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「そう、要するにこのわたしが言いたかったのは、雪音さんはもっと自分のことを気遣うべきだってことなんです。体調が優れないのなら、それならそうと早めに言って下さい。お兄ちゃんとあの怪しげな女の追跡なんて、雪音さんの体調に比べれば二の次、三の次なんですから。つきましては、雪音はここのベンチにでも座って少し休憩していておいてください。その間にこのわたしが近くの自動販売機、もしくは売店にて飲み物買ってきますから! なに大丈夫です! すぐに戻ってきますっ!」
そう一方的に捲し立て、舞生が雪音の元から風のように去ってから早くも十分を経過しようとしていた。
「やっぱり混んでるのかな……」
高らかに宣言して行ったわりにはなかなか戻ってこない後輩の姿を、雪音は偶然空いていたベンチに腰掛けながら待ちわびていた。
西の空を見れば、そろそろ赤くなりはじめてきた時間帯。それなのに、公園内を歩く人々の数は一行に減る兆しが見えない。さすがはさくら名所100選に名を連ねるだけの観光スポットだけはあると思う。
同時に、それだけ魅力を備えた場所に人が集まらないわけがないと、雪音は内心のため息を吐いた。
思えば、現在自分が置かれている状況もおかしい。
そもそもの話。今、この場に雪音と舞生が訪れていること自体イレギュラーで、本来訪れる予定のコースから外れている。
今日一日は、舞生と共にショッピングすることが主な目的だったそのはずなのに、気付けばこうやって雑踏の中に紛れているのだ。
もちろんその原因、ひいては元凶はわかっているつもりだ。脳裏に過ぎるは、先刻楽しそうに肩を並ベて歩いていたとある男女の二人組。
彼らのことは、雪音もよく覚えている。
女の子のほうは、一言で言えばとにかく派手だったいう印象が強い。
頭の上に載せた白いベレー帽をおしゃれに着こなし、首元から肩口まで花柄のレースであしらわれたトップスは色っぽく、それでいて扇情的だった。
それに合わせたハイウエストのプリッツスカートは可愛く、足元にはかっちりといした黒の厚底ブーツを履いていて、メリハリが利いていた。それに、今思えば目線もかなり近かった。
それに比べると、男の子の方は随分と地味、と言うか、当たり障りのない出立ちだった。
味気ない紺色のブルゾンから白いパーカのフードを出し、黒生地のデニムで無理やり落ち着つかせたような、毒にも薬にもならない無難な装い。
隣にいた女の子が派手だった分、対比して地味に見えただけだったかもしれないが、横にいられても恥ずかしくはないだけのファッションセンスはあったとも思う。
「……」
思うのだけれど、並んで歩く二人の後ろ姿を思い返せば、妙な苛つきが雪音をそそのかせてくる。
「……ったく、何よ、浮かれちゃって」
恨みがましく呟かれた嘆息は、すぐに雑踏のなかに紛れては掻き消されてしまう。
「でも、ほんとうにバカなのは、私だよね……」
気づいたときには、雪音の隣には片瀬優太という存在が傍にあった。住んでいたマンションが隣同士だったという要因も大きかっただろうが、二人を出会わせたのは、引き合わせたのは、両親でもなければ友達でもなくて。
雪音の母親が言っていた。
お互いがお互いの自宅にそれぞれを連れきた、と──。
今思い返せば、背中がちょっびりむず痒くなる。それでも幼い頃の雪音には、その事実がたまらなく嬉しくて、バカみたいにはしゃいで「ねえ、お母さん、きっとね、わたしと優太君を出会わせたのは、運命だと私は思うんだ!」
と、小っ恥ずかしい事を口走っていたと笑われ、悶え死にそうになった記憶は、今でも忘れられないし、忘れられそうもない。
でも、思い返せば思い返すほどに、皆瀬雪音と片瀬優太はずっと共に過ごしてきたということにもなって。言い替えれば、誰よりも遊び、笑い合い、喜び合い、喧嘩して傷つけあって、その度に仲直りして。何も疑いもなく、このまま運命で結ばれた二人は、ずっと一緒にいるんだと、ずっと肩を寄せ合って、並び歩いていくんだと……幼いながらに雪音はそう思っていた。
運命が徐々に変わりはじめたのは、幼いながらに異性を意識しはじめる小学四年生の頃。
「ねぇ、皆瀬さん、今ちょっと時間いい?」
帰宅間際、いつものように幼馴染のもとへ向かおうとした雪音の背中に声をかけてきたのは、当時、校内でも人気の高かった少年だった。
