#—— 7 ——#
昼食を食べ終わると、自然と解散する流れになると優太は勝手に思っていた。
「私、桜を観に行きたいです!」
少なくとも、瞳を輝かせたひとつ年下の後輩がそんな要望を口にするまでは。
そこからは実にスピーディーだった。拒否する間もなく乗り気じゃない優太を、ベレー帽を被った少女は半ば無理やり引っ張られるかたちで誘導した。
「ほら、先輩、きびきび歩いてください」
足取りが重い優太は、言っても聞かないであろう後輩の案内のもと駅ビルを出る。とめどなく行き交う人の流れに乗ると、ふたりはエレベーターで南口から構外に出た。
エレベーターを降りてすぐにあるやけに短い交差点を渡り、向かい合ったテナントビルの間を通る。その奥から優太たちを見下ろす巨大なショッピングモールは、今日も壮観の一言だ。
しばらく道なりに進んでいると、果たしてふたりの足取りは、その手前に構えたられた信号に捕まった。
「ねえ先輩、さっきからわたしの話、聞います?」
目の前を忙しなく通り過ぎていく自動車の流れを見るとはなしに見えていた優太の横顔に、不満げな声がぶつけられたのは、そんなときだった。
「えっ?」
その声の方向を辿り、恐る恐る横目で確認すると、隣でむくれた女子がひとり。ほんのり桃色に染まった頬を膨らませるのは、同じ学校に通うひとつ年下の後輩である杉原智花だ。
「えっ? じゃないですよ、えっ? じゃ!」
ことさら大袈裟にそう言うと、智花は誰かさんの真似をしてくる。モノマネ自体は一ミリも似てないが、その不満げに細められた目には、これでもかと言うほどの不平が浮かんでいた。
「悪い、普通にぼーとしてた」
ご機嫌斜めな少女に嘘を言ってしも逆効果になりかねない。そう判断した優太は、正直に自分の落ち度を認める作戦に出る。すると狙い通り、智香はすぐに食いついてきた。
「いったい何なんですか、先輩。何か考え事でもしていたんですか?」
訝しげな視線が頬をちくちくと刺してくる。
「まあ……平たくいえばそんな感じかな」
なるべく平然を装い、優太はなんでもないように意識しながらそれだけ答えた。
「むぅ、なんだか、煮え切れない回答ですね。まあ、別にいいんですけど……」
もっと食いつかれるかと思い警戒していたけれど、帰ってきた彼女の反応は、案外と素っ気ないものだった。思わずほっとして警戒を緩める。先ほど脳裏を過った考えごとが考えごとなだけに、踏み込まれることを無意識に恐れていたようだ。
「ねえ、先輩」
今思い出したような口調で智花が優太の名前を呼んだ。
「ん?」
優太は目の前を次々に通り抜けていく自動車に視線だけ向けながら、言葉だけでそう応じた。意識はしっかり彼女のほうを向いている。
「わたしが今から、先輩がどんな考えごとをしてたのか、当てちゃいましょっか?」
口元を不適に緩ませ、どこか挑発するように智香がこちらを覗てくる。優太は妙に自信があるその態度が気になった。
「私、自信あるんです」
その大きな瞳の奥からは、確かに、確信めいた何か感じる。だから、その予想自体、あながち検討はずれじゃない気がして、思わず視線を逸らしてしまう。
「……できれば遠慮願いたんですけど」
「いやです」
「まじかー」
優太の願いは、あざとく人差し指を唇に当てた智香によって、いとも容易くあしらわれてしまった。でも、優太にとっても、この問題はそうそう簡単には引き下がれなくて。
「挽回のチャンスとか、ないんでしょうか?」
一種の期待を込めて、迷わず慈悲を乞うた。優太にとって、先輩のプライドというものはあってないようなものなのだ。
「チャンス、ですか……」
優太の発言に智香は小首を傾げる。考え事をするように顎に手を当て思考ポーズまで取っている。
そうして、たっぷり待つこと約五秒。ふと、智香の表情に不敵な笑顔が宿った。ちょっぴり嫌な予感……。
「わかりました。そんな情けない先輩にはチャンスぐらい差し上げましょう」
「おぉ」
願ってもない申し出に、優太は感嘆の声をあげた。そんな先輩に、智香はやれやれと肩を竦めて重たいため息を吐き出した。
「私が言っていてなんですが、情けないという先輩への誹謗はスルーなんですね……」
大丈夫なんですか、この人……という悲しげな人を見る目など気付かないふりで通す。悲しいことに、優太にはそういったマイナスな言動には耐性がある。智香の悲観的な言葉など、はじめから言われ慣れている側からすれば取るに足らない嘲笑なのだ。
「先輩、目が死んでますよ」
「ハハハ」
「うわぁ、これは知らないうちに地雷踏んでいたパターンやぁ……」
