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思い返せば、このときからだったかもしれない。
この告白を袖にしたその日から、徐々にクラスの女子たちとの間に摩擦を感じはじめたのは。そしてそれは同時に、運命が狂いはじめた瞬間でもあった。
でも、もしそうだと仮定すれば、雪音は一体どうすればよかったのわからない。
今でも、あのときの自分の対応が間違っていたとは思えない。
誰だってそうだ。少なくても、雪音はそう感じている。好きでもない相手から告白を受け入れることを、誰が許容できるだろうか。だから余計に、雪音は過去の自分を責めるわけにはいかないし、許してはならないことだった。それをしてしまえば、これまで培ってきた自分を、確かな関係を築いてきた彼との過去を否定してしまうことになるのだから。
それだけはできないと、雪音が唇を噛み締めていたとき、スカートの中に入れた携帯から着信音が響いた。取り出し、画面に視線を落とす。送信者は片瀬舞生と明記されていた。
その内容は、自動販売機も売店も混雑していて、遅れてしまうとのこと。猫が頭を垂れる可愛い謝罪スタンプつきだ。
ちなみに、雪音も同じスタンプを持っている。以前に「雪音さんが好きそうなスタンプ見つけました」というメッセージ付きで、舞生がプレゼントしてくれたのだ。
そうした背景も思い出しつつ、誠実さと茶目っ気を混ぜ合わせた文章は、実に彼女らしいと思う。気づけば雪音の頬も自然と緩んでいる。先ほどまで感じていた胸の蟠も薄れたような気がした。
短く息を吐き出してから、雪音はすぐさまメッセージ入力欄を指先で触れた。送られてきたメッセージに返信を送るために他ならない。
慣れないフリック入力でいそいそとメッセージを打ち込んでいく。
——私はもう大丈夫だから、合流しましょう
メッセージに誤字脱字がないことを確認し、そっと紙飛行機に触れた。
既読マークはすぐについた。送られてきた新たなメッセージに視線を落とす。「本当に大丈夫ですか?」という、舞生の憂いを感じ取れる内容のメッセージをスマホが受信していた。
すぐさま返信を打つ。その指に乱れはない。先ほどのやり取りの最中、情緒はだいぶ落ち着きを取り戻しているようだった。
あらためて彼女が気配り上手なのだと、雪音は実感することができた。その感謝の意を込めて、今度はいつかプレゼントされた子猫の「大丈夫」スタンプを以って返事の答えとした。
そのあと、集合場所も公園の出入り口前に滞りなく決まり、それからの予定は集合してから逐次決めることで話は落ち着いた。
さっそく移動を開始しようと、雪音は席を立つ。その瞬間、ふと一陣の風が雪音の髪を巻き上げた。
「んっ……」
ふわりと艶のある黒髪が靡き、桜の木々が荒々しく揺れる。鮮やかな花弁が宙を舞い、視界一面には桃色のカーテンが掛かる。鼻腔を撫でるは甘酸っぱい花の香り。
全身に感じる春をよそに、雪音の目先で一片の花弁がゆらゆらと舞った。無意識にそっと手を伸ばし、花弁に指先が触れる——まさにそのタイミングで、雪音の瞳は見慣れた後ろ姿を捉えた。
「あ……」
宙を切る右手の先に映ったのは、味気のない紺色のブルゾンの下から白いパーカのフードを出し、黒生地のデニムで合わせただけのどこにでもいる普通の青年だった。
雪音の立つ位置から約二十メートル先にあるベンチにどっかり腰を据え、何とはなしに目の前に広がる絶景をぼーと眺めている。
ふと疑問に思う。彼には今日、一緒に出掛けている女の子がいたはずだ。それなのに、今の彼の横にはそんな彼女の姿はどこにも見当たらない。
この人混みだ。もしかするとはぐれてしまったのかもしれない。いや、むしろその可能性が高いだろう——そう考えるのが普通だけれど、雪音もまた、彼の性格を知っていたからこそ、一つの疑念を抱くに至った。
はたしてそれは、もし、彼が連れとはぐれてしまっていたとして、あの彼がぼさっと景色を観ていられるような人間ではあるかという点だ。雪音の答えは否である。ただしそれは、過去の話でもあり、雪音の知っている今の彼の性格が、雪音の知る過去の彼と同じとは限らない。人の心は時と共に変化していくものだから。
でも、それらの可能性を吟味したとしても、二人は休日に連れ立って出掛ける仲でもある。LINEのID交換ぐらいはしているだろうし、そう考えると、すでに携帯でお互いの居場所を連絡したあとだということも十分予測できる。
もしくは──と、次の可能性を思案したところで、突如雪音は自分の目を疑った。
今までまとめていた思考のパズルがぼろぼろと瓦解していく感覚に囚われたのだ。
──コツンコツンコツン。
雑踏の中に鳴り響く軽やかな足音。雪音の鼓膜はその音をきっちり捉えた。途端、不穏感を背筋に覚え、騒ぎ立てられるような、先ほどまで確かにあったはずの地面が瞬きしたその瞬間にはなくなってしまっているような、そんな危機感に見舞われたのだ。
そして、溢れかえる人混みの中に、雪音の瞳は確かに捉えた。夕日に焼けた亜麻色の髪を靡かせるひとりの少女の姿を——
直後、視界の片隅に一片の花弁がひらり宙に舞い散った。
「なんで……」
思い出されるのは、あの冬の光景。あのときの彼女も、優太と雪音の前に颯爽と現れた。そして、今回も——。




