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「先輩、さっきはどうして逃げちゃったりしたんですか……」
三階から六階まで連なるレディースファッション店を網羅したあとのこと。
優太と智花は、場所を九階にある屋外テラスに移していた。
青々とした芝生に囲まれ、簡素なテーブル席が四つ設置されているそこは、天井は吹き抜けになっており、暖かな春の陽気があたり一面に満ちていた。
智花に連行される形で歩いていると、大所帯の子供連れの家族と入れ違う。連れられている途中、終始聞こえてきた喧騒は彼らのものだったようだと優太は流し目にそう思った。
優太がそんなことを考えていると、それまで唇を尖らせて前を歩いていた智花が空いていた四人掛け用のテーブルの席の一つに荷物を置き始めた。
「ふぅ、やっと休憩か……」
不服そうな視線をかわし、持っていた二つの紙袋を三脚ある椅子の一つに優太も置く。その隣の椅子にどっかり腰を下ろすと、ここ数時間ずっと立ちぱなっしで溜まった疲労が一気に押し寄せてきた。すると、小耳に「先輩は体力がないなぁ」といった笑い声が聞こえてきたが、優太は聞こえかったフリをした。
大方の原因は、彼女のアクティブさに振り回せれたからなのだが、女性に対してそれをいうのは野暮ってやつだろうと口を噤んだ。買い物に手伝うと決めたのは優太も同じなのだから。
かなりショッピングして回ったせいか現在時刻が気になり、優太はスマホを取り出すと、十二時半回っていた。気づけば、二時間半も智花の荷物持ちに徹していたという計算になり、思わず自分の健気さに感心してしまった。
何が一番感心してしまったのかと言えば、肝心の智花からお礼の一つも受け取っていないのにもかかわらず、文句のひとつも言わないとこだと思う。
もしかしたら忘れられているのかもしれない。けど、それはまぁだからと言って自分から助けてあげたお礼を言及するのもかっこ悪い話なので、そのときはそのときで諦めるほかない。
そうやって優太が禅の心で凪いでいると、智花が持ってきた少し大きめのハンドバックから四角い箱を取り出していることに視線がいった。
先程から感じていた、やけに重量のある鞄。
その原因が正体が究明されるらしい。優太が訝しげな視線でそれを見ていると、それに気づいた智花が少しはにかみながら口を開いた。
「……実は今日、お弁当、作ってきたんですよ」
智花はそう言うと、同じ包みに包まれた二つの弁当箱を取り出した。
「なぁ、もしかしてそれ、俺のだったり…する?」
逆にそうでなければ、智花がお弁当を二つもたいらげることになる。それはそれでちょっと好奇心を刺激されるのだが、当の本人が小さく首を縦に振った時点で優太の思考からその可能性は霧散した。
「……はい、実はわたし、先輩にお礼がしたいと思っていたんですけど、わたしには…先輩が欲しいものとか、して欲しいこととか……そんなのぜんぜんわからなかったんで。……だからせめて、わたしにできることを考えたら、感謝の思いを伝えれる物がいいなぁ……なんて、思いましてーーって、先輩? どうして目頭なんて押さえているんですか……?」
話の途中、目元を抑え始めた一つ年上の先輩を、智香はぎょっとした表情で見つめた。すると、鼻につまる声でぽつりぽつりと彼は語り始めた。
「……いやなぁ、まさか君がここまで健気な奴だったとは、全然思っていなくて……」
「……」
智香の慮る視線がジト目に変化したことに気づかず、優太は滔々と吐露していく。
「俺はてっきり、自分の恩を押し付けるだけ押し付けて、人を散々働かさせておきながら、他人から受けた恩を忘れ去っている、悪魔みたいなやつだと、正直思っていた。それなのに……俺の認識のほうが間違っていたとは……ほんと、ごめんな……」
過去の愚かなる自分を悔い改めた優太は誠意を込めて謝罪の言葉を述べている。それなのに、優太の頭上に浴びせられたのは不満に一つ年下の満ちた声。
「ちょっ、何ですかそれ、どっちなんですかそれっ!? わたし、今、謝られているのか、貶されているのかわからないじゃないですかそれっ!?」
