっているような関係じゃねーからな」
「はいはい。でもさ、そう思っているのはきっと、お前か皆瀬さんくらいなもんだよ」
やっぱり自覚してないのかよ? と、当時のクラスメイトは仕方がなさそうに笑っていた。
でも、確かに、言われてみれば当時の優太は自覚していなかった。今思えば、あまりにも近すぎて気づけていなかったのかもしれない。
でも、だからこそそれを失って気づかされた想いがあり、そして、今まで離れてはじめて気がつけた想いがある。
「それで、話って何だ?」
だから、もう迷わない。見て見ぬふりなんか、してやらない。
「うわぁー、想像以上に警戒されている感じだなぁ私。仮にも、曲がりなりにも、元彼女だったなのになぁ私……」
久しぶりに再会なのに、警戒心を剥き出しにする優太の態度に、杉原彩花はがっくりと肩を落とした。
傍からみれば、さも優太がいじめているように見える。小動物のみたいにしょぼくれた姿と、特徴的な垂れ目が見事に合間ってか、なんともいけないことをしている気分になってしまう。
けれど、それも一瞬の感傷だった。次に顔を上げた彩花の唇が楽しそうな弧を描いていたのがその証拠だ。
「でも、さすがだね」
「ひっかかるかよ、んな三文芝居」
「ひっどい言い草だなぁ〜。これでも君以外の男子生徒諸君にはかなり効果覿面なんだから」
「男子には、ね」
とどのつまり、逆に言えば女子からは不評ということだろう。きっと鼻につくのかもしれない。目の前の彼女は単純に可愛いは可愛い。だから、その分余計に。
そんな優太の予想を、彩花は苦笑を浮かべて肯定した。
「そうなんだよねぇ。困ったことに女子にはこれがまた低評化でさぁ〜。あざといとか、可愛子ぶっているとか受け取られるみたい。まあ、実質そうなんだから否定もできないけどね」
口ではそう言いながらも、彩花の態度は言葉と裏腹にあっけらかんとしている。その口調からして当本人自身はあまり気にしていないらしい。
まあ、それもそうかもしれない。優太の知っている彼女なら、その程度の障壁なんてどうとでも出来てしまうだろう。
そんなことよりも——と。
優太は、咳払いひとつして、脇道に逸れかかる論点を軌道修正。
「それで、そろそろ本題に入ったらどうだ? あんまし時間ないんだろ?」
人の波をどこか楽しげに歩く彼女の背中を見る。見失わないようについていくのに必死だ。
「そうだった」
今思い出したように彩花が肩越しに振り向きながら笑った。
「自分で言っておきながら忘れてたのかよ」
「むぅ、そんな言い方、しなくてもいいじゃんか」
優太が吐きれた声を漏らすと、彩花はどこか不満げな表情を作る。妙にひりついた空気感を出しているからか、ちらちらと周囲の視線が集まってくるのは気にしていたらきりがない。
けれど、すぐに高校生カップルの痴話喧嘩だとでも思われているのか、最後にはどこか微笑ましい顔で花見客は去っていく。遺憾極まれり。ここは早々に話を進めた方がお互いのためだ。
そう判断した優太は、軽くため息を吐き出し、勝手きままに荒くなる口調を整えた。それから軽く頭を下げて、自らの行いを悔いた。
「悪かった。でも、どうしても、お前を前にすると四年前のあの日の出来事を、思い出す……」
これでも、必死に押さえ込んでいる方だ。ふと気を抜こうものなら湧き上がってくる感情が今にも爆発してしまいそうなるのを。
「……そっか。なら、仕方ないか。仕方ないよね、私、最低なことしたもんね」
再び前を向いた彩花がぽつりと呟いた。
「……自覚、あったんだな?」
正直彼女の言葉は意外だった。あのとき、彼女が浮かべていた表情からして、楽しんでいるようにしか見えなかったから。
「だから、一々片瀬君はひっどいなぁ」
もはやこれは本能的なものだから勘弁してほしい。相手側からしたらたまったものではないと思うが、逆に言えば、彩花はそれだけの行いをしてしまったということでもある。
でも、だからといって、先ほど彩花が口にした言葉が本心ならば、それをわざわざ口にするようなことはしなかった。
「でも、まあ、本当に自覚はあるんだよ。そりゃあね、あるにはあるんだ。だってさ、小さい頃から一緒にいたはずの君を、あの子にとって、唯一幼馴染と呼べる片瀬君を、取り上げちゃったのは、この私なんだからさ」
そう言って、彩花はぐんぐんと人混みの中を進んでいく。見失わないようにその背中に優太もついていく。少々背後がざわついているような気がするが、今は彼女を見失いなわないようについてくだけで手一杯だ。
約十メートルの人海を通り抜けた先に、彩花はいた。
追って、視界を染める桃色の世界。赤赤とした斜陽を反射してキラキラ輝く井の頭池。
彩花は、落下防止のための木製の柵にそっと左手を添えるようにして立っていた。優太もその柵の前まで歩み寄る。
甘いブラウン色の髪が恵風にそよめき、甘い香りが優太の鼻腔を撫でる。
そんなときだった。ふと思い出したかのように、彩花が口を開いたのは。
「でも、仕方なかったんだよ」
「は?」
放たれた言葉の意味がわからなくて、優太は素っ頓狂な声を漏らした。それでも彩花は振り返らず、構わず、言葉を紡いでいく。それは、優太も知らないあの冬の日の記憶。
「私の欲しいもの全部、奪い去っていくから」
そしてこれは、あの冬の日の記憶より、前の記録。優太も雪音も知らない、彩花だけの想いの丈。
「知ってる? 片瀬君は、私にすべて横取りされたと思っているのかもしれないけど、最初に横取りしてきたのはあの子、皆瀬さんのほうからなんだよ?」
「……あいつが……?」
「そ。片瀬君は知らないと思うけど、あの子、当時の皆瀬さんはね、私がこつこつ積み重ねてきた、頑張って頑張って頑張ってかき集めてきた──いわゆる人気とか友情とか思い出とか、そして、好きな人とか、そういった私のすべてを根こそぎかっさらっていったの」
「な、なに言ってんだよ、お前……」
優太は渇いた口からそれだけを言葉にするのが精一杯だった。彼女の放った言葉の意味を正しく理解するには、あまりにも衝撃的すぎて時間が足りない。
それでも彩花は口を噤もうとしない。今の優太の心情など、今の彩花には知ったこっちゃない。
「なにって、過去に私が大切に守っていたものを皆瀬さんに掠め取られたって話だけど?」
「う、嘘だろ……。あいつが、雪音がそんなことするわけないが——」
「ないって、本当に片瀬君はそう言い切れるの?」
「……っ」
片瀬優太は、皆瀬雪音のことを誰よりも理解している。
普段は冷静沈着で思慮深く、負けず嫌いでいじっぱり。そのくせ、容赦がなくてダメ出しとか罵倒とか躊躇なく言ってくる。でもそれは、常に正しくあろうとする覚悟の裏返し。間違った方向へと向かってしまわないための道標。
優太は知っている。
彼女の行動の中には、彼女なりの意思と決意が宿っていることを。少なくともそれは、誰かの大切なものを自分可愛さに横取りしていくほどやわじゃないことも。
幼い頃から何度も近くで見てきたからわかる……そう、わかっているつもりだった。
「でもね、片瀬君。彼女はそれをしたんだよ」
今、彩花に否定される、この瞬間までは——。




