#—— 8 ——#
「うぅ〜ん、美味しい!」
井の頭恩賜公園まで続く二百メートルの細い道。それを中心に多種多様な店が所狭しとひしめき合う七井橋通り。その途中にあるクレープ屋さんで、感嘆の声は高らかにあがった。
屋台のような店先の脇で、彼女、智花の手の中に収まっているのは、ほんのり焼けたクレープ生地で鮮やかな赤色の苺とふんだんに使用されたカスタードクリームを包み込んだ、人気筆頭メニュー「苺ミルクスペシャルクレープ」だ。
得てしてそれは、優太が智花に購入してあげたものである。お値段は四百五十円。
智花いわく「さっきの質問に答えられなかった罰ですっ!」とのこと。要は、自業自得だった。
そして、今もなお、生クリームたっぷりの生地を「んんー」と口に運びながら、智花が満足気にほう張っている姿を見ていると、そこまで悪い気がしてこないのだから不思議だ。
そうやって横目に見ていると、優太の視線に智花が気づいた。かと思えば、何を思ったのか「先輩も一口どうです?」と、含みを込めた笑みを浮かべてながら甘ったるそうなクレープを顔に近づけてくる。
「いや、普通にいらないけど……」
昼食もさきほど食べたばかりだった。
半歩引いて優太が拒否すると、智花は「そうですか」と淡泊に答え、再びクレープにかぶりつく。はちみつ色の生地には小さな歯型がついた。
「てか、さっき飯食ったあとなのに、よくそんな甘いもの食えんのな……」
昼食からはまだそんなに時間が経ってはない。驚きを交えて優太がぼやくと、智花の冷たい視線が頬に刺さってくる。
「先輩、それ、マジで言っています?」
信じられないと、その大きな瞳が爛々と語っていた。優太が大マジだと頷く。すると、クレープ片手に持った少女は呆れきったようなため息を吐いた。
当然、何を呆れられたのか優太には見当もつかない。
首を捻っていると、それを見かねた智花が「いいですか?」と前置きをしてから、律儀に、そして得意げに教えてくれた。その姿は傍から見て、出来の悪い教え子に教育を施す女教師のようだ。
「先輩、女子にとってスイーツというのは癒しなんです」
「癒し?」
「そうです、癒しです。つまりですね、女子にとってスイーツとは別腹ということなんですよ」
「へぇー。でも、意外だな。お前、カロリーとかめっちゃ気にしてるイメージだったんだけど」
夕食後などに体重計とにらめっこしている智花の様子は、優太の頭の中では容易に想像できた。
「と、当然気にしませんよ。だって癒しですもん。そこにカロリーなんて無粋な概念はありえませんからっ!」
「どういう理屈なの、それ?」
そんな中身のない会話を交えつつ、公園前に到着する頃には、その手の中にあったクレープは跡形もなく消え去っていた。
隣では、「ごちそうさまでした」と頬を緩ませた智花がいて。それを隣に、「恐ろしき女子高生」と心の中で優太は人知れず畏怖を感じたのはここだけの話。
ともあれ、智花の要望通り、井の頭恩賜公園、通称、井の頭公園に無事到着を果たした、そのはずだったが……。
「ちょ、え? 何これ……」
南東の武蔵野市から北東の三鷹市にかけて広がる都立公園内には、例年通り、多くの花見客でごった返していた。
見渡す限り人で溢れかえるそこは、地面が見えている箇所のほうが少ない。TVの画面越しで見る光景よりも、実際に訪れて見る光景とでは圧からして違っていた。
本当に今からこの中に入っていくのか思うと、勝手に足が躊躇う。智花には悪いが、早くも帰りたくなってきた。
そうやって、あまりの人口密度の高さに優太がうんざりしていると、左肩に突如痛みが走った。
「見て見て先輩! ほら、あそこに桜が見えますよ!」
そう興奮気味に人の肩やら服を引っ張りながら教えてくれたのは、智花だ。今もぴょんぴょんと小さく飛び跳ねながら、青々とした木々の隙間から覗く桜色に瞳をきらきらと輝かしている。
「ほら、先輩、早く私たちも行きましょうよ」
「え〜、俺はちょっと……遠慮したいんだけど……」
智花にバレないように、優太は徐々に後ろ足を後退させる。人混みの苦手な優太には不向きのステージ。本音としては、速やかな辞退を乞いたいところ。
けれど、それを智花が許してくれるはずがなくて。難色示す優太の腕は、彼女の華奢な手によって早々にホールドされてしまう。
「ほら、行きますよ、先輩」
そう言って、優太の返事もろくに聞かずに、智花に腕を引っ張られる。
華奢な体にもかかわらず、意外と力強いようで、優太はろくに振り払うこともできずに、若干引きづられるような形で人の間を縫うように公園内を進んでいく。
そして、それから行き交う人々の中を持ち前のエネルギッシュさでどんどん公園内を突き進む智花に若干、いや、かなり強引に振り回されること約三十分。
無事、公園内を一通り回り終える頃には、優太の体力は枯渇していた。視界はぐるぐる回っている。ぐったり項垂れた姿はいかにも気だるそうだ。
「これだから、人混みは、苦手、なんだってば……」
今は公園内の入り口付近に設置されたベンチの上で、呆れた智花の視線に晒されたながら、優太はぐったり項垂れていた。呼吸するたびに怨嗟の言葉が口を衝いて出る。それを見下ろす形で、重たいため息を漏らした智花のダメ出しが鼓膜に響いてきた。
「もうぉ、先輩はほんとだらしないんですから」
「……誰のせいだと思ってやがる」
先が見えなくなるほど混雑した人の中、腕を掴まれあっちへこっちへ振り回されれば、誰だってグロッキーにもなる。何回止まれと叫んでみても、上がりまくるテンションに任せた優太を連れ回した智花にも原因の一旦はあると思う。
それを横目で訴えてみると、その思いが通じたのか、はたまた自分に原因があるのと考え直したのか、智花はあからさまに視線を背けた。全然鳴らない口笛は、後ろめたさを隠すためだろう。
それでも彼女の良心に訴え続けていると、先に折れたのは視線に耐えかねた智花の方だった。重たいため息をこぼし、肩を落として言う。
「わかりました……わかりましたよ〜だぁ。私が悪かったですから、そのお詫びをかねてこの優しい優しいわたしがだらしのない先輩のために美味しい美味しい飲み物を買ってきてあげますから、それで許してくださいね」
そう言うが早いか、その小さな背中は、優太の返事も聞かずにとことこと人混みの中へと消えていく。
「本当に優しい人間は、そういうことを言わないはずなんだけどなぁ……」
雑踏に紛れて放たれた苦言は、十中八九聞いちゃいないのだろう。だいたい、それを言ったところで、聞こえていたところで、あの天真爛漫な彼女が心変わりするとも思えない。思えないから、せめて彼女が帰ってくる前までに体力だけは回復しておかなければならない。
結局、最初から最後まで振り回されるのが、今日の付き添い役である自分の役目なのだと優太は思い返す。
世の中なんてものは、だいたい上手くいかないのことだらけ。だからせめてポジティブに、あくまでの楽観的に、ぬらりくらりとこの先待ち受ける苦難をかわしていけばいい。
「はあ〜、明日はぜってぇ布団から出てやんねーからなぁ……」
でも、それだけは譲れられないと、優太は再度決意を固めたのだった。