混乱する頭を抱え、後輩はわーわー喚き散らしている。
耳にキーンと響いてとても五月蝿い。疲弊した体にはちょっときついからぜひやめてほしい。だから優太は、一応の誤解は解いておくことにした。
「ばっかお前、ちょー褒めているに決まってんだろ。お前はすごいって。自信を持てって」
ドヤ顔でサムズアップからの親指を立てて優太がそう言うと、普段から褒め慣れている智花は一瞬で真顔になり、ぽつりと呟いた。
「……先輩がわたしのことを、そんな目で見ていたなんて……」
今度はどこか胡乱げな表情をしてがっくり肩を落とした。優太の全力のフォローは完全無視に空振りで終わってしまったようだ。何がいけなかったのかいまいち理解できなくて釈然としない。
一人もやもやする優太をよそに、智香は嘆息するとおもむろに手元の弁当箱を広げ始めた。どうやらやるせない気持ちを食欲に変換させるつもりらしい。
「……はぁ、まあ、なんでもいいですけど」
「……」
優太もサムズアップぐっとポーズをいつまでもしていてもしょうがないので、余っていたお弁当をさっと受け取り、ありがたく頂戴することにした。
桃色の可愛らしい包みを開くと、和風の弁当箱が顔を出した。鼻腔を撫でるのはヒノキの香り爽やかな香り。まだ中身を見ていないのに期待が持てるのはこの弁当箱の魅力だろうか。
またぞろ弁当箱の重要性を認知したところで、いざ蓋を開けてみると、カラフルなおかずたちが優太を快く出迎えてくれた。午前中、かなり歩き回っていたこともあり、無意識に優太は喉を鳴らしていた。
ふんわりと柔らかそうな卵焼きに揚げ具合が絶妙な唐揚げ、緑が鮮やかなブロッコリーやポテトサラダ、色付けに真っ赤なプチトマト。仕切りを挟んで白いご飯が左側を席巻し、その上には軽くゴマが振りかけられている。
この意外な出来栄えには、普段から母親手製の弁当を見ている優太も思わず「美味そう」と呟いた。
正直言って、どれもこれも美味しそうで、どれから手をつけていいのか迷ってしまう。が、とりあえず、添えつけられた箸を手に持ち、一言「いただきます」と告げてから、優太は春の優しい陽光に照らされ、きらきら光る卵焼きから手をつけてみることにした。
そして、いざ実食。ふんわりとしたまろやかな舌触りと甘い卵の風味が鼻腔を通り抜けていった。
「杉原」
「……はい」
どこか緊張を帯びた表情で一つ年下の後輩は優太を見つめ、その口から放たれる感想を今か今かと待ちわびた。
「……お前って実は、料理、めっちゃ上手なのな」
優太が素直な感想を述べると、同様に卵焼きから口にしていた智花の頬は緩み、「そ、そうですか……、お口に合うようでなりよりです」と、少しはにかみながらほっとしていた。
「これ、ひとりで作ったのか?」
だとしたらすごい出来だと思い問い掛けると、
「あ、えーと、これは……」
視線を逸らし、智花はなにやら言い淀んだ。どこか答えずらそうな顔。二、三秒ほどの間が空き、飽きずに答えを待っていると智花がぽつりと呟いた。
「実は、このお弁当、お姉ちゃんが手伝ってくれたんです……」
「へー、杉原ってお姉さんいたんだ」
プチトマトに端を伸ばしながら、優太は意外そうな声を上げた。
一方、もっと別な言葉をあびせられると覚悟していた智香は安心したのか、ぽつりぽつりと話の続きを語り始める。
「はい、実は先輩と同じ学年に在籍してるんですよ」
「ほー……え? まじ?」
「はい、大まじです」
咀嚼していたご飯を飲み込み、智花はこくりと小さく頷いた。そのあとに、優太が気づけなかったことも仕方がないと言わんばかりに苦笑を浮かべる。
「まあ、先輩が気づかないのも無理もないですよ」
実際問題、同じ二学年だと一口に言ってもクラス単位ともなると相当な人数になる。だから、クラスが違えば気づかないもの無理はなく、優太もそう考えて納得した矢先、次に智花の口から語られた真実は少し角度が違うものだったと知った。
「だって、わたしとお姉ちゃん、顔似てないですもん」
「ん? まあ、俺の妹と俺も似てないからな。そこら辺は仕方がないだろ、DNA的に」
優太は苦笑をたたえながら口を尖らせる智花に一般論をぶつる。けど、わずかに表情を曇らせた智花がそれをやんわりと否定してきた。