「うん、まあ、少しだったらいいですけど」
声をかけられたときはすぐに断ろうと思った。でも、向かい合った拍子に見えた瞳から並々ならぬ決意と緊張の現れを、幼いながらに雪音は感じとり、了見も聞かずに思わずそう返事をしてしまっていた。
少年はそれだけでも喜んだ。
当時の雪音は、自分から積極的にコミュニケーションを図ろうとするタイプではなかった。
理由を挙げれば枚挙にいとまがないけれど、もっぱらの理由は、女子同士の嫉妬やら妬み嫉みを避けるため。容姿に優れる雪音は、どうしてもその対象になりやすかったのだ。
そうとは露知らず、少年はひとり舞い上がり、失敗したかなぁと思ったときにはすでに手遅れだった。
「ちょっと俺について来てくれない?」
頬を赤らめ緊張気味に告げてきた少年の言葉を、今さら断るのは躊躇われたのだ。それに、一刻も早くあちらこちらから感じる視線から逃れたかったという理由もある。もっと突き詰めれば、別の教室で待つ幼馴染の元へと急ぎたかったのだ。
だから、雪音は少年の言葉に二つ返事で頷いた。
それから程なくして、二人がやって来たのは人気のない体育館裏だった。
到着してすぐのこと。差し向けられたのは腰を丸めた少年の右手。
「皆瀬さん」
真剣な眼差しが雪音を捉える。話の続きを視線で促すと、男性は少し上擦った声を出した。
「あのっ……もしよかったら、その……僕と付き合ってくれないかな?」
「……」
「やっぱり、だめ……かな」
縋るような少年の目線が下から雪音を覗き込んでくる。
「どうしてそう思うの?」
まだ返事を返していないのに……と、雪音は興味本位で尋ね返してみた。すると、少年はどこか悔しそうに顔を歪め、そのわけをぽつりと口にした。
「ほら、五組のあいつがいるからだよ」
「優太のこと?」
雪音がすぐさま反応できたのは、他に思い当たる人物がいないから。当時、女子の嫉妬をかう機会が多かった雪音が取る校内でのコミニケーションの多くは、幼馴染の優太に過多されていた。だから、すぐに答えは出た。
しかし、感情というのは実に理不尽なもので。
雪音が何気なく思い当たる節を口にしただけで、少年にはそれが癇に触ったのか、あからさまに口をへの字に曲げた。
それは、幼い雪音にもわかるわかりやすぎる反応だっ。あからさますぎて、少し笑ってしまいそうになる。
だけど、袖にしたそばからこれではさすがに無礼千万というものだと思い直し、雪音は余計な火種を撒く前に早々と退散を謀った。
「もしかして用ってこれだけですか?」
「え?」
「すみませんが、私は行くとこありますので、これで」
そう言うが早いか、雪音は立ち竦む少年の脇を通り抜ける。
「ちょっ、待てよ! 返事は!?」
雪音の淡白な言動に、少年は思わず声を荒げて問いただした。言われて、雪音も返事をしていないこと今さらながらに思い出す。
体ごとゆっくり振り返り、そして一言。
「ごめんなさい」
それだけ告げて、雪音は踵を返したのだった。
だから、嫉妬や屈辱に歪んだ少年の顔など見向きもしなかった。
「あのさ、最後に一つだけ聞いてもいいか?」
「……何ですか?」
立ち去る直前に問われ、最後にもう一度だけ足を止める。止めるけど、今度は振り返らなかった。
「もしかして、今から行くところって、五組のあいつのとこなのか?」
問われた疑念は予想通りだった。予想通り過ぎて、思わずつい笑ってしまう。
「……逆に聞きますけど、それをあなたに言う義務がわたしにあるんですか?」
「あるよ」
「は?」
思ってもみなかった返答に、雪音は訝しげに振り返る。すると、じろりと射抜くような鋭い視線が、雪音を捉えていた。
「だって僕は、君のことが好きだから」
さながらその瞳は、獲物を前にした獣のようだった。少年はなおも言葉紡ぐ。
「決めた、今決めたよ。僕は必ず君、皆瀬雪音、君を手にしてやる。絶対だ。たとえどんな手段を取ろうともね」
「……優太に何かしたら、私、絶対にあなたのことを許さない」
負けじと雪音が言い返すと、少年は心底愉しそう笑みを口元に浮かべる。
「へぇ〜、いいねぇ、そういうの」
「私、人の話を聞けない人って昔から嫌いなんですけど」
最後にそう一方的伝えると、これ以上用はないと言わんばかりに、雪音は今度こそ踵を返して体育館裏から姿を消した。
「面白くなってきた……」
獲物を前にして舌舐めずりするような薄ら笑みを浮かべる少年だけを残して——。