年下の後輩にリアルに引かれてしまった。しかし、それが功を奏したのだろう。
ごほんとひとつ咳払いをした智香が、「では、そんな先輩に問題です」そう口にしたあと、ご丁寧に「じゃじゃん!」と効果音まで付けたしてから、脱線していた話を強引に戻し始めた。
「さきほど、この私が、先輩にしていた話の内容は、いったいどんな内容だったでしょうか? ちなみに、この質問に答えられたあかつきには、これまで行ってきた先輩の失礼な言動もろもろ見逃してあげますよ!」
そう締めくくったあと、最後にぱちんとあざとく片目を閉じて、智花が期待を込めた目で見てくる。その瞳が「どうだ、優しいだろぉ感謝しろよぉ〜」と語っているのだが、優太にはバレバレである。
一件、彼女は気前のいいことを言っているように聞こえるだろう。
たが、優太は見逃さなかった。
その大きな瞳の奥に覗く愉しげな感情を。彼女は、優太が答えらえるわけがないとわかっていて質問してきているのだというその残酷な事実を。
「あっ、ちなみに制限時間は十秒ですので、あしからずぅ」
「はっ!? ちょっ、なんだよそれ、聞いてねぇって!」
思わぬ追加条件に、優太の悲鳴があたりに響く。
一緒に信号待ちをしている人たちからの視線が集まってきて、なんとも居た堪れない。
そんな視線にもお構いなしに、隣ではすでに十秒カウントがはじまっていた。
「なな〜、ろ〜く、ご〜お、ふふ、ほらほら先輩がんばぁ〜」
「ああっ、くそっ、まったくわかんねぇ!」
周囲の視線にたじろぎつつも、優太は最大限脳をフル回転させて過去の記憶を洗い出していく。その間にも、智花の非情なカウントダウンは刻一刻と時を刻んでいき、そして、「にぃ〜、い〜ち、はい、チャレンジ失敗です!」という甘ったるい終幕宣言を最後に、呆気なく優太のチャレンジは失敗したのだった。
「終わった、俺の夏……」
がっくり肩を落とし、ここにはない黒土を集めている自分を想像する優太。そんな悲観的な想像を働かせる優太の姿を、智花のころころとした声が一層引き立てていた。
「もぅ〜、しっかりしてくださいよ、片瀬せーんぱい先輩っ!」
「うるせぇ、俺の夏は、もう終わったんだ……」
「うわぁ何この先輩、めっちゃめんどくさいなぁ」
ひとり萎える優太の耳には、智花の無情なため息が妙に響いた。もはや優太の心のライフは無事ゼロだ。
「もう先輩は、ほーんとしょうがないですねぇ」
そんな哀れな先輩を見かねたのか、智花は小さく苦笑すると、意外にも呆気なく正解を口にしてくれた。
「桜ですよ、先輩」
「桜?」
「そうです、桜の話です。今年の公園内の桜は遅咲きで、ちょうど今の時期がピークだって話をしてたんですよー、わたしは」
そう言って、呆れた智花が優太の肩を軽く叩いてきた。ぺちんといい音が鳴った。けど、全然痛くない。だからといって、その威力に彼女の不満が比例しているわけでもないが……。
結局、どう転んでも、話を聞いていなかった優太に非はある。
叩かれた肩を摩りながら、優太はどう弁明しようかと思考した。実際、智花が「桜を見にいくたい」と要望を出したときから、優太はどことなく上の空だったのだから。呆れられてもしょうがない。
「……」
桜。
この自体を見ると、考えてみると、無意識に想起させられるのだ。忘却の彼方へと追いやっても、忘れようと意識しようとすればするほど、そして、彼女の顔を見るたびに脳裏に過ぎっては心を苛んでいく。
後ろめたい過去、忘れたい記憶というのは、いつまで経っても心にあり、それは無意識に無自覚に無遠慮に心の中に蟠っては常に自我を縛り付ける。
皮肉なことに、捨て去ろうとすればするほど縛り付けられる。人は自分を正当化しないと生きてはいけないほどには弱いのだ。
それは優太もわかっている。
わかっているけど、この思いは、この感傷は、どうにもならないし、ままならない。一度歪んでしまった過去は元には戻らないように。
そして、たとえそれが曲げられてしまったものでも、歪まれたものであっても変わらない。過ぎて去るだけ。
でも、それでも、心の奥底には残るものはある。
それは形には残らない。残らないけど、感傷となって胸の中に鎮座し続けている。
そんな、感傷を刻んでいった彼女はもういない。
雪音が去った一ヶ月後に、彼女も突然この街を去ったから。
心底楽しそうに、ころころと笑いながら去って行った彼女は、もう、いない……そう思っていたはずなのに……。
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