「違いますよ、そうじゃないんです。そもそもわたしとお姉ちゃんは、血が繋がってないんですよ」
つまり、智花とその姉は、義姉妹という関係にあたるということ。平気そうな顔しているけど、彼女も大変な過去を乗り越えてきただろうということは優太にでも理解できた。
それから智花は思い出すように、自分の過去を滔々と語り始める。
「あれは、わたしが小学五年生のときでした。元々わたしが住んでいた千葉に、突然今のお姉ちゃんとお義父さんが引っ越してきて、今から家族になるからよろしくねって言われたんですよ。どう思いますか、先輩は?」
唐突の質問に、何も身構えていなかった優太は一瞬答えに詰まる。けれど、どこか答え合わせを求める迷子の子供のような視線に見詰められ、優太は少し考えてからそっと口を開いた。
「……どうって……そりゃあ、かなり唐突で、驚いて然るべきことだろよ」
「まぁ、そう、ですよね……」
ある日突然、家族が増えると言われて普通驚かないほうがどうかしていると思う。優太なら間違いなく戸惑う自信があるし、それは優太だけにはとどまらないことだと断言できる。それくらい家族が増えるということは、その人の、その家族の人生における一種の分岐点となるのは間違いないのだから。
「でも、わたしの場合はこういう性格だから、あっという間に受け入れてしまえたんですけどね」
箸先でプチトマトをころころと弄りながら、智花はあっけらかんと笑って言った。
優太も、あるいは彼女ならばとその辺は素直に納得できた。この後輩のような垢抜けた性格の持ち主ならば、それこそあっけらかんと乗り越えて行けるのだろうと素直にそう思った。
それは、誰にでもできることではない。もっと誇ったっていいと思う。けれど、そう語る智花の言い方に、優太はわずかばかりの引っ掛かりを覚え、賞賛の言葉を噤んだ。
この問いを、一瞬、口にしていいものかと躊躇ったが、本人も平気そうなのでここは思い切って尋ねてみることにした。
そして、このときの安易な決断が、思いも寄らない展開へと広がっていくことになろうとは、このときの優太には想像出来るはずがなかった。
「なぁ、杉原。さっき、わたしの場合って言ったよな」
「? はい、言いましたけど……」
「ってことはさ、お姉さんほうはかなり引きずってたのか?」
「そうですねぇ……。引きづっていたと言われればそうだと思います。確か、千葉に引っ越してくる前にこっちで何あったとか言ってたような言ってなかったような……」
「こっち、ねぇ……。ん? 待てよ、つーことは杉原のお姉さんはもともと吉祥寺が地元ってことなのか?」
「はい、確か、そうだったと思いますよ」
美味しそうに唐揚げを頬張りながら、智花は優太の言葉をあっさり認めた。
「……」
そんな彼女に向かって、これから問うこの質問は、優太自身、なぜ口にしようとしているのかわからない。わからないけど、いわれもない焦燥感に煽られるように、気づいたときには乾き切った口が勝手に動いていた。
「……じゃあさ、いつ頃、お姉さんがそっちに引っ越してきたのか、覚えてるか?」
「えーと、確か、五年前の冬頃だったような……」
「……」
思い出すように呟く智花の言葉に、優太は心臓を鷲掴みにされたような気分になる。開けてはいけないパンドラの箱を開けるような不穏が全身を包み込んだ。これ以上は踏み込んではいけないと、本能で察しているように。
けれど、この違和感を前に、片瀬優太としては黙っていられるはずがなかった。
「なぁ、もしかしてだけどさ……」
ふと、あの日、あの寒い日の光景が脳裏を過ぎる。
——ねぇ、片瀬君、君は知っている?
そう言って、平凡な毎日を過ごしていた優太の日々に、長い亜麻色の髪を翻し、踊るような足取りで彼女は突然現れた。
そして、あの日から。あの放課後からーー。
当たり前に続くと思っていた日々が——。
ずっと一緒にいると思っていた幼馴染との日々が——。
彼女の放った一言によって意図も簡単に崩れ去ってしまうことになるとは、あの日の優太は想像もしていなかった。
「もしかしてだけど、君のお姉さんの名前って、桜見彩花……じゃないよな?」




