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しばらくベンチに腰を据えていると、優太の体力もある程度回復してきていた。
それでも、井の頭公園内には、以前として多くの人々で賑わい、雑渡は絶え間なく鼓膜を響かせてくる。その足音で、ベンチが少し揺れているようにも感じる。わらわらと集まる人たちを見ると、一体どこから集まってきているのか疑問に思ってしまう。
「……」
そんな中、優太の頭には、ひとつだけ気になることがあった。
それは、約十分前、自動販売機を目指して駆けて行ったひとりの後輩が、一向に戻ってこないという点に他ならない。
確かに、この息の詰まるような人混みだ。自動販売機も人の行き交いも、さぞ激しかろうと思う。激し過ぎて設置場所も少し視認しづらいのかもしれない。だけど、地元民である彼女ならば、公園内にある自動販売機の設置場所ぐらいは把握しているとも思う。ともすれば、購入したあとで人混みに押されてなかなか帰ってこられない可能性だって考えられる。最悪、迷子になっているという点も否めないけれど……。
「いやいや、さすがのあいつもそこまで子供じゃないって」
あえて口に出してみたのは、その可能性の低さを自分自身に言い聞かせるため。彼女、杉原智花も高校生だ。この世に生を受けて、今年で十六年にもなる。あと二年もすれば選挙権を得て、結婚もできる年齢だ。優太が心配するのほど彼女もやわな人生を送ってきているわけでもないし、もう子供でもないのだから。
そして、自分自身をそう納得させたうえで、優太はその可能性が否定できない自分がいることに気がついた。
「……いや、十分にありえるよなぁ」
智花と知り合って間もないが、間もないなりに考えてみると、意外と答えはあっさりと言葉になった。脳裏に浮かぶ、活発で自由奔放な一つ年下の彼女。
そんな智花には、どこか抜けているような、大事なところでドジを踏んでしまいそうなイメージがあるのだ。こんなことを言うと、智花は声を大にして反論を口にするだろうが、それがこれまで智花に接したきた優太の率直な感想なのだから仕方がない。
だからと言って、優太の方から出迎えに行くというのは避けたい。今、この場を動いて行き違いになってしまっては元の子もないからだ。もっといえば、体調も万全ではないし、可能ならば二度手間は極力避けたいのが優太の本音だった。
そうやって、うんうん唸りながら思考すること数秒、優太は文明の力を忘れていたことにようやか気がついた。
さっそく、ズボンの右ポケットに手を入れると、目的のスマホはすぐに見つかった。
ロック画面を確認する。
案の定、光が灯った画面には一通のメッセージが届いていた。
──すみません、自動販売機も売店も混んじゃってて……あと十分ぐらい遅れると思います。だから、先輩は私が戻るまでその場で待機していてくださいね
送信者は智花だ。メッセージのあとには、投げキッスのポーズを取った可愛い子猫のスタンプが添えられている。
「やっぱりか……」
メッセージの内容を黙視で確認すると、優太は半分浮いた腰を再び椅子に預けた。
まとめると、この溢れんばかりの人混みが、公園内に設置された自動販売機と売店という売店を席巻しており、彼女が帰ってくるまで、あと十分の時間を要してしまうらしい。
つまり、智花が帰ってくるまで、わずかながらヒマができたということ。
「……」
突然、手持ちぶさになりやることもなくなった優太は、何とははなしに頭上を見上げた。
頭上一面を染めるのは桃色の花弁とその隙間から覗く青白い空。そこは、約四百本からなる桜の木々が描き出す幻想的な世界が広がっている。
さくら名所百選に選出されるほどの美しいその景観は、特に、七井橋から水面に向かって咲き乱れる桜は、見事の一言に尽きる。雄大で壮観、まるでファンタジーの世界に飛び込んだような気分にさせてくれる。
それらを独り占めするように、優太がぼんやり眺める視線の先で、一片の花弁がひらひらと舞い落ちてきた。
「……」
桜。
幼い頃、大好きだった花弁の名前。今は、優太を苦しませる名前に変わってしまった。
どうしても、否応なしに、思い出してしまうから。
脳裏に過ぎるは、今日のように満開に咲く桜のようなあの笑顔。だからなのかもしれない。優太は、ほぼ無意識に忘れ去ったはずのあの名前を口にしていた。
「桜美彩花……」
途端、一際強い風が耳朶を打つ。
「呼んだ?」
それは予期せず、意図せず、不意にして唐突に。
背後から突然声をかけられ、優太はびくりと肩を震わせた。そして、恐る恐る肩越しに振り返ると、そこにはひとりの女子が立っていた。
「……なんで、君がここに……」
「ふふ、さあ、なんででしょう?」
振り返った先で、ふわりとセミロングの髪を揺らした彼女は笑っていた。
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